page t-167       ギャビーのウェディング  マイアミ 2

マイアミにて、ギャビーと旦那様スタンのウェディング。
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前回ギャビーとNYで会った時「スタンがユダヤ教に改宗してくれるって言って…」と大きな瞳に涙を浮かべながら話してくれた。八百万の神派(すなわち無宗教)が多い日本ではあまり馴染みがないけれど、アメリカでは結婚相手の宗派が違う時、そのままお互い違う宗派を持ち続けることもあれば、スタンのように自分の信仰を捨て、相手の宗派に変えることもある。この「改宗」がまるで愛のバロメーターのひとつのように語られることも多い。「そこまでして」という、まるで相手への愛の深さの指標のように聴こえるからだ。自分の信仰を支持し共に歩んで行きたいというパートナーからの理解と覚悟めいたものにギャビーは感激し、言葉をつまらせていた。ユダヤ教への改宗は、ラビ(カトリックでいうところの神父様)と共にユダヤ教について学習し、テストに合格をする必要があるのだとか。熱心な取り組みが必要とのこと。





デート相手やパートナーを探す際お互いに一般的な条件をマッチさせるにも大変なのに、さらに大きな「宗教」というものが関わってくるというのは、マッチングの難易度をかなりあげそうだ。加えて移民だらけのアメリカでは、付き合いが真剣になってくると、相手がどこの出身(これは福岡だとか北海道出身という規模ではなく世界のどこの出身かということ)なのか、またアメリカ人の大半であるドメスティックで保守的な思考の方だと(NYの国際感覚はアメリカのそれとは言えない)デート相手の条件としてCitizen(アメリカ市民)であるかどうかを、毎回こだわって聞いてくるという母親を持つ女性も多いのだとか。


わたしもここでは外国人なのでよく分かるが、アメリカには、移民がどんな立場で存在しているのかというステイタスのヒエラルキーが幾重にも重なって存在していて、アメリカで人として認めてもらうには長い道のりがある。ビザや権利、住む事に関して苦労をさせたくない母親達はつい、デート相手がたとえアメリカ人でなくとも、アメリカ市民(グリーンカードを持って5年経つと市民権が得られる)なのかを聞くのだそう。


他にも、デート相手に求めることとして、熱狂的ベースボールファンの多いアメリカでは、同じ野球チームを応援しているかが大前提条件という人もいる。「彼ってすっごく素敵でね、申し分ないんだけど、、、、レッドソックスファンとか、もうっ、まじ有り得ない!そのセンスが彼のすべてを物語ってるっ!」とまで言い放ちデートを断ったヤンキース狂の女友達が身近にいる。阪神ファンの方でそういう話を聞いたこともあるね。クレイジーに聞こえるけど、自分のこだわりポイントに置き換えるとすんなり納得だ。


式場はギャビーとスタンの住むマンションの屋外共有スペース。すべてデザイナーの友達とセッティングし、什器やお食事はケータリング業者を手配、というあったかい手作り結婚式!


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仲良しのコーリ、マイアミが似合うおんな。
レセプションで振る舞われるドリンクは「ふたりがパーティーで出会って初めて一緒に飲んだ」モヒート。
どこをどうとってもおサレ。ふたりの兄弟と共にヴァージンロードを歩くギャビー!お人形さんみたい!ユダヤ式の結婚式では、男性ゲストは皆、宗教に関係なくキッパ(お皿のようなおぼうし)着用だそうです。「ユダヤ式」ラビによって進行するお式はヘブライ語で行われるため、まったくチンプンカンプンですが、度々出てくるまじないのような唄が驚くことに、お経の響きににている。ひょっとしたら、神に通ずる言霊のようなものは、宗派に関わらず音の周波数や帯域が似ているのではないか、とスピリチュアルなことをずっと考えていた。お決まりの宣誓で「誓いますか?」に対し、「Yes, I do(はい、誓います)」の代わりに「Absolutely!(もっちろん!)」と弾む声で宣言したギャビーがとてもチャーミングだった。





さて、アメリカの結婚式で女性はなにを着ているの?

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やはりほとんどの方がドレス(ワンピース)です。パーティー文化が日常的に根付いてるからか、女性はドレスを着ることに慣れていて、また見慣れているからか、結婚式だからといって日本のお式で漂う特別感は薄いように感じました。バカンス風のリラックスした装いの方もいれば、サタデーナイトのクラビングのようなセクシーな出立ちの方も多いです。

日本では日常的にパーティー風のおめかしをする機会が少ないので、結婚式となるとここぞとばかりに、一日集中であれこれ工夫したり盛ってみたり、という愉しみ方がありますよね。だからなんとも言えぬぎこちない七五三感に遭遇する事も多いのですが、間違いなく日本の結婚式ゲストのほうが気合いが入っていますよ。


ただ、これはなにも海外比較などではなく、日本にいる時からずっと思っている疑問なのですが、なぜこんなにすばらしいセンスを持った日本人女性の多くが結婚式のおよばれとなると、わたしもふくめ、なんだかやぼったくなるのだろう、ということ。盛れば盛る程コスチュームになる。そしてショップには「結婚式用」とうたった過度にフリフリキラキラがついた服が多すぎる。ドレスをさらっと着るということのお手本を日常的に見られないのは仕方のないところ。張り切らないくらいがいい。もし張り切るならば、一日のためのデコラティブなドレスを探すことよりも、日常的な健康維持や精神面から来る肌の艶などに関してであって、ドレスはクリスマスツリーの上に最後にのっける星のようなものだと思う。「そもそもドレスは西洋のものですよ」なんて絶望的なお達しがチラりと脳裏をよぎるが、着こなしやその立ち方次第だ。確かに多くの日本人女性はお着物をきちっと着た瞬間に、年齢に関係なく、わお!というほど洗練されるんですよね、やっぱり。

それなりに華やかな洋服を着る際、アメリカ人特有の「厚かましい自信」が見えないコルセットになっているのでしょうね。体型や外見はまったく関係なく、みな一様に謎の自信を持っている彼女たち。だから姿勢がしゃんと伸びて、かっこよく見える。ただでさえ、ドレスを着こなすには謙虚な日本人、さらに普段着慣れていないものを身につけるとなると、やはりおどおどした空気が出てしまいます。おそらくドレスを着るにしても、シンプルにして姿勢を正すだけで、随分美しくなると思う。その点、お着物という服の特質は、日本人の謙虚さや奥ゆかしさの内面と自然とマッチしており、オリジナルの美しさを引き立ててくれ、違和感なく素敵に見えるのでしょう。わたしも油断するとすぐ姿勢が悪くなるので、せめてしゃきっとしようと心がけています。




しかしセンスやベクトルはともかく、日本人女性のお洒落魂を誇りに思っています。NYの地下鉄で日本人女性を見る度「お洒落だなぁ」と感心します。「お洒落」と連呼していくうちに、だんだんと「お洒落」の定義を問いたくなってくるのですが、日本の場合、着飾る気力と清潔感のことでしょうか。余裕がある。そして全部の持ち物が単純に綺麗(ヨレっとしていない)です。NYにいる、お洒落で小綺麗な人は観光をしている「日本人」。長く滞在していると、人が自然とこぎたなくなっていくようにできている危険な街、ぬーよーく。



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さんざん言っておきながら、
じゃらじゃら貴金属、
ザ・「盛り」。




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つづく
# by akiha_10 | 2013-03-09 06:10 | Trunk

page t-166         ギャビーのウェディング   マイアミ

大好きな友人ギャビーの結婚式でフロリダ、マイアミへ!

その週のNYは最高気温がマイナス5度、最低マイナス11度と外出すると身の危険を感じる寒さ。
痛みをともなうマイナスからの25度!楽園。

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マイアミはNYから飛行機で3時間くらい、キューバに限りなく近いアメリカ南東にある。
太陽とエメラルドグリーンのオーシャンが広がる楽園にも関わらずパーティーピープルをのぞき、芸術づいたアーティなニューヨーカーからの評判は「いいねーあったかいもんねー」と主に気候を讃えつつ、本音は概ね不評で、それはマイアミの持つ、少々品に欠ける表面的な俗物主義傾向や、ノー侘び寂び、インテリジェンスに欠けるおバカっぽさを批判しているらしい。(世界全体から見るとアメリカ全体がややそう思われているのだが。)


スターDJやラッパーが五本指に金の指輪を身につけ、いかつい車でナイトクラブに横付け。おっかないSPに囲まれてようようっとグルーピーを煽る。そして若さを持て余した動物的若者の群衆が夜な夜な躍り出るマイアミナイト。そんなイメージ。


わたしは多くの通りすがる女性が、次々とメロンのようなバストをお持ちであることに気付き、つい友人に「マイアミ女子は一体なにを食べているのか」と質問。マイアミでは豊胸手術は歯の治療の感覚で行われ、今の流れはお尻を膨らませてプリンとさせることだと聞いて笑ってしまった!


常夏ですから、寒い夜本を片手にふと人生を振り返るような籠るタイミングには恵まれず。男女共々毎夜、クールにセクシーに、スラティーに?飾り立て、パーティーをし、狩りをし、成り上がればいいじゃん! 楽しかったらいいじゃん!というカーニバルノリが「マイアミ的」であり、このあたりが、同じパーティー好きでも高尚な話題に恍惚とする気難しやのニューヨーカーが敬遠する所以だというのが個人的な印象です。


でもやっぱり綺麗!透明な海!!ぎらぎら太陽!!
ぼうっとしてるだけで幸せじゃ。
こうして、いいじゃんいいじゃんのスポンジ頭になっていくのだなぁ。


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友人の住んでいるサウスビーチ。メイン通りのリンカーンロードにある日本食やさんでごはん。

その名も「道楽」。

エンパイアロールやレインボーロールという節操のないアメリカずしたちが「いいじゃんいいじゃん」とテンションをあげてくれます。これは中華でしょ?という謎の中華メニューが日本食としてメニューに載っているのも、ローカルな場所でよく見るパターン。日本食屋すなわちアジア食屋。




結婚式の前夜祭、ノリノリのクラブにご親族の叔父さん叔母さんまでいらしゃって、なんだかいいなぁ。インターナショナルなファミリーだけあって、世界に散らばった方々、アルーバ(ギャビーの出身地)、ロンドン、パリ、ロス、ブエノスアイレスからというゲストが次々登場!
# by akiha_10 | 2013-02-09 15:42 | Trunk

ニューヨークジャーナル 145

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毎週土日にやっているブルックリンのフリーマーケットに行ってまいりました。
この時期野外でやるのは寒いため、屋内でやっております。



ブルックリンに行くと急に街行く人のお洒落度があがります。ある一定方向の「ブルックリンスタイル」を装う群衆が集っているため、それはもはや没個性でお洒落とは言えないのでは?と言う方もいるとかいないとか。

ブルックリンのお洒落さんのことを度々「ヒップスター」というのですが、ヒップスターを構成する要素としては、「古着、ニット帽、分厚いヴィンテージサングラス、ハット、オーガニック、ポマードリーゼントまたは七三の髪型(男性)、普段着でもお洒落タイまたは蝶ネクタイ、ペタンコ靴、真っ赤なリップ」のような雰囲気です。


この演出的なお洒落は、個人的には下北沢、すこし大人っぽく洗練されると中目黒あたりに近いものを感じています。重ね着をし工夫をしたり、女性ヒップスターの場合、セクシーよりキュート、着崩して中性的な恰好をする方もおおいので、このお洒落の方向性は日本の感覚からすると親しみやすく感じます。わたしも好きです。


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会場食べ物コーナーでは日本食が大注目されておりました。
ライス&ミソ エヴリデイさんと ユージ ラーメンさん。
どちらも食させていただきましたが、ソウルフードでした。
ラーメンにムール貝とは洒落てたよ。







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かわいい生地を発見!!
綺麗な生地を見たら、どうするかはさて置き、とりあえず我がものにしたい衝動にかられてしまう。色使いと織の細かさ、素敵な生地です。うれしいうれしい!

クッションカバーかな?

バッグかな?











a0028990_4551637.jpgメトロポリタン美術館でDJ SPOOKYのパフォーマンス×映像上映の機会があったので行ってみました。DJと美術館、という取合せにクラブなの?美術館なの?とドレスコード迷走。どんな空気でも対応できるようクラッシィ・スラティー(上品でやや猥雑)でのぞんでみました。METにはこじんまりとしたコンサートホールがあり、そこで開催。「DJ」のほうにフォーカスした若い層と、「美術館」のほうにフォーカスしたインテリ大人、どっちつかずのクラッシィ・スラティーが混じりあい、この客層こそが面白かった。クラブ音楽と弦カルテットの生演奏、社会問題を問いただす映像を見ながら、そのうち大統領演説がラップになるんじゃないか、なんて思いながら鑑賞。なんでもミックス、その試みはNY的。
# by akiha_10 | 2013-01-26 05:04 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 144

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Language Exchange(わたしは英語が学びたくて、相手は日本語が学びたいという友達つくりの場)で知り合った、生まれも育ちもアッパーイーストサイドの五番街という生粋ニューヨーカーの友人との付き合いも長くなって来た。



NY、ユダヤ人で弁護士という、絵に描いたようなニューヨーカーの彼は理屈っぽく議論好き、ややシニカルで神経質「まあ肩の力ぬいて」と言いそうになるが、若きウッディ・アレンとも重なるパーソナリティーは世界をシャープに観察する情熱として映り、アメリカ人にはめずらしいくらい(というと失礼だが)繊細で魅力的な友人だ。感性豊かで、心のディティールを汲み取るのがあまりに上手なことを本人も知ってか知らずか、自分自身に対してのゲイ疑惑を検証しているところだという。最近会ったら、彼が描いている夢の香港勤務が叶うかもしれない、ということだった。






今やその目的よりも友情のほうが色濃くなってきているが、言語習得という点においても言語交流フレンドは双方にとって多少は効果的なようだ。

わたしは英語が特別得意でも好きでもなく(子音の多いその響きは好きだが)、大学で受けさせられたTOEICでは「つまらん。」とその場の空気に耐えられず開始20分で退出して原宿に出向いた。その日は、窒息寸前になる鬱蒼とした教室に二時間座っているにはあまりにももったいない金木犀の香る初秋だった。どうやらキャンパスの前から出ているらしい都営バスに、原宿を通る路線があることを以前からマークしていて、ずっと乗ってみたかったその念願の夢を叶えてみた。明治通りは無駄に混んでいて、地下鉄を乗りついだ方が遥かに速いだろう、馬場から原宿まで一時間強を要したが、よく晴れた午後、貸し切りの最後部座席でゆったりと東京見物する心持ちといえば、今まさに出所したところ、というほど清々しかった。目的地より、過程だ。くだんのTOEICといえば、マークを潰すため鉛筆を転がすことすら面倒で、スコアは言うまでもなくあえて履歴書に書いたほうがインパクト大になりそうな、なげかわしい惨憺たる結果であった。





一人旅が好きで、せめて旅行英語くらいはと、喋らざるを得ない状況は多少英語へと興味をむかわせた。「言語」という壁だけで、興味のあるもの、ツアーやレストラン、はたまた友達つくりやちょっとした恋の駆け引きなどに参加できない、またチャンスを逸してしまうことが自分で許せない。これはペラリーノになって言うべきことなので気がひけるが、「たかが」言語で世界の扉が閉じてしまうのが、自分にとって非常に悔しい。なぜなら「言語」は習得のスピードの差こそあるが、先天的な身体能力や才能を求められているものではなく、厳密に言えば「できない、喋れない」のではなく、「やるかやらないか」という自分の選択だと思っているからだ。いや、NYの逞しい人々に触れていると、向き不向きの資質はあるに越したことないが、言語に限らずほとんどのことは才能よりも「やるかやらないか」の問題だということを思い知らされる。






とにかく喋る環境をつくろうとバーヘ、レストランへ果敢に飛び込んで、机上ではなくストリートで、あくまでもFunやJoy、興味とセットで習得したわたしの英語といえば、今やコミュニケーションにはほとんど困らないが、文法や時制にあまりにも無神経な、ひどいJenglish(Japanese English:日本語の発想、通常英語ではそのような言い方をしない、日本語から直訳したようなセンテンスのこと)である。その口調といえば、おそらく日本語でいうところの「〜みたいな〜、っていうか〜じゃーん?」という、決して洗練されているとは言えないものだと自己採点している。ある時、とある知り合いのご紳士から「君はきちんと、美しい英語を勉強しなさい」と言われたことは印象的に胸に突き刺さった。しかしながら今のところ、頂いた推薦図書、シェークスピア原文は1ぺージ目を開いた瞬間速攻深い眠りへと落としてくれる超強力サーブの魔法の書となっている。奇しくも「マクベス」は前衛的移動型芝居「Sleep No More」と題して未だNYでロングランの最中であるが、わたしにとっては間違いなく「Sleep More」である。




携帯電話のマナーなど皆無のNYのバスに乗っていると、皆電話ごしに激しく喋り続けている。聴こえてくる言語といえば英語、スペイン語(かなり多い)、中国語、フランス語、イタリア語、よくわからない語、と一斉にバス車内に何カ国語も響いているのだ。NYでは英語を第二ヶ国語としている人があまりにも多く、よって聴く方もブロークンイングリッシュを聞き取るのに慣れていて、非常に寛容である。





興味深い話を聞いた。
ネイティブ以外で英語を喋る(レベルは関係なく)外国人で、こんなにも申し訳なさそうに英語を喋るのは日本人だけなのだそうだ。たとえばフランス人やメキシコ人、中国人は、どれだけひどい英語でも、「僕たちは母国語以外に、英語も喋れちゃうんだぜ」と自身満々なのだそう。一方、わたしもその気持は分かるが「わたしの英語、充分でなくてすみません、これって間違ってますよね?」という、謙遜や相手への配慮ともいえるが、ほとんどの場合心理的恐怖といえるものが私たちについてまわる。些細な差だが同じスキルでも「少しだけど英語が話せる!」と思うか「少ししか英語が話せない」と思うかの違いだろう。いかに言語を効率的に習得できるかは、いかに精神的、心理的な壁を克服するか、と例のご紳士の指摘。勢い良く言語習得するには、間違えて当たり前、という厚かましいくらいの態度のほうが丁度いいのかもしれない。まずはなんとか通じればよいのだ、という「英語を喋る」という意識より、「コミュニケーションを図る」ということに重きを置くのは悪くないと実感している。




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友人の彼の家のリビングに飾ってある、伝説的レストランのメニューの数々。食いしん坊のわたしにとってはあまりにも奇跡の巡り合わせだが、彼のお母様が世界で名の知れたレストランジャーナリストで、NYのみならずフランスをはじめ世界のトップシェフと顔見知りなのだそう。どうりで彼がレストランに詳しいわけだ。幼少期からジョエル・ロブションやジャン・ジョルジュと面識があるという、どこまでもゴシップガールならぬゴシップボーイっぷりについ笑ってしまう。それは表面的なスノビズムではなく、本物のおぼっちゃんだと度々知らされるのだ。






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彼が「明希葉っぽいから」とくれた本「小麦、水、塩、イースト菌」は非常にナイス。これなら勉強文献として悪くない。って、パン用語ばっかり妙に詳しくなって実用的でなかったりしてねぇ。










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食べ物ついでにいうと、ヘルス、クオリティコンシャスなNYでは洗練された駄菓子が多いのだが、大好きなのはFOOD SHOULD TASTE GOODのチップスやSIMPLY 7のシリーズ。POMEGRANATEのチップスの美味しさには思わず声をあげた。POMEGRANATEはザクロのことだが、実感として今NYでホットな人気食材だ。以前にも紹介したBruce Costの生ジンジャエール、Mast Brothersのチョコレートなど、食品に関して生産者や創業者が大々的に表に出るのはアメリカらしさだと思う。













今週はブルックリンでライヴ!
ザックのプロジェクトイメージが「スタイリッシュ」なので、お得意のりぼんも、森(もう古い?)的要素も封じてみたんよ。
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# by akiha_10 | 2013-01-23 14:31 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 143

美しいものを見ると、それらを側に置いておきたいという欲求に降伏せずにはいられない。
とりわけ帽子とジュエリーとなるとイタリア艦隊なみにあっさりお手上げだ。

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ヴィンテージジュエリー。
60年代のものらしい。そういえばブローチってあまり付けている人っていないような気もする。わたしのたからもの箱を開けるとブローチが多い。アクセサリーというより、ものとして立体的で綺麗なものが多い。だからたのしい。美術品のような感覚だ。








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ヴィンテージのものは留め具の部分が弱く外れやすくなっているものも多い。大好きなブローチを二度も落として無くして泣いたことがある。なにかよい工夫を知らないか、と店員さんに聞いてみた。ピンを洋服に通したあと、厚みのある輪ゴムを切ったものを針に通しておくと、金具が外れてもゴムがストッパーになるから落とす確率が減る、ということだ。このショップに通う、ヴィンテージジュエリー好きのマダムの教えだとか。実際にお店でやってくれた。金具を外した状態でぴょんぴょん跳ねてみてもゴムががっちり守ってくれる。こりゃいいや。ゴムの欠片もサービスしてくれた。










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帽子。
Selima New York
眼鏡デザインSelimaOptiqueも積極的。デザイナーセリマがなんて素敵なこと!リヴィエラア出身のとても可愛いらしい、ジュリエット・ビィノシュを思わせる女性だ。
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靴。
レインブーツを探していた。
いかにもスウェードの見た目なのにラバーだという面白い素材を発見。
しかもプラスティックのりぼんが付いていてキッチュ。
かわいい!と思ったら夏に心酔していた
ヴィヴィアン×メリッサの同シリーズであった。
履き過ぎてパーツがもげてしまったサンダル。
このブーツは雪の日もたのもしい。











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タイツ。
GiGiKというタイツ、靴下専門店。
精巧に編まれたもの、膝上だけレース、という可愛さとセクシーのちょうど真ん中をゆく、気の効いたデザインが豊富。ANTIPASTの靴下よりはマニュファクチュアを感じるけれども、アンティパストの靴下を手に取った時以来の感動を体感させてくれる。
行く度に「わお!!」と興奮するのだが、この緻密さと可愛さはMADE IN JAPAN。ということは日本でも買えるのか。オーナーはコリアンの女性、センスよいです。ただ、興奮して買ったレース編みも、ディスプレイのスラリとしたおみあしが履いたのと、わたしが履いたのとでは柄の幅が随分ちがう。様子がおかしい。



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でも履いちゃう!
自分らしく自分の好きなものを存分に楽しむNYでは
よしということにしておこう。













好きなものに囲まれる恍惚感、
ふんわりとした幸福感は誰にとっても聖域だと思っている。
今は亡き門司の祖父は、帽子と金のジュエリーと杖を
コーディネートし、誰に会うわけでもなく
しゃれた喫茶にひとりで珈琲を飲みに行っていたらしい。
幼少の記憶をたぐれば、
彼は芸事が好きでいつもニコニコ、
社会的存在として、また夫や父としての評判は
いまひとつ、いや、いまふたつだったが
大好きな帽子とジュエリー、杖にかわってバッグを身につけて
ひとりでコーヒーを飲むとき
「おじいちゃん、わかるよ。」とわたしは宙と交信しているのだ。
わたしたちはいい友達になれそうだ。
# by akiha_10 | 2013-01-13 08:04 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 142

明けましておめでとうございます!
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アメリカのニューイヤーは31日が半日営業、1日がお休み、2日から始業というあっさりとしたものでしが、ニューイヤーズイヴ(大晦日)は街中が盛り上がっておりました。


タイムズスクエアのカウントダウン、ゲストは今年の顔、ということでCall Me MaybeのCarly Rae Jepsenさん、江南スタイルのPSYさん。カーリーのCall Me Maybeは去年の春頃から、お店やレストラン、ラジオから聴かない日はないといっていいほど毎日必ずどこかで流れていたような気がします。実感として、意識せずとも昨年一番耳にした曲でした。

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Call Me Maybeを使ってのパフォーマンスビデオがものすごい数で創られ、話題になったものも多かったように思います。「うちの同僚が出てるんだけど」とアバクロでお務めする女友達がおすすめしてくれた動画。美しいアバクロボーイたち(総ゲイ)が出演です。きっと男性の視聴者のほうが多いんだろうなぁ。



ちなみに、このアバクロ販売員の友人に質問してみました。銀座店に行ってもわかりますが、アバクロで男女共にグッドルッキング(外見よし)なのは、採用基準が「アバクロを広める広告として相応しい姿形であること」と、やんわりと、しかしはっきりと外見がひとつの条件だからだそうです。モデルエージェンシーみたいなものですね。



以前よりはオープンマインドになっていると思いますが、アバクロやホリスターが若干、外見至上主義、人種差別寄りだとささやかれているはよく耳にしていました。本来アバクロは「白人」のかわいい男女につくられたもの、というこだわりをお持ちだったようで、それによってアジア進出も長年ためらわれていたとかなんとか。社内ではこのこだわりをブランド・ポジティブと呼んでいるようで、ブランドイメージを常に保つためにクールなモデル、店員を採用し、彼らの業務内容に暗にスタイル維持や体重の管理も含まれるようです。その哲学は賛否あるでしょうが、もし誰かにとって憧れでありクールなブランドならば、その徹底したブランディングはビジネスとしては今のところ成功と言えるのでしょう。


そんな友人といえば「I hate carbo(炭水化物)!」「I hate butter!」と高カロリーをとことん避け、そのプロ意識はすばらしい。一緒に食卓を囲んだ時、その食欲っぷりから、まさかのアメリカ人からミニダイナソー(恐竜)と呼ばれているわたしの隣で小鳥のようについばむ彼女の姿を見て、自分についてなんとも野蛮な気分になったものだ。そんな0号(洋服のサイズ)の囚人となったリアル「プラダを着た悪魔」の世界を生きる女子ですが、そんな彼女の、多感なティーンエイジャーのようなモデル的振る舞いも、男性方は眉をひそめながらも美人だから許す、といった空気です。そんな彼らがたまたまアバクロを着ていたというのも出来過ぎた話。









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今年も、一日一日に感謝、
ああ愉しいな、ああ美しいな、
ああなんだか淋しいな、もやっとするな、
といった感情の断片や深層を静観し
すべて生きている証だと、
心底喜びます。
Life is Comedyと心から言えるよう、
自分の厚かましい明るさをもって
何事も笑い飛ばします。
美しいものにたくさん触れます。

日々のどんな小さな事でも、
笑顔になってもらえること、
喜んでもらえることをしていきます。




みなさんにとっても素敵な一年でありますように!
どうぞ宜しくお願いします。
# by akiha_10 | 2013-01-08 03:29 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 141

先週のライヴ、ダウンタウンのRbarでのひとこま。
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キーボードに誘ってくれたのはエレクトロニカダンスミュージックを追求するザック(センター)。夏の終わり、たまたま同じ音楽イベントに来ていて話が弾んだところから交友がはじまる。音楽も映画もよく知っていて、なにより彼のパーソナリティといったら、ニューヨーカーにはめずらしいくらいあったかい。NYの交遊関係といえばフレンドリーではあるがSuperficial(表面的)な付き合いも多く一期一会を楽しむタイプも多い。わたしは自分はこの世の観光客、旅人だと思っているので、人との出会いはそんなもので執着せずともご縁のある人とはまたどこかで会えるだろう、くらいに思っている。だからNYのそういったさっぱり感は基本的には性に合っていて、みなそれぞれ自由で結構、とその冷淡さに傷付くこともない。とはいえ、そんな淡白ハートが多い中で、数少ないあったかハートを感じることのできる彼に出会えたのは嬉しい出来事だ。

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アカデミックな知識はなくコードも楽譜も苦手なわたしが言うのはなんだが、彼も負けず劣らず感覚で音楽を創っている。おそらく、音楽が好き、クールに自己表現をしたい、ただそのピュアな気持だけで突進している。それゆえ音楽は少々荒削りだが、なにより彼の情熱と、月に何本もライヴをブッキングしてしまえる彼の行動力はすごい。「本当に音楽が好きなんだなぁ。」というまっすぐさに心を打たれてしまうのだ。耳も目も肥えたNYは言うまでもなく一流好きだが、もう一方で情熱やまっすぐさもあたたかく評価する街だと思う。わたしの音楽をアメリカ人らしく大袈裟に褒めてくれキーボードにお誘いしてくれた。とにかく、もう、とってもいい奴なのだ。それにしても、クレイジーなオーディエンスを前にしてのステージは楽しかった!




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a0028990_1553418.jpgNYにはしっかりとしたライヴハウスもありますが、音楽を聴く環境とお酒を飲む場所とはかなり密接です。なので、バーにパフォーマンスステージがある場所がたくさんある。しかしこのライヴハウス×バー、かなりディープ。ポールダンスのためのポールあり、妖艶なアートありでかなりファンキー。どこからともなくポールダンサーが現われクルクルとまわっていました。気付けばバーカウンターでパフォーマンス。これ、みなさん普通に振る舞っているけど異質な光景よね。だって、今ワインを飲んでいるバーテーブルのすぐ横で、たよりない面積の布一枚を覆ってポールダンサーがシルクドソレイユですよ?しかも食べ物を置くテーブルの上ですよ?(←日本人的感覚)こういう景色に慣れてしまう、これだからNYってこわい。



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蛍光に輝くボディペイントも開催中。上半身裸にペイントするので、ペイント中はバーの真ん中でしれっと女性は裸です。背中にジョン・レノン、前部分は胸の部分がぴかぴか輝いていました。ポールダンサーがくるくるとまわり、若者は男女入り乱れて上半身裸、そんな中わたしはザック作の曲「コケイン!」をザックと相方の鍵盤、ケイティと一緒になって奏でていたのですが、なんだか…なんだか…60年代ですか!?ウッドストックですか!?ととても印象的な夜でした。







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くるくる。ポールダンスレッスンは今NYであついエクササイズのひとつです。
女性のバチェラーパーティー(新郎新婦ともに独身最後の夜、同性の友達と思う存分楽しむクレイジーパーティー。男性はジェントルマンズクラブ(ストリップクラブ)に行くのが定番)でセクシーなポールダンス体験レッスンをパーティーの序章に組み込む女性も多いとか。一体どこにむかっているのか謎ですが、この世の観光客としてポールダンスレッスンにわたしも挑戦してみたら楽しかったので、たまに出向いています。





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出演者より派手な、おもいおもいに盛り上がっている…



お客さん?






ステージに導いてくれたザック、ありがとう。来月はブルックリンでのライヴもサポートします!たのしみ。
また別の夜、デモテープを聴いてくださった方がイベントでクリスマスソングを唄う機会を急遽無理にねじ込んでくださったものの、当日スケジュールが押して結果唄う隙間なし。きっとまた!

今年は大好きなNYに果敢に飛び込み、めいっぱい探訪したくさん観察させていただきました。これこそ、わたしの情熱の核でした。表面的でも深くでも、友達、知り合いになってくれ、わたしを導いてくれたすべてのニューヨーカー、日本であたたく見守ってくれている事務所のみなさんや家族や友達、ブログを読んでくださるあなたに。


今年も毎日ニコニコで過ごさせてくださり、本当にありがとうございました!


NYの厳しくもあたたかい懐の深さを知った今、来年は音楽的な年にします。
でわ、素敵な新年をお過ごし下さいね!
# by akiha_10 | 2012-12-31 16:34 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 140

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アメリカのクリスマスにお邪魔しました。ニューイヤーがあっさりしているぶん、サンクスギヴィングやクリスマスが大きなホリデイであり一大家族行事であるアメリカ。


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知っていましたか?アメリカではツリーを飾る時、生モミの木を使うのが本流らしく、12月に入ると街中の道端で木が販売されています。よいしょ、よいしょ、と担いで帰るお父さんやカップルの姿もよく見られます。

これって、、、毎年変える、しめ縄みたい!



神様ちがいでも神聖なものを祭る時は洋の東西を問わず新鮮なもの、自然なもの、が好まれるようです。しめ縄にもあるようにもちろん人口ツリー(日本ではこれが主流ですよね)があるのですが、それを使っていると若干の後ろめたさがあるようで「ま、ないよりいいでしょ」というような雰囲気です。

生モミの木はクリスマスの後どうなるのか?と尋ねてみると、どんど焼きのような気のきいたものはなく、ニューイヤーが終わるころからただただ道端にごろごろと使用済みの木が散乱するのだそうです。ざつ。その捨てられた木々は、ホリデイも終わり厳しい冬を迎えるという暗示であり、文字通り「祭の後」の哀愁すら放っているそうです。それらはゴミ収集車が拾って廻っている、という話。


それぞれゲストは家庭に着くなり、木の下に持参したプレゼントを配置。

これって、、、正月の時仏壇にお供えする菓子折りみたい!


たくさんの数のプレゼント、夢があります。こちらでは、一流のお店やデパートをのぞいては、美しく包装してくれる店が少ないため包装紙やプレゼントグッズが豊富なんですね。DIYの精神。より豊富なプレゼント感を出すために、クッキーやらジャムやらもわざわざ別に包んで、数稼ぎするのも大事な演出のようです。

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クリスマスイヴの夜、寝る前にサンタさんのためにクッキーと一杯のミルクをツリーの側に置きます。


これって、、、神棚にお供えするごはん山みたい!


ってサンタは神様じゃないけどさ。「で。これ誰が食べるん?」と野暮なことを聞きそうになったけども、全員が成人しているこの家庭において、未だにこの風習って、なんだかかわいい…。日本の神棚のお供えのごはん山について「誰が食べるん?」と聞くのが野暮なくらい、この国ではこれが風習なのだ。きっとサンタを大事にすること=クリスマスを大事にして祝う=キリストを大事にすること、になるんだろう。

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クリスマス当日の午前、教会へ。神父様のお話を聴き、聖歌を唄い、聖歌っていいメロディーが多いんだよね、などとしみじみ思いました。「もろびとごぞりて」の出番になって、サビパートの日本語の歌詞「主は来ませり」の大胆の歌詞の当て方に想いを馳せました。幼いころ、漢字も読めず、「主」も、「来ませり」も日常会話としてはまったく馴染みがないので「シューワっ キーマッセ リィ〜」はなにかの呪文かと思っていた。なんかキマセリ的なものがシュワシュワしとるんかなーと。しかしなにより「キーマッセイッリー」のハッスル具合とか、ぜったい恥ずかしい。その前までよかったのに急に張り切っちゃってどうしちゃったの。そこだけ小声作戦しかない。この恥ずかしさを英語だと共有できないのが残念でならない。




教会に行くクリスチャンが皆献身的かといえばもちろんそうではなく、若い世代は神様だとか宗教とかまだ実感がないよう。若い層は「あーめんどくさい教会!」という本音があり、「はい!行くよ!」と親に連れて行かれるという姿を見て、これがリアルなところだろうなぁと観察していました。


どのような形であれ、どの神様であれ、これといって神様の姿形がなくとも、目に見えないなにかがひょっとしたらあるのかもなぁ、などという実感は、救いを求めるような精神に直面し癒しを感じた時や、身に起こる事がメッセージだと実感した時、自分以上に守りたいものができた時、自然の畏怖を感じたり、または奇跡のような巡り合わせや一体感を通して感じるものでしょう。信仰は洗脳でない限りは自分の中に見出すものでしょうからね。


a0028990_2879.jpg教会から帰ったらメインイベント、朝食もそこそこにプレゼント開封タイム!家族みんなリビングに集合。プレゼントには宛名が書いてある。

Akhia……



おしいっ!



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日本だと品性を問われそうですが、大人だって、プレゼントをビリッビッリに破きます。これは、ラーメンをずるずる鳴らしながら食べることが「おいしい!」という表現の一環である日本に対してこちらでは音を立てることはマナー違反であるのと同じで、プレゼントのビリビリはアメリカの「楽しみでたまらん!」のわくわく感演出のひとつなのかも。多分丁寧に開けるに越したことはないと思うが、ビリビリでもさほど問題なさそう。




チョコから靴下、セーターなど小物から大物まで含めてプレゼントが複数あることが楽しさを倍増させるようで、ひとりあたり抱えるほどプレゼントをもらうクリスマス、開封だけで随分と長い間盛り上がりました。封を開けるなり「サンクス、マーム」と友人のアニーが言う度に、彼女の母親が「サンタ。」と釘を刺し、「サンクス、ダード!」と言う度に、父親は「サンタ。」と釘を刺し、何度かそのやりとりが繰り返されるのを横目に見ながら「もうどっちでもええんちゃうん」とつっこみを入れたくなる微笑ましさがありました。ちなみにアニーも立派な成人。



ところで、子どもの時に何が欲しかったかという話に。


a0028990_2111747.jpgアメリカでバービーと入れ替わるように人気になったのはアメリカンガールとよばれる、約45cmある人形なのだそうだ。日本の感覚でいうと、やや恐。髪の色から目の色、人種設定までたくさんの種類があるところはさすがアメリカ。店内には人形の髪をセットしてくれる人形サロンがあり、人形と一緒にお茶を飲むことができるカフェがあり、人形と一緒に映画を見る映画館までもある。さらに、人形とお揃いの服で出歩けるように、同じデザインの子ども用の洋服まで売っている。その夢の世界の徹底ぶりはただただすごい。というかやや〜わりと恐。しかし、なにより独りっきりで人形と遊ぶことが楽しかったわたしの幼少期(暗っ)を思うと、もしアメリカで育っていたらまずはまったであろう。Ilona Szwarcが撮っているアメリカンガールと少女達の写真は印象的です。




アメリカンガールはなんとこれまで、800万体以上の人形と9000万冊以上の書籍を販売しているという人気ぶり。ものすごい数の種類があり、またカスタマイズも可能。人形のシリーズ名が"Just Like You"となっていることからも、子どもたちは自分に似た人形を選ぶのだそう。バービーのように容姿端麗で王子様を待つ女の子とは対照的に、現代を自分らしく生きる「 アメリカの等身大の女の子」をコンセプトにしているという。


自分らしさと言えば。つい最近セレクトショップ、バーニーズNYがクリスマスコラボレーションでディズニーと組んで「ミッキーミニーのランウェイ」というスペシャルアニメーションを店頭で流していたところ、そのモデルミニーの激細ぶりに抗議が殺到した。「「人気キャラクターたちの体形をガリガリにしてアピールする行動は、子供たちに悪い影響を及ぼす。将来の拒食症にもつながる行為だ。自分自身の体型にあったドレスをキレイに着こなすことこそが、夢や自信を与えることになる」と、店頭での上映を止めさせる署名が立ち上がりなんと14万人以上の署名が集まった。上演開始してまもなくして、バーニーズはこのアニメーションを流すことを中止した。


ちょっと過剰反応な気もするが、こちらがそのアニメーション。





体型など気にせずピチピチのTシャツやセクシーなドレスを堂々と着るアメリカにおいて、生まれて来た本人の姿やオリジナリティや好みを尊重しない哲学はまったくもって支持されないようだ、NYではなおさら。服装のことだけでなく、全般に言えるアメリカの皆が持っているこのオンリーワン精神。日本から遊びに来た友達が度々言う、日本人の謙虚さと比較すると羨ましいやら、時には厚かましくすらある「こっちの人のこの自信はなんなんだ!」というこの自信について考える。これは、なにか本人達が具体的になにかの自信がある、というよりも日頃刷り込まれている「あなたは特別」「あなたらしく生きなさい」という自由の国に度々発信されているメッセージがそうさせている。もちろん多民族の国ではっきりと自分を主張しなければ、生き抜くことができないという、サヴァイヴ力もその強いパーソナリティーを育てているのは間違いない。激太りしたって、捕まったって、スキャンダルがあったって、「これがわたしだもの!」とそれすら人生ドラマとしてエンテーテイメントへと昇華させてしまえるミュージシャンやセレブリティの逞しさしかり。ここまできたら痛快だ。人格や表情は、日頃どんなもの、どんな周りに囲まれているかという習慣の影響を多大に受けるものだと思うので、堂々としている姿を美しいと讃えるメディアや親の教育、街の人々のそんな姿を見てそうなるのではないか、とわたしは思っている。







男の子にとっての人気のプレゼントはどうかと聞くと、わたしたちの世代の定番のプレゼントリクエストはテレビゲーム系だったようです。アメリカでファミコン(初代ファミリーコンピューター)のことはNintendoと呼び、スーパーファミコンのことはSuper Nintendoと呼ぶのだそうです。ちなみにGame Boyはそのまま。ということは、使い方としては「クリスマスに何が欲しい?」「任天堂!」というわけです、なかなか大胆な響きです。ファミコンの接触不具合の時、カセットの下の部分をふーふーしたかを聞いてみたら「もちろん!」とのことです。なんかおかしいね。




もうちょっとで2012年が終わるねぇ。
# by akiha_10 | 2012-12-29 02:20 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 139

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METにマティスの絵を観に行ったらすばらしいツリーに遭遇しました。美術館に相応しい見応えと重厚感があります。オーナメントの天使と下に飾ってあるキリスト生誕の物語を表現している人形は、すべて本物のアンティークという高価な美術品なのだそうです。傷んだ部分などを多少補修してはいるものの、もともとは18世紀頃のイタリアのもの。毎週、美術館が遅くまで開いている金曜日と土曜日の夜に行うライトアップしているそう。天使の顔の部分やキリストの人形のあたりにライトがあたるように微調整までしているという、さすが世界の宝箱、メトロポリタン美術館!















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どこを歩いてもウキウキするNYの街並!













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先週行ったスカーレット・ヨハンソン主演、テネシー・ウィリアムズの戯曲「CAT ON A HOT TIN ROOF(熱いトタン屋根の猫)」。現在は本公演になる前のプレヴューらしいです。 ブロードウェイではミュージカルもストレートプレイも、このプレヴューと呼ばれる、正式なオープン前に本番と同条件で実施されるリハーサル公演が1ヶ月ほど行われます。その間に演出の変更、脚本の変更など本番に向けて調整されるのですが、プレビューとはいえもちろん手抜きはなしです。正式オープン後に観ると、全く違う作品になっていることもあるそう、修正しきれず評判があまりに得られないとプレビュー中に公演が終わってしまうこともあるとか。



スカーレットは映画「ゴーストワールド」の時から好きなのですが、どんどん色っぽくなっていきますね。ケイト・ウィンスレットと同様だらしなさギリギリの色気を放っています。生ヨハンソンもそれはそれは素敵でした。そのハリウッドの華やかさに、「でてくるだけでOK!」とミーハーになりそうなところ、彼女の演技力にも魅了されました。決して舞台向きの通る声とは言えませんが、本作品の愛欲に飢えた美人妻、というキャスティングもぴったり。一幕目の1時間はほぼ彼女の一人芝居といっていいほど彼女の早口のダイアログでストーリーが展開。これは本当に圧巻でした。映画を観たことがあったのでストーリーは知っていましたが、50年代の非常に古い言い回しや、南部の訛、当時の時代背景を知らないと笑えない部分も多く、どれだけ見栄をはっても、まあ50%くらいは理解できたかなぁ、という語学的には難易度の高い芝居でした。それでも彼女のビッチ具合をライヴで拝めて満足!


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知り合いがジャズトランペット奏者Chris Bottiのサポートでギターを弾くというので、久しぶりに「Blue Note NY」に行って来ました。毎晩カジュアルに気軽に音楽を聴ける贅沢な環境があるNYで(ブルーノートですらイベントによってはカジュアルな値段なのですが)足が遠のいていましたが、やっぱり久しぶりに総本山に行ってみると単純に音響設備が格別でした。そして集まるミュージシャンたちも腕という点でいうと、最高峰。Chrisの公演はブルーノートNYでは12月の風物詩らしく、一ヶ月ほど毎晩二回公演という人気ぶり、すごい。NYのブルーノートはもちろんその場所のレジェンド感と重みはありますが、「Jazzを聴きに特別お洒落をしていく」というような、日本ほど空間としてアップスケールな場所ではないんですよね。むしろジャズはストリート色が強いんだなぁ、とこの街に来て改めて思います。

久しぶりに音楽で泣きました。
# by akiha_10 | 2012-12-28 06:52 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 138

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NYが一番輝くクリスマスシーズンです。
言わずと知れた五番街は宝箱をひっくり返したような(文字通り宝がたくさんある場所ですが)美しさです。人々といえば、サンクスギヴィングから続くホリディムードで、いつもにも増して楽しげ。



ソーホーで行われたクリスマスチャリティイベントに潜入してきました。有名ファッション雑誌の撮影で使われるフォトスタジオで行われるというソーホーらしいパーティー。チャリティ基金を集めるためのオークション(チャリティ系パーティーでは定番)あり、盛り上がってメイクアウト(いちゃつくこと)ありのクリスマスらしい風景!

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ゲストの多くが学生の雰囲気を残した若い層で、若いのにとても質のよいドレスや靴をお召しになっている。それが一目瞭然だったので「どうしてこんなにゴシップガールがいるの?」と友人に尋ねてみた。

いい嗅覚だと褒められたが、来客層の若さの理由はチャリティイベント主催者が若干26歳のマットだということ。そして、マットがそうであるように、ゲストの大半がウィリアムズ大学出身。マサチューセッツにあるウィリアムズ大学はアイビーリーグではないが、それに匹敵する教育レベルで、全米トップレベルのリベラルアーツカレッジらしい。見るからに、お育ちの良さそうないいところのお嬢さん、おぼっちゃんが集結している。親も由緒正しく裕福であれば、その子どもたちもまた自然な流れで待遇のよい職につくという、富が集まるところにはまた富が集まるという、自然の摂理というべきか、アメリカの格差を生む一端を垣間みる。


目的は医療機関への基金集めであるが、悪酔いをしそうなカジュアルなワインが振る舞われて参加費は85ドル(チャリティパーティーにしてはカジュアル)。NYで開かれる多くのパーティーにつく、もはや枕詞となっている'チャリティ'意欲には目を見張るものがあるのだが、もしかしたらNYでチャリティパーティーを開くこと、開けることは一人前の、サクセスしているリッチな大人の証、ソーシャライツとしての嗜みであり、主催関係者にとっても、また参加者にとっても、そこに参加することや意義もふくめ、本人達の一種のプロモーションでもあり充実感にもなっているのかな、と一方で思ってきた。どのような目論みであれ、交流の場を提供し、結果的に、より多くの方に幸せが循環するならば、すばらしい。


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ふとアメリカ人の友人が発した「ね、ブロンド率が高いでしょ」という発言は物議を醸しそうだが、これもまた根強く残る、イメージによるアメリカの標準的な意見なのだろうなぁ、としみじみ感じた。ブロンド=裕福なヨーロッパルーツの娘(映画やドラマではしばしば、ブロンド=クイーン的華やかさがあるがちょっぴりオツムが弱いキャラで描かれることも多いが)というNYらしからぬステレオタイプな考え方である。





こういった人種主義的優生学は、もちろんどこでもだが、NYではなおさらタブーである。しかし多くのニューヨーカーは、思想の強弱はあるにしてもリベラルに傾倒しながらも、移民たちがひしめき合うNYで、実はものすごく自分たちのルーツやプライドを意識しているようにも感じてくる今日このごろである。そういうものは、改めて語らなくても、何気ない発言や仕草に現れる。そして、タブーという緊張感があるからこそ、問題発言のかなりギリギリ手前の辛辣な人種系ユーモアや笑いがこの街に溢れていることにも気付く。それがスレスレセーフであるほと面白いのだ。


ちなみに実のところ、アメリカには本当のブロンドはとても少ない。上記のようなイメージを知ってか知らぬか、また『紳士は金髪がお好き』というマリリン・モンローの映画にもあったように、女性の美しさの象徴としてブロンド信仰は未だ根強いのか、もとはブラウンやブルネット(焦げ茶)の髪の女性でも、わたしたちが美容院で髪を明るくするのと同じ感覚で、女性達はかなりの確率で金髪に染めているのだ。


女優のジェシカ・アルバ(もとはブラウンへアー)が役のために金髪にした途端に、バーやレストランで信じられないほどいい待遇を受けてモテモテだった、というインタビューを読んで印象的だった。ちなみに、普段の何気ない会話で「デートしている子、どんな子?」と男性に聞いた場合、その女性がブロンド(または偽ブロンド)である娘に限ってのみ、「うーん、すごく素敵な子で背が高くて、ブロンド」と髪についての言及を付け加える傾向にあることに気付く。

ブロンド率は全世界で2%にも満たないこと、プロンドは劣性遺伝(遺伝能力が弱く、父母ともにブロンドの遺伝子が必要)という事実を見ると、単純に生物界に存在する自然な欲求、希少なものへの憧れ、また生物として、雄として、熾烈なサバイバルの中で、より希少性価値の高いパートナーを獲得するという男性本能に訴える要素のひとつとして「ブロンド」なのか、というふうに取ることもできる。(ちなみに女性が男性に対してブロンドをより好む傾向はあまりない。まあ、これも男性が女性に対してより外見に求めるものが多いということの現われなのでしょうか。)これは、美の基準としてブロンドが一番ということ(人によってははっきりとした好みを持つ人もいるが)、そういった順位の問題ではなく、ただブロンドはやはりちょっと特別な印象を残すということは事実のようだ。



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パーティーファッションチェック!
個人的に気になっていた素朴な疑問。真冬時のパーティー、ドレス(英語ではどんなものであれワンピースはdressと言います。ハイブランドでもユニクロでもひとつなぎのものは、ドレス!)の下にストッキングやタイツを履くのだろうか?

というのも、ドレスによってはストッキングを履いた途端にとてもやぼったくなる。そして パーティーに映えるお高めなパンプスはストッキングを履くと滑って脱げてしまうものが多いような。でも、寒いよね?みんな、どうしてるの?

で、ゲストの脚に注目してみました。a0028990_4383939.jpg


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完全に脚フェチの怪しい人。
真冬でも素足多数!
高級パンプスを履いた日に、寒い外なんか歩くもんですか、xo!なんだね、と勉強させていただきました。









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男性方のファッション。クリスマスシーズンになるとやたら見かける、やぼったーいダサイ柄のセーターを着た方々。雪だるまどーん、となかいどーん、といった模様の、おばあちゃんの家のタンスから出てきた、防臭剤の臭いがしそうな超カントリースタイルのこのセーター。映画やドラマでもよく見かけます。



実はこの類のセーター、数年前からのトレンドなんですって。「どこで見つけたの?」というような、いかにダサイセーターを着るかという謎のトレンド。もともとは、毎年クリスマスパーティーで大勢が集まった時に、誰か一人はやばいセーターを着ている、「ピーターのセーターだっさっ!」というような冬の風物詩だったようですが、それを逆手に取って、自らダサダサにキメこもうという流れのようです。「Ugly Sweater Party」や「Ugly Sweater Contest」とダサさを競う催しもあるくらいなのですが、わざわざ競わなくとも、もともとダサめのアメリカなんだけどなぁ、と個人的には思う次第であります。

アメリカ人男性の中では、お洒落はゲイのもの、のようになっていてストレート男性は粧し込むことを敬遠する傾向にあります。というのは実はエクスキューズで、ビールを飲んでフットボールを見れば幸せなアメリカ人男性にとって、お洒落なんてただただ面倒くさい、というのが本当のところでしょう。わたしが日本のメンズ雑誌をアメリカ人に見せたところ開口一番「これ、ゲイ雑誌?」と聞かれたことはインパクト大です。わたしは男女ともに日本人全般に見られるお洒落さ、清潔感を誇りに思っています。



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にや。
漆黒に伸びゆく黒髪ジャパン。海外にいる日本人女性の多くが黒髪ロングになるのって、なにも狙ったものではなく「どこの美容院がいいのかな」ともたもたしているうちにタイミングを逸して知らぬうちにロングに、黒々しくなっているのではないか、と今実感として思う。前髪を自分で切るのにも慣れてしまった。って無頓着なわたしだけかな、、、ぬーん。
# by akiha_10 | 2012-12-23 05:12 | NY Journal