フードコラージュムービー、シリーズ「Hungry Kitty」はじめました!
ニューヨークの街で毎日、大勢の人たちが発する情熱漬けにされていると、自分の好きなことやものについて本気で見直す機会に多く直面します。NYのすばらしいところは、世界の才能が集まっていることでもありますが、なにかの分野がとても好きだったり、極端に詳しかったり、一見変哲と呼べてしまいそうな◯◯マニアがいたり、と才能以前に情熱が結集しているところ。だからそのぶん競争の激しい街ともいえるのでしょうが、それがどうサクセスするか否かに関わらず、生命力の高い人々、愛すべき頑固ものや人間臭い人たちに囲まれ、話を聞いて頷いているだけで「なんて魅力的なんだろう!」とその時間そのものを抱きしめたくなるのです。 そうして真剣に自分を見つめてみると、このブログを見てくださっている方にはもう今更ですが、わたしにインスピレーションを与えてくれるのはいつも「食」だなぁと思うのです。おいしいもの、美しいレストラン、素敵な食器やカトラリー。食に関するすべてがどうしようもなく大好きです。それは、ほとんど毎日欠かさず季節を感じる美味しい家庭料理を作ってくれた母の影響でもありますし、旅が好きでいつもその土地土地の美味しいものを食べに連れ出してくれた両親の影響でもあると思います。振り返るとパンカフェやフレンチレストランでのアルバイトでも、毎朝の焼きたてのパンの香りや、鮮やかで精巧につくられた美しいお皿にうっとりしながら、その空間にいることを心から楽しんでいた自分がいます。 食べることは生きるための活動ですが、それ以上に心の活動だと思うのです。それはなにも、いつも美しいものや高価なものを食べる、という意味ではなく、シンプルなおにぎりひとつでも、真っ青な空の下家族と食べればとってもおいしい。仲間達と食べる夏のバーベキューもいい、真冬にほっと一息つける一杯のインスタントのスープだっていいのです。食べ物はわたしを生かしてくれ、人と人を繋げ、空気を和らげ、笑顔をもたらしてくれる。ワイン自体も好きだけど、ワインがそこにある時間が好きなように、食べもの自体も好きだけど、食べものがそこにある時間がとても好きです。 こうした自分の情熱の元であるフード関連と、どう自分のクリエイションを生かせばいいのだろうと思ったとき、DIY(手作り)ムービーを思いつきました。フードに関わる記録を、スケッチを書き留めるように音楽にしてみよう、自分でムービーにしてみようと。そして、おいしい事はもちろん、食にまつわる美しいモノやコトを意識的に採集していこうと。世界のフードに関わり、フードを通して明るく軽快に世界を繋げることがわたしの夢です。 というわけで、フードコラージュムービー「Hungry Kitty」の第一作目をつくりました! (一番下に埋め込んでいます。) 「Hungry Kitty」のネーミングは、アメリカ人の友達たちがわたしのことをKittyと呼ぶことからつけました。知り合った当時よくリボンのアイテムを付けていたからだそうです。また、英語に「Curiosity killed the cat」という英語圏では誰もが知っている句があります。「好奇心は命取り」といった意味で、例えば「それ以上詮索しないほうがいいよ」という場面において使われるので、この句そのものは少々ネガティブですが、ネコ=好奇心旺盛、知りたがり屋でどんどん突き進む、のようなイメージで知られています。それがわたしのエネルギーの元でもあり、モットーでもある「Curious/Curieux<仏>(好奇心旺盛)であれ」といったものとリンクしたのです。よく考えるとアラサーでKitty(だって、子猫ですよ!)と名乗るのも、はっきり言ってとんでもないずうずうしさですが、まあこれもNYで培われた大胆力ということで。 またHungry Kittyのfacebookページなるものにトライしてみようかと思い立ち上げました。FBのアカウントを持っていらっしゃらない方でも閲覧が可能です。気軽にコメントなども書いて頂けると嬉しいです!今まで少々はばがられていた「この人、食べてばっかり」を清々しくやっていこうと思いますので、ぜひのぞいてくださいね。だって、Hungry Kittyだからね。お腹すいとるんよ、いっつも。定期的なムービーの更新の他、世界中のフードに関する画像などをHungry Kitty記録ページとしてアップしていこうと思っています。 新しいホームページも立ち上げました。見所はなんといってもプロフィール写真とクロワさんの違和感。英語版ということで今回は現地友人たちから「アメリカではこれくらいじゃないと」評されたアメリカナイズバージョンで。そのうちナチュラルなものに変わっていたらその不評ぶりをお察しください。今回も前回のサイト同様、作成にあたり、わたしのとんちんかんな質問に根気強くお付き合い下さり、HP作成のご指導をしてくださった伊織さんに感謝します。 ![]() そういえば先日、ご縁があって戦後の日本と世界をリアルタイムで見てご活躍されていた日本人女性の方と個人的にお話をする機会がありました。もう30年以上ニューヨークに住まれており、世界的企業のプロジェクトのまさに中心となって関わられていたお方なのですが、時に世界と手を組み、時に戦い、国家的機密を保持し、歴史的な瞬間をご覧になった方のお話には、その光景が目の前に浮かぶような説得力があり大変感銘を受けました。70年代における日本の世界との関わり方は本当にエキサイティングだったようです。なによりまだインターネットなどもなく地球が大きく感じられた頃、ましてや戦後まもなく「アメリカでビジネスがしたい」とヴィションをお持ちになった、その女性の心意気にも心を打たれたのです。社会の教科書に出てくるような名の高い方々と直接交渉していた経験やキャリアを持ちながら、なんと気さくなお方で、その時彼女の隣にいるわたしは自分が発する一言一言がいちいち浅はかに感じられて、「わたしはなんたる、こむすめ(若いという意味ではなく、青いという意味で)なんだろう!」ととにもかくにも恐縮してしまいました。彼女はわたしが思うところの、本当のニューヨーカーだと思います。 ニューヨーカーの定義については冗談まじりに色々なことを耳にします。マンハッタンに10年住むことだとか、ロックフェラーセンターにのぼったことがない、個人の洗濯機を持つことが夢である(マンハッタンの大半の住居は洗濯機を置けず、コインランドリーを使う)だとか。わたしが思うに、一言でニューヨーカーをあらわすならば、ボーダレスな意識を持っている人。道徳的な響きが気恥ずかしいですが、言うならば地球人としての意識。人種や国籍を軽々と超えて、みなただ地球人としてそこにいる感覚を持っていること。NYにいると、誰かと知り合う時に異なる肌や目の色、言語はほとんどバリアにならない。会話がひとしきり終わって忘れた頃に「そういえば、オリジナルはどこから来たの?」と聞かれ、はじめて日本人であること話す、くらいのことがよくある。それがとても心地よい。 明らかに不十分な英語やアクセントがあってもだから、これはもはや言語レベルの問題ではなく、”みな同じただニューヨークにいる人”という意識を持つか持たないかの違い、そしてそこからくる振る舞いの問題のようです。誰かと知り合う時には欠かさず自己紹介をするのですが、NYに来てはじめのころ、名前を言った後、なにかの拍子に「日本から来ました」と添えて中学校の英語の教科書の定型文のような自己紹介をしたことがある。それに対し、数秒前に知り合った相手から「それってすごく違和感、みんなどこからか来てるんだから、あえてどこから来たのかを自分から早々に言わなくてもいいんじゃない?」と指摘されたことが今でも印象的に残っている。 わたしが思うニューヨーカーナイズとは、なにも露出に対して多少おおらかになり日中ビーチサンダルを履くことでも、夜な夜なヒールを履くのがうまくなることでもなく(そう、それはもれなくわたしが少しかぶれたことの一例だけど)このような、地球人であることへの共感を寄せることではないかと思います。 日本人としてのよい誇りと美徳は大切にしながらも、どこにいようが関係なく、アジア人だからとかアメリカ人だから、とかいったものを超えて、どこにいたってボーダレスに、身軽に、同じ自分で、自分らしくいられたらいいなぁと思います。普段より感じていたことを再び喚起してくださったこの女性に感謝し、このインスピレーションを大事にして、わたしも進んでいきたいと思います! #
by akiha_10
| 2013-07-12 11:34
| NY Journal
![]() ダウンタウンを歩いていて偶然バーレスクを見つけた。 「DUANE PARK」。 バーレスクとは一言で言えばお色気コメディーショー。アメリカでは20年代頃から流行したからか、ジャズ生演奏にくわえ、ダンサーの華美な衣装や全体の雰囲気がジャズ・エイジを醸していて、ちょっとしたギャッツビー感を味わえる。歌あり、ストリップあり、ゲスト参加イベントありでとっても盛り上がります。 ダンサーたちは華麗に踊りながら最終的には下着を残して(バストはニップレスなるフリンジ?を残して)脱いでしまうのですが、全体に漂う滑稽感、サーカスのような幻想感が先行し、いやらしさは感じさせない。食事をしながらのショーなので、それなりに清々しくないと困ってしまうが。とはいえ、少しずつ少しずつ布をはぎ取って行くプロセスや、脱ぎそうで脱がない’じらし’のパフォーマンスにはいちいち観客が(特に男性が)リアクションしている姿がまた面白く、全部脱ぎ終わった時のこの「やったー!」的大喝采は一体なんだろうなぁ、と一緒になって美しいヌードを拝ませていただきました。 ![]() 二部になるとお色気のみならず、火を巧みに操ったり、見事なフラフープを披露してくれたりで、彼女たちは実はセクシー芸達者さん達だった。素人である来場者の何人かが舞台に立たされて30秒感のセクシーアピールを強要されるコーナー。誰が一番セクシーだったかを争うのですが、そのむちゃぶりにも関わらず、誰もが時に笑いを交えならやってのけるアメリカ人のエンターテイナー魂には心底感心。 ![]() バンドのすぐそば!! 同じくセクシーエンターテイメントでいうと以前、ジェントルマンズクラブ(ストリップクラブ)にも連れて行ってもらったことがある。感想はというと、「さあどうよ」と見せられるお色気はあまりにも健康的だということ(ま、同性だからかな)。男女7,8人で行ったのだが「男達がするとリアルだから(たしかに)」と言って、ご紳士方のチップをもとになぜか女性陣がラップダンスをしてもらうという謎の体験を。陶器のような肌を持った美しいロシア人のお姉さん(年下だけど)がくねりくねりと、わたしの膝の上で踊ってくださいました。同性の場合はスキンシップ?もよいらしく、お姉さん自らわたしの手を身体に導くもんだから、吸い付くような肌のやわらかさに「わあ、女性ってきもちい!」と単純に感動しながらも、なんだかとっても照れてしまった。NYに住んでいる者としては、なんにも目覚めなかったのはちょっと残念だけど。 まだ早い時間で人も少なかったためか、しばらくお姉さんも一緒に座って談笑することになった。プロとして働きがらもさらにレベルアップするために、時に怪我をしながらも週に何度もポールダンス教室に通っていること聞いて、わたしが興味本位でトライしたカクカクしたへっぽこポールダンスのことについて話す余地はまったくなかった。「なぜストリッパーをやっているか」という話になって「だって若い今しかできないことでしょ、人生色々経験しなくちゃ」と毅然とした態度で答えていて、その表情は踊っている時より美しかった。 来る前からそのイメージはあったが、想像以上にこの国(NYは増して)はセクシュアルな事に開放的だと思う。タブーで秘めているからこそのセクシーが、タブーを取り払うことであまりにも普通になってしまうほどに。広告の多くがなにかしらセンシュアルなことを誘起させるものだし、多くの歌詞の内容が、今晩誰をひっかけただとかなんとかで、ダーティーな言葉満載。友人間の普段の会話もしかり。男女関係なく、あまりにも気軽に「え?」という単語を会話に出す。始めは、これはひょっとしてわたしが属する友達間がそうなのかと思ったが、程度の差こそあれどこに属してもそうだから、きっとこれがスタンダードのだろう。あまりにも映画や音楽で気軽に使われ過ぎていて、タブーもへったくれもない、という感覚なのだろう。街の女性の多くが体型や年齢に関係なく、胸元が大きく空いたピチっとしたシャツを着ているし、夏であれば水着同然の姿も見かける。バーレスクやジェントルマンズクラブと同じく「さあどうよ」という女性達に囲まれているこの国の男性たちは、セクシュアルなことに日常的に浸り過ぎていて麻痺しないのだろうかと、単純に疑問に思ったりもするのであった。 そういえば、街を歩きながらそのショーウィンドーがセクシーすぎてギョっとしたものに「Agent Provocateur」がある。なんといってもネーミングのセンスが抜群(Agent Provocateur:おとり捜査官)。あまりにも刺激的なランジェリーショップである。ウィンドー前に立ち止まってよくよく見ると、ファッション的な観点からも興味深い。そのひとつひとつのピースはとても凝っていてまるでアートのようなデザイン、見るからに質がいい。一度気になると好奇心を抑えきれないわたしは、えいっと入店してAgent体験をしてみる。まず、店員さんが相当なまめかしい。実験室で着るようなピンクの研究着のようなものを、胸の半分あたりまでボタンを空けて着ている。そのお堅そうな研究員(捜査官?)風作業着からチラ見せしているのはもちろん当ショップのランジェリー。 入店してみると、ウィンドーにあるようなハードなものだけでなく、可愛らしいものやシンプルなものもある。しかしいずれにしても精巧なものばかり。ああー!見ているだけでうっとり。わたしは下着というよりレースそのものやデザインが好きなので見入ってしまうが、下着好きの方は間違いなく好きだと思う。そして空間も妖艶そのもの。試着室には赤い絨毯が敷かれており、劇場のようなカーテンで観音開きになっていたり、薄明かりにシャンデリアがぼわっと浮いていたり。「ちょっと試してみる?」とその研究員スタッフから耳元で囁かれた時にはディビット・リンチの映画「Blue Velvet」の中にいるかと思った。見かけは激しいお姉さまも、実はとてもやさしく、試着しきれないほどのものを持って来てくれた。一枚300ドル以上(やっぱり)するので、飛び込みで買えるものではなかったけれど、下着界のリュクスを学ぶことができた。わたしの目をとらえて離さなかった、あまりにも素敵すぎるヴィンテージレースシリーズはショーツ一枚で600ドルとかなんとかでフレームに飾られていた。それはもう実用性などをとっくに越えて、下着以上のものであった。 帰って調べて激しく納得。ここは英ファッションデザイナーであるヴィヴィアン・ウェストウッドの息子さんが立ち上げたイギリスブランドなんですね!このヴィクトリアン調、デザインやレースの繊細さはアメリカではないと思っていたけど。細部のセンスや生地のこだわり方も、「さあどうよ」ではなく研究員風スタッフという想像力をたくましくさせる一手間かけた演出も、奥行きのあるネーミングも、なるほどヨーロッパである。 #
by akiha_10
| 2013-06-23 23:25
| NY Journal
今、ホームページをリニューアルしようとしている。せっかくだからホームページ用に新しい写真を撮ってもらおうと思い立った。どうせならNYで活躍するフォトグラファーがいい。メイクアップアーティストの友達、チチに紹介してもらったロブ。彼はファッションフォトグラファーで、アメリカで人気雑誌のコスモポリタンやエルマガジンで活躍している。
彼が快く引き受けてくれて、ブルックリン、ウィリアムズバーグの橋の下にある彼の小さなスタジオをたずねた。わたしは普段あまりメイクをがっちりするタイプではないので、自前のメイクでもいいかと迷ったが、スタジオの照明が強くて負けてしまうかと思い、友達であるチチにメイクもお願いした。彼女とロブは長年一緒に仕事をしているらしく、息もぴったりに作業が進む。 「ナチュラルな感じで」とお願いした割には、モード業界仕込みの彼女のスゴ技で顔がどんどん立体的になっていくような…。強い照明にはこれくらいのほうがいいのかな〜なんて思いながら撮影を終えた。 そして数日後、撮った写真の中でロブが一枚ピックアップして送って来た。「これなんてとっても魅力的だよ」と推薦されたファイルを開いてわたしは思わず笑ってしまった。 ![]() だっ、だれだコレ!? なるほど〜。やっぱりNYセンスで撮るとこうなるんだね〜。そして、やっぱりこういうのが好きなんだね〜。欧米で好まれそうなアジア人女性のイメージ。浮き彫りになる、女性の魅力に関する日米間の違い。日本であれば、自然体や親しみやすさ、かわいらしさ(時に幼さ)が魅力となることが多いけれど、こちらで求められる魅力的な女性像は、あくまで「タフでセクシーな女」。 「これってどうなの?」と訝し気にアメリカ人の友達に見せると、評判は上々。「リアリティと違うでしょ?」と自分の顔周りをぐるっと空中で指で描いて言ったが、「女性の写真はprovocative(挑発的)でないと!」とNYらしいコメント。自分を表現する際、アメリカに謙虚さや等親大といったような概念はない。たいして能力がなくても、できると言ってしまうし、ない自信もあると思い込むし、いかに自分はすばらしいかを盛りに盛ってアピールしてもしきれないくらいなのだ。押し出しは強いくらいでちょうどいいらしい。謙虚さを察知できるようなセンシビリティはなく、引いたら誰も気にも留めない、そういう場所だ。 早速家族と日本のごく親しい友達に画像を送ってみたところ、皆そろって爆笑、「こわい」と軒並み不評。中国にいる姉にいたっては、姉がエンターテイメントとして撮ってもらった中国王族写真館?(中国伝統衣装を着てお姫様風ばっちりメイクで撮ってもらえる撮影アクティビティ)の写真みたい、とお腹を抱えて笑っていた。ちょっと。NYのトップアーティストの作品ですよ!こうして身内では、すっかりネタとして親しまれている。 白状しよう。 「ナチュラルでスマイリーな感じでね」とはじめはリクエストしたものの、撮影中のロブの誘導によって、だんだんとアメリカナイズ魂が引き出されていった。日本でも写真撮影中、カメラマンが「かわいい!」とか「今の綺麗!」などと言ってその気にさせてくれるのだが、英語となるとそのアクションの大きさも相まって、テンション高め。 シャッターの音とたかれるフラッシュと共に「びゅーてぃふぉっ!!」とよいしょのシャワー、ちょっといい目線を送ったりすると「ごーじゃすっ!」に変わり「すたにんっ!!」と大袈裟に持ち上げられて、アドレナリンが迸る。もう風なんか当てられちゃった時には、完全に調子に乗ってしまい、わたしは大変気持よく瞬くフラッシュの中を泳がさせていただいた。それでこの顔。 半分以上はこういったムードによるものではあるけれど、ひとりで始めた海外生活で気付かないうちに、望まずとも実際にタフになっている部分もあるのかなぁ、と数パーセントの真実の姿の在処をこの押し出しの強い写真を見て問う。 ちなみに、ロブが撮影で持ち上げてくれたような称讃は、相手を褒め合うNYの街中でよく聞こえてくる。女性賛美の形容ついて、個人的な格付けはカジュアルなものにPrettyやCute、Niceがあり、その上にBeautifulやSexy、さらにその上にGorgeous(ビューティフルとセクシー、そこに品や華やかさが加わるイメージ)がある。もう神々しくて目眩がしそうな美しさを称讃する時にはStunning(なんといったってstunningは「気絶」という意味だ)。日本語でなかなか言い得ない。英語が情熱的なラテン語が起源である事を感じさせる語彙=概念だ。 NYでは昼間ジャージ同然の恰好で歩いている女性も多いが、夜それなりのレストランやバーに行く時の気合いの入り方は日本のそれ以上。またそれに応えてくれる街の声があるから、女性達はお洒落が一層楽しい。そうえいば、これはとても意外だったのだが、アメリカ人女性の多くはボーイフレンドや夫好みのもの、男性が好きなもの、喜ぶものを身につけるようにしているのだそうだ。同性や自分のためのお洒落ではなく、異性のため(異性を惹くため?)のお洒落。「これ、彼(夫)が好きそうだから」と洋服やアクセサリーを選んで身につける、タフでインディペンデントな米女性にしては、なかなかしおらしい。これもひとえに、必ずと言っていいほど「今日も素敵だね」や「その服新しいね」と見た目に関してまず声を掛けてくれる(掛けなければならない?)相手の目線や称讃があるからだと思う。 ロブご推薦の一枚はクロワさんと並ぶ想像がつかないので、その後、他の数枚も見せてほしい、とリクエストした。このばっちりメイクで愉快に笑っているものも、どうにも不自然だったりして、発見多きNY写真撮影。出会いに感謝です。ありがとう、ロブとチチ!そしてリニューアルをおたのしみに! #
by akiha_10
| 2013-06-20 09:50
| NY Journal
![]() 日本に帰ってお風呂に入る度にお湯のやわらかさに感動する。なにか特別なことをするわけでもなく、普段のシャンプーとコンディショナーだけで髪がしっとりとするのが手で触ってわかる。NYでの滞在が長くなると、その硬い水の質のせいか、強い紫外線のせいか、日本に居る時と同じものを使っていてもすぐに髪がパサつく。美意識の高い日本に身を置いて、常日頃自然とケアに意識がむく状況と、誰もおかまいなしのNYに身を置いた時の自意識の低下、という問題も多いにあるとは思うが。つい最近東京観光から帰って来たアメリカ人の男友達が「女の人がみんな綺麗にしていた!」と目をキラキラさせながら一言目にそう感想をもらしていた。 まあいっか、とサロンにも行かずただただ髪が伸びていたが、先日ふと鏡にうつった髪のワイルドさに「これは。」と自ら警鐘を鳴らしC.O.Bigelowに走った。C.O.Bigelowはニューヨークのグリニッジ・ビレッジにある、アメリカで最も歴史あるアポセカリー(調剤薬局)だ。オリジナルのハンドソープや、創業以来成分が同じだという、ふわっと香るレモンクリームをよくお土産に買う。パッケージもかわいい。 ![]() ここのスタッフは皆取り扱っている商品についてよく知っている。その中でも「ジア」とわたしが勝手に名前を付けて心の中でそう読んでいる、レジに立つショートヘアの長身の黒人の女性はコスメフリークだ。金色や原色のブレスレットをじゃらじゃらとさせながら、喜々としておすすめを紹介してくれる。こういう雰囲気を知ってしまうと、なんでも手に入りやすくなった世の中で、現実的には価格やスピードも重要だが、誰から買うか、も大切な選択肢のひとつだと思うのだ。本当にそれが大好きで、それについて話すことが楽しくて仕方がない人とのコミュニケーションはその買物のモノ以上に、その一時を幸せにしてくれる。そうして考えてみると、「今日いいの入ってるよ!」と教えてくれる魚屋や、八百屋、個人店の靴屋、文房具屋など、それだけを専門的にやっている店が並ぶ昔ながらの商店街は、実はとても気持のよい買物環境といえるかもしれない。 おすすめされたのがBumble and Bumbleのヘアトリートメントとコンディショナー。随分前に髪の綺麗なコリアンアメリカンの友達が教えてくれていたものと同じだった。一ヶ月でなくなりそうなコンディショナーボトルが30$と値は張るが、確かに手触りが変わって来た。ORIBEのオイルトリートメントは、今までつかっていたAVEDAと効果の違いはあまり分からないが、とにかく香りがすばらしい。ジャスミン、エルダーフラワー、ライチ、カシス、サンダルウッド…、この精神的な楽しみのためにしばらく使い続けるであろう。 こうして髪補修強化期間のまっただ中だったためか、たまたま雑誌で見たBrazilian Blowoutというものにひかれた。ブラジル発?らしいストレートパーマで、トリートメント剤としてケラチンをアイロンで髪の内部に浸透させながら、まとまりやすいストレートにする、というものらしい。 「よし、これ行ってみよう!」と早速リサーチしてみると、日本クオリティの雰囲気のヘアサロンで施術してもらうとカット込みで300-500$とのこと。これでは今までほとんど投資していなかった髪がびっくりしてしまうと思い、もう少しお手頃で、まったくお洒落ではないけど清潔そうな、おっちゃんがきびきび動いている近所のサロンに飛び込んでみたのだった。ウィンドーには「ぶらじりあん ぶろーあうと はじめました」といったテンション感の安っぽいシールが、陽に当たって色褪せてしまった美容雑誌の切り抜きと一緒に貼ってあった。店員は皆スペイン語かポルトガル語を話していた。わたし以外の客もまた、主にスペイン語を話していた。 そうして始まった地元ヘアサロン体験。シャンプー台の椅子がリクライニングではなく、ふわっとした椅子だった。シャンプー台というか、ただの洗面台とふわっとした椅子、といったところであろうか。首を直角にして洗髪という斬新なスタイルで、ガムを噛みながらフレンドリーに洗髪をしてくれたのはブラジル人らしきおねえちゃんだった。事前にお湯の温度を確かめることもなく開始するので、冷たかったり熱かったりで、蛇口をひねる度にもれなくドキドキ感がついてきた。受付の電話が鳴る度におねえちゃんは「ちょっと待ってね」と作業を中断して電話に出る。何度かの中断をはさみながらざっくりとしたシャンプーは終わり、トリートメントをつけて浸透させるため「5分置きますねぇ〜」とまた受付へと立ち去っていった。なにしろ首が直角だから、たったの数分でもどうにも居心地が悪くて、ベストポジションを研究すべくもぞもぞと身体を動かしながら「今か今か」とおねえちゃんが来るのを待ちわびていた。 だが、5分、いや10分以上経ったと思われるのに、おねえちゃんが来ない。遠く鏡越しに映る受付にいるおねえちゃんは、未だガムを噛み続けながら、熱心に……携帯でメールを打っている? おねえちゃん??おねえちゃん??直角、痛いよ? そしてついには、パニーニらしきものを受付で食べ始めた。 おね、え、さ、ん? 忘れてませんかー?? 直角一名いますよー??放置ですかー? 体勢が苦しくなってきてすこし首を持ちあげると、ツーっと水が首に流れてきて、なんとも言えない気持になった。鏡越しに時計を見つけ、あと少し待って来なかったら高らかに声をあげようと決めていたところ、パニーニを食べ終わったおねえちゃんがシャンプー台の横にあるお手洗いにやって来た。そして、「あ」と思い出したような一瞬の表情を見せ、何食わぬ顔で袖をまくって、トリートメントを流してくれた。 シャンプーが終わり鏡の前に行くと、ほとんどタオルドライもなく水の切りが悪いため、前髪から顔へ、後ろ髪から首へ、ツーっと水が流れてくる。そうして流れてくる水を拭いているわたしの姿を見ても、どうやらそこでは普通らしく、結局ドライヤーをかけるまで流れてくる水と戦うことになった。 ヘアアイロンをあてる施術をしてくれたおっちゃんは陽気にテキパキと仕事をするが、精度が高いとは言えない雑な機敏さで、2,3度わたしの耳の端に熱いアイロンをあてては、わたしを「あちっ!」と飛び跳ねさせる。自身の経験からして、日本であれば、ごく少量ずつアイロンを当てて念入りに髪をまっすぐにするため、アイロンの行程は30分以上はかかるというイメージ。だが「今日ははじめてだから、弱めにかけておくね。気に入ったらまた一ヶ月後くらいにおいで」と分かりそうでよく分からない事を言われ、全体にざっくりと10回くらいストレートアイロンを通しただけで、ものの10分で終わってしまった。首直角で待っていた時間のほうが長かった。 まっすぐにサラっとなった髪をまとめながら、「すごいだろう、ブラジル発なんだぜ」と得意そうに言っていたが、その行程も仕上がりも、10年以上も前に試したことのある縮毛矯正ストレートパーマと同じ(その雑バージョン)だということは心の中に閉まっておいた。実はアメリカのヘアサロンでも「Japanese straightening」という名で、日本の縮毛矯正ストレートパーマが知られている。Brazilian Blowoutは後発だと思うが、よく考えればブラジルには日系人がたくさんいるので、日本の縮毛矯正のアイデアがブラジルで人気で、それがBrazilian Blowoutという名前に取って代わってアメリカに渡って来たのではないかと勝手な推測をするのだった。 久々の、まっすぐ! ![]() こうして数日はストレートになったのだが、ざっくりとしたアイロンのかけ方を見てわたしが懸念していた通り、数日で自然な状態(ゆるいウェーブがある状態)に戻ってしまった。残ったものといえば、サロン特有の強いパーマ剤の香りで、通常1,2日もシャンプーすれば消えるものが、洗えど洗えど10日以上余韻が残っていた。寝ようとしてベッドに横になった時、なんか異臭!!とあたりを見回したら、灯台下暗し、自分の髪だっ…。数日の間、非常に強いケミカルな香りに包まれて寝た。 結論としては、やっぱり日本っていいなー! NYのハイエンドなサロンに行けばまた違った印象かもしれないが、日本のヘアサロンの雰囲気、スタイリストの技術、コストパフォーマンス、サービス、おもてなしの文化、とにかく全部がすばらしい! #
by akiha_10
| 2013-05-31 03:44
| NY Journal
![]() 先日女友達アイラに「ワインでも飲みに行こう」と誘われた。ユニオンスクエアあたりで会おうとなった時、わたしの頭に浮かんでいたバーを指定してきて、なんだか嬉しく思った。 アイラとは去年の夏、地下鉄の駅で出会った。地下鉄を待つ手持ち無沙汰な時間をただぼんやりと潰していたところ、同様の気配を持って隣に佇んでいたのがアイラだった。彼女があまりに自分のことをよく知っているファッションに身を包んでいたので「I like your taste」(taste=センスや趣味)と声を掛けてみたのだった。長身ですらりとした体つきに、シンプルな細身のパンツ、糊の利いた白シャツの七分袖から出る褐色の細い腕にかかった鮮やかなオレンジの革のバッグがとても素敵だと思った。どれも仕立てのよいものだと一目でわかった。彼女はそれに喜んで、わたしを上から下まで一瞥するなり「I like yours, too」とNYの常套句で返してくれたが、それはどう見てもその場の会話の流れで、まるでわたしがそう言わせてしまったかのようで恐縮してしまって、ヨガパンツの腰についているルルレモンのロゴはシャツをぐっと下にひっぱって隠しておいた。地下鉄に乗って会話がはずみ「わたしたち、一緒に飲みにいくべきよ」と番号を聞いてくれたのは彼女だった。 それから何度か飲みに行き、彼女が南イタリアで育ち、世界各国を家族と共に点々とし、ケンブリッジ大学で院まで過ごしたこと、彼女の一番好きな街はNYだけど、心の故郷はイギリスだということを知った。現在はフォーシンズホテルのスイートルームでだけ行われる、とてつもない価格のダイヤモンドの外商をまかされつつ、ビジネスパートナーと飲料水のビジネスを立ち上げて世界を飛び回っている。世界を股にかけ仕事をし、8カ国語も話せ文化や芸術に精通している彼女は洗練という言葉がよく合う。侘び寂びに欠けるアメリカ人男性には「一度も魅力を感じたことがない」と言い放ち、彼女の運命はアジア~トルコギリシャあるという。そのあたりの出身の男性は”Mistique”(神秘的)なのだそう。世界中に散らばる友人や恋人の経験データベースをもとに、その国ごとに男性の傾向を明晰に分析している様子はさすがマーケティング専攻仕込みで、彼女の話を聞いているだけで比較文化の講義を受けているような気分になるのだった。その独断と偏見とユーモアをふくんだチャーミングな毒舌がワインのペースを加速させる。 彼女のボトルワインに付き合った後「一緒に来てほしいところがあるんだけど」と連れて行かれたのはノースオブイタリー(リトルイタリーの北)、通称”ノリータ”にあるレストランだった。以前そのレストランの前を通ったことがあって、賑わっているなぁという印象が残っていた。その日もやっぱり賑わっていた。 店内に入るやいなや、そこに居た女性とアイラは大きなハグを交わし、わたしにそのプロモーターである女性を紹介してくれた。軽く談笑をしているうちに、存在感抜群の容姿端麗なモデル、一目を引く斬新なファッションに身を包んだ男女が続々とレストランに入って来た。皆プロモータの女性と挨拶するなり、ガラス張りのレストランの一番窓側にある長テーブルへ着席しはじめ、わたしたちもそのテーブルに座るよう指示された。シャンパンや料理が続々と運ばれて来て、とにかく食べて飲んで盛り上がって欲しいという。そこにいる誰もが雑誌の表紙になれそうな迫力と個性を持っていて、スキンヘッドの女性のモデルの横でそわそわしながら「なんなのこれ?」とアイラに耳打ちした。 それはレストランのプロモーションであった。わたしが、まんまとそう感じたように、通行人に、いかに店が賑っているかをガラス越しに見せ、いかにクールでエッジィな人々が集っているかを演出しアピールするのだ。無料で料理とお酒がふるまわれる代わりに、わたしたちはクールなパーティー風景のため一芝居打つというわけだった。 NYではトレンディな場所を目指しているほど客層が重要になる。そのレストランはといえば地下には踊れるクラブがあって、いかに”モデルやセレブリティ、アーティストやクリエーターが来る”ハイエンドな場所であるかを定着させるかに奔走していた。NYのレストランやバーでは、なによりそのエリアに適した、その場所が目指すターゲットの客層をマーケティングすること、ブランディングすることがビジネスのキーのようだ。 そういえば、アバクロ店員の女友達アンドレアに、NYでハイエンドと言われているミッドタウンにあるナイトクラブ「LAVO」に連れて行ってもらった時にはパリス・ヒルトンがフロアで踊っていた。彼女はその場所に顔を出すだけで何百万、時には何千万円という報酬があるらしい。こうして来てもらうだけで、セレブリティが来るクラブ、というブランディングができる上、パパラッチが来て撮影した写真とともにゴシップ誌に店名が載るがことで、圧倒的な宣伝になるのだとか。 また知り合いのモデルは「高級ホテルのスポーツクラブが利用無料で、行く度にチップをもらえる」と言っていた。グッドルッキングであることや、クールなファッシンといった表面的なことがこんなにもてはやされる街もないのではないか、と思う。それはまた、そうしたクールさが世界中から期待されるNYであり、またそういった雰囲気に弱い人々が観光客も含め、いかにNYにたくさんいるかということでもある。わたしがそうであるように、基本的には、NYはタフでミーハーな田舎者の集まりなのだ。 ![]() くだんのクラブ「LAVO」のエントランスで繰り広げられる一部始終も、美しさとお金、というまた表面的なパワーがこの街でいかに重宝されているかというNYの真髄を見る。それは人間を含む生物界の摂理を極端に浮かび上がらせた縮図のようで、行列を待つ間、わたしは普段履かない細身の10cmヒールの靴と葛藤し、片足ずつ少し浮かせながら考えを巡らす。クラブに入場するには、まず並ばなくてはならない。リストに載っているパーティーの予約者やVIPは並ばずに入っていけ、その他大勢のゲストはバウンサー(IDチェックや入場制限を管理する強面の黒人)によるチェック、ドレスコードや女性の人数(クラブでは女性を多くいれたいので、女性が多い団体ほど早く入れる)といった審査にさらされる。 入場困難と言われている超人気クラブのバウンサーによる人選については、女性に関しては容姿ヒエラルキーが存在していると思われる。モデルもしくはモデル体型の美女、典型的であるがプロンドであればなおさら好感度が高く、頂点に君臨する。並ばずともバウンサーにすぐに入れてもらえる、もしくはパリスのように報酬すらある場合もある。その次に、ほとんどのゲストがそうだが、それなりにお洒落をして来た女性や、とにかく露出をしたセクシーな女性などが続く。間違ってスニーカーやペタンコ靴を履いて来てしまったら、もうほとんど望みはないといっていい。男性はといえば、モデルやセレブリティはのぞいて、とにかく高いボトルをいれた順に入れてもらえる、というくらい拝金主義の経済力ヒエラルキーが存在する。男性二人が入ろうとしたところ、2000ドル分ボトルをいれる事を交渉しているのを耳にしておののいた。女性が持つモデルのような美しさや若さと、男性が持つお金やステイタス、双方が持ち寄る頂点のパワー同士が取り引きされている様子を見ながら、そのわかりやすさがNY、とわたしなりのNY考をアップデートした。 そもそもここに限らず、男女関係なく(クラブではその特質上、女性の美しさという通貨があるが)アメリカではほとんどのことが「お金」によって動いているように思う。例えば、日常生活のあらゆる場面でアップグレードの選択肢を目の前に差し出される。追加チャージをすれば宅配便が速く届いたり、いい席に座れたり、予約できたり、審査を速くしてもらえたり、と「お金」によって高待遇を買う。ほとんどの場合平等に、とてもよいサービスが受けられる日本とは違う。こうして頻繁に選択を迫られる度に、まるで自身で「普通です、エコノミーです」と自分のポジションを確認させられているようで、このような日常的な追加チャージによる階層システム、競争心をあおるシステムがまたアメリカのお金に対するモチベーションになっているのかな、と想像するのだ。 与えられた時間はこの世の社会見学ができる時間。一瞬一瞬を楽しみながら、時にはその経験以上に、それら経験に基づいて、そこから浮かび上がる世の中の仕組みや人間について、わたしなりに考える時間が実は一番のお楽しみだったりする。行く前楽しい、行って楽しい、帰って楽しい、それはまさに旅の気分だ。 #
by akiha_10
| 2013-05-23 19:52
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瓜生明希葉/INFORMATION
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