アイスランドのレイキャヴィクを訪ねた。
この先ケミィとブリュッセルで待ち合わせることになり、ヨーロッパに飛ぶならその前にパリに少し滞在しようと計画。NYからパリ行きの航空券を調べていると、様々な乗継ぎスタイルがわたしの心を踊らせた。ヨーロッパに限っては、早くて便利な直行で割高になるよりも、時間に融通が利くのであれば、あえての経由がたのしい。 アイスランドの手がかりは音楽でしか知らないが、想像しがたく興味をそそった。NYの夜に出てアイスランドに朝到着、その日の夜中にパリへ飛ぶ、とまる一日ある乗継ぎ時間も効率的で魅力的だ。結果的には航空会社のストライキでパリ行きの飛行機が飛ばず、翌日朝の便に変更になった。NYからアイスランドの5時間ちょっとの夜間飛行は睡眠をとるには全く物足りず、寝不足のまま一日アイスランドで活動的に過ごした後で、二夜連続のレッドアイフライト(しかもパリまではたったの3時間)で着いた途端、再びパリの朝が始まるかと思うと、体力的にとても無理がある旅程だと途中で気付き、予定外のフライト変更は逆に有り難かった。 ![]() アイスランドの首都レイキャヴィクは、ゴツゴツとした岩、広大な大地、山脈に囲まれ、とてものんびりとしている。牧歌的な能天気さではなく、剥き出しの岩の塊が大地に広がっているせいなのか、それとも分厚い雲が空を占領した灰色の天気だからなのか、一言でいえばやや暗い。Sigur Rósやmum、ビョークの内省的で神秘的、そしてDNAレベルで語り継がれているかのようなプリミティヴなグルーヴやメロディを使った音作りにただ納得するばかりだ。以前にも書いたことがあるが、気候は人の気質や創作するものに、おおいに影響すると思う。厳しく憂鬱な気候に影響された作品には洞察力やインテリジェンス、皮肉さを感じることが多い。太陽に恵まれている場所から産み出されたものには、リラックスした音や、やれパーティーだとかやれ踊っちまえだとか、少々おバカなノリなものも多い。全然好きだけど。 ![]() 寿司屋発見、その名もスシバリン。シップの名前風。 ここだけ見ると、日本の商店街風。 ![]() ![]() 小さな中古レコードやさん。 お宝を掘りだすキッズが微笑ましい。 アイスランドという国名がビビらすほど寒くなかったのは意外。ダウンジャケットも持って行ったが、他の北欧諸国と同じく涼しい夏、という感じであった。 ![]() 世界最大規模の露天風呂、ブルーラグーンに行って来た。レンタカーで行くか、ホテルから申し込み、バスがピックアップしてくれる。市内から1時間弱のドライヴ、往復のバスとブルーラグーンの入場料で約1万円と、しっかりするお値段。でも行く価値はある。 ![]() これだけの大きなスケール、開放的な露店風呂などかつて見たことがない。世界最大規模らしく一周ぐるりと歩き回ると10数分かかる。まさかアイスランドで湯巡り気分になるとは思ってもいなかった。男女共用で水着着用、ビールバーなどもあり老若男女で賑わう。ここは厳密に言えば温泉ではなく、近くにある地熱発電所がくみ上げた地下熱水を再利用した施設なんだそう。白濁したお湯は皮膚病に効くらしく、効果としては温泉らしきもの。足元はというと、砂浜のような柔らかな感触であった。奥に行くと「シリカ」と呼ばれるまっ白い泥が置いている場所がある。木の箱の奥に泥が溜っていて、スプーンのようなもので掘り出して使う。なにやらそれを肌に塗ってパックをすると美肌効果があるらしく、皆顔や首、身体に塗りたくっている。もくもくとあがる湯煙の隙間から見える、真っ白なマスクを被った人々がウロウロしている光景はただただ不気味。 ![]() アイスランドは郊外もいいらしい。むしろ郊外で火山やゴールデンサークル、オーロラなどの大自然に触れてこそのアイスランドらしい。日程的なことや一人旅という条件もあり、周遊はできなかったけれど、アイスランドの香りらしきものの一片には触れることができてよかった! #
by akiha_10
| 2014-06-19 08:25
| Trunk
今アーティストやミュージシャンの友人たちが数年前から続々と移り住んでいるブッシュウィック。サポートをしているバンドのメンバーもこの辺に住んでおり、リハで来る機会が多くなったこの頃。先週は年に一度開催される、ギャラリーやスタジオが公に公開されるBushwick Open Studio(BOS)に行って来た。
![]() ブッシュウィックはブルックリンにあるウィリアムズバーグ東一帯にひろがっている。 この10数年でウィリアムズバーグは様変わりしたようだ。ウィリアムズバーグの興隆も、はじめはマンハッタンのソーホーやイーストヴィレッジから流れて来たアーティスト達が住みはじめたことがはじまり。オーガニックフードや手作りクラフトもの、ヒップスターファッションや音楽からアートまで、”ヒップ”なブルックリンブランドを創りあげてきたのは主にこのウィリアムズバーグである。かつて都落ち感のあった「マンハッタンからのブルックリン移住」を「横浜に住んでいる」くらいの、ちょっとした洗練ささえ帯びた響きに変えたのもウィリアムズバーグであろう。ちなみに、ブルックリンブランド全体に通ずる、ほっこり感やかわいらしさ、ナチュラル感や個性的なエッジィ感覚は、ひたすらセクシーさと勢い、刺激とスケール感を追い求めているマンハッタンのセンスよりも、日本人感覚のセンスに合う。だから、日本から来たカフェや雑貨、カルチャー好きの友人には迷わずウィリアムズバーグをお勧めする。 そんなウィリアムズバーグも、今や大手資本によるカフェや洋服屋が建ち並び、すっかり商業的に。決定的に観光地化させたのは数ヶ月前に建った大型クラブ。週末の夜ワイスストリートを歩いてみたら、そこのいる女たちはこれまでの、古着ワンピースにビーチサンダルといったようなヒップスターブルックリンガールではなく、タイトなミニワンピで胸を寄せ上げ12cmのヒールをコツコツと鳴らしながら、忙しなく携帯をチェックし狩り場を探すミートパッキングガールそのものになっていた。クラブに横付けされたギラギラとしたリモはこれまでにない風景。”わたしたちのペースで、らしく生きる”と生き方の指針を共有しあっていた、ほっこりしていた場所も、すっかり夜のズーに浸食され、マンハッタン的ビジネスに取り込まれてしまった。(とはいえファッション的にはいろんなテイストがミックスしていて、それはそれで面白い。) そうして、数年前から新たな聖地を求め東へと開拓されていたのがブッシュウィック。そういえば今年はじめに日本で会ったアメリカ人の女の子が言っていた。NYと東京を行ったり来たりしている彼女に東京の良さを聞いたら、「東京は住環境が数倍マシ。”ブッシュウィック”(両手ピースマークの指関節を折り曲げて囲いながら)の狭いアパートでルームシェアなんて、もう嫌だ」と言っていた。それはいかにも、ブッシュウィックがNYで夢を掲げた若者が葛藤する場所代表のように話されていて印象的であった。 ブッシュウィックがウィリアムズバーグ的進化を遂げるのかということに懐疑的な意見をよく耳にする。 個人的憶測ではあるがウィリアムズバーグのケースは、アーティストたちが誰にも語られることなく移り住み、ある程度街が形成されてから「ウィリアムズバーグ=ヒップ」という称号を得たような気もする。ブッシュウィックの場合、すでに「次なるウィリアムズバーグ」といった形でメディアに取り上げられ過ぎていて、新たな独自な文化が生まれる前に、ウィリアムズバーグの焼き増しを求められているようなところがある。人が街を創る前に、街という箱が人を呼んでいる感。そこに移り住むことは、自分がヒップである前に自分をヒップに演出するような、または自分がアーティストである前にアーティスト的でありたいと思うような、トレンディ感が既に先行していて、ウィリアムズバーグの時のような鮮烈な文化形成になるのかはまだわからない。単純に家賃の安さで移住していく者もたくさんいるが、ブッシュウィックと単語を発すると時に意地悪な薄ら笑い感がつきまとうのは、そういった事情もあるのだと思う。 ![]() そんな街全体の文化やアートシーンの形成の進行状況はともかく、今回行ったブッシュウィックのアートイベントでは、伸び伸びとした自由な環境を求めて移り住んだ個々人の爆発的なパワーは存分に感じられた。(半分以上は外から来た人だろうが)。少なくとも、わたしがなぜNYが好きなのかを確かめるには充分な活気であった。BOSは今年8年目を迎えるイベントで、ブッシュウイックにスタジオを構えるアーティストたちが個人のスタジオ(ギャラリー/アトリエ)を週末限定で公開する。わたしたちはプログラムに書いてある住所と地図を探して訪ねるというもの。イベントをはじめたばかりの頃は、参加アーティストは数えるほどだったらしいが、今や600以上のアーティストが参加。イベントに便乗して、街ではライヴパフォーマンスあり、フード屋台あり、とお祭り状態。アートに興味がなくても散歩するだけでその雰囲気を楽しめる。 ![]() 寝室やキッチンも出入り自由で公開されているものだから、詮索するのは悪趣味だと思いながらも、ニョキニョキと生える好奇心のアンテナが様々なものをとらえる。置かれているクッションのファブリックの柄や今朝使ったのであろうバターナイフやマグの一つ一つが引き金となって、ついストーリーを紡いでしまい、ひとりだけのお楽しみに浸る。初めて彼女/彼氏の部屋に入った時のセンサーってこういうのだよね、とドキドキさせた。どこのスタジオでも生活と作品の関連性が興味深く、総じてインテリアの趣味がよく、気持をふわりとさせた。 ![]() わたしは、社会的物差し(お金や名声)に関係なく、”それだけ”やっていれば基本的に幸せ、または充実感を感じられる、という人、またはそういったもの(趣味)がある人は、とても幸せな人だと思う。欲望のサイクルが健康的に自己完結し、幸福感を自家発電できるからだ。しかもその”それだけ”で、なんとか生活ができていれば、それは人生の8割の幸せを占めているといえる。わたしがNYが好きな理由のひとつは、”それだけ”をやっている人がたくさん居て、そんな人々を許容(放任)する街だからだ。それで生活できるできないに関わらず、社会通念どこ吹く風、おおいに偏った愛すべき人たち、素直すぎるほどに思い切って生きる人たち、それを時に手厳しく、時に温かく取り扱うこの街がわたしを元気にさせる。自由というものには責任が付きまとうという事が、年齢と共に手応えのあるものとして感じられるようになった今、ここに生きる人たちの人生の取捨や覚悟がさらに伝わるようになって、その潔さに改めて感動を覚えるのだ。わたしがここに居て居心地がよいのは、自分もそうであるからと言いたいところだが、そういう人たちを側で見ていたいという、彼らに対する永遠の憧れがあるからかもしれない、とも思った。 一体わたしはこの街で今何と戦って、なにを取捨しているのだろう、自分や人生になにを期待しているのだろう、そして期待する事とはなんと体力と精神力が要って、孤独なことなのだろうか、と想いは様々なベクトルに飛び火し、角にあったかわいらしいカフェでスムージーを吸い込みながらアンニュイ気取る。ブッシュウィックのせいだ。エネルギーを持て余した解放的な雰囲気がわたしだけ取り残して、自分の凡庸さや勢いだけではなくなったわたしを浮き彫りにして一瞬だけ憂鬱にさせる。 ![]() ファッションもおもいおもい、元気いっぱい! ![]() #
by akiha_10
| 2014-06-10 12:43
| NY Journal
![]() サンクスギヴィングからニューイヤーまでのホリデイシーズンは、パーティーやお呼ばれが多くなる。今年も大好きな友人のお宅にお招きいただいた。なんといっても彼女のインテリアのセンスのよさは抜群!!わたしはこの空間が好きでたまらない。友人といっても、自分の母親世代という年の離れた友人だが、元旦那様が外交官時代に、共に世界中を旅して多くの美しいものを見て吸収したという、洗練されたセンスがこの空間につまっている。エスニックなものとヨーロッパなもの、アンティーク調度品、思い入れのあるアート、ひとつひとつを取ってみると異質なものが、おそろしく美しく調和して、行儀よく配置されている。そのどれを取ってみても美しいという審美眼、全体としてそれらをコーディネートするバランス感覚にわたしは「ハァァ」とうっとりと、ため息をつきっぱなしであった。この空間に居るだけで素敵な人になれそう。いつかわたしもそういう空間づくりをしたい。 ![]() お花の色選びから生け方まで、ディティールがわたしの目をとらえる。「家にお客様を招く機会が頻繁にあって、やらなくてはならなかったからよ」と彼女はなんでもないことのように言った。彼女はアメリカ育ちアメリカ人であるが、お母様がフランス人で、刻まれたDNAなのか、育ちの中で継承したフランス的感性なのか、その空間的センスのみならず、エレガンスとはなにか、豊かさとはなにか、人生の楽しみ方を語らずとも醸し出してくれる、「女」の先輩である。 人生におけるわたしの最大の執着は、この世に生きている間にどれだけ美しいモノ、コトに触れる事ができるかである。おもしろい、かわいい、おいしい、素敵、琴線に触れるものはすべて「美しい」と讃えられる。英語の「Beautiful」が、味や面白み、心情、状況、その振る舞いなど、広範囲の形容に使われているように。それら美しさに触れて、感動の「わお!」と満悦の「うふふ。」をどれだけ収穫できるか。そして、どれだけ人に与えることができるか。理屈抜きに心が震える「わお!」と、自分の心の中で悦に浸る「うふふ。」。「わお!」も「うふふ。」も日常的に探し求め、気付くことによって自分でも創れる。特に「うふふ。」メーカーは、一度スイッチをいれるとぽこぽこと量産してくれる。甘いの食べてうふふ、好きな色のセーターを着てうふふ、おいしく米が炊けてうふふ、スチームアイマスクでうふふ。思うに、女の楽しみのほとんどはこの「うふふ。」関連だ。 わたしは好きなものとそうでないものがはっきりしている。客観的、絶対的な美しさがどうであっても、わたしの心が躍るのであれば、それがわたしにとって「美」である。美しいものとは、つまりは大好きなもの、と置き換えることもできる。小林秀雄のいうところの、「美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない」というのはこういうことであろうか。 ところで、このお宅で久しぶりに会った友達がヒゲを生やしていた。「あれ、ヒゲを伸ばしはじめたんだね」と言うと「そう聞かれるが目的なんだよ」と”Movember”について話してくれた。Movemberとは口ヒゲの”Moustache”と11月の”November”をかけた言葉。11月の一ヶ月間、口ヒゲを伸ばしてそれに気付いて指摘されたら、前立腺がんなど男性特有の病気について語り、皆で理解を深め、チャリティー活動への喚起、早期発見を促す啓発運動なのだそう。ヒゲを話題の切り口にするなんて、多少無理矢理だけど、なんてユニークなアイデア!と目からウロコ。実はオーストラリアからはじまったという運動だそう。今年はNYでも妙に口ひげ男子が急増していたような。 ![]() ![]() ![]() こちらは少しモードめ。最近バッグで注目しているのはMANSUR GAVRIEL。初秋のNY、ダウンタウンのSteven Alanで見たBucket Bagのそのシンプルさ、クリーンさ、実用性に、こういうのが欲しかった!ステキッ!とウィッシュリストの中でほくほくと温めていたところ、もたもたしているうちにどうやら、今「かなり」人気になっているようで現在プレオーダー待ち。 数年前にデザイナーがフィービーになってからのCelineのデザインの美しさ、配色、ミニマルさはわたしの心をわし掴みにしたが、デザインはCelineに通ずるものがある(特にトートはかなりCabasインスパイア)。クオリティも高く、値段は安くはないがハイブランドほどではない。 チラリと見える裏地の色が可愛いのだが、わたしが見ていたBucketタイプの黒/レッド、その色の質感は、女が無条件反射で反応するエクスタシー色、なんだかルブタンソールを彷彿させる赤である。カジュアルにも持てるし、きちんとした席でもおさまりそうな、万能使いできそうな賢いバッグ。うーん、よく計算されている。にくい。 ふたりの若いアメリカ人女性がたちあげたブランドMANSUR GAVRIEL。来期からは外の革の色、中の裏地のカラー組合せの選択肢を大幅に増やすようで、これはますます世界中で人気になりそう!うーん、色違いも欲しくなるねぇ。 物欲ほとばしる形で締めとなりましたが^^:。 来月は日本です!2014年1月15日(水)に開催される、舞台『Paco~パコと魔法の絵本~ from「ガマ王子vsザリガニ魔人」』製作発表イベントで唄います!ただ今200名様の観覧者を募集中です。ぜひご応募くださいね!詳細 今年もたくさんの方々、こと、に支えられて、健やかで充実した一年を過ごさせて頂きました。来年も、自分の「好き」を粘り強く探求しながら、美しいものをたくさん見て吸収して、おおいに笑って、表現、創作共に、楽しく真摯に続けていこうと思います。お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました! 皆様の来年が「わお!」と「うふふ。」に溢れた笑い多き一年になりますように! 素敵な年末年始をお過ごし下さいね! 瓜生明希葉 #
by akiha_10
| 2013-12-30 06:31
| NY Journal
その日、映像の最終打ち合わせでWest Villageのカフェに行った。
数年前から「街+フード+音楽」をコラージュさせた創作や活動ができないかと考えていた。具体的にHungry Kittyの構想がかたまってきた今年の春、「誰かキャラクターを動かせる人いないかなぁ」と探していたところ、いけちゃんを紹介してもらった。会うとすぐに意気投合した。好きな監督や映像の話でいつも打ち合わせが長引いた。いけちゃんもアニメーションや映像をちょうど勉強しているところで、創作意欲に溢れていて、それはわたしにとっても理想的だった。まずはモチベーションを共有する事が最優先だったからだ。テクニックや知識はとても重要だが、よい創作とは、創作への欲望とそれに向かう情熱、楽しさが先立つものだと信じているからだ。 「こういうシーンを創りたい」という浮かぶヴィジョンとアイデアを追いかけるように、具現化する方法を共に研究した。ただ「映像編集ソフトを上手に使いたい」という目的では学習速度は何倍も遅かっただろう。それは「英語をただ喋りたい」という目的で学習するよりも、「あのレストランでメニューを頼めるようになる」だとか「あの蚤の市でうまく買物ができるようになる」という自分の真なる欲望に突き動かされ、必要に迫らせた方が格段に上達が早いのと同じだ。うまくいかずに何十回も書き出したり、データのやりとりがスムースではなく行ったり来たりを繰り返し、いちいち細かくつまずいたが、少しずつ学んだ。不器用な箇所もたくさんあるが、今年の夏お芝居に書いた「40Carats」という曲の映像が出来上がった。アニメーションだけでなく、いけちゃんが「最近いいカメラ買ったけど撮ろうか?」と提案してくれたことで映像部分もぐっとクオリティが上がった。タイムズスクエアや5番街のティファニーの前で、極寒の早朝5時からノースリーヴを着て撮影した、冗談みたいな本気の遊びはエキサイティングだった。素人ながらに、欲しい絵、アングルを考えるようになって、不思議と映画を観ていて着目することが増えた。すべてのアングルに意図があり、それをどう描写したいのか、と映像が一枚一枚の絵の連続のように見えるようになった。 ![]() https://vimeo.com/82052806 そうして頭が映像モードになっていたところ、面白い出来事があった。ちょうどその打ち合わせの帰りに大規模なロケをしている現場に遭遇した。NYではよく映画やテレビドラマの撮影をしているので、そんなに珍しいことでもないが、ちょうど自分の意識が映像に向かっていたものだから、どのように撮影されていて、それがどう映っているかなど、いつもとは違った視点で気になった。数分観察していると、そこで演じているのはキャメロン・ディアスやジェイミー・フォックスだということがわかった。数年前にもこのブログで書いたが、以前「The Holiday」のプロモーションで来日していたキャメロン・ディアスとジュード・ロウとパークハイアットのエレベーター内でたまたま一緒になったことがある。満員電車のような距離感でおふたりが前にいた。スターふたりと、わたしと友人以外はボディガードというシチュエーション、50階から地上へ上品に下降していく密室で少しだけお話もできた。たったそれだけのことだが、そのロケ現場でキャメロンを再び観た時、妙に親近感と縁を感じたという自分のどうしようもない図々しさは申し分なくNYに適合していると思う。 NYでは地下鉄でもカフェでも道端でも、誰それ構わず話しかける人が多いのだが(それは福岡で起こるシチュエーションに似ており、祖母がまさにその道のエキスパートである。)わたしもそれにならって「これ何の映画か知ってる?」とちょうど隣に居た人にたずねた。来年クリスマスに公開予定のミュージカル「Annie」のハリウッド映画版だった。主人公は黒人の女の子、音楽はJay Zと、現代版Annieだそうだ。NY的な定型文通り、会話の途中で急に思い出したかのように自己紹介をして、ジョーという名の白髪まじりの男性とその場でしばらく雑談をしていた。わたしの背後にあったテントにはモニターがあって、撮影している目の前の現場と、実際にカメラに映った映像を逐一観察することができた。「今、わたしもアマチュアながら映像をつくっているんだけど…」と編集ソフトについて話をしていると、ジョーはその手の話題に妙に詳しかった。すると「こっちに来たら面白いよ」と導いてくれ、ジョーはクルーのエリアに連れて行ってくれた。ジョーはAnnieクルーの一員だったのだ。 そこからは夢のような体験だった。ジョーはすべての映像を管理しているエンジニアで、いつどこで撮った、というものを全て記録して管理している。度々衣装さんや小道具さんが、時間軸に沿って装いに矛盾がないか、過去に撮影した映像を確認しにジョーのもとへやってきた。ジョーはクルーデスクで今撮っている何カメがどの映像で、何カメがどの映像で、という説明や、今まで撮った中で面白い映像などを観せてくれレクチャーをしてくれた。役者たちのリハ風景や、NG場面、「これ見ていいのかなぁ…」と思うところまでオープンに見せてくれたのだった。映画の現場は半分以上が待ち仕事、と聞くがやはりそのようだった。次の撮影のための日没待ち、役者待ち、照明待ちなどと、たった何秒の撮影に至るまでに膨大な作業と準備を要するようだった。その待ち時間でジョーはハリウッド映画事情や様々なことを教えてくれ、歩き回ってクルーツアーもしてくれた。たった数分前に出会ったわたしを、衣装さんや、照明、宣材カメラマンなどに紹介してくれて、その夜中クルーの中でハングアウトさせてくれたのだった。皆「明日もきっついな〜」と肉体的にハードなスケジュールに嘆きながらも、一人残らず、とてもいい顔をしていた。その日は寒く、身体を暖めたくなって「ちょっとコーヒー買ってきますね」と言うと「あまりおいしくないけど”ムービーコーヒー”あるよ」とジョーは言って、クルー用ケータリングテントにまで通してくれた。その薄味の”ムービーコーヒー”は格別においしく感じ、気付けば待ち時間にやってきたフードトラックからクルーに支給される、ワカモレチップスを勧められるがままに一緒に食べていた。 ![]() 有り得ないような出会いが日常にあり、求めれば、開かれ、与えられる。NYの醍醐味、アメリカの懐の深さに再び感激した。真摯に興味を持って進めば、手を差し伸べてくれる人がいる、しかもそのスピード感は他の場所で早々ない。これはわたしだけでなく、NYで意識を持って過ごしている人なら多かれ少なかれ誰でも体験していることだと思う。 クルーの人々の、"Stranger"であるわたしに対するフレンドリーさ、親切さにも驚いた。NYにおける「人との距離感」はパーティー文化、土足文化、さらには多民族との共生で鍛えられた「家の開放感」がその距離を縮めていると推測する。それが時折、文字通り「土足で踏み込む」デリカシーの欠如にもなるが、そのオープンさに着目するならば、日常的に自分の家に気軽に、土足で、他人をあげることは、家ならぬ心の扉の開放の表れともいえる。たとえ表面的であったとしても、常に受け入れ態勢がととのっている。家を開放しているから心が開くのかその逆か、どちらが先かは分からないが。NYに来てサブレットやシェアで学んだ彼らの「家」というものへの概念の違いはわたしにとって新鮮だった。NYにおける個人の境界線や、喜んでシェアするものの多さは、この家の境界線に由来するものではないかと思う。ニューヨーカーは一所に留まらず、物理的にも精神的にも柔軟で臨機応変だ。当然、別のところではとても頑固だが。 その夜、わたしはまるで社会見学に来た小学生のようになっていた。ジョーは「今からまだ数日ロケがあるから」と、マンハッタン内で何日にどこで撮影があるかという”コールシート”というロケ予定表をメールしてくれたのだった。もちろん、行った。いい大人が今更、”映画少年”のように夢中で通った。中でもミュージカルならではの大掛かりなシーン、メインキャスト、ブラスバンドやダンサー、エキストラなど100名以上が道で踊り唄うシーンは圧巻だった。監督のいる中枢のテントに招いてくださり、一番前に腰をかけるよう勧めてくださった。”ムービーコーヒー”を片手にキャメロン・ディアスの芝居を観た。数年前に間近で拝見した時も、実物のキャメロンの気取らぬ普通っぽさは好印象でありながら「スクリーンで観るとさらに綺麗よね」と友人と話した印象は今回も変わらなかったが、再び確信した。目の前で踊っているキャメロンと同時にモニターを見比べていたが、モニター画面にキャメロンの顔が映っただけで、鳥肌が立つくらい、その画面全体に魔法がかかったようにパアっと華やかになるのだ。既に世界中が知っていることではあるが、それはもう美しく映える。カットがかかった後も、自分がモニターに映ってスタッフが観ているのを承知でふざけて演技を続け楽しませる彼女に、周りが口々に笑いながら「Such a star!」とこぼしていた。なるほど、これが「ハリウッドスター」なんだな、と妙に納得した。 テント内には、ビルの上につり上げられた風船を操るエフェクトスタッフ、何台もの巨大なカメラを操作するスタッフが集まっていた。オートクレーンカメラというのはラジコンのように遠隔操作ができるようで、それを見事な手さばきで操作する職人スティーヴが隣にいた。衣装や大道具、小道具さんも熱気のこもったそのテント内でモニターをチェックしながら現場を見守る。監督の「アクション!」の合図と共に、それぞれがインカムで「もっと右右!」などと熱く指示をしながら、撮影が進む。2−3分に渡る大掛かりなシーン、それぞれのエキスパートの集中力が結集しているのを感じた。わたしは長いこと唇をかたく結んで、それをしないようにしていた。今までにあった葛藤や、執着、悔しさ、喜び、それら感情の鋭く尖った部分を、日常というヴェールの下層から呼び起こして、身体の隅々を一巡して摘んでまわって、一点一点を線で繋ぎ、すべてが繋がっているかのように信じはじめること、偶然を奇跡と取り扱ってひとり勝手に感傷的になることーはどうしたって起動してしまったのだ。曲の最後のサビまわしで、ラストシーンにむけて気持をひとつにするかのように、スタッフが一緒に「Tomorrow」を大合唱しているのを観て、感動を受けとめるバケツがいっぱいになってしまって、全身の細胞がパチンと弾けてしまって、大量の風船がビルから落ちてくるタイミングで、ついには液体となって目からぶわっと温かいものが溢れ出てしまった。その席に招いてもらった者として、それはあまりにも素人じみていて、田舎くさくって、すぐに涙を拭ったが感動が止まらなかった。それは1mにも満たない距離で、キャメロンやジェイミーがこちらを向いて踊っているからではなく、このシーンは、わたしが毎晩ずっと夢見ていたものだったからだ。「Tomorrow」というあまりにも疑いのない希望に溢れた音楽に、降参した。 わたしはNYに来た時にから「一流の映画の撮影現場を観たい」とずっと周りに言っていた。それは、自分が映画が好きだからでもあり、音楽でも舞台でもCMでもプロフェッショナルが集まった制作現場が好きだからであり、NYに来る当初から心がけていたことが「一流に触れること」であったからだ。アメリカの一流といえば「映画」は間違いなくその一つだ。その他にも、音楽、舞台、アート、レストラン、バー、洋服、そして人。自分のできる範囲で、それらの良いものに触れることを心がけていた。分不相応なことがほとんどだったが「明日は生きていないかもしれない」をエクスキューズに随分背伸びもした。もちろん、なにが良いものかを知るために、結果的にはそうではなかった事もたくさん試した。NYのすばらしいところは、一流に触れるチャンスが気軽に多くあり、また開かれていることだ。20-30ドルで一流のライヴを楽しむことができ、朝から並べばオペラだって20ドルで観られることもある、多くの美術館が無料開放日を設けているし、気合いひとつ、興味を持ってあたってみればかなりのことができる。ノリだけで飲むBud Light(若者に人気な、味も風味も値段もライトなビール)三本の代わりに、一杯の希少なグラスワインを飲み、なんとなく行く飲み会の代わりに一流フレンチレストランのランチにひとりでも行った。同じ100ドルの予算であれば、大量生産された服を買う代わりに、ヴィンテージショップで仕立てのよいクリスチャンディオールのブラウスを買ってみた。日常的なことを批判しているわけでは全くなく、一流を一度でも「知ること」がわたしにとって重要なのだ。そうして、ご活躍されているビジネス界の方やアスリートの方、クリエーターの方々となぜか直接お話できる機会も巡って来た。今回のプロフェッショナルなクルー、キャストによる映画製作現場の風景は、わたしがさんざん脳内に焼き付けていた映像のデジャヴュであった。 ジョーは薬剤師になるための大学をドロップアウトし、かねてからの夢であった映画関係の仕事を目指し、思いつく術をすべて試してこの業界に辿り着いたと言った。West Villageで彼のキャリアを一通り聞き終わるころには”ムービーコーヒー”はすっかり冷めきっていた。次の撮影準備が整いはじめ、監督が腰をあげるのを見計らって、根を生やしていたジョーもおもむろに立った。去り際に白い息と共に"Anything can happen."とそう残して。わたしはかたまった。それは、わたしが敬愛しているMary Poppins(ミュージカル版)に出てくる、もう何百回も聴いているだろう楽曲、どうしても心がうまく起動しない時に聴く、おまじないの曲のタイトルであった。 "Anything can happen if you let it" -自分次第でなんでも叶う。 監督の「アクション!」という声とともに、胸のあたりでまたなにかがじゅわっと弾けた。 ![]() Tomorrow! Tomorrow! I love ya Tomorrow! Merry Christmas! #
by akiha_10
| 2013-12-25 15:17
| NY Journal
先週はよく唄った。
NYにはオープンマイクというものあがり、小さなライヴハウスなどで毎週決まった曜日で開催されている事が多い。ハウスバンドが演奏しており、リクエストすればスタンダードナンバーを生バンドに演奏してもらって唄うことができる。オリジナル楽曲でもついてきてくれるそうだ。その日に行って登録すれば誰でも唄えるので、楽しみで来ている人から本格的に歌声を披露たい人まで様々のようだ。 ![]() そんなオープンマイクの話は色々と聞いてはいたけれど、先月終わりにピアノを置いてあるカフェバーで開催されているオープンマイクをWest Villageで見つけたのだ。ふらりと入ってみると、老舗のカフェバーのような空気感。昔から置いてあるものとそうでないものがやや無造作に、一貫性なく置かれており、そこに居る人たちはおもいおもいに本を読んだりデッサンをしたり、ワインを飲んだりと互いにちっともかまう様子はなく、しかしそこにある空気を共有していることを意識し合っているかのような、まるでパリのカルチェラタンにあるカフェに重なって、わたしはすっかりその場所が気に入ってしまった。 次々と披露されるのは、ギターやピアノ弾き語りの演奏やコメディアンの独演会。あたたかくて、なんでもありな自由な雰囲気が、わたしも唄ってみたい!と思わせた。そして、先週はじめてオープンマイクで実質NYではじめてとなる弾き語りをしてみた。変な緊張をしたし、自分の手応えとしても決して出来がよかったわけではないけれど、とても清々しかった。オーディエンスの数人の方が、声が"fresh"だとか、早朝の鳥のさえずりのように心地よい、と表現してくださって嬉しかった。 そうして、カフェバーを去る際にオーナーが「明日も急に枠が空いたから唄いに来ないか?」と機会をくださった。またその日オープンマイクのホスト(進行役)を務めていたトレイシーが別のカフェで弾き語りができる子を探しているから、と金曜の夜に1時間も唄う機会を紹介してくれた。 このツキはちょっとしたビギナーズラックだったかもしれないが、出来事以上のものをわたしの心にもたらした。NYでライヴができたこと、その事自体もとても嬉しかったけれど、それ以上にわたしにとって意味があったのは、とにかく動いてみることの面白さを体感したこと。ひとりでえいやっ!と乗り込んで唄ったことには多くの意味があった。うまくいく、いかないはさておき、とにかくやってみる事に価値があると勇気をもらったのだ。蹴ったボールがその先、転がることもあれば転がらないこともあるだろうが、まずはボールを蹴らないことには転がる可能性はゼロ。たとえそのボール自体は転がらなくても、ボールを蹴った振動は確かにそのグラウンドに伝わり、まったく予期せぬところで何かが微動しているかもしれない。やってみて多少恥ずかしい想いをしたり失敗しても、死ぬ時になってそれを試さなかったことを後悔するほうがよほど悲しいではないか。 ずっとNYで「唄ったりしないの?」と聞かれていたけれど、少なくとも去年くらいまでは、トライしたところで気持が音楽に入らない事がわかっていた。NYに住むこと自体が夢で、それを叶えることができ、大好きなNYにしばらく振りまわされたかったのだ。NYの街中で毎日繰り広げらる、入れ替わり立ち替わる日々のことを追いかけるのに全力投球だった。朝食のベーグルから夜のカクテルまで抜かり無くメインイベントだった。イベントやエキシビション、ごはんや軽薄なパーティー、次々と入れ替わるバーやレストラン、ベーカリー、ごはんや芝居やライヴ、なんだこりゃな豪奢なパーティー、帽子やヴィンテージショップ、またはごはんに夢中だったのだ。五里霧中で、昼も夜も関係なく、圧倒的なインプットの波を受けとめるのに必死だった。アメリカ人が自分の夢が叶った時に言う、やや大袈裟な台詞、”I am living in my dream”にどっぷりと浸かっていたのだった。 今でもNYで目的もなくひとりで時間を楽しめ、と言われればいくらでもひとり遊びができるのだが、その蠢く街の波の渦中から、今年からほんの少しずつ、気持をサイドへと移行させている。それでも吸収できるものは吸収しようと、ハングリーによく遊びよく食べているのだろうが、前年比からすると自分のアウトプット時間も持てるようになった。まるで人工的に波をつくった流れるプールから、その強力な流れに逆らいながら、身体をよじらせなながら自力で身体をプールサイドにあげるような感覚で。同じ自分でいる限りは、今泳いでいるプールはまた同じ場所に戻る円形のプールだと気付いたのだ。わたしは姉を思い出した。姉の名前には「波」と「留」という漢字が入っていて、「世間の波に関係なく、自分の波に自分らしく留まることのできる子に」という想いを込めたらしいが、「明るさ」だけは自信があって、もはや妄想に近い「希望」ばかり持ち続けている夢見がちな風来坊の妹、明希葉をカバーするかのようにちゃんとした姉である。名前とは不思議なもんだ。 今年はじめにアーティストvisaを取得できた事も気持を少しずつ変化させた。NYがくれたラッキーチャンスを生かしてもっともっとNYを吸収したい。これは何年計画になるかわからないけれど、わたしの夢は、世界の色々な場所のカフェやレストランで演奏をして、その土地土地の美味しいものを食べて、その体験をまとめた「ごはん狂想曲(仮)」という本を出すことです。ごはんも創作もメイン、よく食べ、よく表現。晩年かもしれんねぇ。胃と身体が元気なうちがいいなぁ。 ひとまず年始に一度日本に帰るまでは、どんな小さな機会でもNYでたくさん唄っていこう!今はNYのvibesを自分の身体の中にたたきこむ事が目標。 来年二月は舞台「PACO」の主題歌で参加させて頂けることになりました。2004年初演の「MIDSUMMER CAROL~ガマ王子vsザリガニ魔人~」の作品です。「パコと魔法の絵本」という映画にもなりましたが、もとは舞台なんですよ!初演はもう10年前なのですね。「Endless Story」を10年唄ってきたと思うととても嬉しいし、まだ10年、なのかもしれないね。 大好きな作品であり、個人的にも思い入れが強い作品です。15歳からお世話になっていたレコード会社や事務所の方々と一度離れて、音楽とも離れて、という1~2年が大学時代にあったのですが、この作品が、その後また音楽や芝居に関わるきっかけを作ってくれたからです。このきっかけがなかったら、アルバム「キャメレオン」からその後に続く作品も、ライヴ活動もありませんでした。音楽や芝居を通して知り合った仕事仲間とも、音楽、役者友達とも知り合えていないし、ライヴに来てくださるお客さんとも出会えていない。今わたしはNYにいないかもしれない。 このきっかけというのも、バッタリと、数年ぶりに道端で事務所の副社長とお会いした、という奇跡的な偶然から始まったのです。まさに道端で「今ちょうどこういう企画をしているんだけど、また主題歌を書いてみない?」とおしゃってください、音楽活動がまた始動したのです。そう思うと、人生にはたった一日で起こった偶然が、その後の人生を大きく左右するような出来事が起こりうるんですね。その日の起床時間や歯磨きをするタイミング、電車に乗るタイミングが1分でもズレていたら起こりえなかったこと。 人生はおもしろい不思議に満ちている。 「震えるような奇跡もあるかも」。Endless Storyに書いたこの歌詞を今、この10年間に起こった自分なりの奇跡(出会いやタイミングや幸運)を振り返って今高らかに唄える。さらに10年後も、深みを増して唄えるといいなぁ。 いつでも人生の不思議さ、おもしろさを受けとめる準備をしておいて、 今日も明るい希望を持って、一挙一動を味わいながら丁寧に生きてみよう。 感謝。 #
by akiha_10
| 2013-11-21 06:50
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瓜生明希葉/INFORMATION
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