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page d-68    隣の芝生はグリーンティー

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パリっ娘、ポリーン来日。
せっかくだからジャポネなところに行きたくって、
甘味やさんでお茶をした。
去年、パリから帰国する便で隣の席になったのがポリーンだ。
パリの大学で薬学を学ぶポリーンは年下なのに、
わたしよりはるかにしっかりしている。
彼氏が日本人で、
度々日本には来ているとのこと。









機内では、日本とフランスの恋愛観や職業観について話した。
ポリーンがあんまり流暢に英語を喋るから、
わたしはありったけの単語を掻き集めてはパズルをしていた。
たまについていけなくても、
オーイェ!とかなんだか言っちゃって、
やたらレアリー??と驚く自分にレアリー??とおもう。
それでも12時間上空で、同じプラの飯を食えば、
しだいに仲良しに。









面白いことに、「隣の芝生」現象は明らかであった。
わたしが欧風文化や、フランス女のマイペースさ、
自由で自立していて、楽しみ上手な生き方を讃えたかと思えば、
ポリーンは、東京の面白さ、日本の女の子のカワイさがとてもいいと言う。
フランス女は誰しも、わたしはわたし、
という意識が強いものだと思っていたのだが、
ポリーンは自分と他者の「比較」をしていて、それはとても新鮮だった。
比較文化の落とし穴は、すぐまとめたがるところだ。
どこの国でも、人によりけり、ということを忘れてはいけない。
「日本の女の子はみんな痩せてるし、お洒落だわ…」とポリーン。
これまた日本でくくってしまうのも大雑把だが、
少なくとも東京の中心にはそういう、
否が応でも、天秤にのせられる感覚、まわりと違ったらやばい、
と思わせる力が潜んでいるのでは、と自身の実感も思い出してそう考える。
敏感な女の子であればなおさら。
彼女と喋りやすいのは、
ポリーンもわたしも、「こういう価値観があるんだ」
というところを共有しているからなのかなあと、思う。







そんなポリーンであったが、
今回はフランス女のパワーを存分に発揮していたように思う。
議論好きのフランス人、と言われるだけあって、
和カフェでは、粒あんそっちのけで、あれはどうだこれはどうだと、
ポリーンはよく話した。
とくに、日本における女性の立場、というテーマについては
ポリーンは白熱していた。
職業観、結婚観、育児、日頃男性が女性に接する態度。
ヨーロッパ、女性強し、ね。
でもね近頃は、日本でも女のひと強いのよ、と言っておきました。



これだけ豊かな日本で、なぜこんなにストレスフルな人が多いのか、
なぜ日本の女性は占いが好きなのか、流行に熱中するのか。
わたしは語彙が足りなさすぎて、時々パントマイムでごまかしたが、
そういえばそうよねえ、と
日頃答えを簡潔にしていなかったことを、
英語にする作業の中で、できるだけ簡単に、そぎ落として、
改めて考えることができた。
日常の渦中になじんでしまうと、
あの時感じた、感情の灰汁、疑問、憤り、が次第に気にならなくなってくるから恐い。
消えてはいないが、放ったままなのだ。
そうはいっても今日の自分のご飯が大事だものってね、
弱いからね、そうなるんよね。
ポリーンと一緒に、外から日本を見る。



















ただいつも思うのは、
東京だけをみて、日本人はいいなあ、と思うことは、
パリだけを訪れて、フランス人はいいなあ、
と思うようなことと同じミステイクだと思う。
東京=日本はないように、パリがフランスではない、
ニューヨークも同じく、イコールアメリカではないように
ここはもうひとつの「国」のようなもの。
特殊な場所であることを、忘れてはならない。
東京は、わたしから見ても時折外国である。





「dixsept、anniversaire、chez lui、
東京のお洒落な街を、三歩歩けばフランス語を見るわ。
日本人はフランスっぽいのが好きなのね!
使い方が変なのもあって、おもしろいわ」
とクスクスポリーン。
「そうそう、みんなミーハーなのよ、あっはっは」とわたし。




自分のブログのタイトルに
はりきってフランス語「curieux(意。好奇心の強い)」
を使っていることは内緒にしておこう。
そしてポリーンはグリーンティーを、
わたしはカプチーノをすするのである。
by akiha_10 | 2007-04-22 23:15 | Daily thinking
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