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page d-34    木々の秒針

先日立川でバーベキューをした。
毎年恒例の、大学の友人の誕生日会企画。
はみでてしまった残暑漂う昭和記念公園、
緑茂るアーチに、遠く山が浮き出た水色がはまって、
これだから東京はおもしろい、と思う。
狭いはずの東京に、
異世界のものがひしめきあっていて、
ちょっと足を伸ばせば、
同じ空を疑うほどのトリップができてしまう。




四年間仲良くしているメンバーはみんなマイペースである。
ひとり遊び好きなのか、
時間をもてあます学生中でさえも、とても集まりがいいとはいえなかった。
しかし誰かの誕生日近くになると集まる、というのはいつしか定着していた。
誕生日会では、普段のドライさからは考えられない
熱のはいったサプライズ企画と、
少しばかりわざとらしいハートフルな手紙を互いに贈りあう。
やればできる(でもなかなかやらない)、集まれば必ずたのしい友だち。
不思議な、かけがえのない大好きな友人たちです。
にく、おいしかったね。
ハピバスデ。






実は緑が多いのよね、と東京をおもう。
爽やかにバドミントンをする友人を横目に、
木々の葉の擦れる音などを聴いていたら、
昼ビールもきいてきて、
まどろんでくる。
やがて、バドミントンの往復をカウントする声が、
福岡の一軒家の、
お座敷の網戸の前、
身体を横にして昼寝をしたとき聞こえていた、
近所のこどもの声に重なる。
いーち、にー、さーん、うひゃひゃひゃひゃ






ああ。
思い出が多いのは、やっぱりこの季節だ。
風だとか虫だとか空だとか、
この季節を演出する断片が、
一番芋をひきずってくる。
豊作、豊作。
哀しくなるのも、切なくなるのも、
帰り道が淋しいのも、あのひとを思い出すのも、
一番大好きなのも、
この季節だ。
夏から秋にかけて。
いや、秋から冬、
ストーブの上でコトコトいっていた金柑の甘露煮まで。
春夏は、
蝶がさなぎから飛び出て散っていくように、
思い出がヒラヒラと舞ってしまうのだろうか、
さらには虫めがねを通した暑い光で焦げてしまい、
思い出に穴があいてしまうのだろうか。





遠くはしゃぐ声と風と虫と緑のざわつき。
公園の天井だけを見上げていたら、
なにも変わっていない気がした。
なんにも、起こっていない気がする。














「やってみたら?」

空に逆さまの顔。
欠伸を殺して、ひさしぶりにラケットを握った。
羽を待つあみあみの視界にのぞきこむ木々は
あの頃より近くに見え、
TPOを読めていない後悔のブーツのヒールが
はしゃぐのを邪魔をする。
















ふっと、地元の友人がパパになったことを知らせる、
友達からのメールが頭をよぎった。


「うりゅう、時は経っとるぞ」



うっかり羽を落としてしまった。
by akiha_10 | 2006-09-21 21:06 | Daily thinking
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