霧雨ふく半蔵門、
連休最終日ということもあってか、 街は台風の前のような静けさを帯びている。 はじめて入った国立劇場はしっとりとした印象。 そんな空間の空気ひとつで、 身体も顔つきもなんとなく、やんわりなってしまうのだから、 人はどこの世界に身をおくかで、 なりたいと思えばどうにだってなれる気がする。 今日は日舞をはじめた、ぐまちゃんの発表会。 お着物で来場されている方も多く、 出場しなくとも空間に花をそえるようにして、 愉しんでおられるような気がします。 それはもう、セレブとかいってひやかす次元をはるかに越えた、 伝統ある、格式ある、老舗の空間です。 暗転から光がひろがった時、 舞台の中央にすっと立っていたのは、 まるで、ほこり高く天にのびる、でも、恥じらいものぞかせる可憐な花。 白塗りの化粧をし、眩しいばかりの甘夏色のお着物に包まれ、 傘をかざして佇んでいる彼女は、そう、花のように綺麗。 20分も続く長唄と三味線に合わせ、しなやかな仕草で踊る。 はじめっから、「きれい!」の感動があまりにもショッキングで、 予期せぬ涙がぼろっぼろっと、ひたすら落ちた。 親友の結婚式はこんな感じかもしれない。 ただでさえも、まぶしい美しさは、 個人的な思い入れのやすりでさらに磨かれ、 どんどんとキラメキを増していくのだ。 地元のスーパーで一緒にウインナーを試食した、ぐまちゃん、 塾をさぼってうまい棒をブランコで一緒にかじった、ぐまちゃん、 おそろいの手作りワンピースを着てた、ぐまちゃん、 罰ゲームでティッシュ配りの着ぐるみに握手をせがんだ、ぐまちゃん、 ああ、、、立派になられて! ぐまちゃんは踊りの途中で早着替えも魅せてくれた。 甘夏色の仕掛け着物の下は、情熱的な赤い着物であった。 これまたとても舞台に映えていて、涙の量を足したのであった。 お唄の方々が声をいっそう震わせ張りあげる頃、 彼女は蝶々にさそわれて、客席に伸びた花道を舞って姿を消した。 あ、ありがとう、ぐまちゃん…。 日本の伝統文化の美しさを改めて思う。 それから、着物の魅力も。 古くから生き続けている美しいもの。 科学がどれだけ進歩しようが、どれだけ人が頭も心も甘やかそうが、 それらが与える人間の本質的な歓びや、それを感じとれる美的感覚は、 時代を越えて、そんなに変わっていない気がします。 京都とパリ(歴史の長い欧州全体)びいきという、矛盾したようなわたしの興味も、 「昔から生き続ける美」だとか、「独自の(頑固なまでの)審美眼」 に対する興味という点で一貫しているな、 と今、自分で書いて納得して、あーすっきりした、と思っているちょうど最中。 前日にジャームッシュの「ブロークンフラワーズ」を観ていました。 ビルマーレイが過去の恋人たちに持っていく花束が、 みごとに色褪せてうつるとき、 あの時の輝きは、あの時だけのものだという、 受け入れがたい事実に、静かにためらうのです。 花は破れちるからこそ、咲きほこる一瞬が美しい。 無くなる哀しさを知っているから、 抱きしめて繋ぎとめておきたいほど「今」が愛おしい。 それにしてもわたしの好きな映画にはよくビルマーレイがでています。 (ウェスアンダーソン好きだから?) だってビルマーレイ、なんにもしなくても、 ゆるくって、つかれてて、こまってて、ださくって、だめだめーってかんじ、 でもすっごい人間っぽいもんね。すきです…。 マシュマロマンを倒したバスターズ時代の若々しさはもうなくっても、 その時、その時の味と輝きをもっています。 人は、咲いただの散っただのという一連に続く花であるというより、 年々、違う花になっていくのではないでしょうか。 film「ブロークンフラワーズ」
by akiha_10
| 2006-05-11 01:02
| Art
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瓜生明希葉/INFORMATION
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