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page d-27   花を魅る

目黒川を挟んで、桜は虹をかける。page d-27     花を魅る_a0028990_1312148.jpg
まだ咲き始めだと思うのだが、
根性のない花びらは早々にリタイアして
水面にぷっかり浮いている。
そうだそうだ、去年散り際に歩いた時は、
道は絨毯、川は浮き船をつくっていた。
いつも思う。
掃除をするのは風だろうか?
知らないうちに、ばらまいちゃうのは風だろうか。
そんな風の仕業か、去年の秋、掃除中の紅葉が、
ひょろっと鞄に舞い込んだ。
掃除当番の風も、運ぶのは花粉だけではない。
たまに粋なこともする。
まあ。ドラマチックなこともあるもんだなぁ、と紅葉をひらひらさせた。




木を積極的に見上げる機会は、主に年二度ある。
春の桜と秋冬の紅葉。
桜と紅葉、それぞれ違う感動を味わえる。
どちらも好きだが、どちらかとあえていうなら、紅葉への想いのほうが強い。
一番好きな季節が秋ということ、
一番目に好きな色が緑ということ、
二番目に好きな色が朱色ということも手伝ってだろうか。
わたしは紅葉びいきである。


桜の美しさは、主にその一連の「流れ」そのものにあると思う。
芽吹いて、ひらいて、満ちて、散って、舞って、佇む。
時が存在する映像的な美しさ。
仮に一瞬の姿を絵画的におさめても、
単色の言葉で言い表せる世界にとどまりがち。
それが満開ならば「華やか」としかいいようがなく、
散り際ならば「果無い」とか、その近辺。
桜にまつわる個人的な思い出でもって料理しないかぎり、
その「一瞬」に関しては、わかり易く綺麗なのだ。


一方紅葉の美しさ、楽しみ方は、もっと絵画的である。
世界はもっと複雑になりうる。
その瞬間が満開であっても、
麗しいのだが、侘びしいのだ。
色彩のせいか、形のせいか、または色斑のせいか。
散り際であっても、
物悲し気でいて、しかし凛としている。
遠く離れた言葉と言葉、黒と白が握手する。
言葉たちが対照的なよそもの同士であれば、
感情もよそもの同士で、おしくらまんじゅうをはじめる。
心はなにに泣くのか。悲しいのか、嬉しいのか。
心のパレットの上で、何色もの絵の具が、筆にかきまぜられるかのように。
そして、小さな手掛かり、「視覚」が、架空の五感をも鮮やかに起こしてくる。


わたしは映画が好き。
映画は絵画に比べると、手掛かりや情報が多いので、
よくもわるくも、わかり易い。
説明が多いと、伝わる速さはあるのだが、
考えないから、拡がりにくい。
しかし結局映画も、絵画の連続であり、好きなものは
切断された「シーン=絵画」として記憶されていたりする。
視るものにすべてを委ねた一枚の絵画や写真は、自由で挑戦的でもある。
しかし、拡がる世界ははかりしれない。それが楽しい。
「イマージネーション宇宙よりひろく」、である。





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道路脇にはお酒や串もの、お菓子ブースもでていました。
すっかりピクニック気分。
「おしるこーおしるこぉー」の呼び声に誘導されるまま、わたしは走った。
皆が持ち寄った、ビール、シードルと焼き鳥に、おしるこ、
とアヴァンギャルドな組み合わせをたのしむ。
こうやって外で食べると、なんでもおいしー!
焼き立て塗りたて、みたらし団子にもならんだ。
結局のところ、文字通り、「花より団子」である。




page d-27     花を魅る_a0028990_13155562.jpg雑貨やお洋服のフリマも出ていました。
実は、わたしも昔、
フリマ出店したことあります。
真夏に、ぐまちゃんと、へとへとになりながら…。
「さ、帰ろっか」と運んで疲れて早くも閉店。
お得に手にいれた、
直火エスップレッソメーカー。
やったやった!蚤の市同様、まけてもらうのも、お楽しみ。
by akiha_10 | 2006-04-08 13:40 | Daily thinking
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