「マイナス5℃」との機内アナウンスに肩をすくめた。
![]() ほとんど気候のことなど考えずに飛び乗ったのはいいが、 そうか、結構北なんだね!とうっかり薄着のわたしは スーツケースにいれたものを確認をしに、頭を巻き戻す。 飛行機は高度を下げ、雲の割れ目から、 白に埋もれたチューリッヒが顔をだす。 となりの席のデビが窓にはり付いて「pretty!」と連呼していたので、 ほう、これはカワイイと形容されるのね、と親近感を覚えた。 窓の外には雪をかぶった木々と、 ちっちゃい家々がお行儀よく並んでいる。 となりのデビはオーストラリアの女性で、旅の途中であった。 日本を経由して、ヨーロッパ各地を旅してまわるらしい。 はじめて見た日本はそりゃもう楽しかったようで、 「エキサイティング」、と「クレイジー」を多用しながら写真を見せてくれた。 フレームにおさまるとまた新鮮、斬新。原宿と秋葉原の街並と人々。 これはたしかにエキサイティング、と思った。 なにかと刺激の多いこの二つの街が「日本」として強く残ったようで、 デビが帰国して友達に「これが日本よ!」と興奮して紹介することを想像する。 ある一つの事柄は、誰からどう伝えられるかによって、 相手の頭に残るものもまったく違うものになると思うのだ。 口承は、伝言ゲームや噂のようにいい加減かもしれない。 でも語り手のせびれおびれ付で、次の人にとっての「事実」になるのもまた、ドラマチック。 ということは、単なる情報は人を経由すればするほど「物語」になるのかも? そういえば、友達の友達のお兄ちゃんの友達、の話はすっごいドラマチックだものね。 はなしを、もどして。 たとえば金太郎飴のように、どこを切っても日本、 といえるような場所も時間はなくって(住んでいる自分さえ掴んでない) 物事を把握するとき、どんな切り口でもどんな視点でながめても、 どうしても偏ってしまうことを再確認するのです。 客観、平等に見ることがどれだけ難しいことか。 しかし今、べつになにを分かろうもしないで、 とりあえず今、なに着れば寒くないかを考えたほうがいくない? と、われに戻ってチューリッヒ到着。 今回の旅は往復航空券をとって、間はベルリンを中心に自由移動、の試みです。 せっかくなので、経由地チューリッヒでストップオーバー。 お昼過ぎにホテル到着。眠くなかったので、中心地に行こうと思う。 洋服を中にしっかり仕込んで、だるまは受付で地図をもらいます。 一歩、二歩、と外に出た瞬間そのまま後退しようかと思うくらい、 し、しばれるよ…。 ![]() 25分おきのダイヤ(そして、今さっき去った雰囲気)にあらら、と思う。 じっとしていると、より恒温動物の底力を感じる。 へんなステップを踏んで、それを助ける。 そうしてやっと中心地に着いたのはいいが、 駅前の「OLIVE BAR」でカフェラテを飲んで、そのままひきかえす。 だってさぶいよ…。 列車にも乗れたし、スイスラテも飲めたし、ああもうわたし充分よ、 とあっさり退散。 「起こったことが冒険」 そんな心意気でいると、この旅に失敗も成功もないのです。 路線間違がえようが、道で滑ろうが。 雪はふりつづく。
by akiha_10
| 2006-02-20 20:01
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瓜生明希葉/INFORMATION
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