<< page t-21 週刊 北欧④ page t-20 週刊 北欧③ >>

page m-5   マンスリーパンフィクション 10

空港には思ったよりも早く着いていた。
いつもなら時間を潰すためにふらつくか、気まぐれにマスカラを買うか、
まあこれといって真剣に見ることのない免税店であるが、その日だけは違った。

カルバンクラインのデオドラント式のフレグランスかなんとかで、
それは免税店にしか売ってないからおねがいね、と頼まれた。
あ、もし香りがいろいろあったら、村上チョイスに任せるわ、
と一之瀬は最後につけたした。
「時間があればね。」とほとんど気にかけてないように言い放ったが
村上は搭乗の時間までずいぶんと余裕を持たせて来ていた。
私はただあいつのリクエストにきちんと答えているいい人です、と言い聞かせてなにかを覆う。
Ckの文字のボトルはすぐに見つけることができたが、
予想通り、最大の難関が待っていた。
指定されたものを買うのと選択して買うのでは、明らかにレベルが違う。
目の前に並んだ3種類ある香りが村上を試していた。
TESTERの文字はまさに村上にむけられていた。

どれが正解なのでしょう。
一之瀬をイメージした香りにするべきなのか、
私が好きな香りにするべきなのか、
一番妥当と思われる香りにするべきなのか。
気軽に頼んだあいつはどういうつもりなのか。
あいつにとってなんでもない私に、
あいつがいつか身につけるかもしれないものを頼むのは
人選間違いではないか。
考えすぎではないか。

細長い紙にテスターを吹きつけてはにおう、つけてはにおう、
を繰り返すうちに鼻がもげそうになった。
嗅覚がおかしくなったからか
「ふぅーん村上ってこんなのが好きなんだ」「これって俺のイメージなわけ」
と何人もの一之瀬が意味ありげに呟きながら頭の中を360度囲んで、うっすら浮かんでは消えていく。
真剣になるほど鼻も頭もわけがわからなくなって、
助けを求めるように店員に意見を求めた。
これが一番売れてますよ、と迷わず店員が指差したので、それを改めて手首につける。
もげかけの鼻にも柑橘系だということだけは判った。
じゃあそれで、とあっさり購入した。
はじめからこうすればよかったと村上は思った。
店の人のおすすめだったから、と言ってしまえば
そこになんら個人的な感情はなかったという証明にもなるし、
センスの違いみたいなものに傷付くこともなく、
さらには真剣に選んでいたんではないかという時間も隠ぺいしてくれて、
ただ単にリクエストに答えたというシンプルな行動におさまって、ちょうどいい。
なに真剣になってるんだか、と鼻をすすって搭乗ゲートへむかった。

page m-5   マンスリーパンフィクション 10_a0028990_0331226.jpg

一之瀬が寝る姿勢を変え、右腕を机にぺったりと伸ばした時、
これみよがしにアピールしているフランクミュラーの腕時計と
あのつんとする香りが同時に鼻についた。
パンの香りがどうのこうの、と評価するこの仕事場において
においものを身に付けて来るという無神経さがむかつく。
あの時「あ、この香り俺すきすき!さすが村上チョイスっすね」
と無邪気に喜ぶ一之瀬を見て、
店員がどうのこうの、と用意していた台詞がぶっ飛んでしまった。
とっさに「あ、そう、それならよかった」と自分の手柄にすりかえたが、
だからなおさら、私チョイスと知っているうえで
それを秋になってもほとんど毎日身につけてくる感覚がわからない。
そしていつも動揺しているのは自分だけかと思うと、
やつの無神経さにまたむかついた。
だからといって、その香りが違うのに変わっても、きっとわたしは動揺する。

村上が感覚の違いに苛立っていたとしても、
ふたりは確かによく気が合った。
まあ全てがまるまる一緒というほうが気持悪く、
類似点が多くあるからこそ、違いが際立つのだ。
それはそれまでといっても、いつしかベン図ではなくって、
円がまるまる重なることを要求したくなるのだ。

午前の間、ほとんどメールなどに興味を持たない一之瀬が
まるで携帯を持ちはじめて間もない小学生のように、
過剰なまでにバイブ音に反応して、すぐさま返信していた。
それが何度も繰りかえされるので、村上は気になって気になって仕方なかった。
仕事以外では村上も一之瀬もメールにはとことん鈍く、
その鈍さの原因もふたりは一致していて、盛り上がったことがある。
しんとした空間でカチカチする音が
さっきからずっと村上の集中力を散漫にしていて、
村上は目線を据えることで自分を定めた。

わたしには3日後に返すくせに。
相手は誰か知らないけど、
一之瀬が誰かの時間の流れに弄ばれるのは似合わないよ?
それに一之瀬はわたしの、好きなものとか、考えてることとかを
「だろ?」ってなかんじで言ってくるでしょ。
それは鋭くて、だいたい当たっていて、わたしは黙るけど、
身体をつきやぶって透視してるかのような、一之瀬のあの得意顔を見ると
勝った、ておもうわけ。
この無神経で自分大好き男は、ぜんぜんにぶい。

村上はパンの書類ごし一之瀬にピントを合わせた。page m-5   マンスリーパンフィクション 10_a0028990_040117.jpg
まわりを囲んだパンに手をのばす。
とことん固いクランベリーノワにぎっしり詰まったナッツを
噛み砕くと香ばしい。
ピクっと動いた一之瀬の手首から香りがとんだ。
まじる前に確かめるように鼻をすする。
                       (fin)

今月のパン
ブーランジェリールボワ@中野富士見町
by akiha_10 | 2005-10-27 01:17 | monthly
<< page t-21 週刊 北欧④ page t-20 週刊 北欧③ >>