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なにかのことに、意識的にpage t-19  週刊 北欧②_a0028990_1714934.jpg
また無意識であっても集中している時には、
その「なにか」に関する出来事や出会いが
自然に集まってくるもののような気がする。
例えば、昔の友達をある時強く思い出していたら、
たまたま電話がかかってくるとか。
朝から食べたかったカレーが今日の晩ごはんだったとか。
電波とか波長とか、連動とか、あやしいかもしれないけど、
ついついそんなのを信じたくなる奇跡の偶然って、
気付くか気付かないかの違いだけで、実際多いと思うのです。


帰ってきてすぐの歯医者の待ち時間に雑誌をペラペラめくっていたら、
たまたまムーミンに関するコラムに出会った。
私が余韻として北欧を引きずっているからなのか、
「あ、集まってきたな」とこじんまり私は喜んだ。
フィンランドにあるムーミン谷のお話と、
とりわけ小粋にキャラ立ちしているスナフキンの生きざまについて書いてある。
私、てっきりスナフキンは純旅人かと思っていたけど、そうでもないみたいよ。
純旅人というのは、守るものも持つものもなく(捨てて?)、
今、目に見えるものだけを全霊で味わうというイメージがある。かっこいいやつね。
でもスナフキンはね、ムーミンとかムーミン谷とか、
帰るところがあるからこそ旅をするんだって。
旅に行っては自然に感動して唄をつくり、ムーミンたちに聴かせるために季節が巡ると谷に戻るらしい。
港があるから旅ができるってやつですね。
ズルイやつめ、でも、なんか頷けたりもする。
縛られるものがあるから自由があって、
誰かといる安らぎがあるから孤独があるもんね。
つまり孤独と自由を愛するスナフキンは、
守らねばならない窮屈な魅力も守られている安心の魅力も、きっとよく知っている。
さすらっているわりに、思ったより人間らしいなスナフキン…
これならいろいろと矛盾しているわたしも、旅人とか言ってもいいかな…
わたし、ス、スナ子…


全身若草色の装いをイメージしながら、
ヘルシンキの街にもどりましょう。

ヘルシンキは今年はデザインイヤーであり、
さらに私はデザインウィークという時期に訪れたのですが、
フェスタの雰囲気は一体どこやら。
その週限定の蚤の市や、美術館の特設スペースなどにも足を運んでみましたが、ほんとに、のんびり。
盛り上がってみたものの、スローにならざるをえないのが、北欧なのか。
逆に収集したタウンガイドやフリーペーパーのほうが熱かったりして(デザインも気合いはいってるし)
予告版のほうが泣ける映画のような逆転現象。
そういう点では、私は少しぬか盛り上がりだったわけですが、
逆に、フェスティバル期間中だからこそ、より際立って感じ取れた、
しっかり根付いている時間の流れや人の空気が印象的でした。
雨風の日にもおそらく揺らがない、ゆりかごから墓場までスローライフ!



気になるマリメッコは街中に何店鋪もありました。page t-19  週刊 北欧②_a0028990_17145450.jpg
パレット式のアイシャドウや
キルフェボンのショーケースを見るときと同じ興奮が
ここのディスプレイにはある。とくに生地。
繊維関係のものはほとんど揃っているよ。
洋服、バッグ、寝室用品やクッションカバー…etc
ここの朱色はとてもきれい!

荷物をわんさか抱える旅人なんてナンセンス。とわかっているけど、
生地とか入れ物とか買っているうちにおっきい袋を腕にさげていて、
いかにも買物大好き日本人な感じで、矛盾のスナ子は旅を続ける。



先へ行く前に、お茶して一息。
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by akiha_10 | 2005-10-15 18:12 | Trunk
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