わたしはセカンドハンドが結構好き。もちろん新品も好きだけど。
蚤の市は大好きだし、洋服も小物も雑貨も本も、買うのに抵抗はない。 むしろロマンチックな気にさえなる。 どんな人の、2番手(5番手くらいかもしれないが)なんだろう…と。 そういった意味で、ユーズドじゃなしに、セカンドハンドっていう言葉のほうが愛情があってピンとくる。 誰かさんからバトンが渡されて、ひととき楽しんで、またそれを手放す。(留めることもある) ひとつのモノを共有しながら、まわっているのって、無駄がない気がしてなんだか気持ちがよい。 モンゴルに一ケ月弱旅をした友人の言葉がずっと残っている。 「あっちでゴミがほとんど出なかったの!それで普通に暮らしていけるからね〜」と。 そうか。無駄がないのね。 過剰包装や使い捨てにマヒしてしまっている自分にはっと気付き、しばし考える。 例えば御歳暮の箱や袋を極端になくしたらどうなるか。 紙業界の人たちは一体どうなる?御歳暮シーズンの包む仕事の雇用はどうなる? まわっていたシステムのどこか一部が極端に止まってしまうと、少しずつだが全体に支障がでる。 生態系システムと同じね。 ここの経済システムが消費によってまわっている以上、環境についてなんて簡単には語れないなと思うのです。 うーん、多分うまいこと、まわってるのよね。 わたしはというと、やっぱりプレゼントが綺麗に包装されていたら嬉しいしさ。 自分で買ったものも、袋が可愛かったら嬉しいしさ。 無駄がないことの反対にある、豊かな気分も捨てがたい。 昔はサンリオの店員さんに憧れていて、包む様子をじっと観察していました。 自分用のくせにプレゼント用にしてもらい(セコイ)、 持って帰って包みを開けて(セロテープが敵!)、ふたたび包んでラッピングの練習。 マスターしたらその包み紙はシワを伸ばして、いつかのために保管(だいぶセコイ)。 今でも包んでいるのを見るのは好き。 プレゼント用に購入した際、「お包みしてお呼び致しますので、店内を御覧ください」と言われても、 レジ周りをウロウロして(見たいだけよ)、店員さんに無言のプレッシャーを与えている、感じの悪いわたし。 ラッピング専門店も、すごく好き。 ニューヨークのソーホーに、ケイツペーパリーというお店があって、 その店のラッピングアイテムの可愛さには心を奪われっぱなし。 ケイトスペードがプロデュースするお店で、ラッピングアイテム、 ステーショナリーやレターセットなど、 素敵なセレクトで並んでいます。 ノートもかわいいでしょ。 去年ケミィと訪ねた時、ついつい長居して、 ついつい色々買ってしまった。 今日から私は筆マメになります、と言い聞かせながら。 無駄がないのも素敵、豊かも素敵。 …。 とりあえずゴミの分別がんばろっと。 こうしてわたしの思考もまわってるのよね。
by akiha_10
| 2005-07-20 23:49
| Daily thinking
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瓜生明希葉/INFORMATION
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