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ニューヨークジャーナル 167

NYで今年18年目をむかえるSanta Conに参加してみた!
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NY滞在年数と共に様々な事に慣れてきて視野や感動の幅が狭くなりがち。いつも気持は観光客の気持でワクワクしていたいものだが、順応力という誰にでも備わったすばらしい力は同時に、見るもの全てが新しかった世界を、なんでもないような日常のように感じさせるという副作用も持ちあわせている。

そんな事を友人と話していた中で、今年は冬のNY二大イベント、いつも横目に見ていたハロウィンのパレードと、サンタコンに参加することを決意。老若男女関係なくパーティーに参加できる場所、それがNYの最大の魅力!いざ、知ったかぶり眼鏡を外して参加したサンタコン。


サンタコンは当日朝にSNS上で集合場所が発表される。サンタの恰好をして集まり、写真などを撮影した後はNYの街を練り歩き、昼間っからバーのはしごをする、と要するにお祭り好きの浮かれたイベントである。大量のサンタが出没している街の風景は馬鹿馬鹿しくて、なんだかかわいくて、それなりの見応えがある。
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ハロウィンでも毎年感心させられるコスチュームだが、通常サンタ服では物足りない者は、おのおのツリーや小人、トナカイといった、クリスマス関連キャラのコスチュームをこの日のために製作して登場。ニューヨーカーがパーティーに注ぐ情熱、気合は魅力のひとつだ。


話は逸れるが前述の通り、海外滞在に慣れてきて長くなると、誰しもその土地や人に対する印象が変化してくる。特に何かしら一緒に仕事、作業をして改めて思うことがある。主にこのようなイベント、パーティーなど楽しいシチュエーションで接していた頃は、ニューヨーカーは陽気でフレンドリー、楽しい事が大好き、細かいことを気にしない(もちろん人による)などといった印象があった。なにかと細かい日本の気質と比較しては、そうした明るさをざっくりと好意的に思っていたのだが、いざ彼らと何かをやり遂げなくてはいけないシビアな状況になると、その「気にしなさ加減」にツッコミどころ満載となる。


よく言われるように、アメリカ人(欧米人といって良いだろうか)は個人、プライベートを重視している。何があっても自分が人生の主役であることを一時も彼らは忘れていない。そういった人生観はわたしも同調するが、僅かでも、場面に合わせて協調性やプロフェッショナルな仮面が欲しいなと思う事もある。彼らは仕事の仮面より素顔が前面に出ている。NYから久々に帰国した日本でわたしは感じた。カフェやお店、何かしらの受付に行くと、そこで働く人々が一様に同じ、パターン化されたようなプロフェッショナルの仮面を被っていて、画一的な表情、言い回し、声質で接客してくれる。それはおそらく世界的に評価されるサーヴィスで贅沢は言えないが、なんとなく妙、というか寂しいものを感じた。NYでは例えばカフェでも、「店員」というより、MarkやNancyといった素顔が分かるような態度、言動が見られる。というか、ほとんどの人が素でいる。仕事時間であろうが、プライベートの自分を基本的に常時持っている。銀行やホテルなどの、かしこまった場所でさえそうだ。いかに昨日のフットボールの試合が良かったか、今朝の地下鉄での出来事がいかに面白かったか、などを同僚と、または客に対し初対面であってもどんどん喋ってくる。コーヒーをいかに早く出すかよりも、むしろお決まりの”How are you doing?”の後のフリートークにこそ接客の技量が試されており、そしてその何気ないフリートークが店員と客を結びつけるもの、と考えられているのではないかとさえ思う。わたしは、はじめはそうした状況を、初恋で相手の全てが肯定的に思える時のように好意的に思っていた。ところがリアルな生活の中でいざ彼らと共同作業で関わっていくとなると、その印象も変わって行く。いやいや先に作業やろうよ、と素顔も出しどころがあるのでは、などと条件付きになったりする。


ディープに知って行けば行く程、NYのリアルな長短が見えてくる。ただ、そういった事に落ち込んだりムシャクシャしたりもしながらも、葛藤する度に傍観者の時とは違った充実感を感じたりもするから面白い。”I want to be a part of it - New York, New York” シナトラに重ねて口ずさむ、小さな関わり方ではあるが、わたしはこの街で生きていることを感じる。そして、それでも懲りずにこの街が好きなわたしは、半ば取り憑かれているのだろう。





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バーもサンタばかり!例年サンタ達がバーに押し寄せてバカ騒ぎすることが度々問題になっていたらしい。サンタに来てほしくない店は「サンタお断り」札を出すなどして対策をしてたらしいが、今年は逆にサンタウェルカムなサンタコン公認店を公式HPが発表。安心してサンタたちが入店できるというわけだ。

昼過ぎにはサンタパーティー集合会場が発表された。230 5thという、エンパイアステートを目の前で眺めることのできる、観光地としても人気なルーフトップバー。会場は真っ昼間からクラブのように盛り上がっており、クリスマスソングがかかる度に皆で大合唱!トナカイ女子にも遭遇。







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あっちもこっちも、なかまたち!












ニューヨークジャーナル 167_a0028990_1642626.jpgみどりのマフラーでコーディネートがきまっているダンディサンタも!余談ではあるが”マフラー(muffler)"という呼び名はあまりこちらでは使われていない。辞書上ではマフラーは襟巻という意味が確かにあるのだが、日本でマフラーと呼ばれているものは、こちらでは"スカーフ(Scarf)”と呼ばれている。未だにとっさに、マフラー忘れた!などと言ってしまうのだが、誰も分かってくれない。長細いウールの巻物を手に取って”スカーフ”(シルクなどの薄い生地のイメージ)という名前が瞬時に出て来ず、毎回えっと、マフラーじゃないやつ、、、と機敏に動かない脳に毎回ポンコツテレビのように叩きたい気分になる。





最後に、日本とは一味違ったクリスマスムードについて。クリスマスは言うまでもなく宗教行事であるから(NYは多宗教なのでクリスマスをしない方々も多くいるが)この時期になると、そのキリスト教的教え「他人に救いの手を差し伸べ、隣人を愛しましょう」といったテーマが間接的に、時には直接的に街中に溢れ出す。冷酷で奇跡を信じないスクルージおじさんの経験を道徳観の主軸に据え、寛大さを問われるような場面を多く見る。たとえば、慈善的なこと、ボランティアを促す広告が増える。キリスト教の団体による慈善事業「サルベーション・アーミー(要らなくなった物、服を寄付して再度販売するリサイクル店を展開している)」の店員さんが街頭で鈴を鳴らしながら募金を呼びかける姿は、「ああクリスマスだなぁ」と思わせる風物詩だ。そしてこの季節、いつにも増して明らかに増えるのが、地下鉄車内の物乞いの方々。NYの地下鉄車内では唄やダンスなどのパフォーマンスなどでチップを稼ぐ人々、身体の不調を訴えてサポートを求める人々、そして圧倒的に多い、いかに自分が不運な状況に置かれているかをスピーチをする人々などがいる。またその寛大さを育むような「愛とは何か」を問う、家族の幸せや繋がりを再確認させるようなあたたかいクリスマス絵が、まるで幸せじゃないと罪、と言わんばかりに、やや食傷気味になるくらい大量に流れる。実際にこの時期仕事もスローになる方が多く、楽しいホリデームードが人々をにこやかに、優しくさせているのを感じる。色々あったけど、また来年もよろしく、という日本でいうところの年の瀬感であろうか。サンタやプレゼント、イルミネーションといったハード面だけでなく、クリスマスの根底に流れている精神性により触れられるのは、アメリカに居てこそだと思う。



出会いと学び、しあわせを感じられる心に感謝。
Very Merry Christmas!
by akiha_10 | 2014-12-23 16:49 | NY Journal
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