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ニューヨークジャーナル 166



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エリザベスの結婚式に呼んで頂いた。アップステイトと呼ばれる、NY州の中でも北にある場所へアムトラック(列車)で約2時間。うつくしい教会、この教会でエリザベスのお父様、そしておじいさま、のみならず親族のほとんどがこの場で愛を誓ったというから重みがある。






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新婦がお父様とバージンロードを歩いて来る時、Groomsmen(新郎側のブライズメイドのようなもの)と共に祭壇の前で待つ新郎の口元がほころぶ表情を見て目頭が熱くなる。 アメリカでは挙式当日まで新婦のドレス姿を見ては縁起が悪いと言われていて、この日本当にはじめてドレス姿を見ることができるのだ。



神父が念を押して諭す”Unconditional Love(無条件の愛)”というキーワードについて考えを巡らす。家族間のみならず、他人に対しても”Unconditional Love”を差し伸べなさい、というのだ。無条件の愛について考えはじめたら、だんだん自分の身勝手さが浮き彫りになっていくようで、上から見下ろす天使たちは”そんなわたしもお見通し”なのだろうか、妄想の脇道へと逸れるのであった。



宗教観(NYは他宗教なの で一概に言えないが)なのだろうか、アメリカの「人のために無償ですること」が美徳と扱われているのは日本のそれ以上である。NYで人が優しいな、と思うことがよくある。それは元の期待値が低いという理由が多分にあるが、日本にいれば、わざわざその優しさを恩着せがましくアピールせずとも、当たり前に無償で受けることのできる”サービス(おもてなし)”だったりもするから、どちらが人にやさしいのかと言えばどちらも結局同じかもしれない。ただ普段アメリカには当たり前にはないものを、無償の心遣いですよ、というラベルを貼って頂き「ああ、やさしくされたな、ラッキー」と思うアメリカと、もともと期待し期待され、それがなければ不満を持ってしまいがちな日本では、どちらがいいのだろう、と思ったりもする。”心遣い”はアメリカでは美徳、日本では常識 なのだと思う。NYでそうした気配りの出来る方と話してみると、その多くが何かしらその動機付けとなる宗教観や自分なりの哲学、スピリチュアルなもの(人に与えると 自分が幸せ、と言ったようなこと)を信念として心の内に持っているのだが、日本はどうだろう。社会通念として多くの方が持っている、平均値が高いこの心遣いはどこから来ているのだろう。ある程度は仕事に対する意識の違い(こちらでは適当に仕事をする人もたくさんいるので)から来ているとも言えるが、それを越えたシンプルなレベルで言う人間同士の思いやりなどになってくると、これほどまでに宗教色のない日本で、なぜその心遣いが民族的に根付ているのだろうと考え出すと、海外から日本の道徳観が注目される理由もわかるような気がする。「当たり前のものとして、周りがそうして来ているのを見ているから」という答えしか浮かばないが、そう考えると慣習を代々受け継いできた日本の道徳観、これは先祖に感謝すべき事なのかもしれない。


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お式では終始弦とフルートが奏でる上品な賛美歌やクラシックが鳴り響いていたが、退席時にビートルズのAll you need is loveが演奏された。この教会で代々式を挙げている親族の方が「おじいさんが聞いたらびっくりだろうなぁ」と当時不良の音楽が、まさかこの厳かな教会に響き渡っている事に、時代の変化や月日の流れに感慨深くなられたようだった。

厳粛な儀式も終わり解放感。
パーティー会場である自宅へ向かうバス内から早速酒宴!












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「貴族だったの?」はじめてお宅にお邪魔した時、冗談でそう聞いたことがある。広大なお庭にプール、テニスコートのある”お屋敷”といっても過言ではない自宅に、一週間前から建てたという特設テント。まわりにはイベント業務用トラックが何台も止まり、そのアメリカンスケール、本気さに小さな島国から来たわたしは笑いすら出てくる。「ごはんは自信があるから!」と前々から厳選したらしいケータリング。着席する前のオードブルタイムで、ウェイターがちょこちょことサーヴしてくれるフィンガーフードのそのどれもが美味しかった。そして巨大なお寿司ブースも!ここでお腹がいっぱいになりそう。




夜も深まり、パーティー本会場(別テント!)へ。


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フルバンド待機。何度か結婚式に行っているが、アメリカ人のウェディングパーティーで一番肝となるのはどうやら、いかに食事後のダンスフロアが盛り上がるか、ということらしい。音楽は非常に重要になってくるわけで、どれだけシンプルなウェディングでも生バンド、もしくはDJが必ずいる。日本でいう「みなさんに楽しんでもらう結婚式」というおもてなしは、ここではいかに楽しく踊れるか、であるようだ。


皆が着席しはじめた頃、両家ご両親と、グルームズメンとブライズメイドが陽気に登場。ここで盛大な拍手を送ることで、今までプラン、準備をして来た事への労いの意味があるそう。そして夫婦となった主役が登場してファーストダンス。アメリカでは結婚式のためのファーストダンスのためのレッスンなどもある程、形式的にだけでなく”魅せる”ダンスをするカップルもたくさん居る。そして、最初の恋人ともいうべきだろうか、新婦は自分の父親と、新郎は自分の母親と踊る時間。多くの父親は、自分が結婚式で奥様(彼女のお母様)とダンスを踊ったことを思い出しては年月の早さにしみじみとするのだそう。新郎マットのお母様がとってもチャーミングで、練習して来たな、と思われるジャズダンスをマットと華麗に踊っていたのがとっても素敵。



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お食事の終盤、お決まりの、グラスをスプーンでチリンチリンと鳴らしてスピーチ。日本でもスピーチを頼まれるプレッシャーはよく聞く事だが、こちらでも同じく。ユーモアを盛り込みながら(これは日本よりも期待されているように思う)時には辛辣なウィットを交えながら、心がじんわりと温まるエピソードでフィニッシュ、まるでその人の手腕を試されているようで大変そうだなぁ、と思いながら毎回聞いている。ちなみに、アメリカでは人前でプレゼンテーションやスピーチをすることへの技術習得は幼い頃から重要視されていて、訓練するスピーチクラスなども小学校からあるそうだ。アメリカに来た時、薬局やカフェの店員であっても、説明したい事、もしくは(聞いてもいない)自分のことをまるでスピーチタイムのように大袈裟に、または毎度楽しませながら話す姿を見て、アメリカ人にはおどおどした人はいないのか?と不思議に思ったものだ。移民だらけの国で、自己主張が常に求められている背景に加え、教育環境もあるのか、アメリカに暮らす人たちの人前で話す技量は明らかに長けていると感じる。


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そしてメインイベント?のダンスタイム。バンドはTOP40などの皆が知っているポップス、両親世代が喜んで踊り出す選曲で盛り上げる。友達である我々世代が弾けるのはもちろんだが、70-80年代、ディスコで踊り慣れた両親世代が、昔の気持を取り戻したかのように無礼講。いつもアメリカ人の親子関係を見ていて日本と明らかな違いを感じるのは、親子という役割の”仮面”の薄さである。親として必要とされている要素の違いなのか、アメリカでは親としての顔、というものはあまり意識されていないと感じる。日本であれば、親としての振る舞いや発言が、どれだけ子どもが大きくなっても多少なりともあると思うが、子どもが幼少期から家族であっても独立した個人として扱われているからか、友人とその両親のやりとり等を見ていると、親は「本来の自分」と「親である自分」を使い分けていない。だから、学生時代を取り戻したかのような姿も子どもの前で堂々と振る舞うし、それを子どもも、まるで楽しい友達を眺めるかのように見ている。日本ではあまり子どもには話さないだろうなぁ、といった内容でも普通に子どもに相談していたりする。日本基準でいうと、ファンキーなお父様お母様だらけである。



ニューヨークジャーナル 166_a0028990_01001009.jpg素敵な心遣い、ピーンヒールで湿った芝生の上(小雨が降ったので)を歩くとずぼずぼと沈んでしまうので、ヒールカバー。そして、用意された”Dancing Shoes”と書かれたビーチサンダル。実はアメリカの結婚式参列の必需品はダンスタイムになって履き替える用のペタンコの靴。ほとんどの女性が必ず鞄に潜ませている。もしくは、代わりの靴など気にせず、素足になって踊ることも多々。

話は逸れるが、NYでも仕事を終えた女性が夕方の地下鉄ホームなどでいそいそと鞄からビーチサンダルを取り出し履き替える姿を頻繁に見るのだが、一言いいたい。靴をそのまま、ビニール袋などに包まず鞄にいれているのが、日本人のわたしとしては、本当に理解ができない!友達に聞くと、地面に触れるソール部分を合わせて入れているから汚くないというのだが、これだけは本当にわからない。他の衛生観念がだいぶワイルドになってきたわたしでも、鞄に直靴は、ないっ!









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                                    素敵な夜をありがとう。
                                    Congrats エリザベス!

by akiha_10 | 2014-09-30 23:33 | NY Journal
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