NYのコーヒーはおいしいのだ。 ラテもカプチーノもこだわりのお店に行くとかなりおいしい。でっかいマグの茶色のお湯、というアメリカンダイナーコーヒーから、NYでは近年の「第三のコーヒー」ブームによってコーヒーが洗練された。(第一・食卓にコーヒー文化を浸透させる/第二・スターバックスなどのチェーン店コーヒーブーム /第三・より個人的にこだわった、ワインのように楽しめる、その店の哲学のあるコーヒーの提案) NYでのコーヒータイムがなにより好きだ。コーヒー激戦区のマンハッタンやブルックリンで、いつでも美味しいカプチーノが飲めるという環境に甘やかされていて、ニュージャージーにあるニューアーク空港(いっきに田舎の気配)でお茶をすることになった時、あまりの選択肢のなさに「カプチーノはどこよ。」と肩を落として叫んだ。いかにもアメリカのドラマに出てきそうなマンハッタンかぶれのスノッブ気取りだ。 ポートランド発のスタンプトンコーヒーや、カリフォルニア発のブルーボトルコーヒー、 フェアトレード&オーガニックなコーヒー豆を使用するThink coffee、 器と空間も素敵なLa Colombe cafe、おいしいパンも買えちゃうAbraço。 いずれも特にダウンタウンに店が密集、それぞれ豆の管理の細かさや厳しい選定基準、ミルクのフォームのこだわり用を見ていると大味なアメリカ、というイメージは一蹴されます! 最近わたしのコーヒーリストに加わって、よく行くチェルシーにあるコーヒーが飲めるカフェHaven's kitchen。 カウンターテーブルだけなので、あまりゆったりとする雰囲気ではありませんが、店内に陽がよく行き届いており、奥には料理教室があったり、上にはイベントスペース。空間やグッズが洗練されていて、コーヒーのおとものお菓子(特にピスタチオクッキー)も東京顔負けのおいしさ! って、「東京」がいつも基準になっているところは、もう仕方がないね。 東京ほど洗練されておいしいものが揃っている場所はないと断言。 素敵!と思う空間だって、よく考えると青山や代官山、二子玉川や自由が丘あたりに似たようなものがある。数にすると東京のほうが数倍あるだろう。清潔度でいうと圧倒的に東京はすばらしい。 東京になくNYにある洗練された美味しいものは探すのは難しく、このカフェのお気に入りのクッキーだって、東京みたい!という表現が最大級の賞賛なのであった。 歯の治療をするため数日東京に帰って、しばらく離れていたその東京の都会ぶりを確信した。NYと一体何が違うんだろうなぁ、と考えた。そこにいる人たちのパワーなのか、明るさなのか、なんなんだろう。NYは人が街をつくっているのを感じる。こういった人たちがその場所に居たから必然的にその箱ができ、その文化が生まれ、街の景色が形成されていく、といった感じに。東京は少々過保護で、先に箱(都市開発というのか?)が用意される場合も多くある。あの場所に行くにはこういう風にしよう、こう演出しよう、こんな暮らしをしよう、とスマートで勘が鋭いから馴染みも早く、人や文化が環境によって培われることも。もちろん、人が街をつくっている歴史ある東京の下町などはある意味NY的なのもたしか。NYのぎゅっと凝縮されたパワーと違った意味のパワーで、東京が持つ多面性には改めて面白みを感じたのだが。 久しぶりの東京は想像通り、楽チンだった。どこに行っても言葉が通じる精神的安定と、信頼できる店員と、蛇口をひねれば出てくる軟水と豊かな食事のおかげで、ドライな肌も髪も見事に生き返った。 改めて日本って最高だ! しかし数日経つと、やたら話しかけてくる隣人や、地下鉄のラップもどきのチェキラな会話や、仕事をする気のないバスの運転手や、汚い薄暗いバー、レストランやショップで店員が差し出す時に必ず言う「Enjoy!」がとても恋しくなった。 成田空港のエレベーターから見えた「おかえりなさい」にも安堵して胸が熱くなったが、帰り機内アナウンスの「Welcome to NY」にも格別な鮮やかな響きがあった。わたしにとってもう憧れだけではなくなりつつあるこの街の多彩な思い出や想いが込み上げて、めんどくさい人たちと、めんどくさい日々がいとおしくなり、 NYにウインクされながら挑戦状を渡されたようだった。 そしてまたこの街にのめり込んでしまうのだね。
by akiha_10
| 2012-08-21 12:54
| NY Journal
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瓜生明希葉/INFORMATION
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