![]() NYで話題の念願の「Sleep No More」に潜入してきました。 英国のシアター・カンパニー「Punchdrunk」が主催する チェルシー地区にあるホテルThe McKittrick Hotelを舞台とした体験型アートショー。 好き嫌いが分かれるという噂を聞いていましたが、個人的には、衝撃的によかった。 シェイクスピア4大悲劇の一つである「マクベス」がテーマになっていて、 マクベスがダンカン王を暗殺したあと、その後彼の良心の呵責を苛まさせることとなる、どこからともなく聴こえる声、"Sleep no more!Macbeth does murther sleep"(眠りはないぞ、マクベスは眠りを殺した!)という本文中からタイトルがつけられている。 取れたチケットが夜11時半からの入場。 30分刻みでまとまった人数がホテル内に入っていく。 このショー、ショーといっても座って鑑賞するのではなく、 六階建ての100近い部屋を歩き回る参加型のショーなのです。 ![]() はじめにマスクとトランプカードを渡される。 赤いクロスのかかった丸テーブルが囲むレトロなステージでは、スパンコールを纏った厚塗りのシャンソン歌手がアンニュイに唄い、1930年代の薄気味悪いくたびれたバーでしばし自分のトランプのナンバーが呼ばれるのを待つ。タキシードを着た中性的な男にナンバーを呼ばれたら観客は皆マスクをつけてそろそろとエレベーターへ。 各階で少しずつ人がおろされていき、各々が思い思いの順路でまわっていく。 1920年から30年あたりのアールデコの家具や小物、 様々な想像を喚起させる人の息づかいが聴こえそうな古びた手紙や走り書き、 誰かが大切に持っていたのだろうくしゃくしゃの写真。 それらすべてに自由に触れることができる。 館内は迷路のように複雑に入り組み、墓場やおびただしい数の小動物の標本や剥製、全面クッションでできた精神病患者用の部屋、バーや探偵事務所などがあり、まるでヒッチコックのサイコな映画の中を彷徨っているような錯覚に陥る。また観客がつけたマスクがその場をさらに異様にさせ、顔を覆って匿名にされた我々は現実での、また現実との関係性を遮断され、口をも覆ってしまっていることが自ずと静寂にさせ、仮面が見事に非現実的な精神的内面にいざなう機能を果たしている。 陰鬱なサウンドが流れる館内を足音を消すように巡っていると突如役者に遭遇し、彼らは台詞なしに苦悩の表情を浮かべ身体表現で誰かと争ったり踊ったり、観客をどこかの部屋へ引きずり込んだりと、マクベスを彷彿とさせる血生臭いシーンが繰り広げられる。それらすべては役者に触れることのできる距離感で行われるのだ。 そうして役者を追いかけていくと、シーンのパズルのピースが少しずつ貯蓄され自分の中でストーリーが構築されていく。現れた役者が三人であれば、その後誰を追いかけるかで次に見るシーンが違うという、人によって異なる、幾通りの組み合わせがあるショーなのである。 館内をアップダウンしながら夢中になって役者を追いかけていると、誰を追いかけていてもそこに辿り着く壮大な晩餐会に導かれる。役者がそこではじめて揃い、おわりらしきシーンを目の当たりにする、のだが、そこからまた役者たちが散らばって演じはじめる、というエンドレスストーリー。 それが一体おわりかはじまりなのかが分からない、このショーの仕組みそれこそが、同ショーがテーマとしている「死と生」のおわりなきループを暗示しているようで、とことん不気味。 はじめのバーに戻って、勧められたアブシンスを飲む。 アブシンスは幻覚作用があるとして1915年から90年代まで違法とされていたお酒。 夜の11時半からはじまり、外に出たころには真夜中の3時。 文字通り「Sleep No More」、はじめ聴いた時に違和感であったシャンソンが耳の中で心地よく響き、 数々のシーンが頭の中で印象的に、絵画のように飾られてゆく。 出口扉を開けて目に入ったぽっかりと浮かんでいたまんまるい満月を 手に取って半分に割って食べられるような気がして、どこからが現*覚なのか、 剥いでもなお見えないマスクがうっすらと張り付いているようで、その境界が曖昧になっていた。 ちなみにわたしが友人にこの話をしていると、「マクベス!あー聞いちゃった!」と言わたのですが、 どうやら「マクベス」という言葉そのものが不吉という都市伝説があるようなのです。 世界中でこれを上演する度に、役者が事故にあったり舞台装置が壊れたり、というハプニングの頻度が多く、 マクベスの内容のスコットランド王が「とり憑かれる」事と掛けて それを「呪い」と言う人もいるとかいないとか。 もちろん大成功した舞台が大半ですからあくまで都市伝説ですが、 演目を「マクベス」と言わず「The Scottish Play」と呼んだり記すことも多いそう。 スコットランドのケルト文化に見られる魔女や妖精の言い伝えの多さを照らし合わせると、 寝ても覚めても不安定になる呪文にかけられたかのようなこの作品の観後感は思わず納得。 最近音楽を聴き比べていても思うのですが、芝居の「War Horse」も「Sleep No More」もイギリス発、 スケール感やパワー感はUSには敵いませんが、UKはじめヨーッロッパ発の作品の緻密さや深み、濃淡さに歴然とした違いを感じながら、知ってはいたけどやはりヨーロッパが好きだなぁ、ということを再確認するのです。 アメリカ人の友達がよく小洒落た場所を描写する時に「ヨーロピアンテイスト」と言うのですが、 それにはアメリカ人が思うヨーッロッパのインテリジェンスやスノッブさを鼻で笑う若干の皮肉と、 多少の劣等感を感じずにはいられない。 (そうは言っても、基本的にはなんでもナンバワン!と思っている節があるアメリカですが。) ひたすら愉快なアメリカもそれはそれで好きやけどね。 EUかぶれを再認識したわたしでありますが、だからといってヨーロッパに身を置いてそれを観るのではなく、 ヨーロッパのものをNYで観るという、「Englishman In New York」ならぬ、 さらに関係性を失った無所属の第三の視点、 「Japanesewoman In New York 」の立ち居ちで観察し味わうのが今とても面白い。
by akiha_10
| 2011-12-06 08:14
| NY Journal
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瓜生明希葉/INFORMATION
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