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ニューヨークジャーナル 86

風船100個に、ワインを3ダースも買い込み、でっかいラザニアを焼き準備、
一体何人来るのかとたずねると、親戚、友人含めて50人くらいは来るとのこと。

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バースデーボーイが到着するやいなや、映画でおなじみ「サプラーイズ!」を経験し、
ケーキにロウソクと思いきや、ほぼ花火がぶっささっておりまして(はげしい)、
アメリカのビッグファミリーのホームパーティーを体験しました。
友達のノラとアリソン。

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風船を浮かばせたリビングは終盤
ほぼダンスフロアと化していたのですが、
息子のダンスに負けじとばかりに
お父様もがんがんビートにのっていらっしゃる親子がいて、
踊ることの歴史が根付いているなぁ、
とあらためて思ったのでした。
ジャズコーラスの発表会で父が踊っていた
「スイング」らしきソーラン節とは、
やはり違うなと。





そういえば、たまたまテレビでやっていた映画「Back to the Future」を久しぶりに観たのですが
あれは1985年から1955年に戻るという設定だったんですね。
1955年って。
もちろんその通りではないだろうし、かなりの脚色があるにしても、
その1955年の描写があまりにもモダンで
(1985年との対比で、ふるーいださーい!を表現する狙いであるにも関わらずなお)、
男も女もお洒落をしてバーで踊って、あいつが好きとか嫌いとか、すでに現代に近いアメリカ。
「もはや戦後ではない」にしろ当時戦後10年の日本を想像してみては、この違いたるや、と愕然としました。
そして、この半世紀の追いつき方、そのスピード、欧米化というべきか、
日本だけでなく、全世界に拡散した各国の共通項の多さは凄まじくないでしょうか、と
再びしみじみと思ったのでした。

お父様といわず、おじい様の世代からノリノリで踊っていたからね、
身体にビートがはいってるもの、環境と歴史が違うもの、そりゃソーラン節とは違うわよ。




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翌朝みんなで食べに行った、
地元の、友達の言葉のニュアンスを訳すならば
「残念な」「リアルな」アメリカンダイナー。



量だけは自信あるから、とその通り
フレンチトーストをたのんだら
三枚の厚切り食パンででてきて(しかも謎の一枚ずつ別皿)
メニューに載っていたカプチーノをオーダーしたら
メニューには書いてあるけど、ない、と言われ(じゃあ書くなよ)
そんなスカした飲物はありませんで、と暗に言われているような気さえし、
もはや他のカフェイン摂取の選択肢なし、
お馴染みの、でっかいマグに薄ーいアメリカンコーヒーをば。
そしておばちゃんはぶっきらぼうに「モア コーヒー?」とやや機械的におかわりコーヒーをたずねに巡回。
嫌いじゃないなぁ、この日々の変哲のないルーティンと、ちょっとした倦怠と安堵。
今のわたし向きではないけれど、良さの片鱗はよくわかる。
よく映画で見るよ、こういうアメリカンダイナー。「パルプ・フィクション」思い出します。

NYCがいかに洗練されているか、そして、いかにNYCがアメリカではないかがよくよく分かる。
by akiha_10 | 2011-11-28 16:04 | NY Journal
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