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ニューヨークジャーナル  36

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より遠くから客観的に自分や、当然となってしまっている事について新鮮な視点を持てる事、
まっさらにして眺める事が出来るのは旅の醍醐味だと思う。


今回とても実感しているのは、言葉ってやっぱりすごくおもしろい!
「アキハは日本人のイメージを覆すほどはっきりとした物言いだよね」
と言われるけども、好き嫌いがわりとはっきりしている事は認めざるを得ないとしても
これは単純に語彙や言い回しの選択肢不足だと思う。
同じ「嫌い」を表現するにしたって、
嫌い、好きではない、好ましくない、タイプではない、気分ではない、と
様々あるのであって、それをいつもdont likeやdislikeで表現する自分の拙さが
歯痒くなって、言葉を貪欲に知りたくなる。
自分が思っている以上に、わたしは言葉に興味を持っていて、
忠実で時に感覚的で、できることなら鮮やかな描写を探すのが
好きなんだということを本当によく再認識した。
できるだけ、ぴったりさせたい。
言葉を記号のように羅列するのではなく、言葉に躍動感がほしい。リアルなビジュアルがほしい。
その出来不出来は置いておいて、単純に探すのが好きなんだなぁと。
言葉を拾い集めてひとつの文にするのは料理と似ていると思った。
強い言葉には語尾にベリーソースを加えて明るく、
素材は婉曲なのに最後に一さじ断定的なスパイスを加えたり、
知らず知らず、人々は文や会話を料理している。ニュアンスはそこから生まれる。
メールの絵文字なども料理のサシスセソの役割といえよう。
歌詞など書くときの組み合わせ方や作業工程は、
やはり詩を編む、とか紡ぐといった表現がぴったりだと思う。
最近は緻密な構築でない、
頭を経由しない心の直接的な言葉や衝動的なセンテンスも好きだけど。

この感情は、もっともっと当てはまる言葉や表現があるのになぁ、もっと相手と合点を共有したい!と
痒い所に手が届かない感じ、日本語でさえ言葉のカードの吟味に手こずると歯がゆくなるのに、
英語となるとこれまた全く新たなフィールドで、
言葉を巡る大航海に放り投げ出された気分である。


それにしても、少し日本語を勉強しているこちらの友人がたずねる
気分屋やうぬぼれ屋の「屋」とはなんだ、という説明にもなかなか骨が折れ、
しかしそれを引き金に、ルーツはなんだろうと疑問の連鎖の扉が次々と開き、
終りなき探検によってあふれんばかりのアドレナリンに脳が浸って行く。
そこから抜け出す出口の扉が完全に霧に覆われた時、わたしだけの純度の高い楽園を感じる瞬間がある。


また、よく使う「そういう訳ではなくて」の「訳」についての質問も
わたしたちは「理由」や「意味」や「いきさつ」などシチュエーション別に
微妙にニュアンスを変えて使っていて、
じゃあ「そういう事ではなくて」と「そういう訳ではなくて」の違いはなんだと聞かれると
通常、140億個の細胞のうち約一割しか稼働させていなかった大脳が、
ミリオネアで慌ててテレフォン使うかのように
「お、おれたち出動しないとっ」と今までぼんやりとテレビを見ながら煎餅をかじっていた
細胞君たちが慌てて飛び起きて総動員で考えるきっかけになる。


ちなみに件の歯に衣着せぬ発言に「オブラートは日本に置いてきてね」と
返しながらもハタと気付いた
「オブラート」って英語?と調べるとオランダ語らしく、そういった疑問も新鮮。
このような感覚で何気なく使っている言葉や表現をなめるように凝視していると
早速、ハタと気付く「ハタ」ってなんじゃーい??ってなるんよ。おもしろいね。
(勢いよく打ったり蹴ったりする事を言う「はった」という意味の促音化らしい)
そして概念なしに言葉なし、言葉なしに概念なし(たまごにわとり問題)ということを感じることも多く
(たとえば恩とか義理とか)概念の話になると少々哲学の領域になっていって、
もちろんそんな事が頭でまとまっているほど勉強好きでもなく、もとより英語のスキルもないのだけど、
知りたい意欲がむくむくと湧いてくるのです。

そういうわけ(←デタ!)で頭フル回転のち甘いのがほしくなって
Kyotofuへ。
NYに来てまで和カフェ…好きなんよ、まっちゃ、とーふ、なまふ、おまめ。
どこの和カフェもとってもとっても人気で大混雑。
豆腐のケーキや抹茶ブリュレなど、好きなものばっかり!わーいわーい。
ドリンクメニューにあるharajuku martinやshibuya martiniなど、
リキュールが日本のsakeベースという点以外なんの土地の関連性もないのに
とりあえず知っているし、とフィーリングで付けたとしか思えない
ざっくりとしたネーミングがつっこみどころ満載でスキです。
nigori coladaもごきげんでイイ!
むしょうに言いたくなるね、ニゴリコラーダ!(ピニャコラーダのにごり酒ベースバージョンらしい)


味、色、形、手触り、音、モノコト、人について
感じたり知ったり、「知覚する」ことは歓びです。
そういうことができることに、得も知れぬグレイトフルな気持を感じる。
Gratefulも、日本語のぴったり訳はないような気がする。
感謝に、愉快さや歓び、心地よさを添えて、まさにゴスペル的な気分やね。
ちょっと知っただけで中途半端に英語まじりに文を書くのは努めて控えたいと思っていたけれど、
書いてしまっておるねぇ…ははは、もはやルーあきはだよ…。
サウンド的におもしろくて歌詞に多用しているから今更だけども。

言葉に内包されている、ひとつの言葉では表現し足りない様々な意味や背景を探ると、すごく興味深い。
その言葉がどのあたりに分布しているのか、立方体グラフに、ピンで貼って行くとおもしろそう。
縦にネガティブポジティブ、横に明るい暗い、奥行きに口語的文語的、といった具合に。
これってすごくいいアイディアな気がする(立体辞典!)!
by akiha_10 | 2011-04-15 07:57 | NY Journal
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