5月12日リリース 5th Full Album「In the souk」ライナーノーツ
3「フレグランス」 作詞&作曲:瓜生明希葉 編曲:中西俊博 「いつもあなたは窓の外を眺めて遠くの世界に行っているわ」と 常に腕を組んで話す担任教師から言われていた。 今考えると、よりつまらない授業の時こそ、より集中して違う世界に行けた。 逃避が創作の原動力のひとつだったのだと思う。 未踏の地ゆえ、いわゆるイメージとしての「パリ」に憧れていた時。 背伸びしてヌーヴェルヴァーグ映画をあさってみたりして、 しかしながら、なんかすっごいお洒落やけど真髄わからぬ平凡な感性に絶望して、 これは小学校の時「星の王子さま」がちっとも解らなかった絶望よ、再びこんにちわ。だと思った。 そう、わたしは古典の時間に、解らないなりにも、ゴダールから採取したフランス的要素を集めて、 首にドットのスカーフを巻いて脳内フランスをオープンカーで間違いなく走っていた。 (当時実際にスカーフをコーディネイトに取り入れている、ギリギリな写真あり。) 10代につくった曲には、パリ風なフレーズが多い。 なにを聴いてそれをつくったというわけでもないが(わたしは積極的には音楽を聴かないので) そんな雰囲気なのだ。 しかし、小学3年生のころヤマハ作曲コンクールに参加したときの「おさんぽ」という曲も、 中学3年生でオーディション参加した「失恋はこんなもの」という曲も、 テンションコード(というのは最近になって知る)ばかり使っていて、 田舎娘にしては、一筋縄ではいかない欧風の兆しがあって、どこで覚えたのか、 こういうのが好きだったんだなあと思う。 中西さんが「瓜生ちゃんのフレーズのセンス、すっごい僕に似てるよー!」 とレコーディング中に、光栄な事を何度もおっしゃてくださっていたのですが、 実はわたしも昔、中西さんを紹介していただく時に 「瓜生ちゃんがきっと好きだろう世界観をつくる巨匠」と紹介されたのでした。 そしてその通り、青山円形劇場で観た「ア・ラ・カルト」の後味が わたしが創りたかった世界にとても近く、 感激で涙が止まらなかったことを思い出します。 「イメージとしてのフランス」かぶれのわたしが、 きっと授業中につくっただろう「フレグランス」。 中西さんのエスプリによって、さらに素敵に仕上がっています。 少し前だったら、そのデォルメされすぎたお洒落感がちょっぴり恥ずかしかったのが、 今ではすっかり陶酔上手。 そうなったのは、なにを上級者ぶっているのか(ぶりたいのか)、 現実のパリとイメージを比較しては、懐疑的になって、 よりその真髄を捉えようとしていた自分を、一歩退いて観察できるようになったからでもある。 近頃は、物事はニュアンスで捉えて、それにどっぷり浸かるのも愉快だと思うようになってきた。 (わたしにとって、愉しさが真実に優先する場合は。) パリの本性を知って、彼の本性を知って、人生の本性を知って、はたして幸せだろうか。 (プチ哲学タイムは甘美ですが、答えを模索して、モヤっとするくらいならDont think,feelであります) 雑誌で特集されるような、カフェオレとクロワッサンの世界観のパリを、 その上澄みを、(解ってながらでも)存分に愉しむのも、 「今」という研ぎ澄まされた時間を生かすには、 それも一つの味わい、だと思うのは楽観的すぎるでしょうか。 結局またムード論へと回帰するのです。
by akiha_10
| 2010-04-26 21:12
| Daily thinking
|
瓜生明希葉/INFORMATION
以前の記事
カテゴリ
その他のジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||