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page d-173         In the souk

つくって、うたって、録って、撮って、すこぶる好調。
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3rdフルアルバムタイトルは「In the souk」。
souk(スーク)とは、アラブ世界で「市場」という意味。
『その語源には、「手渡し」という意味があるんだ』と、マラケシュの商人が言った。
マラケシュのスーク(市場)では、ほとんどのモノに値札がついていないので、
何を買うにも値段を交渉しなくてはならない。
ネゴシエイト&コミュニケイト、
略してN&C、わたしは心でクスッと呟いていたのだが、
このN&C、結構な体力と気力がいるのだ。

だがしかし、
Nしている間に自然と、否応無しにCがはじまっている。
商人たちと、心の機微を読み合って、迷路のような会話の駒をすすめる。
言葉がわからなければ、数字を書く、電卓をたたく、ジェスチャーをする。
こころ弾めばまけてくれるし、両者一点張りの平行線でおわることもある。
なにはともあれ、Nからはじまるコミュニケート。
会話、温度、笑顔、感情の「手渡し」がここにある。
身振りと道具、言葉という
原始的伝達手段を介して、真っ正面から。

いかんっ!、と思いながらも
一言も発さずして書籍やdvdを届けてもらったり、
ついにはネットスーパーまで利用しはじめるという
過剰文明を存分に享受しているわたしにとって、
スークでのN&Cはなんとも「人らしい」と感じさせ、
身のまわりの過保護体制を再認識させるものであった。






でもこれって、
とても、音楽的ではないか。
特にライヴなんて、複製と保存と効率のこの時代において、
あまりにも稀すぎる刹那さ、アナログさ、生々しさ。
ここにいるわたしから(あなたから)、
あなたに(わたしに)気持の「手渡し」ができるのだ。
だからこそ、とっても貴重で、
なんとも「人らしい」。
音楽を通してコミュニケイト。
これをわたしはミュージック&コミュニケイト、
略してM&C、とたった今つけた。
温度感のある言葉。
血が通った伝達。
手渡しの音楽。
ものすごく熱かったり冷たかったり、という
刺激的なものではないのかもしれないが、
じわっと寄り添う、低反発系音楽として、
体液に近いPH(ペーハー)で、
心をこめてつくっています。







In the souk。
タイトルに込めたもう1つの意味。
スークのがもつ特質、迷路感である。
狭い路地が入り組んだスークにおいて、
土地勘をつかむのは至難の業であり(地図もあってないようなもの)
一度はいってしまえば、おおいにラビリンスを楽しむほかない。
殊に日暮れから夜にかけての、その妖しさとエキゾチックさといったら!
好奇心と興奮、少しばかりの恐怖で震えるほどである。

スークに惑わされながら、わたしは人間についての
裏と表、善と悪、陰と陽について、さんざん思考した。
わたしの好きなプチ哲学タイムである。
(プチ哲学タイムはリズムよい歩行と相性がよい)
もう誰を信じていいのかわからない。
この笑顔は信用していいのであろうか。
どうしてこうも簡単に、ぽやーんとしたわたしを!欺けるのだろうか。

そうして出口を探そうとすればするほど
スポットライトが自分にむけられていくことに気付く。
人ごとで俯瞰するでない、
むしろ己自身がおおいに対象者である。
さっきまで清廉潔白で道徳的に機能していた脳が、
なにかのタイミングで
ふいに、思考にえぐみが増してきて、
ものすごい嫌な人間になっていく。
きたなくなっていく。
そして「ああ、嫌な人間だな」
と審判しているわたしは、
これまた一体誰でしょうか。
プチ哲学は常にシーソーゲームで、
おわりなき迷路なのである。






そのうち、わたしは意思を持って実際に二足を地につけて歩いているのか、
もしくは、自動歩行モードの二足に引きずられ、
乖離した思考のみが浮遊して歩いているのか、わからなくなってしまう。
そこで大変なことに気付いてしまった。
われわれは
自分の頭の中にこそ
大きなスークを抱えていたのだ!!!
脳こそが、スークそのものではないか!!!
なにかによって迷わされているのではなく、自ら迷っているのだと。
受動態でなく、能動態なのだと。
大いなる誤算と、混乱が招いた発見に震撼した。


マラケシュのスークが、
とても「人らしい」と思った所以は、おそらくここにあった。
懐かしい。知っている。産まれる前から知っている。
ああ、もともと内蔵されいた脳の、
具現化がこのスークなんだ。

つまり、わたしはスーク改め、脳内を自ら彷徨っていたわけである。


そして、その脳(スーク)なしにわたしは存在しない。
純度の高い「わたし」は
巨大ロポットの目のところの操縦室より小さい小さいところで、
全体をつかさどりながら、
どこか借り物感のある、身体とよばる容れ物と日々を共にしている。
つまり、全てをはしょってしまえば、わたし=スークという結論に辿り着いてしまう!
なんてこった!!



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Out the souk。
試行錯誤、
思考錯誤、
やっとの思いで
スークを抜け出して
広がる光景。


スークの入口とも出口ともいえる迷路の起点である、ジャマ・エル・フナ広場。
かつては公開処刑場であったこの地で、
大道芸人やミュージシャンがお祭り騒ぎを繰り広げ、
ところ狭しと並んだ屋台と商店が、
大勢の人間と混然となって賑わいをみせていた。
このうえなく「人らしい」ではないか。


心が翻るさまや不審感、気だるさ、妖しさ、
でも愉しいことや愛に溢れたことが、やっぱりやっぱりすっごく大好きで、
生まれて死ぬまで迷い続ける人、人、人。

今「なんのために生きているのか」と聞かれたら
迷わず「迷いにきたのだ」と答えよう。







「In the souk」は2010年5月12日リリース。
スーク=脳内の想像と創造の世界へおつれします!
迷っている自分に迷いがない、より逃避的で、楽観的で、ごきげんな自信作。

そして、7thワンマンライヴ「No.SOUK」も決まりました!
5月28日。渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて!
M&Cしようね。詳細は後日!
by akiha_10 | 2010-03-05 19:58 | Daily thinking
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