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ニューヨークジャーナル 163

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サンクスギヴィングからニューイヤーまでのホリデイシーズンは、パーティーやお呼ばれが多くなる。今年も大好きな友人のお宅にお招きいただいた。なんといっても彼女のインテリアのセンスのよさは抜群!!わたしはこの空間が好きでたまらない。友人といっても、自分の母親世代という年の離れた友人だが、元旦那様が外交官時代に、共に世界中を旅して多くの美しいものを見て吸収したという、洗練されたセンスがこの空間につまっている。エスニックなものとヨーロッパなもの、アンティーク調度品、思い入れのあるアート、ひとつひとつを取ってみると異質なものが、おそろしく美しく調和して、行儀よく配置されている。そのどれを取ってみても美しいという審美眼、全体としてそれらをコーディネートするバランス感覚にわたしは「ハァァ」とうっとりと、ため息をつきっぱなしであった。この空間に居るだけで素敵な人になれそう。いつかわたしもそういう空間づくりをしたい。





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お花の色選びから生け方まで、ディティールがわたしの目をとらえる。「家にお客様を招く機会が頻繁にあって、やらなくてはならなかったからよ」と彼女はなんでもないことのように言った。彼女はアメリカ育ちアメリカ人であるが、お母様がフランス人で、刻まれたDNAなのか、育ちの中で継承したフランス的感性なのか、その空間的センスのみならず、エレガンスとはなにか、豊かさとはなにか、人生の楽しみ方を語らずとも醸し出してくれる、「女」の先輩である。








人生におけるわたしの最大の執着は、この世に生きている間にどれだけ美しいモノ、コトに触れる事ができるかである。おもしろい、かわいい、おいしい、素敵、琴線に触れるものはすべて「美しい」と讃えられる。英語の「Beautiful」が、味や面白み、心情、状況、その振る舞いなど、広範囲の形容に使われているように。それら美しさに触れて、感動の「わお!」と満悦の「うふふ。」をどれだけ収穫できるか。そして、どれだけ人に与えることができるか。理屈抜きに心が震える「わお!」と、自分の心の中で悦に浸る「うふふ。」。「わお!」も「うふふ。」も日常的に探し求め、気付くことによって自分でも創れる。特に「うふふ。」メーカーは、一度スイッチをいれるとぽこぽこと量産してくれる。甘いの食べてうふふ、好きな色のセーターを着てうふふ、おいしく米が炊けてうふふ、スチームアイマスクでうふふ。思うに、女の楽しみのほとんどはこの「うふふ。」関連だ。



わたしは好きなものとそうでないものがはっきりしている。客観的、絶対的な美しさがどうであっても、わたしの心が躍るのであれば、それがわたしにとって「美」である。美しいものとは、つまりは大好きなもの、と置き換えることもできる。小林秀雄のいうところの、「美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない」というのはこういうことであろうか。



ところで、このお宅で久しぶりに会った友達がヒゲを生やしていた。「あれ、ヒゲを伸ばしはじめたんだね」と言うと「そう聞かれるが目的なんだよ」と”Movember”について話してくれた。Movemberとは口ヒゲの”Moustache”と11月の”November”をかけた言葉。11月の一ヶ月間、口ヒゲを伸ばしてそれに気付いて指摘されたら、前立腺がんなど男性特有の病気について語り、皆で理解を深め、チャリティー活動への喚起、早期発見を促す啓発運動なのだそう。ヒゲを話題の切り口にするなんて、多少無理矢理だけど、なんてユニークなアイデア!と目からウロコ。実はオーストラリアからはじまったという運動だそう。今年はNYでも妙に口ひげ男子が急増していたような。









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a0028990_7482323.jpg大好きなものに戻ろう。わたしはヴィンテージジュエリー、アクセサリーを集めているのだが、先日ペンシルベニアにあるアダムスタウンというアメリカ最大級のアンティークタウンに行って来た。NYから車で3時間ほど。パリのクリニャンクールを広大なアメリカの地に持って来たようで、楽しすぎて大興奮。ジュエリーや小物、大物家具まで、そのエリア一帯にたくさんのアンティークショップが建ち並んでいる。荷物と予算のことを考えなければ買いたいものはたくさんあったが、現実的になるように自分を抑えた。冬らしいブローチとクリスタルのブローチ。雪の結晶のようなブローチはモロッコの空港、またはアルハンブラ宮殿の二姉妹の間(写真)を思い出させた。ずっと欲しかった50年代のプラスティックバッグもついに入手した。50年代当時、プラスティックという新材料が斬新で爆発的に人気となり、NYをはじめとする上流婦人を魅了したバッグ。はじめは手作りだったものも、その後型抜きで大量に安物が出回るようになり、10年も満たないうちに衰退したいう、50年代を代表するアイコニックなバッグである。実はふたつ買ってしまったのだけど(小声)少しずつ集めていきたい(一体どこに置くんだー!)。その他にも大好きな20年代のレースのヘッドアクセサリー、上品なパナマ帽子、ファーのついたレザーコートを買った。そのどれもが、NYのヴィンテージショップで買うより大幅にお得!!NYに来る度に”買い出し”に足をのばそうと心に決めた。








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こちらは少しモードめ。最近バッグで注目しているのはMANSUR GAVRIEL。初秋のNY、ダウンタウンのSteven Alanで見たBucket Bagのそのシンプルさ、クリーンさ、実用性に、こういうのが欲しかった!ステキッ!とウィッシュリストの中でほくほくと温めていたところ、もたもたしているうちにどうやら、今「かなり」人気になっているようで現在プレオーダー待ち。

数年前にデザイナーがフィービーになってからのCelineのデザインの美しさ、配色、ミニマルさはわたしの心をわし掴みにしたが、デザインはCelineに通ずるものがある(特にトートはかなりCabasインスパイア)。クオリティも高く、値段は安くはないがハイブランドほどではない。



チラリと見える裏地の色が可愛いのだが、わたしが見ていたBucketタイプの黒/レッド、その色の質感は、女が無条件反射で反応するエクスタシー色、なんだかルブタンソールを彷彿させる赤である。カジュアルにも持てるし、きちんとした席でもおさまりそうな、万能使いできそうな賢いバッグ。うーん、よく計算されている。にくい。

ふたりの若いアメリカ人女性がたちあげたブランドMANSUR GAVRIEL。来期からは外の革の色、中の裏地のカラー組合せの選択肢を大幅に増やすようで、これはますます世界中で人気になりそう!うーん、色違いも欲しくなるねぇ。










物欲ほとばしる形で締めとなりましたが^^:。

来月は日本です!2014年1月15日(水)に開催される、舞台『Paco~パコと魔法の絵本~ from「ガマ王子vsザリガニ魔人」』製作発表イベントで唄います!ただ今200名様の観覧者を募集中です。ぜひご応募くださいね!詳細


今年もたくさんの方々、こと、に支えられて、健やかで充実した一年を過ごさせて頂きました。来年も、自分の「好き」を粘り強く探求しながら、美しいものをたくさん見て吸収して、おおいに笑って、表現、創作共に、楽しく真摯に続けていこうと思います。お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!

皆様の来年が「わお!」と「うふふ。」に溢れた笑い多き一年になりますように!
素敵な年末年始をお過ごし下さいね!

瓜生明希葉
by akiha_10 | 2013-12-30 06:31 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 162

その日、映像の最終打ち合わせでWest Villageのカフェに行った。
数年前から「街+フード+音楽」をコラージュさせた創作や活動ができないかと考えていた。具体的にHungry Kittyの構想がかたまってきた今年の春、「誰かキャラクターを動かせる人いないかなぁ」と探していたところ、いけちゃんを紹介してもらった。会うとすぐに意気投合した。好きな監督や映像の話でいつも打ち合わせが長引いた。いけちゃんもアニメーションや映像をちょうど勉強しているところで、創作意欲に溢れていて、それはわたしにとっても理想的だった。まずはモチベーションを共有する事が最優先だったからだ。テクニックや知識はとても重要だが、よい創作とは、創作への欲望とそれに向かう情熱、楽しさが先立つものだと信じているからだ。




「こういうシーンを創りたい」という浮かぶヴィジョンとアイデアを追いかけるように、具現化する方法を共に研究した。ただ「映像編集ソフトを上手に使いたい」という目的では学習速度は何倍も遅かっただろう。それは「英語をただ喋りたい」という目的で学習するよりも、「あのレストランでメニューを頼めるようになる」だとか「あの蚤の市でうまく買物ができるようになる」という自分の真なる欲望に突き動かされ、必要に迫らせた方が格段に上達が早いのと同じだ。うまくいかずに何十回も書き出したり、データのやりとりがスムースではなく行ったり来たりを繰り返し、いちいち細かくつまずいたが、少しずつ学んだ。不器用な箇所もたくさんあるが、今年の夏お芝居に書いた「40Carats」という曲の映像が出来上がった。アニメーションだけでなく、いけちゃんが「最近いいカメラ買ったけど撮ろうか?」と提案してくれたことで映像部分もぐっとクオリティが上がった。タイムズスクエアや5番街のティファニーの前で、極寒の早朝5時からノースリーヴを着て撮影した、冗談みたいな本気の遊びはエキサイティングだった。素人ながらに、欲しい絵、アングルを考えるようになって、不思議と映画を観ていて着目することが増えた。すべてのアングルに意図があり、それをどう描写したいのか、と映像が一枚一枚の絵の連続のように見えるようになった。
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https://vimeo.com/82052806






そうして頭が映像モードになっていたところ、面白い出来事があった。ちょうどその打ち合わせの帰りに大規模なロケをしている現場に遭遇した。NYではよく映画やテレビドラマの撮影をしているので、そんなに珍しいことでもないが、ちょうど自分の意識が映像に向かっていたものだから、どのように撮影されていて、それがどう映っているかなど、いつもとは違った視点で気になった。数分観察していると、そこで演じているのはキャメロン・ディアスやジェイミー・フォックスだということがわかった。数年前にもこのブログで書いたが、以前「The Holiday」のプロモーションで来日していたキャメロン・ディアスとジュード・ロウとパークハイアットのエレベーター内でたまたま一緒になったことがある。満員電車のような距離感でおふたりが前にいた。スターふたりと、わたしと友人以外はボディガードというシチュエーション、50階から地上へ上品に下降していく密室で少しだけお話もできた。たったそれだけのことだが、そのロケ現場でキャメロンを再び観た時、妙に親近感と縁を感じたという自分のどうしようもない図々しさは申し分なくNYに適合していると思う。




NYでは地下鉄でもカフェでも道端でも、誰それ構わず話しかける人が多いのだが(それは福岡で起こるシチュエーションに似ており、祖母がまさにその道のエキスパートである。)わたしもそれにならって「これ何の映画か知ってる?」とちょうど隣に居た人にたずねた。来年クリスマスに公開予定のミュージカル「Annie」のハリウッド映画版だった。主人公は黒人の女の子、音楽はJay Zと、現代版Annieだそうだ。NY的な定型文通り、会話の途中で急に思い出したかのように自己紹介をして、ジョーという名の白髪まじりの男性とその場でしばらく雑談をしていた。わたしの背後にあったテントにはモニターがあって、撮影している目の前の現場と、実際にカメラに映った映像を逐一観察することができた。「今、わたしもアマチュアながら映像をつくっているんだけど…」と編集ソフトについて話をしていると、ジョーはその手の話題に妙に詳しかった。すると「こっちに来たら面白いよ」と導いてくれ、ジョーはクルーのエリアに連れて行ってくれた。ジョーはAnnieクルーの一員だったのだ。



そこからは夢のような体験だった。ジョーはすべての映像を管理しているエンジニアで、いつどこで撮った、というものを全て記録して管理している。度々衣装さんや小道具さんが、時間軸に沿って装いに矛盾がないか、過去に撮影した映像を確認しにジョーのもとへやってきた。ジョーはクルーデスクで今撮っている何カメがどの映像で、何カメがどの映像で、という説明や、今まで撮った中で面白い映像などを観せてくれレクチャーをしてくれた。役者たちのリハ風景や、NG場面、「これ見ていいのかなぁ…」と思うところまでオープンに見せてくれたのだった。映画の現場は半分以上が待ち仕事、と聞くがやはりそのようだった。次の撮影のための日没待ち、役者待ち、照明待ちなどと、たった何秒の撮影に至るまでに膨大な作業と準備を要するようだった。その待ち時間でジョーはハリウッド映画事情や様々なことを教えてくれ、歩き回ってクルーツアーもしてくれた。たった数分前に出会ったわたしを、衣装さんや、照明、宣材カメラマンなどに紹介してくれて、その夜中クルーの中でハングアウトさせてくれたのだった。皆「明日もきっついな〜」と肉体的にハードなスケジュールに嘆きながらも、一人残らず、とてもいい顔をしていた。その日は寒く、身体を暖めたくなって「ちょっとコーヒー買ってきますね」と言うと「あまりおいしくないけど”ムービーコーヒー”あるよ」とジョーは言って、クルー用ケータリングテントにまで通してくれた。その薄味の”ムービーコーヒー”は格別においしく感じ、気付けば待ち時間にやってきたフードトラックからクルーに支給される、ワカモレチップスを勧められるがままに一緒に食べていた。
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有り得ないような出会いが日常にあり、求めれば、開かれ、与えられる。NYの醍醐味、アメリカの懐の深さに再び感激した。真摯に興味を持って進めば、手を差し伸べてくれる人がいる、しかもそのスピード感は他の場所で早々ない。これはわたしだけでなく、NYで意識を持って過ごしている人なら多かれ少なかれ誰でも体験していることだと思う。



クルーの人々の、"Stranger"であるわたしに対するフレンドリーさ、親切さにも驚いた。NYにおける「人との距離感」はパーティー文化、土足文化、さらには多民族との共生で鍛えられた「家の開放感」がその距離を縮めていると推測する。それが時折、文字通り「土足で踏み込む」デリカシーの欠如にもなるが、そのオープンさに着目するならば、日常的に自分の家に気軽に、土足で、他人をあげることは、家ならぬ心の扉の開放の表れともいえる。たとえ表面的であったとしても、常に受け入れ態勢がととのっている。家を開放しているから心が開くのかその逆か、どちらが先かは分からないが。NYに来てサブレットやシェアで学んだ彼らの「家」というものへの概念の違いはわたしにとって新鮮だった。NYにおける個人の境界線や、喜んでシェアするものの多さは、この家の境界線に由来するものではないかと思う。ニューヨーカーは一所に留まらず、物理的にも精神的にも柔軟で臨機応変だ。当然、別のところではとても頑固だが。



その夜、わたしはまるで社会見学に来た小学生のようになっていた。ジョーは「今からまだ数日ロケがあるから」と、マンハッタン内で何日にどこで撮影があるかという”コールシート”というロケ予定表をメールしてくれたのだった。もちろん、行った。いい大人が今更、”映画少年”のように夢中で通った。中でもミュージカルならではの大掛かりなシーン、メインキャスト、ブラスバンドやダンサー、エキストラなど100名以上が道で踊り唄うシーンは圧巻だった。監督のいる中枢のテントに招いてくださり、一番前に腰をかけるよう勧めてくださった。”ムービーコーヒー”を片手にキャメロン・ディアスの芝居を観た。数年前に間近で拝見した時も、実物のキャメロンの気取らぬ普通っぽさは好印象でありながら「スクリーンで観るとさらに綺麗よね」と友人と話した印象は今回も変わらなかったが、再び確信した。目の前で踊っているキャメロンと同時にモニターを見比べていたが、モニター画面にキャメロンの顔が映っただけで、鳥肌が立つくらい、その画面全体に魔法がかかったようにパアっと華やかになるのだ。既に世界中が知っていることではあるが、それはもう美しく映える。カットがかかった後も、自分がモニターに映ってスタッフが観ているのを承知でふざけて演技を続け楽しませる彼女に、周りが口々に笑いながら「Such a star!」とこぼしていた。なるほど、これが「ハリウッドスター」なんだな、と妙に納得した。




テント内には、ビルの上につり上げられた風船を操るエフェクトスタッフ、何台もの巨大なカメラを操作するスタッフが集まっていた。オートクレーンカメラというのはラジコンのように遠隔操作ができるようで、それを見事な手さばきで操作する職人スティーヴが隣にいた。衣装や大道具、小道具さんも熱気のこもったそのテント内でモニターをチェックしながら現場を見守る。監督の「アクション!」の合図と共に、それぞれがインカムで「もっと右右!」などと熱く指示をしながら、撮影が進む。2−3分に渡る大掛かりなシーン、それぞれのエキスパートの集中力が結集しているのを感じた。わたしは長いこと唇をかたく結んで、それをしないようにしていた。今までにあった葛藤や、執着、悔しさ、喜び、それら感情の鋭く尖った部分を、日常というヴェールの下層から呼び起こして、身体の隅々を一巡して摘んでまわって、一点一点を線で繋ぎ、すべてが繋がっているかのように信じはじめること、偶然を奇跡と取り扱ってひとり勝手に感傷的になることーはどうしたって起動してしまったのだ。曲の最後のサビまわしで、ラストシーンにむけて気持をひとつにするかのように、スタッフが一緒に「Tomorrow」を大合唱しているのを観て、感動を受けとめるバケツがいっぱいになってしまって、全身の細胞がパチンと弾けてしまって、大量の風船がビルから落ちてくるタイミングで、ついには液体となって目からぶわっと温かいものが溢れ出てしまった。その席に招いてもらった者として、それはあまりにも素人じみていて、田舎くさくって、すぐに涙を拭ったが感動が止まらなかった。それは1mにも満たない距離で、キャメロンやジェイミーがこちらを向いて踊っているからではなく、このシーンは、わたしが毎晩ずっと夢見ていたものだったからだ。「Tomorrow」というあまりにも疑いのない希望に溢れた音楽に、降参した。



わたしはNYに来た時にから「一流の映画の撮影現場を観たい」とずっと周りに言っていた。それは、自分が映画が好きだからでもあり、音楽でも舞台でもCMでもプロフェッショナルが集まった制作現場が好きだからであり、NYに来る当初から心がけていたことが「一流に触れること」であったからだ。アメリカの一流といえば「映画」は間違いなくその一つだ。その他にも、音楽、舞台、アート、レストラン、バー、洋服、そして人。自分のできる範囲で、それらの良いものに触れることを心がけていた。分不相応なことがほとんどだったが「明日は生きていないかもしれない」をエクスキューズに随分背伸びもした。もちろん、なにが良いものかを知るために、結果的にはそうではなかった事もたくさん試した。NYのすばらしいところは、一流に触れるチャンスが気軽に多くあり、また開かれていることだ。20-30ドルで一流のライヴを楽しむことができ、朝から並べばオペラだって20ドルで観られることもある、多くの美術館が無料開放日を設けているし、気合いひとつ、興味を持ってあたってみればかなりのことができる。ノリだけで飲むBud Light(若者に人気な、味も風味も値段もライトなビール)三本の代わりに、一杯の希少なグラスワインを飲み、なんとなく行く飲み会の代わりに一流フレンチレストランのランチにひとりでも行った。同じ100ドルの予算であれば、大量生産された服を買う代わりに、ヴィンテージショップで仕立てのよいクリスチャンディオールのブラウスを買ってみた。日常的なことを批判しているわけでは全くなく、一流を一度でも「知ること」がわたしにとって重要なのだ。そうして、ご活躍されているビジネス界の方やアスリートの方、クリエーターの方々となぜか直接お話できる機会も巡って来た。今回のプロフェッショナルなクルー、キャストによる映画製作現場の風景は、わたしがさんざん脳内に焼き付けていた映像のデジャヴュであった。




ジョーは薬剤師になるための大学をドロップアウトし、かねてからの夢であった映画関係の仕事を目指し、思いつく術をすべて試してこの業界に辿り着いたと言った。West Villageで彼のキャリアを一通り聞き終わるころには”ムービーコーヒー”はすっかり冷めきっていた。次の撮影準備が整いはじめ、監督が腰をあげるのを見計らって、根を生やしていたジョーもおもむろに立った。去り際に白い息と共に"Anything can happen."とそう残して。わたしはかたまった。それは、わたしが敬愛しているMary Poppins(ミュージカル版)に出てくる、もう何百回も聴いているだろう楽曲、どうしても心がうまく起動しない時に聴く、おまじないの曲のタイトルであった。


"Anything can happen if you let it" -自分次第でなんでも叶う。
監督の「アクション!」という声とともに、胸のあたりでまたなにかがじゅわっと弾けた。





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Tomorrow! Tomorrow! I love ya Tomorrow! 
Merry Christmas!
by akiha_10 | 2013-12-25 15:17 | NY Journal