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ニューヨークジャーナル 161

先週はよく唄った。

NYにはオープンマイクというものあがり、小さなライヴハウスなどで毎週決まった曜日で開催されている事が多い。ハウスバンドが演奏しており、リクエストすればスタンダードナンバーを生バンドに演奏してもらって唄うことができる。オリジナル楽曲でもついてきてくれるそうだ。その日に行って登録すれば誰でも唄えるので、楽しみで来ている人から本格的に歌声を披露たい人まで様々のようだ。


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そんなオープンマイクの話は色々と聞いてはいたけれど、先月終わりにピアノを置いてあるカフェバーで開催されているオープンマイクをWest Villageで見つけたのだ。ふらりと入ってみると、老舗のカフェバーのような空気感。昔から置いてあるものとそうでないものがやや無造作に、一貫性なく置かれており、そこに居る人たちはおもいおもいに本を読んだりデッサンをしたり、ワインを飲んだりと互いにちっともかまう様子はなく、しかしそこにある空気を共有していることを意識し合っているかのような、まるでパリのカルチェラタンにあるカフェに重なって、わたしはすっかりその場所が気に入ってしまった。


次々と披露されるのは、ギターやピアノ弾き語りの演奏やコメディアンの独演会。あたたかくて、なんでもありな自由な雰囲気が、わたしも唄ってみたい!と思わせた。そして、先週はじめてオープンマイクで実質NYではじめてとなる弾き語りをしてみた。変な緊張をしたし、自分の手応えとしても決して出来がよかったわけではないけれど、とても清々しかった。オーディエンスの数人の方が、声が"fresh"だとか、早朝の鳥のさえずりのように心地よい、と表現してくださって嬉しかった。


そうして、カフェバーを去る際にオーナーが「明日も急に枠が空いたから唄いに来ないか?」と機会をくださった。またその日オープンマイクのホスト(進行役)を務めていたトレイシーが別のカフェで弾き語りができる子を探しているから、と金曜の夜に1時間も唄う機会を紹介してくれた。


このツキはちょっとしたビギナーズラックだったかもしれないが、出来事以上のものをわたしの心にもたらした。NYでライヴができたこと、その事自体もとても嬉しかったけれど、それ以上にわたしにとって意味があったのは、とにかく動いてみることの面白さを体感したこと。ひとりでえいやっ!と乗り込んで唄ったことには多くの意味があった。うまくいく、いかないはさておき、とにかくやってみる事に価値があると勇気をもらったのだ。蹴ったボールがその先、転がることもあれば転がらないこともあるだろうが、まずはボールを蹴らないことには転がる可能性はゼロ。たとえそのボール自体は転がらなくても、ボールを蹴った振動は確かにそのグラウンドに伝わり、まったく予期せぬところで何かが微動しているかもしれない。やってみて多少恥ずかしい想いをしたり失敗しても、死ぬ時になってそれを試さなかったことを後悔するほうがよほど悲しいではないか。







ずっとNYで「唄ったりしないの?」と聞かれていたけれど、少なくとも去年くらいまでは、トライしたところで気持が音楽に入らない事がわかっていた。NYに住むこと自体が夢で、それを叶えることができ、大好きなNYにしばらく振りまわされたかったのだ。NYの街中で毎日繰り広げらる、入れ替わり立ち替わる日々のことを追いかけるのに全力投球だった。朝食のベーグルから夜のカクテルまで抜かり無くメインイベントだった。イベントやエキシビション、ごはんや軽薄なパーティー、次々と入れ替わるバーやレストラン、ベーカリー、ごはんや芝居やライヴ、なんだこりゃな豪奢なパーティー、帽子やヴィンテージショップ、またはごはんに夢中だったのだ。五里霧中で、昼も夜も関係なく、圧倒的なインプットの波を受けとめるのに必死だった。アメリカ人が自分の夢が叶った時に言う、やや大袈裟な台詞、”I am living in my dream”にどっぷりと浸かっていたのだった。


今でもNYで目的もなくひとりで時間を楽しめ、と言われればいくらでもひとり遊びができるのだが、その蠢く街の波の渦中から、今年からほんの少しずつ、気持をサイドへと移行させている。それでも吸収できるものは吸収しようと、ハングリーによく遊びよく食べているのだろうが、前年比からすると自分のアウトプット時間も持てるようになった。まるで人工的に波をつくった流れるプールから、その強力な流れに逆らいながら、身体をよじらせなながら自力で身体をプールサイドにあげるような感覚で。同じ自分でいる限りは、今泳いでいるプールはまた同じ場所に戻る円形のプールだと気付いたのだ。わたしは姉を思い出した。姉の名前には「波」と「留」という漢字が入っていて、「世間の波に関係なく、自分の波に自分らしく留まることのできる子に」という想いを込めたらしいが、「明るさ」だけは自信があって、もはや妄想に近い「希望」ばかり持ち続けている夢見がちな風来坊の妹、明希葉をカバーするかのようにちゃんとした姉である。名前とは不思議なもんだ。



今年はじめにアーティストvisaを取得できた事も気持を少しずつ変化させた。NYがくれたラッキーチャンスを生かしてもっともっとNYを吸収したい。これは何年計画になるかわからないけれど、わたしの夢は、世界の色々な場所のカフェやレストランで演奏をして、その土地土地の美味しいものを食べて、その体験をまとめた「ごはん狂想曲(仮)」という本を出すことです。ごはんも創作もメイン、よく食べ、よく表現。晩年かもしれんねぇ。胃と身体が元気なうちがいいなぁ。


ひとまず年始に一度日本に帰るまでは、どんな小さな機会でもNYでたくさん唄っていこう!今はNYのvibesを自分の身体の中にたたきこむ事が目標。







来年二月は舞台「PACO」の主題歌で参加させて頂けることになりました。2004年初演の「MIDSUMMER CAROL~ガマ王子vsザリガニ魔人~」の作品です。「パコと魔法の絵本」という映画にもなりましたが、もとは舞台なんですよ!初演はもう10年前なのですね。「Endless Story」を10年唄ってきたと思うととても嬉しいし、まだ10年、なのかもしれないね。

大好きな作品であり、個人的にも思い入れが強い作品です。15歳からお世話になっていたレコード会社や事務所の方々と一度離れて、音楽とも離れて、という1~2年が大学時代にあったのですが、この作品が、その後また音楽や芝居に関わるきっかけを作ってくれたからです。このきっかけがなかったら、アルバム「キャメレオン」からその後に続く作品も、ライヴ活動もありませんでした。音楽や芝居を通して知り合った仕事仲間とも、音楽、役者友達とも知り合えていないし、ライヴに来てくださるお客さんとも出会えていない。今わたしはNYにいないかもしれない。

このきっかけというのも、バッタリと、数年ぶりに道端で事務所の副社長とお会いした、という奇跡的な偶然から始まったのです。まさに道端で「今ちょうどこういう企画をしているんだけど、また主題歌を書いてみない?」とおしゃってください、音楽活動がまた始動したのです。そう思うと、人生にはたった一日で起こった偶然が、その後の人生を大きく左右するような出来事が起こりうるんですね。その日の起床時間や歯磨きをするタイミング、電車に乗るタイミングが1分でもズレていたら起こりえなかったこと。


人生はおもしろい不思議に満ちている。
「震えるような奇跡もあるかも」。Endless Storyに書いたこの歌詞を今、この10年間に起こった自分なりの奇跡(出会いやタイミングや幸運)を振り返って今高らかに唄える。さらに10年後も、深みを増して唄えるといいなぁ。


いつでも人生の不思議さ、おもしろさを受けとめる準備をしておいて、
今日も明るい希望を持って、一挙一動を味わいながら丁寧に生きてみよう。
感謝。
by akiha_10 | 2013-11-21 06:50

ニューヨークジャーナル 160

ケーブルテレビをひいた事は前回書いたが、それによって色々なコマーシャルを観られるようになった。実はCMこそ面白かったりして今のトレンド感、世相を映していてつい観てしまう。宣伝コピーもなかなか面白い。短いその一言がなぜ面白いのか、気の利いたコピーなのかは、ネイティヴレベルでないと分からない事もたくさんあるが、ダブルミーニングや、洒落がきいていたりするのは日本のコピーのそれと同じである。英語も知っていくと奥深く、短いセンテンスで無数の広がりがあり、イマジネーションを喚起させる力を持っているが、個人的にはセンテンスの持つ色の濃淡、温度感、キャラクターは遥かに日本語のほうがバリエーションがあると感じている。敬語や文末の処理の仕方ひとつで変わる空気感、漢字かひらがなかで変わるセンテンスの持つキャラクター、根本的に文法ルールによる決まった順番、型のある数学的、男性的な英語に比べて、倒置可能な流動的な日本語はひらりひらりと言葉が舞っているようで、女性的でうつくしい。日本語は非常に高度な言語だと思う。



ところで、TV(英語の映像全般)鑑賞は実は効果的な英語習得法だと実感している。「じっとTVばっかり観ないよ!」と母親が子どもにいう常套句にも「勉強しているんですっ!」というエクスキューズがここでは本当に使える。ひたすらネイティヴの友達を作ったり、飲み歩いたりという、とにかく外へ出る英語学習法は個人的には効果的だったが、話す機会を設ける他に、ドラマや映画、なんてことのないテレビ番組を観る事はそれと同等くらいに力がつくと思う。これはどこの場所に居てもできる。DVDであれば英語字幕を出せばよいし、アメリカにいるならばテレビ番組はリアルタイム字幕機能があるので、今聞こえてくる英語を文字にして映してくれる。起こっている状況と、耳から入る英語と、文字で観る英文、すべてが一緒になって入ってくる。「こういう時ってこういう表現するんだ〜」と発見ができ、なにより記憶のとどまり方がいい。映像とセットのフレーズ。年々縮小化しているわたしの記憶メモリーでも、音や英文だけを眺める時よりも、映像セットで入って来た単語や言い回しのほうが残っている確立が高い。きっとノートなどを作ると、なおよいのだろうけど、リアルに勉強臭を漂わるよりも、TVを楽しむついでに案外勉強になったな〜、くらいのほうが続く。数回だけ超真面目に取り組むより、100回気楽に、少しだけ意識をむけているほうがいい。続けることが大事。真面目に頑張れ、と言われたならその瞬間にぞっとしてやる気がなくなるわたしは、続けるにはそこに楽しさを見出すことがキー。


約二年(実質滞在期間)のNY滞在で、コミュニケーションのための英語は習得できたが、最近日々限られた動詞しか使っていないような気がする。生きて行くためだけの動詞は数個で足りてしまうのだ。ボキャブラリー不足もそうだが、全てのセンテンスに少しずつある、時制や前置詞、可算不可算、という間違いが気になる。記述であれば用心できそうな中学基礎英語レベル程度のことでも、早い会話の中ではつい抜け落ちる。最近は「魚」について学んだ。fishが単数であることは遠い昔の記憶の中に残っていたが、二種類の魚を買った時にわたしは"fishes"と言って指摘された。辞書には可算”fishes”を使うこともあると記載されているが、日常会話でfishesと使っている人は聞いた事がない、とネイティブ。でも、一種類の魚の切り身でなく、ホタテとエビという二種類の魚を買った時には複数にしたくない?魚が数えられないなんて全然納得いかにゃいよ!魚はいっぱいあってもfish。さかなはひとつ、さかなはひとつ。楽しく気長に研磨しよっ。


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TVを流し見していたら、ウィル・ファレルの映画「Anchorman 2 (邦題:俺たちニュースキャスター)」のCMに。あ、これ撮影現場観た!と春の出来事を思い出した。一作目サン・ディエゴで活躍していた彼らがNYに来るストーリーになっている!



よくNYが舞台の映画を目にするが、NYロケは年々増え続けているのだそう。これだけNY舞台の映画、ドラマがあり、いつ撮影してるんだ、というところだが、たまに撮影現場に遭遇します。周囲の反応を見ていると、ニューヨーカーのプライドなのか、表現者やクリエーターが集っている街で、街全体に漂うものづくりへの参画意識のようなものが手伝ってか、滞り無く撮影できるよう温かく見守る印象にある。ただ、写真は皆バシバシ撮っているけど。それを止める人もおらず、ただ撮影に影響が出ないよう「No flash please!」という整備員の声。NYに来た当時、ライヴや芝居などでも、映像写真撮り放題なオーディエンスにびっくりしたが、SNSやYou Tubeの急成長で、情報や撮影をコントロールして規制するよりも、ライヴでも映画撮影場でも、どんどん撮ってもらって宣伝して話題にしてもらう、という逆の発想で許容しているのだろう。


今回はマンハッタンのど真ん中、エンパイアステイトビルがちょうどフレームインするフラットアイアンエリア。ここまで大きなセットを見たのははじめて。一部封鎖した5番街に60-70年代の可愛らしい車が30台くらい並んでいて、同じく70年代レトロクラシック(色調がかわいい!!)のファッションに身を包んだエキストラ通行人がわんさか。ウィルが車の間を縫って全力疾走するシーンで、この大掛かりな作業にして、使用するシーンはたったの何秒というレベルなんだろうなぁ、としみじみとしてしまった。30台の車の一台一台のなかにも運転手役、乗客役のエキストラが乗っていて、当たり前の事だけど、別次元に感じられるハリウッド映画もこうして人の手によって地道に創られているんだなぁ、と妙に感動してしまった。



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ウィルのコメディおばかムービーはよく観ていたのでちょっと嬉しくなって、念のため(なんのため?)ウィルと同じ画像にフレームインしておくことに♥右端の小さい赤紫の男、ウィル。ちっちゃ (´・ω・`)。









この予告編に出てくるNYを観ても思ったことだが、NYの友達、”先輩”がNYを再び好きになるために頻繁に海外に出る、と言っていたが、本当にその通りで、心の底からNY愛が溢れ出る瞬間というのは、実際のNYでせわしなく過ごしている時よりも、少し離れた時だったりする。どこか別の場所から帰って来る飛行機で上空から見下ろす、光で滲んだマンハッタンや、映画の中にあるNY、ブルックリンから眺めた対岸のマンハッタンが改めてわたしを心を高鳴らせる。「ああ、わたしはやっぱり好きだなぁ」と恋しくなるのだ。「Anniversary」という自分の曲で「側に居るときよりも 例えば見知らぬ街で 思い出したあなたが いたく恋しい」と書いたことがあるが、大好きなものとたまに離れる。渦中からいったん出て、引きでそれを見つめてみる。それがいかに好きかを確かめるために。
by akiha_10 | 2013-11-16 00:20 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 159

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もはやメジャースポット(ちょっぴり観光地)になってしまったが、ハーレムにあるRed Rooster Harlemがよい。昨年の夏にミュージシャン友達に連れて行ってもらったのがはじめてだったが、月曜と水曜に開催される、バーエリアの隅で演奏される地元の人々によるライヴがものすごくよい。あったかくて、情熱的で、いつもいい気が湧いている。内装インテリアもハーレム文化を継承しながらモダンかつアットホームに仕上げていて、すごくセンスがよい。たまに一人でも一杯飲みに行っている。最近は、ステージと客席があるパッケージされたライヴよりも、表現している人の生活の一部を切り取ったような延長線上で、その人の素に近い形で、表現者の人生が映るかのような演奏をしている人を観るのが好き。

危うさあってこそのNYと、昔のNYを愛する人たちには残念な事かもしれないが、昨今のハーレムは、近寄るなと言われていた頃のハーレムではなく、非常にクリーンになってきていて高級コンドミニアムもたくさん建ってきている。そのエリアにスターバックスができた時点でエリア独自の個性を失う、と批判する意見も分かるが(ハーレムもスターバックスができて変わってきた)洗練されたRed Roosterのレストランは確実にハーレムに明るいイメージの灯を与えた。


レストランを仕切るのはスターシェフMarcus Samuelsson。カクテルも料理も非常に創意的で美味。興味深いのは、シェフはスウェーデン育ち。ハーレム文化(黒人文化)に敬意を表し、アメリカ南部料理(サザンフード、またはソウルフードと呼ばれている)にスウェディッシュ料理のエッセンスをフュージョンしている。南部料理といえばワッフルにクリスピーチキン、ビスケット(スコーンのようなもの)が代表的。それらに少し工夫をくわえて提供したり、新しいソースの提案をしたりして、どこかしらヨーロッパな香りを漂わせているのが面白い。そういえば夏に行ったスウェーデンでレストランを巡り、どこに行ってもハズレがなかったのが印象的。 味だけでなく、人との距離のとり方、衛生観念、笑顔の作り方、スウェディッシュの感性は日本に近いと感じた。「スウェーデンは"ヨーロッパの日本"と言われているくらい、人間的気質や感性が近いんだよ」と突然話しかけてきてくれたスウェーデン人が言っていた。


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サザンフードで思い出したが、マイアミでも美味しいサザンフード食べた。Yardbirdというレストランで、こちらもスターシェフ Jeff McInnisが切り盛り。印象に残る美しいインテリアも、考えてみたらRed Roosterとコンセプトが似ている。お洒落サザンフードレストランはちょっとしたトレンドなのかもしれない。クリスピーチキンにマカロニチーズにビスケット…うーん、なんかたのしくなる。ファットフードって人を無邪気にさせるよね!


よくこちらで使われる”スターシェフ”という言葉、なにをもってスターなのかというと、リアリティ番組”トップシェフ”という料理トーナメント番組の優勝者、またはファイナリストであるかだ。日本でいうところの「鉄人」のようなもの。「料理の鉄人」もまた"Iron Chef"("鉄のシェフ"ってそのまんまやないかいっ)というタイトルでアメリカ版が数年前まで放映されており、「ここは"Iron Chef"のお店だよ」という描写もたまに聞く。


ところで、最近アメリカにおけるリアリティ番組の多さにびっくりした。というのも、もともとテレビはあまり観ないので、アメリカに来てケーブルをひいたことがなくTV事情には疎かった。アメリカのTV環境は、ケーブルテレビと契約してはじめてまともに番組を観ることができる。TV線を繋いでデフォルトで、無料で観ることのできるチャンネルは主にニュースをやっている2,3チャンネルと、質量共にかなり乏しい。アメリカで話題になるドラマやリアリティ番組、スポーツ中継はほぼ全て、月額を払って観るチャンネルばかりだ。NYにおけるスポーツバーの異常なほどの需要の高さは(テレビのあるバーの多さたるや!!)、単にスポーツ大国であるだけでなく、一緒に騒ぎたいというムードの共有だけでなく、単純に家ではケーブルに繋いでいないから店に行って観る、という現実的な理由もあったりする。わたしはネット環境を変えたタイミングでついてきた、期間限定のキャンペーンで一瞬観られるようになったのだが、色んなチャンネルをザッピングしていると、かなりの確立でリアリティ番組にヒット。アメリカンアイドルや、プロジェクト・ランウェイなど、スターはリアリティ番組から、という道筋は未だ健在のよう。わたしのお気に入りはフードチャンネル。一日中、24時間、料理対戦や料理番組を放映しているチャンネルで、これはもう本当に危険。危うく契約延長しちゃいそうだ。人気のないレストランをどうやって復活させるか、といったような番組、一日中観れてしまう。わたし、レストラン、だいすきだ。Uryuフードチャンネルも充実させます!のぞいてくださいね!
https://www.facebook.com/akihacurieux




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おまけ。
マイアミを散歩していて遭遇したアンティーク市で一目惚れした英国の骨董。アンティークレースの入ったガラス台と鏡、ブラシ。朝見つけて恋に堕ち、でも予算オーバーで退散、昼もう一度見に行って、でもやっぱり予算オーバーで退散、夕方最終確認に行ったら、市を開いていたおばさまが、何度も通っていたわたしに呆れ笑って「そんなに好きならいいわよ」と予算内で譲ってくださった思い出のある品です。

「旅の各地で見つけたとっておきのモノを、いつの日かコレクション棚に飾って、ぽわっ〜とするんだ」と夢を抱いているが、プチプチに包まれたまま保管されている数々の旅のカケラたち。ここ数年仮暮らしのような生活が続いており、落ち着いた家でそれらを拝む日はいつ訪れるのだろうか、とふと思う。
by akiha_10 | 2013-11-11 11:30 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 158

しばらくブログを書いていないと思ったら、すっかりひと夏スキップしていたのですね。
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この夏は日本で芝居の音楽を書かせて頂いたり、北欧を探索したり、めまぐるしく過ぎ去ってしまった。少しずつ思い出を掘り起こして書き留めていこう。

コネチカットに住む友人が近所のコミュニティで開催されるホットチリ料理コンテストに出場するというので遊びに行ってみた。郊外に行くと、可愛らしい家やよく手入れの行き届いたガーデン、工具がたくさん置かれたガレージ、といかにもアメリカらしいゆったりとした風景に出会う。NYはアメリカというより、どこにでもある大都市の風景にパッと見似ている。愛着の目で見ると、どの都市でもないNYだけのアイデンティティをどんどん発見していくのであるが。

ホットチリ(チリコンカーンのことを言っているらしい)とはメキシコ料理で、よくタコスやホットドッグの上にソースとしてかけられている。チリコンカーンは挽肉、トマト、唐辛子、タマネギや豆を炒めたものがベーシックで、ハーブや香辛料、チョコレートを入れてみたり、というアレンジで味があらゆるベクトルへと変化する。なにを入れても外れはない、という創作実験意欲を受け止める柔軟性かつ包容力のある料理というところでいうと、日本のカレーのようだ、という印象を受けた。

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参加者は12組で、レストランから近所の子どもたちまで参加し個性豊かなチリをふるまう。入場は20ドルで、チリを食べて周り、地ビールもついてくる。そして一番好きだったチリに投票。ご近所さん達で行う小さな集まりのイベントだったが、この長閑な風景はNYで日々違ったハブリングや出会いを楽しみ、時に消耗させなが追求しパワーを持って生きる(なければならない)大都市にいる自分と鮮やかなコントラストとなって、似非シティガールは想いに耽る。



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とうがらし着ぐるみ…
The Spice Guys…
わたしが思うアメリカっぽさ。

コーヒーパウダーと無糖チョコレートでコクをつけた
という友人のチリは三位に入賞しました!







フードといえば。
フードコラージュムービー「Hungry Kitty2」をアップしました。フードへの情熱、フードある空間への愛を形にしていきます。なぜわたしは表現や創作をしたいのだろう?という事を考えた時、その根幹には生きる楽しみや味わい深さ、生きる不思議さ、「生きる甲斐」のある美しい瞬間や幸せを、周りの人と共有したいという思いがあるからなのです。わたしは小さい頃から「なぜ生きているのか」という永遠の命題から逃れられずにいます。この世を見るため、味わうため、笑うため、美しいものに触れて心を震わせるため、とわたしなりの考えを信念として持っています。人によっては、何かを成し遂げる、名を残す、子孫を残す…と答えはそれぞれでよいと思うのです。そもそも答えなどなく「なぜ生きているのか」考えることそれ自体が生きる目的なのかもしれませんし。その疑問に至らない人生もまた、天然にふんわりと過ごせるラッキーな状態かもしれませんね。

そうして「楽しむための人生」を掲げた時、食べる事は一日なんと2,3回も(間食もいれたらもっと!)わたしに生きる楽しみを与えてくれている、時に救われている。美味しいものを食べている人の顔を見るのが好き、そこでひろがるホクホクした空間が好き、おいしい食べ物の前で人は無防備になる。その瞬間がたまらなく好きなんです。わたしの楽しみ、好奇心のコアである食や食文化に、新しいアプローチで寄り添っていきたいです。

去年の暮れから米国アーティストVISAアプライの準備を自分で始めて取得することができたり、真剣に考え抜いて新しい事を始めた体験を通して感じていること。目標を掲げ、それにむかう行動の大切さ。「舞台の制作に関わりたい」と掲げた中学生時代、北九州の田舎でえいっと出したデモテープがきっかけで、今こうして関わらせて頂いているのも、あの時の行動があったからこそ。自分の未来は今の自分がつくっている。行動のひとつひとつは「これはちょっと違ったかな?」という事でも、それが判断材料になって次に試す方法が芋づる式に自然と浮かんでくる。これはただボヤっと考えていただけでは起こりえないこと。トライ&エラーとはこういうことなんだ。コレ!というものを見つけるために、進んでエラー(かもしれないもの)を踏んでいく。エラーの方法を全部試したら、消去法で正解は炙りだされる。エラーをおそれない、恥をおそれない。ワンチャンスの自分の人生、悔いのないように。楽しいことが大好きなニューヨーカーが、遊ぶことが大好きなアメリカ人が、時にエクスキューズ混じりに口々にする”Life is short”、まさにその通りだからね。

気長に楽しく続けますのでどうぞ応援よろしくおねがいします!
Hungry Kitty Facebook


by akiha_10 | 2013-11-01 01:59 | NY Journal