<   2007年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

page d-68    隣の芝生はグリーンティー

a0028990_2318481.jpg



パリっ娘、ポリーン来日。
せっかくだからジャポネなところに行きたくって、
甘味やさんでお茶をした。
去年、パリから帰国する便で隣の席になったのがポリーンだ。
パリの大学で薬学を学ぶポリーンは年下なのに、
わたしよりはるかにしっかりしている。
彼氏が日本人で、
度々日本には来ているとのこと。









機内では、日本とフランスの恋愛観や職業観について話した。
ポリーンがあんまり流暢に英語を喋るから、
わたしはありったけの単語を掻き集めてはパズルをしていた。
たまについていけなくても、
オーイェ!とかなんだか言っちゃって、
やたらレアリー??と驚く自分にレアリー??とおもう。
それでも12時間上空で、同じプラの飯を食えば、
しだいに仲良しに。









面白いことに、「隣の芝生」現象は明らかであった。
わたしが欧風文化や、フランス女のマイペースさ、
自由で自立していて、楽しみ上手な生き方を讃えたかと思えば、
ポリーンは、東京の面白さ、日本の女の子のカワイさがとてもいいと言う。
フランス女は誰しも、わたしはわたし、
という意識が強いものだと思っていたのだが、
ポリーンは自分と他者の「比較」をしていて、それはとても新鮮だった。
比較文化の落とし穴は、すぐまとめたがるところだ。
どこの国でも、人によりけり、ということを忘れてはいけない。
「日本の女の子はみんな痩せてるし、お洒落だわ…」とポリーン。
これまた日本でくくってしまうのも大雑把だが、
少なくとも東京の中心にはそういう、
否が応でも、天秤にのせられる感覚、まわりと違ったらやばい、
と思わせる力が潜んでいるのでは、と自身の実感も思い出してそう考える。
敏感な女の子であればなおさら。
彼女と喋りやすいのは、
ポリーンもわたしも、「こういう価値観があるんだ」
というところを共有しているからなのかなあと、思う。







そんなポリーンであったが、
今回はフランス女のパワーを存分に発揮していたように思う。
議論好きのフランス人、と言われるだけあって、
和カフェでは、粒あんそっちのけで、あれはどうだこれはどうだと、
ポリーンはよく話した。
とくに、日本における女性の立場、というテーマについては
ポリーンは白熱していた。
職業観、結婚観、育児、日頃男性が女性に接する態度。
ヨーロッパ、女性強し、ね。
でもね近頃は、日本でも女のひと強いのよ、と言っておきました。



これだけ豊かな日本で、なぜこんなにストレスフルな人が多いのか、
なぜ日本の女性は占いが好きなのか、流行に熱中するのか。
わたしは語彙が足りなさすぎて、時々パントマイムでごまかしたが、
そういえばそうよねえ、と
日頃答えを簡潔にしていなかったことを、
英語にする作業の中で、できるだけ簡単に、そぎ落として、
改めて考えることができた。
日常の渦中になじんでしまうと、
あの時感じた、感情の灰汁、疑問、憤り、が次第に気にならなくなってくるから恐い。
消えてはいないが、放ったままなのだ。
そうはいっても今日の自分のご飯が大事だものってね、
弱いからね、そうなるんよね。
ポリーンと一緒に、外から日本を見る。



















ただいつも思うのは、
東京だけをみて、日本人はいいなあ、と思うことは、
パリだけを訪れて、フランス人はいいなあ、
と思うようなことと同じミステイクだと思う。
東京=日本はないように、パリがフランスではない、
ニューヨークも同じく、イコールアメリカではないように
ここはもうひとつの「国」のようなもの。
特殊な場所であることを、忘れてはならない。
東京は、わたしから見ても時折外国である。





「dixsept、anniversaire、chez lui、
東京のお洒落な街を、三歩歩けばフランス語を見るわ。
日本人はフランスっぽいのが好きなのね!
使い方が変なのもあって、おもしろいわ」
とクスクスポリーン。
「そうそう、みんなミーハーなのよ、あっはっは」とわたし。




自分のブログのタイトルに
はりきってフランス語「curieux(意。好奇心の強い)」
を使っていることは内緒にしておこう。
そしてポリーンはグリーンティーを、
わたしはカプチーノをすするのである。
by akiha_10 | 2007-04-22 23:15 | Daily thinking

page d-67    メロディインフォ

a0028990_048759.jpgじゃーん。
これが、最近むしょうに食べたかった。
目黒区青葉台、cafe8(カフェエイト)の
いちじくとナッツのケーキです。
ぎゅっとしていて、
いちじくがジューシーで、
ほんのり洋酒がきいています。
豆乳クリームも添えると、
とても、すてきなハーモニイ。
ここはパンも美味しい。
くすくすとレーズンのパンがお気に入り。
オーガニックなメニューがラインナップ。
次回は、にんじんのケーキがねらい。






さて、今月はじめは横浜でライヴをしました。
来てくださった方、ありがとうございました!

そして、次回5月23日には、初めてのワンマンライヴをします。
渋谷7thフロアの穏やかな空間で唄います。たのしみね。
今年の目標である、「わたしから、あなた(me to you)」と、
初ワンマンにのぞむ、新鮮な気持ち、
「はじめまして(nice to me to you)」をこめまして、
「nice me to u」(ワンモアtoは並びバランスがよくないから切捨て!)
をタイトルにしました。
この、わたし(me)にあたるのは、
わたしのみならず、来てくださる皆さん自身でもあります。
そして、そのときの「u」は、わたし、うりゅう、の「u」になるわけです。
わたしから、あなた。あなたから、うりゅう。
相互関係なんよ。
コミュニケーションのシンプルなやじるしです。
そうそう、フードのメニューに、
楽曲の「パンとチーズ」にかけまして、
パンチープレートをくわえてもらう予定です!
飲みながら、食べながら、ゆっくりしていってくださいね。


両想いになるように、努めるからね。
ぜひお越し下さい。








それから、舞台「東京タワー」の劇中歌を担当します。
一曲は、ライヴでも唄ってきました「空庭(からにわ)」、
もう一曲はただいま制作中。
「東京タワー」に縁ある土地、
北九州市小倉は、小中高を過ごした、わたしの地元でもあります。
また「おかん」の生まれ、筑豊はわたしの母の地元でもあり、
親近感のある作品です。
心を込めてつくりますので、
ぜひ劇場にも足を運んでみてくださいね。
by akiha_10 | 2007-04-15 00:49 | Daily thinking

page d-66    何度目の春

a0028990_05986.jpg


もう何度目の春。
人はどうして、
春を基準に数えたがるのだろうか。

新学期やら、新生活やらの、
すこしばかりの興奮と、
あの、きつーい感じ、
いやーな感じも思い出したりて、
近年は随分心が落ち着いたものだと感謝する。










上京した春のこと。
ごったがえす人混みと、
バッグからあふれる新歓のチラシ、
誰だかわからない番号とアドレス。
ひきつって笑いつかれた、頬の筋肉。
無駄に膨大になった電話帳の、
あ、から、わ、まで下におろしても、
誰一人として、この気持ち、を話せる人がいない。
想像以上に自分が暗いかもしれないと自覚した。
本当に独り、を感じた時には、
どれだけ気が合うと思っている親友にさえ、恋人にさえ、家族にさえ、
解ってもらえっこない、と閉じてしまう。
耳が、くるっと、餃子になる。
この気持ち、を軽視されたり、
乾いた励ましを浴びてさらに奥まっていくくらいなら、
ただ過ぎ去るを待つのみ。
すこしニラがはみ出してきたら、誰かに話してみようか。
適当に楽しめている子や、
実家通いのひょうひょうとした子、
きゃっきゃっしている子を眺めながら、
なにより切ないのは
こういう気持ちになるのが、
自分だけではないだろうかと追い込まれることだった。
いちいち敏感になったりして、
自分はものすごく損をしているとおもった。







東京を生きるのに、好奇心が救いとなった。
場所とモノと食、にミーハーな、田舎者のわたしは、
大学で特定の仲間の中で漂うより、
ひとりで知っていく、ことのほうがむいていた。
一度「知らない」ということを知ると、
ものすごい飢餓感に襲われた。
綺麗な雑誌がたくさんあることが嬉しくて、
もっと知らないものがあるのでは、と探しては
高めの雑誌なんか頑張って買ってみたり、
眺める専用、洋書を買って自己満足。
もっと知りたい、もっと知りたい、と貪欲になった。
興味は自然と、掲載されている、
映画や旅にもうつっていき、百聞は一見にしかず、
色々と自分の中で拓けていく感覚が嬉しかった。
読みあさる、行きあさる、観あさる、着あさる。
だけどもふと、
じゃあ自分は何が好きかというと、首をかしげた。
好み、ははっきりとあるが、
とはいえ、そんなに好きじゃないかもしれない、と自信をなくして急展開。
絶望的な気分になって、全てが虚しくなって、
ええい、どうでもいいやい。と極端に冷えきる。

現在は、自分が今、実感として、楽しいと思うこと、それ全部を、
好きなこと、ととらえているが、調子がいいだろうか。











先日ザッシカフェ、というところで人を待っていた。
その名の通り、比較的クリエイティブな雑誌が置いてあるカフェで、
読みながら時間を潰せるわけだが、
そこでわたしは落ち込んだ。
久しぶりに手にとった、ある雑誌を見る瞳の、
キラキラ度数が、昔ほどではなかったからだ。
なんというか、その微妙な哀しみと、
危機感を、必死に友達に説明した。
好きだったこと、が、まあまあ好き、
になっていく恐怖。
好奇心の矛先が分散したと考えるべきであろうが、
生命力(生命欲)の薄まりのように錯覚してしまうのだった。




孤独感を紛らわす、「夢中」なこと。
本当に夢中なのだろうか。
夢中でいようとして、夢中になったのか。
ただ夢中なふりをしていただけなのか。
狩猟をしていた時代のように、
生き残ること、への「夢中」をクリアすると、
今度は「趣味」や「好きなこと」、
もしくは「仕事」や「家庭」というところで
やはり「夢中」を探して、でっちあげてでも確認したくなる。
わたし、ここに在り。と。
へんなの。
あなたもわたしも、ただ居るだけで本当は充分なのに。
孤独が地雷のように埋まった現代を、
夢中なふりして、だましだまし、孤独はないもののようにして走り去るか、
あるいは、はじめから孤独を上手に飼って、淡々と歩くか。








方言の残る新入生を電車で見かけた。
期待と焦燥を吊り革にぶらさげて。

「なにか探さなきゃ」
時間だけ持て余し、
ひとり閉店までスタバにいた、春の夜を思い出す。
by akiha_10 | 2007-04-11 00:31 | Daily thinking