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page m-11   マンスリーパンフィクション  04


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「ああー!イエンセンのスモースナールですよね、それ!」
『うおーきもい、村上さん、テレビチャンピョン出れるよ!』
「職業病ですよぉ…イエンセン、北欧パン特集でやりましたもん。
最近、食パンなら、ききパンできそうな自分がこわいです…」
『それ、すごいね、極めてるってほんと、かっこいいよ』



「としこさんは何か、今まではまったもんはないんですか?」
『うーん、広くて浅いから中途半端なんだよね、ぜんぶ。
ミーハーだからね。村上みたいに、なんでもいいから極めてる人に憧れる』
「えー。としこさんも、誰かに憧れるんですね」
『え。そんな、私って自信まんまん??』
「いや、揺らがないっていうか。落ち込んだり迷ったりしたところ見た事ないから」
『職業病だよ〜、上を演じてるだけだよ。私が不安がってたら、みんな不安でしょ、
強気ぶってるだけ。会社とか、とっぱらったら、ただの人だし…
でもさ、あまりにも仮面をかぶっている時間が長いとさ、それが定着するんだよね、口調とか仕草とか、それこそ職業病。知らないうちに、自分の境界壁がどんどん高くなっていってる気がする。地元の友達とか会うと、たまに自分がどんな人だったか、忘れてるような気がするんだよね…でもさ、それは過去の自己イメージであって、それが素顔っていうのも違うんだよねぇ。素顔とかって、あるようでないかもしれないし。これは本当に自分じゃないって思いたいだけかもしれないし…。人は時間と環境で変わるのか、変われないのか、とか非常に気になるところなの、いま』
「もんすっごい、自問自答ですね」
『ああ、そうそう、誰かにただ喋りたいだけ。適当に聴きながしてよ』





「へえ、迷い無く仕事が生きがい、みたいに見えたんですけど、
そんなこと考えてたんですねー」
『うーん、売り上げとか企画とか、具体的な悩みで頭が忙しかったら余計なこと考えないし、
楽チンなんだよ。ふっと襲われる隙間が一番こわい。
考えたところで、なにも変わらないのに、襲われる。
だから忙しくすんの。これも防御なのよ。
私とおなじ、村上もがんばっちゃうオトコンナだから、
いつかふっっと襲われる時がくるよ、きっと。立ち止まるのがこわくなんの』
「はあ…今はピンとこないな…
ちょっっと、としこさん、ペストリーちぎっって食べる人はじめて見ましたよっ、
パイ生地が重なっている意味ないじゃないですかぁ…
ミルフィーユを一枚ずつはがすような食べ方して!ぼろぼろこぼれてますよっ」





ツルルルールルルルールルルルー


『ああ、そう?へん?お。妹からメールきた』
「としこさん、意外。モリコーネですか」
『彼氏がね、ニューシネマパラダイス大好きでね、この着信はおそろなの。
いるもんだよね、私のたっかく積み上げたプライドとかこだわりとか、
ぶっこわして入ってくる人がね、
私一人だったら、絶対これ選ばないもん。
かったい境界壁をぴょんっと飛び越えてさ、私を丸めこむんだよ。悔しいけど嬉しかったり。
素顔も仮面もなんもない、全部自分、ってなれんの。
この音が、唯一の期待なんだな。一人じゃないかもっていう』
「んー、ちょっといい話じゃないですか!万事順調じゃないですか」
『そう?毎日少しずつ淋しいよ。
あ、ちょっとメール返していい?
なーんか最近は妹うかれてんだよねー
誰だか知らないけど、
おそろいのキリンのサファリストラップとかつけちゃって、
まあ、姉も姉なら妹も妹…おそろい好き。あは』







「…へえ…」
『さ、私行くけど、まだいる?うわ、けむいね、窓あけとこ』
「いや、もうちょっとしたら行きます」
『じゃね』
「あ、としこさんっ。としこさんの妹さんってぇ…、」
『ん?』
「いやっ、なんでもないです、私コーヒー飲みこんだら行きますから…」

(fin)



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今月のパン イエンセン@代々木八幡
by akiha_10 | 2006-04-28 23:46 | monthly

page t-37   into Snow 9

ベルリン滞在中、a0028990_126158.jpg同じルームキーパーさんと頻繁に擦れ違った。
朝、扉をあけるとキーパーさんがちょうどワゴンをひいて通りすぎたり、
昼、一度荷物を置きに帰ったらちょうど自分の部屋を掃除していたり。
自分の泊まっている、5階のフロア担当なのかな、なんて思いながら、
気付けば、今日はそのキーパーさんと会うか会わないかという、
小さな期待も抱くようになっていた。
というのも、キーパーさん、同世代らしき女性で、
なんとなく親しみのわく空気を持っていた。
それは曖昧なものだが、言葉を越えた、
ピピピとくる交わりであった。
互いに目を合わせてふふふ、とするうちに、
連帯感みたいな、妙な結びつきというのか、そんなもんを感じた。
毎朝決まって同じ車両で出くわす、あの人、といったところだろうか。




わたしは小さい頃から、旅行先の宿泊地でペンとメモが用意されていたら、
最終日にキーパーさんへ、ありがとうメモを残す事がよくある。
なんとも素敵なエピソードに聞こえるが、
ゆったりとした時間にペンとメモがあったら、手持ちぶたさに、
つい落書きしちゃうよね、の延長であって、きっかけは「遊び」なのだ。
(感謝はほんものよ)
いつもは去り際に「置き手紙」をするのがスタイルだけども、
今回は特別、滞在中の朝にメモを残してみた。
いつも完璧なベッドメイキングをしてくれるあのキーパーさんにお礼もこめ、
「Ms.cleaner  If you like,try me.」
というメモとチップ、日本から持って来たおかきを添える。
さすがに、知らない外人からの食べ物のもらいものは躊躇するだろうと、
おかき、は小包装のものにした。
よし、さて出かけようと部屋を出ると、やっぱりちょうどエスカレーターで
入れ違いになって、互いにまた、ふふっと会釈した。
下がっていく階数ランプを見つめながら、
ベッドサイドのテーブルのおかきを思い、にやりとした。



外の雲は今日も低い。
またまた、ミッテ行きのバスに乗る。
一番行きたかった、ベルリーニッシュギャラリーは
昨日、足場とアクセスが悪いなかでちょっと頑張って行ったが、
ちょうど休館シーズンのようで入れなかった。
お得なシーズンオフの旅では、
気候とメジャーな観光スポットのオフ、には目をつぶらなければならない。
しょうがないね!
ミッテは、観光地というよりも根付いている街。
寒くても吹雪いても開いている店が多いのでありがたい。



今回の旅で一番空間として心に残ったのが、
テレビ塔にほど近いステーショナリーのお店、「RSVP」。
これぞ、東西融合、モダンノスタルジーじゃない?と思わせる空間。
天井から床まで突き抜けているシャープな格子の棚、
シンプルで簡素なドアや窓。
しんとした店内。
どうしてそんなに冷たく感じないかというと、
店内全体が優しい色合いの木素材でできているから?
人と絶妙にいい距離感。
無口なノートやペンを見つめると、ふつふつと、物欲が沸騰してきた。
買いたければどうぞ?という佇まいもまた、そそられるのです。
大人しく可愛いステーショナリーは、店内にとても合っている。
本当に、それ必要?という問いかけは、コレクターにはほとんど無意味である。
持ってるだけで、しあわせ。
この、しあわせ、があるなら、それはモノを買ったのではなく、
しあわせを買ったんだもんね。ぷつっと切れた。
ポストカードとか、シールとか、これもあれも、かわいい!買っちゃお!
筆まめになると決めて一昨年買いこんだ、ケートスペードのカードたちも、
結局、カンカンの中で「いいもの」として保存されている。
「宝の持腐れ」だとふとよぎるが、モノには使うものと、
所有して見て楽しむことで充分に役目を果たすものがある。
それはたしかよ。



一目惚れのコヒノールのカラーペンシル!a0028990_1312689.jpg
コヒノールはチェコの文具メーカー。
あらら、一緒にベルリン来ちゃったね。
ペンの上をプッシュすると、カラー芯がするっと出てきます。
本当に感動するほど綺麗なペン。うっとり。
なぜか脳内では、これをディスプレイする
キャビネットのイメージが飛び交い、
話はさらに飛躍して、そのキャビネットは
こうゆう部屋に置かれるべきだと想像したり、
いっそモダンノスタルジーにお部屋を改装しようかなんて企んだり、
降りるバス停を間違える程、空想会議は白熱したのです。
ほらね、アイテムひとつでここまで拡がるならば、‘買い’でしょ?






部屋に戻ると、
サイドランプに照らされた
メモがひかっている。

Ms.501
Thank you very very much! Snack is so good,,I am so happy.
From cleaner

かしこまったベッドに、すこし照れた。
by akiha_10 | 2006-04-27 00:21 | Trunk

page s-18  ぐまちゃんとランチ4

こんな暖かい日は日光浴ひより。a0028990_1950220.jpg
そーとーしあわせ。
貧乏性なので、陽射しをみると「出なきゃ」と思う。
天気で気持が左右されること、わたしにもないことはない。
まあ、単純にいい気候はそれだけで、気持いいもんね。

晴耕雨読なんて言って雨をも味わいところだが、
「雨の日の駅」なんて正直、
嫌いなことがらベスト3にはいっている。
マイペースな友人は「雨なので、またこんど」
と約束を平気で延期にしてしまうが、そのドタキャンはゆるそう。
雨は室内から眺めるにかぎり、いい。一句詠めそうだ。
そう、雨の日には、余裕が必要なのだ。
外は髪も靴も気になるし、やっぱり外は晴れが気持ちいいよ。




ひさびさのぐまちゃんは、
春だからか、髪を切って、イメチェンぐまちゃんになっていた。
下北沢のcicoute cafe でほくほくのマフィンをいただく。
(バター系ではなく、イングリッシュマフィンのようなものでした)
これ、町田のチクテベーカリーのカフェなんですってよ、
パン屋仲間から教えてもらって早速行ってみました。
ナポリピッツァのような、石釜で焼いたかのような香ばしさがあった。
そうだ、まるいパンを見て思い出したが、
むこうの人って、まるっこいパンは必ず真ん中でカットするのね。
ベーグルみたいに、またはハンバーガーのように、ぱっかり割って、
バターやらチーズやらジャムを塗って食べる。
具をはさむことも。
(くっつけず、片方ずつ食べるひともいる)
機内食にしろ、朝食しろ、いつもわたしは
ちぎって塗って、ちぎって塗って、で食べてしまうので(せっかち?)、
まわりを見渡し、おっと、とその度違いに気付くのです。
(ついでに、ゆで卵の食べ方もいろいろあって、
卵ケースに入れて食べるのが一番スマートだと、発見した)

パンにかぶりつきながら、おしゃべりな二人は、
空間の照明に合わせて、少々ひそひそ声。


ぐまちゃんは数年前に観た歌舞伎にえらく感動したらしく、
今では自分で日舞の稽古に通っている。
日舞の話をするときは、いつもはゆるいぐまちゃんも少しキレを見せる。
歌舞伎にわたしも連れてって?というと、
来月はダンジュウローが復帰やけさ、そんときいこーや、と
?な話を目を輝かしながらしていました。
人が自分の大好きな分野について話している姿を見るのは、楽しい、嬉しい。
なんかよう分からんけど、輝きとか、わくわくしている気分を分けてもらえる。
へえ、か、ふーん、しか言えないんですけど、結構楽しんでおります。
好きって強い!
来月は発表会もあるそうで、より楽しそうに静かなる闘志をちらつかせるぐまちゃん、
「祭の後」にしんみりしたら、まあわたしでも呼んでよ。
また会いましょう。
by akiha_10 | 2006-04-24 20:14 | Stomach

page t-36   into Snow 8

a0028990_21193969.jpgベルリンでバスに揺られていると、
車窓がだんだんと変わっていくことに気付いた。
ベルリンの西側を走っているときは、
道路も広く建物も大きかった。
前回のミュンヘンと同じく「工業都市」の印象。
定規で縦横ひいた土地、クリーンでエコな正しい空気。
臨海都市の埋め立て地のような、そぎ落とされた都市デザイン。
それはそれで、美しい。




バスは東に行くほど、カーブした。
道は広かったり狭かったり、入り組む。
あら、小さい道に、けなげなトラムが走ってる!
ああ、安心するなと思った。
この、ととのわない道の具合、トラムのテンポ、
本来の人のリズムと合うよね、とわたしは思う。
脈も呼吸も内臓も、強弱と緩急を持っている。
だから何ごとも、ととのわないのが自然だと思う。
ましてや心や感情なんていうのは山あり谷あり、曲がりくねってるもんね、なんて思っている。


街デザインも国の気質に影響をあたえるのか、
いや、気質が街をつくるのかな、
どちらが先かは知らないが、無関係とは思えない。
アメリカは通りの名前と番号が歴然、
標識も御親切で、チェスボードのように単純。
とっても、わかりやすいアメリカ。
比較すると、パリなんかは入り組んでいて、頑固なまでに不便。
目的地の雑貨屋を探していたら、標識がなくて、変な道に入っちゃって、
でもおや、ここはチーズ屋じゃない?、なんて失敗が転じて発見も。
不便も多いから、はじめっから諦める。期待もしない。メトロは来ない。
諦めるとなんでも楽しくなる。すこしでも順調だと嬉しい。
楽になる。嬉しさとサプライズに溢れる。
もはや目的がなんであったかも忘れる。
道すがらがすべて人生だもの、セラヴィ!みたいなことを素直に言えてしまう。(ダカラ、スキ)
無関係とは思えない、気質と街デザイン。



異なる道を歩んだ東西が、うつしだす風景。
今、まさに交ざって生まれている過渡期??と想像をたくましくさせながら、
ベルリンの東、ミッテで降車する。
小さい道に、雑貨屋や洋服屋、食べ物やさんが、無理なく並んでおります。
相変わらずの雪道につま先歩きなのだけど、
創った人の心がつたわる「モノ」や場所に触れるとテンションがあがります。
といっても、買わなきゃ!、というほど「モノ」も多くないし、「モノ」が近寄ってこない。
人もモノも街も、買いたければどうぞ、というのがいい。
だから、欲望も捏造されない。
なんていうか、ちょうどいい、のだ。
カルチャーの発信、想像のきっかけのツール程度に、「モノ」がある。
ちょうどいい、なんていうバランスは、多分一番贅沢。
不思議な感覚、ミッテ散策中、カワイイと興奮しながら心は穏やかだったのです。
映画「ビフォアサンセット」のセリーヌの言葉を思い出します。
「旅をした共産主義時代のワルシャワでは、
広告もなく買うものもなくて、はじめは退屈だったけど、
次第に物欲が消えて頭が休まって、心が高揚し、次第に心穏やかになり自由を感じた」と。
これは極端な話だれども、全く似た気分。
心の平穏と自由は、与えられすぎない、
というところにヒントがあるのかもしれません。



a0028990_21212189.jpgお腹がすいて入ったのは103 BAR。
デザイン百貨店の本屋さんで見つけた、
「いけてるカフェ100選(推測)」の本のトップに載っていました。
気付くと最寄りの駅まで来ていたので、
どうせだからとミーハーに探したのです。
「いけてる100選」トップ掲載のわりに、
わたしのような、そわそわした者が群れて落ち着かない様子は全然なくて、
むしろ地域に根付いた、のんびり処でした。
リカちゃん系懐かしインテリアも期待通り。
ランチプレートの麺入りミネストローネ(?)を食べていたら、
運ばれているフルーツサラダも美味しそうなので、追加しました。
居心地もいいので、ついつい長居。そして食べ過ぎてウトウト。





帰り道、雪の小道に迷いこんで出会ったアクセサリーのお店も、
レトロでミニマルな空間。橙色がかった壁紙と照明がとくに特徴的。
思い出すのは、やはりあの「グッバイ!レーニン」のお部屋なのです。
たとえばドイツ車に代表されるシンプルで凛々しいデザインとならべると、
レトロだとかノスタルジーだとかは、真逆に位置している気がして面白い。
東西の文化がこれからどう関係していくのか、
どんな道をデザインしていくのか、まだまだ新しいベルリン。
楽しみ。
by akiha_10 | 2006-04-24 00:07 | Trunk

page d-28   楽しいときは、ただ楽しい 

映画「プロデューサーズ」を観た。
ミュージカル映画なので、音楽満載、衣装もゴージャス、
「楽しい」という感想に尽きる。


「楽しい」は物議を醸さない。
負の感情は、その正体を探ろうとする。
なぜ悲しいのか、これは淋しいというのか、なぜこう思うか。
また負でもなく、正でもない感情に対しては、
その感情そのものが不思議の対象になる、
この気持はなんだろう、と。


「楽しい」感情は、ただ楽しい。
ああでもない、こうでもない、とかいう次元をかるく飛び越え、
思考を覆ってしまう。
一番感覚寄りで、ニュアンス的で、実体のない、胡散臭い感情。
だって楽しんだもん!
「楽しさ」をその場で検討することはナンセンス。
ちょっと待って、なんで楽しいんだ!?とかいらない。
こうみると、人は基本的に、楽しいことが大好きだね?と思うのです。
甘くて美味しくて、気持よく、危険ともいえる感覚。


「プロデューサーズ」に話を戻すと、
「楽しい」という強力なエネルギーは、欠点も覆い隠すかわり、
良い点の詳細も覆ってしまうのか、
これといって感想が浮かばないというのが正直なところ。
ひっかかりも、圧倒的な「楽しい」パワーにのまれちゃった。
ちょっとした感覚の麻痺もあるため、
これがあって、こう感じて、という脳と心の正しい順路がショートカットされている。
「楽しい」は雲のように、目に見えない幸福の粒子の集合のようなもので、
遠くから全体の姿としてしか掴めず、中はスカスカ、その上いつか消えてる。
刹那的で、幻みたい。
だから、そればっかりでも危険な気もするけれど、
「楽しさ」の正体なんて当事者にとってはどうでもよく、
「楽しい」リアルな感覚に漂う時間はやはり魅力的。




ひっかかりがないと言っても、ひとつ、
「プロデューサーズ」の劇中劇、「春の日のヒトラー」で印象的な台詞がありました。
「政治もまたショービジネス」という言葉。
似たようなのを、どこかで聴いた。
偶然なのかミュージカルつながり、
「シカゴ」でリチャードギアは「裁判はショービジネス」と言い、
同じくボブフォッシーの映画(おそらく「オールザットジャズ」)
の主人公は「人生はショービジンネス」と言ってしまっていた。
そうだ、すべてのものは、
この世に派遣された旅人の視点からいうと「ショー」であり、
喜劇あり悲劇ありのエンターテイメントだともいえてしまう。
目の前で繰り広げられる現実のほうが、
小説よりゲームより映画よりゴシップよりニュースより、
よほど奇妙と奇麗に満ちたドラマであるからだ。


こうして自分のまわりで起こる事をガラス越しに観てしまう旅人の癖は、
どこか「人ごと」みたいに無責任でいようとする究極の弱さの現れなのか、
もしくは、それを通り過ぎて、
徹底して「ショー」を楽しもうとする、野次馬根性に近い好奇心の現れなのか。
それについては、表裏一体というか、同時に発生している気もする。


どちらにせよ、自分の心に直球で当たるまいと、
出来事がふりかかる前に、トランポリンを敷いておくような見方であり、
つくづく自分のちっちゃさを想うのだけれど、
しかし、それで少しでも穏やかに楽しめるならば、
弱さを認めて、トランポリンでもこんにゃくでも仕込もうじゃないかと思う。
結局は、心次第。
自分が「楽しい」と思えば、ぜんぶ楽しい。
「たいしたことない」、と思えば、たいしたことない。



そうは言っても経験不足、生き不足。
渦中にいる時はなかなかコメディにできなかったり、
どっぷり「ショー」に入りこんでしまったり。
そんな、不器用で単純で矛盾ばかりの、自分の可笑しな心模様。
ん?
すこし離れてみると、こんな心模様がすでに、充分「ショー」かも…。
なんだなんだ、「ショー」に身をおいている自分を観察している自分も、
もうひとまわり大きい「ショー」として観られていて、
それを観ている自分もまた、
もうひとまわり大きいところで「ショー」にされてるの?
人形からまた小さい人形、また小さい人形…と
ロシア人形、マトリョーシカの逆バージョン!
一体どこに自分が在るのやら。やれやれ。




その時々の「ショー」を努めて「楽しく」している人は、いい。
だから笑いづくりに一生懸命な友達のことが、すき。
バカバカしく、享楽的でも、わたしは好き。
真面目で真剣に、悩むことが美徳とされている空気、
なんだか、そうしなきゃと思い込んでいるだけな気がするのです。
そんなに甘くないよ、と水をさされても、
それは実際に感じたらそうだし、感じないかもしれないこと。
厳しさとか世知辛さを検討するのは、まあツマミ程度に。
どれだけ笑い飛ばせるか、そっちに頭をつかうほうが素敵。
これもたくましさの一つだと思うのです。
あれ、なんの話だったっけ?
くくくっと顔を赤らめて帰る夜の、清清しさよ。




おっと。ナンセンスにも、
「楽しさ」を分析している自分に今気付き、
頭でっかちな自分に嫌気がさしたところで、おわりたいと思います。
by akiha_10 | 2006-04-15 09:37 | Daily thinking

page t-35    into Snow 7

早朝の目覚めに成功し、ドレスデン〜ベルリン間の車窓を堪能。
到着したはいいが、ベルリンの空は不機嫌であった。
足早に流れる人々は、突然のミゾレに眉間のしわを寄せる。
ミゾレって、一番意地悪いと思う。
雨より冷たく、雪より濡らす。


予約していたホテルの地図をひろげるが、あーあ。
斜めのミゾレのせいで、よれよれだよ…インクがじわってなったよ…。ちっ。
20㎏のスーツケースを右手でひっぱり、傘を顎にはさんで、左に地図。
もういっぱいいっぱい、
おまけに路面は凍結していて、スーツケースのコロコロが道路をかんでくれない。
転がらないからしょうがない、うんしょと一瞬あげて、2、3歩歩いておろして休憩。
また歩こうとしたら、滑ってバランスがとれず、とっさにスーツケースにしがみつく。
わたしが転がってどうする。
ああ、日が暮れそう、足、氷るよ…。
タクシーも流れていないため、ぐっと気合いをいれ続けて、
徒歩10分表記のホテルに40分かけて、たどり着く。



吸収しすぎた水で、じゃぶっ、じゃぶっ、と靴は鳴く。
ホテルのカーペットにあがるのも恐縮な想い。
気持、つま先立ちでチェックイン。
横のミラーにうつった自分の姿はあまりに悲惨で、
我ながら、ひどい…とはりついた前髪を耳にかける。
こんな日もあるよね。
部屋に入るなり、力、尽きて、ひと眠り。
起こったコトガ、ボ、ウ、ケ、ン…






むくっと起きる。a0028990_21411667.jpg
「なんか美味しいのたべたい!」と思い、
訪れたのは自家製コーヒーが自慢の
カフェ、アインシュタイン。
風格ある店内に、一見さんでもだいじょぶかしら…、
とすこしドキドキしていたが、
カジュアルなおひとりさまも気軽に利用されている雰囲気。
カウンターが目の前に見える、スペシャルな席に案内され、
メランジェ(カプチーノ)とサーモンベーグルをおねがいしました。





カウンター内には見事なカプチーノを注ぐ、バリスタの姿。
これもまた職人わざ。
あのひょいってする手つき、いいな、とこっそり真似してみる。
ビールもカプチーノも、要するに、美味しさのキメテは泡の細かさよね。
デザートにアップルシュトゥルーデルという
オーストリア伝統のペストリーも頂きます。
いうならばアップルパイのラザニアスタイル。
あったかくって美味しかった。




ミゾレは継続中。
外を出回る不便さもあって、a0028990_21421482.jpg訪れたのはStilwerk。
建物まるごとデザインインテリアショップ、
という素敵なデパートです。
50ちかくのお店がはいっていて、
こうも並ぶとまるでデザイン博物館。
もちろん建物自体、感度が高い。
吹き抜けのスペースを真ん中に、
ぐるっと通路に面してお店が並んでいる。
これ、最近のぞいた表参道ヒルズと構造がちょっと似ている。
表参道のほうが、全体の空気感はノスタルジー、
こちらはシンプルモダン。
もしや…と思いましたが、予想は的中。
化粧室もぬかりなく、デザインされていました。









移動には地下鉄をよく利用しましたが、
自動改札がないため、検閲官が度々切符をチェックしにきます。
ぬきうちで、突然、車両の全扉から私服の検閲官が乗ってきて、調べます。
性悪説を前提としているのか、
ピリピリとした、ただならぬ空気を漂わせていたのが独特です。
人がつくった、ある目的のための、「手段」としてのルールやシステムが、
いつの間にか、ルールやシステムの維持、それ自体が「目的」に入れかわっている。
手段と目的はいつも曖昧。
複雑な想いをめぐらせるのです。
by akiha_10 | 2006-04-09 22:43 | Trunk

page d-27   花を魅る

目黒川を挟んで、桜は虹をかける。a0028990_1312148.jpg
まだ咲き始めだと思うのだが、
根性のない花びらは早々にリタイアして
水面にぷっかり浮いている。
そうだそうだ、去年散り際に歩いた時は、
道は絨毯、川は浮き船をつくっていた。
いつも思う。
掃除をするのは風だろうか?
知らないうちに、ばらまいちゃうのは風だろうか。
そんな風の仕業か、去年の秋、掃除中の紅葉が、
ひょろっと鞄に舞い込んだ。
掃除当番の風も、運ぶのは花粉だけではない。
たまに粋なこともする。
まあ。ドラマチックなこともあるもんだなぁ、と紅葉をひらひらさせた。




木を積極的に見上げる機会は、主に年二度ある。
春の桜と秋冬の紅葉。
桜と紅葉、それぞれ違う感動を味わえる。
どちらも好きだが、どちらかとあえていうなら、紅葉への想いのほうが強い。
一番好きな季節が秋ということ、
一番目に好きな色が緑ということ、
二番目に好きな色が朱色ということも手伝ってだろうか。
わたしは紅葉びいきである。


桜の美しさは、主にその一連の「流れ」そのものにあると思う。
芽吹いて、ひらいて、満ちて、散って、舞って、佇む。
時が存在する映像的な美しさ。
仮に一瞬の姿を絵画的におさめても、
単色の言葉で言い表せる世界にとどまりがち。
それが満開ならば「華やか」としかいいようがなく、
散り際ならば「果無い」とか、その近辺。
桜にまつわる個人的な思い出でもって料理しないかぎり、
その「一瞬」に関しては、わかり易く綺麗なのだ。


一方紅葉の美しさ、楽しみ方は、もっと絵画的である。
世界はもっと複雑になりうる。
その瞬間が満開であっても、
麗しいのだが、侘びしいのだ。
色彩のせいか、形のせいか、または色斑のせいか。
散り際であっても、
物悲し気でいて、しかし凛としている。
遠く離れた言葉と言葉、黒と白が握手する。
言葉たちが対照的なよそもの同士であれば、
感情もよそもの同士で、おしくらまんじゅうをはじめる。
心はなにに泣くのか。悲しいのか、嬉しいのか。
心のパレットの上で、何色もの絵の具が、筆にかきまぜられるかのように。
そして、小さな手掛かり、「視覚」が、架空の五感をも鮮やかに起こしてくる。


わたしは映画が好き。
映画は絵画に比べると、手掛かりや情報が多いので、
よくもわるくも、わかり易い。
説明が多いと、伝わる速さはあるのだが、
考えないから、拡がりにくい。
しかし結局映画も、絵画の連続であり、好きなものは
切断された「シーン=絵画」として記憶されていたりする。
視るものにすべてを委ねた一枚の絵画や写真は、自由で挑戦的でもある。
しかし、拡がる世界ははかりしれない。それが楽しい。
「イマージネーション宇宙よりひろく」、である。





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道路脇にはお酒や串もの、お菓子ブースもでていました。
すっかりピクニック気分。
「おしるこーおしるこぉー」の呼び声に誘導されるまま、わたしは走った。
皆が持ち寄った、ビール、シードルと焼き鳥に、おしるこ、
とアヴァンギャルドな組み合わせをたのしむ。
こうやって外で食べると、なんでもおいしー!
焼き立て塗りたて、みたらし団子にもならんだ。
結局のところ、文字通り、「花より団子」である。




a0028990_13155562.jpg雑貨やお洋服のフリマも出ていました。
実は、わたしも昔、
フリマ出店したことあります。
真夏に、ぐまちゃんと、へとへとになりながら…。
「さ、帰ろっか」と運んで疲れて早くも閉店。
お得に手にいれた、
直火エスップレッソメーカー。
やったやった!蚤の市同様、まけてもらうのも、お楽しみ。
by akiha_10 | 2006-04-08 13:40 | Daily thinking

page d-26  スターター

a0028990_14215130.jpg

スカートをひるがえした強い南風に運ばれ、春が上陸する。
季節に惑わされた心地よい感傷。
ほらまた、今までの私と、これからの私の、物語りをつくりはじめる。
こんなふうに綺麗にアルバムにおさめ、
新たなドラマを仮想する作業も嫌いではないけれど、
まとわりついた感情や自分に媚びた解釈をそぎ落としてみるのもたまにはいい。
暴風に吹かれて舞い込んできたさまざまな感情を、
目を閉じてじっと見つめる。
落ち着かない揺らぎの中で、
一点だけまっしろい所がある。
台風の目だ。
そこは防音されているかのように、しんとしていて、
いままでも何も起こっていないし、これからも何も起こらない気がする。
季節が騒いでいるより、今は淡白な気分でいる。
たかが「はじまり」、されど「はじまり」。
新しい「はじまり」になにを想おう。



ひとつ前の、「はじまり」に遡った。
四年前、わたしが掲げた目標のひとつは「強くなる」だった。
漠然と手帳に書きとめた「強くなる」。
「強いってなんだ」という意味の問いかけが先立った。
「強い」とは、上下の関係に位置する権力でもなくパワーではない。
鈍さゆえの強さともまた、違う。
ではいったい?
「強いひと」というのは、これでこれでこういう人とは、きっと説明できない。
というか、強いひとなんて居るのか、という疑問すら浮かぶ。
自分なりであれ「強い」の明確な正体を、実はいまだつかめていない。
概念がわからなければ、その形容詞を自分の内へとりこめるはずもない。
では四年間というと、今まで以上に自分の弱さを目の当たりにしてきただけである。
「強くなくたっていい、弱くてなにがいけないのか」。
冗談ばかりの友人が久し振りに真剣に言った言葉は、
ちゃかす隙も与えず、ぶわっと心に拡がる。
本質は、変われないのかな、と嘆いた。
とはいえ、回数と慣れで習得できるものもある。
ダークサイドの接近をセンサーでキャッチするのが上手くなった。
自分を保っているネジがゆるんできたら、外れて崩れる前に、
修復工事をおこなえるようになる。
美味しいものを食べる、綺麗なものを観る、おもしろい人に会う、
居心地のいい空間で微睡む、
オールナイト映画祭を開催してみる、
靴を買う、友人宅にスイーツ持っておしかける、などなど。
瞳ファイルに保存されている、あの時の風景を思い浮かべてみるのもいい。
なんてわたしは、ちっぽけ。
自分のちいささを知ることは、おおきな安堵を取り戻すことだ。
まるで母のお腹の中、その宇宙に包まれ揺られているような、あの平和。

僅かな陽の力は絶大で、
ほんの小さな陽が、長時間心を這っていた陰をおっぱらってしまう。
だから、こうして日々は過ごしていける。
わたしの場合、特効薬である、「飲んで食べて大笑い」をすれば、
全然だいじょうぶじゃんね!となることも分かってきた。
「信じがたい回復力…」呼び出された友人は呆れるが、
滑稽なまでの自分の単純さも、この時ばかりは有り難い。
自分を知るということも、
ひょっとしたら「強くなる」ことのステップといえるかもしれない。



もうひとつ、具体的に掲げた目標は「旅に出る」ことだった。
なんのためでもない。
衝動的に突き動かされる瞬間は、
なにかを得るためとかいう、結果的な目的すら計算されていない。
まるで恋のような、純粋な欲求のみ。
たんに、異文化の空気を渇望していた。
衣食住への純粋な興味が沸騰していた。
叶っている最中は、心が冴えていた。
知りたい欲は感じたい欲になり、感じている自分を味わいたい欲へと、
贅沢に連鎖していく。
だから旅に出る。
毎回、わくわくして、興奮して、うわーってなって、じーんってなって、
高揚と平穏が交互にわたしを襲う。
そんなLRを、さかんに行き来していると、
真ん中にぽっかりと、ニュートラルな「台風の目」があることに気付く。
LでもRでもない、陰でも陽でもない。
そこは、やっぱりまっしろくて、
しんとした音が鳴っている。
旅に出たら、ふしぎな、体験に、たびたび出会う。
日常も充分に旅であるが、
努めて環境を整えれば、旅はさらに鮮やかになる。
これは今の気分でもあるが、
インスパイアされる環境や素材に、傾向があるのことも分かってきた。
なにかが湧き出ている土地(空間)がすき。
さらに欲張れば、時をまたいでいる土地(空間)がすき。
理屈をならべるよりも、もっと強力な力に突き動かされて、
きっとまた、「旅に出る」。

「ところで学校、行きよった?
来週からどこどこ行ってくるね、を何度聞いたことか」
卒業式に現れた親がいぶかし気に漏らした言葉を、
四年間の目標達成の証として誇らしく胸にしまおう。(あ、ちがう?)
ありがと。





新しい「はじまり」に持ち越された「強くなる」と「旅に出る」。
そして、日常もすでに旅であることも忘れてはならない。
「せっかく来たんだから!」と旅行を充実させようとするお決まりのフレーズを
「せっかく生きてるんだから」とそのまま置きかえることはできないだろうか。
だんだん話は壮大になってきて照れてしまうが、
努めてでも、生きた時間を過ごしたら、旅甲斐がある。
それもまた、死んでるかもしれない明後日のためでもなく、
誰のためでも、なんのためでもなく。
なるべく笑っていられる「今」のために。
壮大ついでにいうと、そうして生き抜くことが、「強さ」であり、
その実感は死ぬ真際にやっと手に入るもののような気がする。




観れるものは観ておこう、
想えることは想っておこう、
伝えたいことは、伝えておこう、
感じられるものは感じておこう、
通じ合えることは通じ合っておこう、
創れるものは創っておこう。



そんな具合に。
by akiha_10 | 2006-04-03 15:26 | Daily thinking