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page a-17    江戸の誘惑

浮世絵を観に行った。
両国は江戸東京博物館。
ヨーロッパであろうがジャパンであろうが、
「むかしなるもの」に、とても惹かれる。
「日光江戸村」に異様な興味をしめし、
また行きたいな〜また行きたいな〜と言っていた幼少期。
親は「あんたはおじいちゃんの孫やね」と言っていたが、
それは当たり前としても、
そんな父方の祖父は城が好きで着物が好きで、
踊りが好きで、江戸時代あたりの、文化的、
どちらかといえば、道楽的なところが好きであった。
また、母方の祖母が着物好きとくれば、
「江戸の誘惑展」に騒ぐ血はそこそこ濃ゆい。
父方の祖父母は他界してしまったが、
いつも思い出されるのは、
祖母の「おじいちゃんがあんなんやから」という笑い呆れ顔(笑いあきらめ顔)と、
祖父の菩薩のような穏やかな顔と、まとっている不可解な世界である。
祖父は「大人」的には、若干困り者であったらしいが、
こどもの私たちには近かった。
解り合おうとかではなく、ただ漂うのにむいていた。
今考えると、外出の際にはきちっとスーツを着て、
帽子とステッキと、金色の時計をたしなむ祖父は、
田舎なりにも、モボ(というか、モジ:モダンジイサン)だったのかもしれない。
下関の壇ノ浦が好きで、瓜生の姓はもとは源氏の系譜だとか、
あやしすぎることを言っていた。









肉筆浮世絵というのは、
大量生産できる版画による浮世絵ではなく、
特注で制作される、いわばオーダーメイドの浮世絵のことらしい。
ヨーロッパで、裕福層のバトロンがモーツアルトに音楽をかかせたように、
こちら都では、裕福な武家が菱川師宣に浮世絵をかかせたのだ。
特筆すべきは、着物の綺麗さ、色彩の豊かさ、女性の質感。
浮世絵のほとんどのモデルは当時の遊女で、
「女のプロは」着飾るにも
当時の最先端かつ一流のものを身につけたらしい。
絢爛豪華できらびやかな様が、
刹那的で享楽的な浮世を描き、
虚構を真正面から引き受けた遊女のプライドがそこにひかる。
葛飾北斎の「鏡面美人図」に立ち止まる。
支度をする女が、後ろの髪の結び目を気にしながら
すこし身体を傾けて、化粧台の鏡に顔をうつす。
こうしたちょっとした角度から香り立つ色香、
いわゆる「見返り美人」的な美というのは
本来日本が持っていた、オリジナルの色気だと思う。
飽食、選択無限なこの時代、
欧米の「セクシー」みたいなところに、
どうしてか憧れて、
またそこそこ真似も上手なのだが、
互いに本家発信のものには敵わない。
安易に「エロ」が消費されていく「現代」という浮世を、
鏡に映った女がなまめかしく笑っている。









「女のプロ」がいるところには、
女を魅せる道具文化が発展するのではないか、
と首をかしげた。
着物はじめ、お化粧、鏡、髪留め、
浮世絵で描かれた遊女の小道具はどれも鮮やかである。
パトリス ルコントの映画「歓楽通り」を思い出したのだ。
娼婦たちのパウダールームは、淡く煙りたっていて、
装飾豊かな小道具が雑然と置かれ、
まじりあった濃厚なトワレが画面から香ってきそうだった。
パリに娼婦がいるように。
京に遊女がいるように。
是非はともかく「女のプロ」はたしかにいて、
その歴史を持つどちらの土地も美しく文化的で女性的で、
なぜかそんな場所に、
根源的にものすごく惹かれてしまう。



















まわりが体調を崩してばかりなのですが、
みなさんお変わりありませんでしょうか。
菌バリアも兼ねて、スタミナをつけようと、
ギタリストの光さん情報の焼肉に行ってみました。
用賀の「らぼうふ」というお店。
とっても美味しかったです。
帰りに近くの古本屋さんで柳美里の本を買って帰る。
本を読む時間はあまりつくらないけれど、
お風呂や待ち時間で読むのは、まあまあすき。
古本って、いろいろと面白い。
久しぶりに出した、
冬もののセーターみたいな匂い。
誰かにとって、大切だった、
蛍光ペンでなぞった、この一文。
by akiha_10 | 2006-12-08 15:51 | Art
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