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ニューヨークジャーナル 164

今アーティストやミュージシャンの友人たちが数年前から続々と移り住んでいるブッシュウィック。サポートをしているバンドのメンバーもこの辺に住んでおり、リハで来る機会が多くなったこの頃。先週は年に一度開催される、ギャラリーやスタジオが公に公開されるBushwick Open Studio(BOS)に行って来た。
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ブッシュウィックはブルックリンにあるウィリアムズバーグ東一帯にひろがっている。
この10数年でウィリアムズバーグは様変わりしたようだ。ウィリアムズバーグの興隆も、はじめはマンハッタンのソーホーやイーストヴィレッジから流れて来たアーティスト達が住みはじめたことがはじまり。オーガニックフードや手作りクラフトもの、ヒップスターファッションや音楽からアートまで、”ヒップ”なブルックリンブランドを創りあげてきたのは主にこのウィリアムズバーグである。かつて都落ち感のあった「マンハッタンからのブルックリン移住」を「横浜に住んでいる」くらいの、ちょっとした洗練ささえ帯びた響きに変えたのもウィリアムズバーグであろう。ちなみに、ブルックリンブランド全体に通ずる、ほっこり感やかわいらしさ、ナチュラル感や個性的なエッジィ感覚は、ひたすらセクシーさと勢い、刺激とスケール感を追い求めているマンハッタンのセンスよりも、日本人感覚のセンスに合う。だから、日本から来たカフェや雑貨、カルチャー好きの友人には迷わずウィリアムズバーグをお勧めする。



そんなウィリアムズバーグも、今や大手資本によるカフェや洋服屋が建ち並び、すっかり商業的に。決定的に観光地化させたのは数ヶ月前に建った大型クラブ。週末の夜ワイスストリートを歩いてみたら、そこのいる女たちはこれまでの、古着ワンピースにビーチサンダルといったようなヒップスターブルックリンガールではなく、タイトなミニワンピで胸を寄せ上げ12cmのヒールをコツコツと鳴らしながら、忙しなく携帯をチェックし狩り場を探すミートパッキングガールそのものになっていた。クラブに横付けされたギラギラとしたリモはこれまでにない風景。”わたしたちのペースで、らしく生きる”と生き方の指針を共有しあっていた、ほっこりしていた場所も、すっかり夜のズーに浸食され、マンハッタン的ビジネスに取り込まれてしまった。(とはいえファッション的にはいろんなテイストがミックスしていて、それはそれで面白い。)


そうして、数年前から新たな聖地を求め東へと開拓されていたのがブッシュウィック。そういえば今年はじめに日本で会ったアメリカ人の女の子が言っていた。NYと東京を行ったり来たりしている彼女に東京の良さを聞いたら、「東京は住環境が数倍マシ。”ブッシュウィック”(両手ピースマークの指関節を折り曲げて囲いながら)の狭いアパートでルームシェアなんて、もう嫌だ」と言っていた。それはいかにも、ブッシュウィックがNYで夢を掲げた若者が葛藤する場所代表のように話されていて印象的であった。



ブッシュウィックがウィリアムズバーグ的進化を遂げるのかということに懐疑的な意見をよく耳にする。
個人的憶測ではあるがウィリアムズバーグのケースは、アーティストたちが誰にも語られることなく移り住み、ある程度街が形成されてから「ウィリアムズバーグ=ヒップ」という称号を得たような気もする。ブッシュウィックの場合、すでに「次なるウィリアムズバーグ」といった形でメディアに取り上げられ過ぎていて、新たな独自な文化が生まれる前に、ウィリアムズバーグの焼き増しを求められているようなところがある。人が街を創る前に、街という箱が人を呼んでいる感。そこに移り住むことは、自分がヒップである前に自分をヒップに演出するような、または自分がアーティストである前にアーティスト的でありたいと思うような、トレンディ感が既に先行していて、ウィリアムズバーグの時のような鮮烈な文化形成になるのかはまだわからない。単純に家賃の安さで移住していく者もたくさんいるが、ブッシュウィックと単語を発すると時に意地悪な薄ら笑い感がつきまとうのは、そういった事情もあるのだと思う。

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そんな街全体の文化やアートシーンの形成の進行状況はともかく、今回行ったブッシュウィックのアートイベントでは、伸び伸びとした自由な環境を求めて移り住んだ個々人の爆発的なパワーは存分に感じられた。(半分以上は外から来た人だろうが)。少なくとも、わたしがなぜNYが好きなのかを確かめるには充分な活気であった。BOSは今年8年目を迎えるイベントで、ブッシュウイックにスタジオを構えるアーティストたちが個人のスタジオ(ギャラリー/アトリエ)を週末限定で公開する。わたしたちはプログラムに書いてある住所と地図を探して訪ねるというもの。イベントをはじめたばかりの頃は、参加アーティストは数えるほどだったらしいが、今や600以上のアーティストが参加。イベントに便乗して、街ではライヴパフォーマンスあり、フード屋台あり、とお祭り状態。アートに興味がなくても散歩するだけでその雰囲気を楽しめる。




ニューヨークジャーナル 164_a0028990_9502958.jpg色々な場所を訪ねてみて、普通のギャラリーでは味わえない楽しみ方も見つけた。スタジオを制作場所、兼住居としているアーティストもいて、必然的にそのアーティストの暮らしぶりの一片をうかがい知ることができる、というものだ。


寝室やキッチンも出入り自由で公開されているものだから、詮索するのは悪趣味だと思いながらも、ニョキニョキと生える好奇心のアンテナが様々なものをとらえる。置かれているクッションのファブリックの柄や今朝使ったのであろうバターナイフやマグの一つ一つが引き金となって、ついストーリーを紡いでしまい、ひとりだけのお楽しみに浸る。初めて彼女/彼氏の部屋に入った時のセンサーってこういうのだよね、とドキドキさせた。どこのスタジオでも生活と作品の関連性が興味深く、総じてインテリアの趣味がよく、気持をふわりとさせた。








ニューヨークジャーナル 164_a0028990_9511369.jpg居住スペースと、制作スペース(仕事場)を7:3くらいの割合でしっかりと分けているところもあれば、制作場所にかろうじて寝食の場所を確保している、というスタジオもたくさんあった。全体の8割が作業場を占める部屋を見て、わたしの心の扉がノックされる。生活の中にアートやクリエィティヴな部分があるのではなく、アートやクリエイティヴの中に生活がある人たち、人生そのものをアートの中に置いて生きている人たちへの羨望。




わたしは、社会的物差し(お金や名声)に関係なく、”それだけ”やっていれば基本的に幸せ、または充実感を感じられる、という人、またはそういったもの(趣味)がある人は、とても幸せな人だと思う。欲望のサイクルが健康的に自己完結し、幸福感を自家発電できるからだ。しかもその”それだけ”で、なんとか生活ができていれば、それは人生の8割の幸せを占めているといえる。わたしがNYが好きな理由のひとつは、”それだけ”をやっている人がたくさん居て、そんな人々を許容(放任)する街だからだ。それで生活できるできないに関わらず、社会通念どこ吹く風、おおいに偏った愛すべき人たち、素直すぎるほどに思い切って生きる人たち、それを時に手厳しく、時に温かく取り扱うこの街がわたしを元気にさせる。自由というものには責任が付きまとうという事が、年齢と共に手応えのあるものとして感じられるようになった今、ここに生きる人たちの人生の取捨や覚悟がさらに伝わるようになって、その潔さに改めて感動を覚えるのだ。わたしがここに居て居心地がよいのは、自分もそうであるからと言いたいところだが、そういう人たちを側で見ていたいという、彼らに対する永遠の憧れがあるからかもしれない、とも思った。


一体わたしはこの街で今何と戦って、なにを取捨しているのだろう、自分や人生になにを期待しているのだろう、そして期待する事とはなんと体力と精神力が要って、孤独なことなのだろうか、と想いは様々なベクトルに飛び火し、角にあったかわいらしいカフェでスムージーを吸い込みながらアンニュイ気取る。ブッシュウィックのせいだ。エネルギーを持て余した解放的な雰囲気がわたしだけ取り残して、自分の凡庸さや勢いだけではなくなったわたしを浮き彫りにして一瞬だけ憂鬱にさせる。


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ファッションもおもいおもい、元気いっぱい!










ニューヨークジャーナル 164_a0028990_1064647.jpgこのスタジオは、門司に住んでいた祖父が生前いつもこもって作業をしていた基地のようなアトリエ(個人趣味用)を思い出させた。自分でつくったかのような木造の四畳くらいのスペースで、そのほとんどが机と物置に占領され一人がやっと通れる狭さだった。天井が低く、雨が降ると直に頭上で水の塊の打ち付ける音が聞こえた。薄明かりにぼんやりと浮かぶ、たくさん並べられた彫刻刀や筆、よくわからない金具、インクや糊の匂いがいつもした。まだ小さかったわたしはこの部屋にロマンを感じていた。祖父は折り込みチラシや飴を包んでいた紙などの皺をのばして大切に保管し、それらを使ってオブジェらしきものをつくっていた。そうして基地で出来上がった苦心の作を周りに披露しても、真面目な祖母をはじめとし「またこさえてぇ、置くとこないよっ」と一蹴され評価を得ていなかったのを、幼心にも申し訳ない気持で見ていた。それでも翌日玄関先などにちょこんと飾ってあるのを見ると、ほっとしたのだった。今会ってみたいなぁ。おじいちゃんにはニューヨークなんかが合っていたと思う。世間体どこ吹く風のマイペースさで浮世離れしていて、洒落た事が好きでいつもニコニコしていた。わたしは、鬱蒼とした気分の時には自分なりにおしゃれをして気持のいいカフェにひとりでお茶をしにいく、という処方薬を持っているのだが、祖父もよくキメこんでひとりで小倉の喫茶店に行っていたのだという。もしかしたら、おじいちゃんも、おじいちゃんなりにそうして気持の整頓をしていたのかもしれないと想像すると勝手に結束感が強くなる。もっといろんな話をしてみたかったよ。 ブッシュウィックの空を仰ぐ。
by akiha_10 | 2014-06-10 12:43 | NY Journal
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