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ニューヨークジャーナル 144

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Language Exchange(わたしは英語が学びたくて、相手は日本語が学びたいという友達つくりの場)で知り合った、生まれも育ちもアッパーイーストサイドの五番街という生粋ニューヨーカーの友人との付き合いも長くなって来た。



NY、ユダヤ人で弁護士という、絵に描いたようなニューヨーカーの彼は理屈っぽく議論好き、ややシニカルで神経質「まあ肩の力ぬいて」と言いそうになるが、若きウッディ・アレンとも重なるパーソナリティーは世界をシャープに観察する情熱として映り、アメリカ人にはめずらしいくらい(というと失礼だが)繊細で魅力的な友人だ。感性豊かで、心のディティールを汲み取るのがあまりに上手なことを本人も知ってか知らずか、自分自身に対してのゲイ疑惑を検証しているところだという。最近会ったら、彼が描いている夢の香港勤務が叶うかもしれない、ということだった。






今やその目的よりも友情のほうが色濃くなってきているが、言語習得という点においても言語交流フレンドは双方にとって多少は効果的なようだ。

わたしは英語が特別得意でも好きでもなく(子音の多いその響きは好きだが)、大学で受けさせられたTOEICでは「つまらん。」とその場の空気に耐えられず開始20分で退出して原宿に出向いた。その日は、窒息寸前になる鬱蒼とした教室に二時間座っているにはあまりにももったいない金木犀の香る初秋だった。どうやらキャンパスの前から出ているらしい都営バスに、原宿を通る路線があることを以前からマークしていて、ずっと乗ってみたかったその念願の夢を叶えてみた。明治通りは無駄に混んでいて、地下鉄を乗りついだ方が遥かに速いだろう、馬場から原宿まで一時間強を要したが、よく晴れた午後、貸し切りの最後部座席でゆったりと東京見物する心持ちといえば、今まさに出所したところ、というほど清々しかった。目的地より、過程だ。くだんのTOEICといえば、マークを潰すため鉛筆を転がすことすら面倒で、スコアは言うまでもなくあえて履歴書に書いたほうがインパクト大になりそうな、なげかわしい惨憺たる結果であった。





一人旅が好きで、せめて旅行英語くらいはと、喋らざるを得ない状況は多少英語へと興味をむかわせた。「言語」という壁だけで、興味のあるもの、ツアーやレストラン、はたまた友達つくりやちょっとした恋の駆け引きなどに参加できない、またチャンスを逸してしまうことが自分で許せない。これはペラリーノになって言うべきことなので気がひけるが、「たかが」言語で世界の扉が閉じてしまうのが、自分にとって非常に悔しい。なぜなら「言語」は習得のスピードの差こそあるが、先天的な身体能力や才能を求められているものではなく、厳密に言えば「できない、喋れない」のではなく、「やるかやらないか」という自分の選択だと思っているからだ。いや、NYの逞しい人々に触れていると、向き不向きの資質はあるに越したことないが、言語に限らずほとんどのことは才能よりも「やるかやらないか」の問題だということを思い知らされる。






とにかく喋る環境をつくろうとバーヘ、レストランへ果敢に飛び込んで、机上ではなくストリートで、あくまでもFunやJoy、興味とセットで習得したわたしの英語といえば、今やコミュニケーションにはほとんど困らないが、文法や時制にあまりにも無神経な、ひどいJenglish(Japanese English:日本語の発想、通常英語ではそのような言い方をしない、日本語から直訳したようなセンテンスのこと)である。その口調といえば、おそらく日本語でいうところの「〜みたいな〜、っていうか〜じゃーん?」という、決して洗練されているとは言えないものだと自己採点している。ある時、とある知り合いのご紳士から「君はきちんと、美しい英語を勉強しなさい」と言われたことは印象的に胸に突き刺さった。しかしながら今のところ、頂いた推薦図書、シェークスピア原文は1ぺージ目を開いた瞬間速攻深い眠りへと落としてくれる超強力サーブの魔法の書となっている。奇しくも「マクベス」は前衛的移動型芝居「Sleep No More」と題して未だNYでロングランの最中であるが、わたしにとっては間違いなく「Sleep More」である。




携帯電話のマナーなど皆無のNYのバスに乗っていると、皆電話ごしに激しく喋り続けている。聴こえてくる言語といえば英語、スペイン語(かなり多い)、中国語、フランス語、イタリア語、よくわからない語、と一斉にバス車内に何カ国語も響いているのだ。NYでは英語を第二ヶ国語としている人があまりにも多く、よって聴く方もブロークンイングリッシュを聞き取るのに慣れていて、非常に寛容である。





興味深い話を聞いた。
ネイティブ以外で英語を喋る(レベルは関係なく)外国人で、こんなにも申し訳なさそうに英語を喋るのは日本人だけなのだそうだ。たとえばフランス人やメキシコ人、中国人は、どれだけひどい英語でも、「僕たちは母国語以外に、英語も喋れちゃうんだぜ」と自身満々なのだそう。一方、わたしもその気持は分かるが「わたしの英語、充分でなくてすみません、これって間違ってますよね?」という、謙遜や相手への配慮ともいえるが、ほとんどの場合心理的恐怖といえるものが私たちについてまわる。些細な差だが同じスキルでも「少しだけど英語が話せる!」と思うか「少ししか英語が話せない」と思うかの違いだろう。いかに言語を効率的に習得できるかは、いかに精神的、心理的な壁を克服するか、と例のご紳士の指摘。勢い良く言語習得するには、間違えて当たり前、という厚かましいくらいの態度のほうが丁度いいのかもしれない。まずはなんとか通じればよいのだ、という「英語を喋る」という意識より、「コミュニケーションを図る」ということに重きを置くのは悪くないと実感している。




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友人の彼の家のリビングに飾ってある、伝説的レストランのメニューの数々。食いしん坊のわたしにとってはあまりにも奇跡の巡り合わせだが、彼のお母様が世界で名の知れたレストランジャーナリストで、NYのみならずフランスをはじめ世界のトップシェフと顔見知りなのだそう。どうりで彼がレストランに詳しいわけだ。幼少期からジョエル・ロブションやジャン・ジョルジュと面識があるという、どこまでもゴシップガールならぬゴシップボーイっぷりについ笑ってしまう。それは表面的なスノビズムではなく、本物のおぼっちゃんだと度々知らされるのだ。






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彼が「明希葉っぽいから」とくれた本「小麦、水、塩、イースト菌」は非常にナイス。これなら勉強文献として悪くない。って、パン用語ばっかり妙に詳しくなって実用的でなかったりしてねぇ。










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食べ物ついでにいうと、ヘルス、クオリティコンシャスなNYでは洗練された駄菓子が多いのだが、大好きなのはFOOD SHOULD TASTE GOODのチップスやSIMPLY 7のシリーズ。POMEGRANATEのチップスの美味しさには思わず声をあげた。POMEGRANATEはザクロのことだが、実感として今NYでホットな人気食材だ。以前にも紹介したBruce Costの生ジンジャエール、Mast Brothersのチョコレートなど、食品に関して生産者や創業者が大々的に表に出るのはアメリカらしさだと思う。













今週はブルックリンでライヴ!
ザックのプロジェクトイメージが「スタイリッシュ」なので、お得意のりぼんも、森(もう古い?)的要素も封じてみたんよ。
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by akiha_10 | 2013-01-23 14:31 | NY Journal
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