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ニューヨークジャーナル 140

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アメリカのクリスマスにお邪魔しました。ニューイヤーがあっさりしているぶん、サンクスギヴィングやクリスマスが大きなホリデイであり一大家族行事であるアメリカ。


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知っていましたか?アメリカではツリーを飾る時、生モミの木を使うのが本流らしく、12月に入ると街中の道端で木が販売されています。よいしょ、よいしょ、と担いで帰るお父さんやカップルの姿もよく見られます。

これって、、、毎年変える、しめ縄みたい!



神様ちがいでも神聖なものを祭る時は洋の東西を問わず新鮮なもの、自然なもの、が好まれるようです。しめ縄にもあるようにもちろん人口ツリー(日本ではこれが主流ですよね)があるのですが、それを使っていると若干の後ろめたさがあるようで「ま、ないよりいいでしょ」というような雰囲気です。

生モミの木はクリスマスの後どうなるのか?と尋ねてみると、どんど焼きのような気のきいたものはなく、ニューイヤーが終わるころからただただ道端にごろごろと使用済みの木が散乱するのだそうです。ざつ。その捨てられた木々は、ホリデイも終わり厳しい冬を迎えるという暗示であり、文字通り「祭の後」の哀愁すら放っているそうです。それらはゴミ収集車が拾って廻っている、という話。


それぞれゲストは家庭に着くなり、木の下に持参したプレゼントを配置。

これって、、、正月の時仏壇にお供えする菓子折りみたい!


たくさんの数のプレゼント、夢があります。こちらでは、一流のお店やデパートをのぞいては、美しく包装してくれる店が少ないため包装紙やプレゼントグッズが豊富なんですね。DIYの精神。より豊富なプレゼント感を出すために、クッキーやらジャムやらもわざわざ別に包んで、数稼ぎするのも大事な演出のようです。

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クリスマスイヴの夜、寝る前にサンタさんのためにクッキーと一杯のミルクをツリーの側に置きます。


これって、、、神棚にお供えするごはん山みたい!


ってサンタは神様じゃないけどさ。「で。これ誰が食べるん?」と野暮なことを聞きそうになったけども、全員が成人しているこの家庭において、未だにこの風習って、なんだかかわいい…。日本の神棚のお供えのごはん山について「誰が食べるん?」と聞くのが野暮なくらい、この国ではこれが風習なのだ。きっとサンタを大事にすること=クリスマスを大事にして祝う=キリストを大事にすること、になるんだろう。

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クリスマス当日の午前、教会へ。神父様のお話を聴き、聖歌を唄い、聖歌っていいメロディーが多いんだよね、などとしみじみ思いました。「もろびとごぞりて」の出番になって、サビパートの日本語の歌詞「主は来ませり」の大胆の歌詞の当て方に想いを馳せました。幼いころ、漢字も読めず、「主」も、「来ませり」も日常会話としてはまったく馴染みがないので「シューワっ キーマッセ リィ〜」はなにかの呪文かと思っていた。なんかキマセリ的なものがシュワシュワしとるんかなーと。しかしなにより「キーマッセイッリー」のハッスル具合とか、ぜったい恥ずかしい。その前までよかったのに急に張り切っちゃってどうしちゃったの。そこだけ小声作戦しかない。この恥ずかしさを英語だと共有できないのが残念でならない。




教会に行くクリスチャンが皆献身的かといえばもちろんそうではなく、若い世代は神様だとか宗教とかまだ実感がないよう。若い層は「あーめんどくさい教会!」という本音があり、「はい!行くよ!」と親に連れて行かれるという姿を見て、これがリアルなところだろうなぁと観察していました。


どのような形であれ、どの神様であれ、これといって神様の姿形がなくとも、目に見えないなにかがひょっとしたらあるのかもなぁ、などという実感は、救いを求めるような精神に直面し癒しを感じた時や、身に起こる事がメッセージだと実感した時、自分以上に守りたいものができた時、自然の畏怖を感じたり、または奇跡のような巡り合わせや一体感を通して感じるものでしょう。信仰は洗脳でない限りは自分の中に見出すものでしょうからね。


a0028990_2879.jpg教会から帰ったらメインイベント、朝食もそこそこにプレゼント開封タイム!家族みんなリビングに集合。プレゼントには宛名が書いてある。

Akhia……



おしいっ!



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日本だと品性を問われそうですが、大人だって、プレゼントをビリッビッリに破きます。これは、ラーメンをずるずる鳴らしながら食べることが「おいしい!」という表現の一環である日本に対してこちらでは音を立てることはマナー違反であるのと同じで、プレゼントのビリビリはアメリカの「楽しみでたまらん!」のわくわく感演出のひとつなのかも。多分丁寧に開けるに越したことはないと思うが、ビリビリでもさほど問題なさそう。




チョコから靴下、セーターなど小物から大物まで含めてプレゼントが複数あることが楽しさを倍増させるようで、ひとりあたり抱えるほどプレゼントをもらうクリスマス、開封だけで随分と長い間盛り上がりました。封を開けるなり「サンクス、マーム」と友人のアニーが言う度に、彼女の母親が「サンタ。」と釘を刺し、「サンクス、ダード!」と言う度に、父親は「サンタ。」と釘を刺し、何度かそのやりとりが繰り返されるのを横目に見ながら「もうどっちでもええんちゃうん」とつっこみを入れたくなる微笑ましさがありました。ちなみにアニーも立派な成人。



ところで、子どもの時に何が欲しかったかという話に。


a0028990_2111747.jpgアメリカでバービーと入れ替わるように人気になったのはアメリカンガールとよばれる、約45cmある人形なのだそうだ。日本の感覚でいうと、やや恐。髪の色から目の色、人種設定までたくさんの種類があるところはさすがアメリカ。店内には人形の髪をセットしてくれる人形サロンがあり、人形と一緒にお茶を飲むことができるカフェがあり、人形と一緒に映画を見る映画館までもある。さらに、人形とお揃いの服で出歩けるように、同じデザインの子ども用の洋服まで売っている。その夢の世界の徹底ぶりはただただすごい。というかやや〜わりと恐。しかし、なにより独りっきりで人形と遊ぶことが楽しかったわたしの幼少期(暗っ)を思うと、もしアメリカで育っていたらまずはまったであろう。Ilona Szwarcが撮っているアメリカンガールと少女達の写真は印象的です。




アメリカンガールはなんとこれまで、800万体以上の人形と9000万冊以上の書籍を販売しているという人気ぶり。ものすごい数の種類があり、またカスタマイズも可能。人形のシリーズ名が"Just Like You"となっていることからも、子どもたちは自分に似た人形を選ぶのだそう。バービーのように容姿端麗で王子様を待つ女の子とは対照的に、現代を自分らしく生きる「 アメリカの等身大の女の子」をコンセプトにしているという。


自分らしさと言えば。つい最近セレクトショップ、バーニーズNYがクリスマスコラボレーションでディズニーと組んで「ミッキーミニーのランウェイ」というスペシャルアニメーションを店頭で流していたところ、そのモデルミニーの激細ぶりに抗議が殺到した。「「人気キャラクターたちの体形をガリガリにしてアピールする行動は、子供たちに悪い影響を及ぼす。将来の拒食症にもつながる行為だ。自分自身の体型にあったドレスをキレイに着こなすことこそが、夢や自信を与えることになる」と、店頭での上映を止めさせる署名が立ち上がりなんと14万人以上の署名が集まった。上演開始してまもなくして、バーニーズはこのアニメーションを流すことを中止した。


ちょっと過剰反応な気もするが、こちらがそのアニメーション。





体型など気にせずピチピチのTシャツやセクシーなドレスを堂々と着るアメリカにおいて、生まれて来た本人の姿やオリジナリティや好みを尊重しない哲学はまったくもって支持されないようだ、NYではなおさら。服装のことだけでなく、全般に言えるアメリカの皆が持っているこのオンリーワン精神。日本から遊びに来た友達が度々言う、日本人の謙虚さと比較すると羨ましいやら、時には厚かましくすらある「こっちの人のこの自信はなんなんだ!」というこの自信について考える。これは、なにか本人達が具体的になにかの自信がある、というよりも日頃刷り込まれている「あなたは特別」「あなたらしく生きなさい」という自由の国に度々発信されているメッセージがそうさせている。もちろん多民族の国ではっきりと自分を主張しなければ、生き抜くことができないという、サヴァイヴ力もその強いパーソナリティーを育てているのは間違いない。激太りしたって、捕まったって、スキャンダルがあったって、「これがわたしだもの!」とそれすら人生ドラマとしてエンテーテイメントへと昇華させてしまえるミュージシャンやセレブリティの逞しさしかり。ここまできたら痛快だ。人格や表情は、日頃どんなもの、どんな周りに囲まれているかという習慣の影響を多大に受けるものだと思うので、堂々としている姿を美しいと讃えるメディアや親の教育、街の人々のそんな姿を見てそうなるのではないか、とわたしは思っている。







男の子にとっての人気のプレゼントはどうかと聞くと、わたしたちの世代の定番のプレゼントリクエストはテレビゲーム系だったようです。アメリカでファミコン(初代ファミリーコンピューター)のことはNintendoと呼び、スーパーファミコンのことはSuper Nintendoと呼ぶのだそうです。ちなみにGame Boyはそのまま。ということは、使い方としては「クリスマスに何が欲しい?」「任天堂!」というわけです、なかなか大胆な響きです。ファミコンの接触不具合の時、カセットの下の部分をふーふーしたかを聞いてみたら「もちろん!」とのことです。なんかおかしいね。




もうちょっとで2012年が終わるねぇ。
by akiha_10 | 2012-12-29 02:20 | NY Journal
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