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page t-149                シカゴ記 2

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シカゴ川クルーズしながら眺める建築ツアーへ!

シカゴは1871年の大火によって街は廃墟となるほどに甚大な被害を受けたのですが、
それが契機となってシカゴは空前の建築ブーム。
建築家がこぞってシカゴに集まり、都市計画の実験的都市として栄えていった。
人類生態学を当てはめ、都市地域は商業地域を中心として、その外周を5つの層のグラデーションで同心円的に膨張するという「同心円モデル」という考察もこの時期の都市計画と共に築かれたらしい。


住環境とそこに生まれる文化、住環境とそこで育っていく人、は密接であり
もっと身近に言えば今このカフェと、そこに来ている人達、この駅とこの周辺に集まる文化、のように
都市社会学のような事を考え出したら楽しくて仕方がない。
よく健康意識の高い方々の界隈でYou are what you eat.(あなたが食べたものがあなた自身を作る)などと聞くことがありますが、同様にYou are where you live.ということが言えると思う。

わたしは転勤族の家庭に育ったので小学校を3回変わったりと小さい頃から引越が多かったからか、
自然とその土地の雰囲気や傾向みたいなものを知らず知らずに観察していたように思う。
自分自身の振る舞いも環境にアジャストさせるべく最適な仮面を見つけようとしていた。
輝きに満ちた青春の輪に没頭するというより、時に空気を読むことに疲弊してしまって、
ちょっと失敬、と退席して本当の自分とは一体なんだろう、よほど一人のほうが楽チンだなぁと、
窓際でそっと自分の気持を確認し陶酔していた暗くて面倒くさい子だったなぁ。くふ。


話は戻って「NYの土地と文化」を照らし、
マンハッタンはどうしてマンハッタンたりうるのか、というのを考えても、
あの島の地理的特徴も「NY」を形成している大きな要素だと思う。
これ以上に分かりやすく簡単な都市はない。
縦横に伸び、番号によって整理された数学的な道や、頑張れば歩けてしまいそうなコンパクト感、
それぞれのマンハッタンの地図を脳内に焼き付け、NYを常に自分の中で持ち運んでいるポータブル感。

そこは差異と衝突に溢れた街だが、ただ地理というのものだけにいたっては誰にでも平等でシンプルで、
外部の者を迎え入れるにはとても親切であり、それが人を引き寄せ、そこに留まらせる。
すこし長めに滞在し街に興味があるならば、
ほとんどの人が住所を聞いたら「ああ、あの辺りか」と浮かべることができるような、そのミニマルさ。
ここに限っては容易に脳内GPSを仕込めるという、
(おこがましい言い方だが)その掌握感がまるで「NYしている」気にさせ、
偶然が多発する都市の可能性に期待させてしまうのだろう。


マンハッタンという土地が、多くの人にとって手早く容易に馴染むことで
人はそれ以外の、競争や許容、創作などにパワーを注ぐことができる。
ちなみに東京に来た事のある外国人に聞いた所、これだけの世界的都市なのに道も入り組んでいる上、
大きな通り以外はストリートに名前がないなんて!と東京は地理的には超難関都市らしい。



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さてシカゴ。ユニークな建築が目白押しな中でも、
個人的には「とうもろこしの穂軸」の愛称で呼ばれるマリーナ・シティーが気になるところ。
19階までは駐車場になっていて、続く61階までは住宅、
店舗、レストラン、ジム、ヘルスセンター、
コンサートホールなどがあり
居住者はすべてとうもろこし内で完結できるという
「市の中の市」"city within a city"
というコンセプトでできている。



今でこそ、日本の新築マンションにはジムやコンビニやバーまであるという話はよく聞く話で、
モールのような商業施設に併設して巨大なマンション郡が建つというのは
ここ最近のモデルのような気がしますが、これが出来たのが1967年というのは驚きではないか!

このご近所完結型って、ドラえもん的でいかにも効率・便利産業超大国、肥満大国アメリカ。
そういった効率至上主義が視野を狭くし身体を怠慢にさせる、などという事は耳にタコで推して知るべしだが
それでもまあどうして、こうも「便利」って魅力的なのであろう。

どこまで人が楽になれるか、という事に懸けてはアメリカに及ぶところはないだろう、
と思っていたがロボット掃除機の「ルンバ」の写真をアメリカ人に見せてこれ便利だよね、
と言うと「すごく日本の発想っぽい」と言われたのは意外。
フランス料理がバター、バター、そしてバター、と言われるならば
テクノロジー、テクノロジー、そしてテクノロジー=日本らしい。

ルンバはあなたのお国発だと訂正しておいたが、
考えてみると両国のこの凄まじいテクノロジーの発達の根源は日本とアメリカでは少々違うような気もする。
アメリカはもっと欲望に忠実というか、
動きたくない、面倒くさい、というわかりやす〜い素直な怠惰さが突き動かし発展したテクノロジー。

一方日本では、よりいい製品を、他者より速く静かで見た目もよし、といったように、
企業同士、そして消費者からの比較という競争で発展するテクノロジー。
「洗濯が自動的に完了する」という同じゴールにしても、それに辿り着くまでのあれこれ、
節水、時間、音、電気代、といった些細なミクロな差異で競争をしていく。過程までもが大事。

また、例えばわたしがそうであったように、洗濯物を自動乾燥までさせてしまう事で干さなくなるという、
怠惰という悪の手に堕ちてしまう罪悪感みたいなものはアメリカ人の彼らからはあまり感じられない。
これは手足を動かしてなんぼ、の古来の農耕民族魂なのか様式美崇拝からくるのか、
日本には「これくらいは自分でやります」という事への美しさ、
そう、ベースにはアナログ信仰があるように思えてならない。
だから、便利だったらなんでもいーじゃーん!!
というアメリカの欲望直結型と比べテクノロジー発展の根源のなにかが違う気がするのです。


そういえば母にiPadの使い方を教えていて、
「面白いねー」とその便利さを実感したばかりでありますが、
「経済成長時代はこういった続々と出てくる革新的な「便利」によって将来、人は自由な時間が増えて豊かになる、という事をなんとなくみんな思っていて、社会全体が共通の指針を持って向かっていたよね」
というような話をしていました。


さて、便利になって、豊かになったのか、自由になったのか。
まず、時間が増えたという人をあまり聞かない。
たとえ時間が出来たところでその余暇で一体なにをしているのだろうか。
そもそも、普通の、住む、食べる、話す、笑う、着る、寝る、の丁寧な生活を省略してまですることって
本当にあったのだろうか、と
ルンバくんと全自動洗濯機をフル活動させながら、一番言う資格のないどこかの誰かの戯言。
あくまでツールとしての「便利」さには肯定派なわたしといえば、
まったく説得力に欠ける中途半端な立ち位置。


学生時代から家庭教師をしていた生徒さんとの付き合いで今でも中高大学生と話をする機会があるのですが、スマートフォンやipadを巧みに駆使してたくさんのお友達と繋がっているはずの彼らが
半分冗談でも皆、口を揃えて「お先真っ暗」だとか「鬱」だというのは、なんだろうなぁ。
「便利」って一体なんだったんだろうか。

いつの時代の著書を読んでも懐古と警鐘はつきものなので、それでも地球は廻って行く。
(また宇宙に逃げるのかい?)
ならばこの違和感すら興味深く、そもそも今生まれているこの超ラッキーさにメイン焦点を当てて、
大変に便利で豊かな、このせわしない、恐ろしく饒舌な時代の中で、
何が起ころうとも、
台風の目のようにおっとりとした静けさと微笑みを大事にしていきたいと思います。

ああ、宇宙って、やさしくて、「便利」。そしてこの包容力たるや。






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ところで、シカゴ名物、シカゴピザ。
キッシュのように、厚さが3cmくらいあって、
中の構造もほぼキッシュ。

………





じゃあキッシュでよくない?
by akiha_10 | 2012-01-28 16:03 | Trunk
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