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  ニューヨークジャーナル 59

NYおみやげジャーナル、追記。


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ブルックリンでもなかなか行きにくい場所であるにも関わらず足を運ぶ度連続でフラれていた場所。
去年の秋もちょうど閉まっていて、今回も一度目のトライ時にも閉まっていて(営業日と時間、要注意)
自分の学習能力のなさと縁のなさにしょんぼりしながらも、二度目はきちんと営業日をチェックして
やっと再訪が叶ったお店、ブルックファーム・ジェネラルストア

NYでほとんどお目にかかれないナチュラル感やクラフト感漂う店内、素敵なバッグを購入。
NYに「ナチュラル」や「ほっこり」の感覚はかなり少ない、というか、ほぼなかったように思う。
チェンマイを訪れた際に、日本から持参した服のハリだとか彩度の高さや妙なきちっと感がしっくりこず、
現地でしぶめの色みの麻ややわらかいコットンの服を慌てて調達したように、
NYでスモックシルエットのプルオーバーやストライプのワイドパンツがどうしてこうも馴染まないものか
(というか、気分でない)と今回痛感した。(ユーロ圏では感じたことのない感覚)
あのナチュラル感はフランスや北欧(を中心としたユーロ圏)のカントリーライフ発祥だと
わたしは解釈しているのですが(レースやカゴ、ファブリックなど)
ブルックリンやロウアーイーストサイドの一部の文化系雰囲気の漂うところで、
そういったニュアンスの雑貨屋さんやカフェ、男女の装いをごく稀に垣間みることがあっても、
マンハッタンには皆無。



NYで美容師をやっている日本人の方に聞くと、ニューヨーク(アメリカ?)の女子の目指すべき方向性に「かわいい」というベクトルはなく大部分の女性は「セクシー」や「ゴージャス」を重んじるのだということ。数日前に髪を切りに行って思い出したのだが、NYで出会った女性の髪型を思い出した時、ほぼ全員同じような長さのロングヘアで、ボブまたはショートの子がとても少なかったことに気付いた。そう思うと、日本女性の自身が感じる女性の魅力についての幅の広さや、日本男性が女性に魅力を見出すヴァライティの多さ、守備範囲の広さはなかなかのもんだなあ、と思ったのだった。NYは人種も文化もメルティングポッドと言われるわりには女子ファッションに関しては人種を越えてかなりの画一性を感じ、またフェミニズム発祥のアメリカのわりには、髪は長くデコルテ深めで身体のラインを出して、という現代版ジェンダーの「女らしさ」が色濃く健在していて、それに縛られているのか、単に気にしていないのか、むしろ、そのいかにもの「女らしさ」を楽しんでいるのか、わたしにはとても興味深いことだった。これは女性としての地位確立が安定して、女たちは外見から男らしく振る舞う必要性がなくなり、内なる男性部分を発揮しつつも「女」を楽しめる時代になったということでしょうか。都会に生きる女子の小っ恥ずかしい常套句、「恋も仕事もおしゃれも」的な現れなのでしょうか。実際イメージに違わずマンハッタン中に恋が溢れていましたが!とにもかくにも、日本女子でいうところの、おじカジ(おじさん風カジュアル)なんてNYの男女には絶対に意味不明だろうなあ、と思う。ニューヨーカーの彼女達はTシャツとジーンズでミニマルにかっこよく着こなしたり、ワンピースをサラリと着たりと、いずれにしろセクシー要素は残しつつ(いや、全面に押し出しつつ)粋ではあるが、お洒落の創意工夫度合いや髪型やお肌に関する美意識はとんでもないぞ、ジャパニーズガール!と実感したのでした。



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おみやげシリーズ。ステーショナリーショップで買ったカリグラフィーが彫ってある革のカード入れ、
活版印刷された綺麗な色のノート、同じく活版印刷されたハチのカレンダー。
旅のたびに集めている綺麗ノートたちは…もったいなくて、使えない(うっとり用)。


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ヴィンテージ、プラスチック取手バッグシリーズ!
ブルックリン購入の上のバッグにこの二つのバッグと、
さらに小さいクラッチを入れて手荷物として乗り込んだのですが、
空港セキュリティチェックで手荷物検査の際、
バッグからまさかのバッグ、そのバッグから仰天!またバッグ、
と次から次へと誕生するバッグの団体に検査官も苦笑、
「バッグリョーシカだね」と、これらバッグたちによって
厳粛な雰囲気の中、検査官のこわもて仮面を一枚剥いだような、
「やった!」と勝ち誇った気分になったというのは正直なところです。

床にバッグを並べてにやにや、
密かにその数を増やし続けるバッグフリークの母を諭す父の、「手は二本よ。」
という言葉がループ状になって聞こえてきますが
難しいことは考えず、すべてはDNAのせいだ、ということにしようと思います。
ちなみに後日、一度使用で左のバッグの取手ももげた。もう、もげにもげまくっている。もげづいとるよ。



ツーリストとして滞在しただけなのに、
得意気についつい語って勘違いをしやすいお年頃ではありますが、
すこし離れただけでも、多少なりとも日本や日本語に対して新たな着眼点を持つことができ、
新鮮な味わいが続く「視点の賞味期限」の間、その期間に感じる違和感や気付きは貴重だと感じます。
(帰って一週間くらいでみるみる鮮度は落ちるのですが)
それは「て」という字を書いた時に、時に感じる、なんでこういう形なんだ?ほんとに?だいじょうぶ?
と感じるような、今まで到底疑いもしなかった、染み込んだ習慣や通念、
そして自分自身に改めてスポットライトをあてて検討してみる奇妙さ。

一般的に言われるように日本のお店のサービスがとても気持よいと感じたり
電車の中で勉強や読書をする人、自身の成長や啓発についての努力家の多さや
飲み屋で仕事の話を積極的にしている人の多さに気付いたり。(NYではほとんどなかったような)
総じて、日本は誠実かつ真面目であることを再認識。
なにが良い悪い、好き嫌いかを言い出すとキリがありませんが
その「違い」に触れて、その狭間で感じ、味わえる事に本当に感謝です。


夢があったり、こだわりや好きなものが確固として確立している人に限らず、ビジネスマンやOLとして生活を楽しむ方まで、ニューヨーカーに度々聞く「NYが好き?」という質問に彼らは共通して、一点の曇りもなく「大好き!!」だと答える。(唯一、自発的に来たわけではない方は答えを濁らせたが。)好きじゃない人は去って行くから好きな人だけ残る、というのを聞いて納得した。こういった住人全てのNYへの愛と誇りのパワーが、小さな島にとんでもないエネルギーの渦を巻き起こしている、それがわたしの思うNYの一番の魅力である。正直言うと街自体にヨーロッパや日本ほど歴史や文化、美しさや美意識はないが、それら差し引いてもなお、虜にするには充分すぎるほどの吸引力をもってっわたしを魅了する。その「場所」から得られる情報より、NYに居る「人」から学べることのほうが豊かだと思わせてくれるNY、なぜなら彼らひとりひとりの背景にそれぞれの歴史と文化と世界と哲学が拡がっているから。彼らのフィルター越しに探検できる世界、それが主観性を帯びていようが偏っていようが、その考え方や視点すら面白い。例えそれらを語らない人にしたって、アメリカ人?それともニューヨーク人?の、度々アメリカ人を語る時に他国で揶揄されることもある、なにをもってそんなに明るくってなにがそんなに楽しいのだろうという気質、陽気で陰気なわたしは時にそれに対していとおしさまじりに眉をひそめながらもとても引きつけられるのだ。明るい太陽に寄り付きたくなる事に理由はあるまい。シャンゼリゼ通りはいつも太陽の射す歩道側に人が集まっている。好きになった人をもっと知りたくなるような、もっと知りたい人を好きになるような、順番はよくわからないけれど、好奇心による恋である。彼らはなーんにも考えてないよ、と他国から来た誰かが笑って言っていたが、それであれば「なにも考えずに楽しむ」気質になにがそうせたのであろうか、広大な地理的要因?環境?歴史?言語?疑問の根は深そうだ。
今回は以前から浮上していた「NYに住みたい」という、煩わしい煩悩を発作的なものではないかと疑い、運良く目を覚ましその想いを断てればと、飽きるつもりで中長期で行ってみたが、恋は深まるばかり興味は尽きぬばかりで困ったもんである。同時に「好き」の気持が自分の活力となっているのも実感しているのだが。もっとも、そういったキラキラとした感情は自分のコントロール下にないところで「あれ?興味なくなっちゃった」とふとした瞬間に情熱の灯火のブレーカーが落ちたり、「わたしって何が好きだったんだろう」と空虚な時期が訪れたり、また「慣れ」という色褪せた安らかな楽園に知らぬ間に船が座礁してしまっていたりと、この感情がまさに恋のごとく絶妙なバランスで存在していることを知っている。夢中や情熱はお金では買えない最も豊かなものである。(情熱の灯を燃やすべく薪が必要となってくるのもまた事実だが)。だから、持たせて頂けるのであれば、それらを宝物にしていきたいのです。もっともっとNYを知りたい!!!



アメリカかぶれに大袈裟に言うならば、今回は魔法のような奇跡に満ちた滞在で
あらゆる枠から解き放たれた気がします。
予期せぬ事が起こる世界で、心底明日どうなっても後悔のない生き方をさせていただいて、
今回出会った全ての方々、巡り合わせ、健康な心と身体、
なにより身近に居るあたたかい周囲の方の理解とまなざしに本当に感謝です。
そして、自分の記録半分といえど、
我が、まま、に進めさせて頂いた旅行記にお付き合い頂きありがとうございました。
完全にダイナミックな数ヶ月でしたが、忘れることなかれ、
日常が「ちょっちしたワクワク」の旅であることを!
ニューヨクジャーナルは一度休刊、つづく。

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日本、ローダーデールにて。
ひさしぶりにスフレを食べたよ。
スフレも人の情熱や気持のごとく、
鉄は熱いうちに打て、スフレは沈まぬうちに食せ。
by akiha_10 | 2011-05-25 00:54 | NY Journal
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