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page t-149                シカゴ記 2

シカゴ川クルーズしながら眺める建築ツアーへ!

シカゴは1871年の大火によって街は廃墟となるほどに甚大な被害を受けたのですが、
それが契機となってシカゴは空前の建築ブーム。
建築家がこぞってシカゴに集まり、都市計画の実験的都市として栄えていった。
人類生態学を当てはめ、都市地域は商業地域を中心として、その外周を5つの層のグラデーションで同心円的に膨張するという「同心円モデル」という考察もこの時期の都市計画と共に築かれたらしい。


住環境とそこに生まれる文化、住環境とそこで育っていく人、は密接であり
もっと身近に言えば今このカフェと、そこに来ている人達、この駅とこの周辺に集まる文化、のように
都市社会学のような事を考え出したら楽しくて仕方がない。
よく健康意識の高い方々の界隈でYou are what you eat.(あなたが食べたものがあなた自身を作る)などと聞くことがありますが、同様にYou are where you live.ということが言えると思う。

わたしは転勤族の家庭に育ったので小学校を3回変わったりと小さい頃から引越が多かったからか、
自然とその土地の雰囲気や傾向みたいなものを知らず知らずに観察していたように思う。
自分自身の振る舞いも環境にアジャストさせるべく最適な仮面を見つけようとしていた。
輝きに満ちた青春の輪に没頭するというより、時に空気を読むことに疲弊してしまって、
ちょっと失敬、と退席して本当の自分とは一体なんだろう、よほど一人のほうが楽チンだなぁと、
窓際でそっと自分の気持を確認し陶酔していた暗くて面倒くさい子だったなぁ。くふ。


話は戻って「NYの土地と文化」を照らし、
マンハッタンはどうしてマンハッタンたりうるのか、というのを考えても、
あの島の地理的特徴も「NY」を形成している大きな要素だと思う。
これ以上に分かりやすく簡単な都市はない。
縦横に伸び、番号によって整理された数学的な道や、頑張れば歩けてしまいそうなコンパクト感、
それぞれのマンハッタンの地図を脳内に焼き付け、NYを常に自分の中で持ち運んでいるポータブル感。

そこは差異と衝突に溢れた街だが、ただ地理というのものだけにいたっては誰にでも平等でシンプルで、
外部の者を迎え入れるにはとても親切であり、それが人を引き寄せ、そこに留まらせる。
すこし長めに滞在し街に興味があるならば、
ほとんどの人が住所を聞いたら「ああ、あの辺りか」と浮かべることができるような、そのミニマルさ。
ここに限っては容易に脳内GPSを仕込めるという、
(おこがましい言い方だが)その掌握感がまるで「NYしている」気にさせ、
偶然が多発する都市の可能性に期待させてしまうのだろう。


マンハッタンという土地が、多くの人にとって手早く容易に馴染むことで
人はそれ以外の、競争や許容、創作などにパワーを注ぐことができる。
ちなみに東京に来た事のある外国人に聞いた所、これだけの世界的都市なのに道も入り組んでいる上、
大きな通り以外はストリートに名前がないなんて!と東京は地理的には超難関都市らしい。




さてシカゴ。ユニークな建築が目白押しな中でも、
個人的には「とうもろこしの穂軸」の愛称で呼ばれるマリーナ・シティーが気になるところ。
19階までは駐車場になっていて、続く61階までは住宅、
店舗、レストラン、ジム、ヘルスセンター、
コンサートホールなどがあり
居住者はすべてとうもろこし内で完結できるという
「市の中の市」"city within a city"
というコンセプトでできている。



今でこそ、日本の新築マンションにはジムやコンビニやバーまであるという話はよく聞く話で、
モールのような商業施設に併設して巨大なマンション郡が建つというのは
ここ最近のモデルのような気がしますが、これが出来たのが1967年というのは驚きではないか!

このご近所完結型って、ドラえもん的でいかにも効率・便利産業超大国、肥満大国アメリカ。
そういった効率至上主義が視野を狭くし身体を怠慢にさせる、などという事は耳にタコで推して知るべしだが
それでもまあどうして、こうも「便利」って魅力的なのであろう。

どこまで人が楽になれるか、という事に懸けてはアメリカに及ぶところはないだろう、
と思っていたがロボット掃除機の「ルンバ」の写真をアメリカ人に見せてこれ便利だよね、
と言うと「すごく日本の発想っぽい」と言われたのは意外。
フランス料理がバター、バター、そしてバター、と言われるならば
テクノロジー、テクノロジー、そしてテクノロジー=日本らしい。

ルンバはあなたのお国発だと訂正しておいたが、
考えてみると両国のこの凄まじいテクノロジーの発達の根源は日本とアメリカでは少々違うような気もする。
アメリカはもっと欲望に忠実というか、
動きたくない、面倒くさい、というわかりやす〜い素直な怠惰さが突き動かし発展したテクノロジー。

一方日本では、よりいい製品を、他者より速く静かで見た目もよし、といったように、
企業同士、そして消費者からの比較という競争で発展するテクノロジー。
「洗濯が自動的に完了する」という同じゴールにしても、それに辿り着くまでのあれこれ、
節水、時間、音、電気代、といった些細なミクロな差異で競争をしていく。過程までもが大事。

また、例えばわたしがそうであったように、洗濯物を自動乾燥までさせてしまう事で干さなくなるという、
怠惰という悪の手に堕ちてしまう罪悪感みたいなものはアメリカ人の彼らからはあまり感じられない。
これは手足を動かしてなんぼ、の古来の農耕民族魂なのか様式美崇拝からくるのか、
日本には「これくらいは自分でやります」という事への美しさ、
そう、ベースにはアナログ信仰があるように思えてならない。
だから、便利だったらなんでもいーじゃーん!!
というアメリカの欲望直結型と比べテクノロジー発展の根源のなにかが違う気がするのです。


そういえば母にiPadの使い方を教えていて、
「面白いねー」とその便利さを実感したばかりでありますが、
「経済成長時代はこういった続々と出てくる革新的な「便利」によって将来、人は自由な時間が増えて豊かになる、という事をなんとなくみんな思っていて、社会全体が共通の指針を持って向かっていたよね」
というような話をしていました。


さて、便利になって、豊かになったのか、自由になったのか。
まず、時間が増えたという人をあまり聞かない。
たとえ時間が出来たところでその余暇で一体なにをしているのだろうか。
そもそも、普通の、住む、食べる、話す、笑う、着る、寝る、の丁寧な生活を省略してまですることって
本当にあったのだろうか、と
ルンバくんと全自動洗濯機をフル活動させながら、一番言う資格のないどこかの誰かの戯言。
あくまでツールとしての「便利」さには肯定派なわたしといえば、
まったく説得力に欠ける中途半端な立ち位置。


学生時代から家庭教師をしていた生徒さんとの付き合いで今でも中高大学生と話をする機会があるのですが、スマートフォンやipadを巧みに駆使してたくさんのお友達と繋がっているはずの彼らが
半分冗談でも皆、口を揃えて「お先真っ暗」だとか「鬱」だというのは、なんだろうなぁ。
「便利」って一体なんだったんだろうか。

いつの時代の著書を読んでも懐古と警鐘はつきものなので、それでも地球は廻って行く。
(また宇宙に逃げるのかい?)
ならばこの違和感すら興味深く、そもそも今生まれているこの超ラッキーさにメイン焦点を当てて、
大変に便利で豊かな、このせわしない、恐ろしく饒舌な時代の中で、
何が起ころうとも、
台風の目のようにおっとりとした静けさと微笑みを大事にしていきたいと思います。

ああ、宇宙って、やさしくて、「便利」。そしてこの包容力たるや。










ところで、シカゴ名物、シカゴピザ。
キッシュのように、厚さが3cmくらいあって、
中の構造もほぼキッシュ。

………





じゃあキッシュでよくない?




# by akiha_10 | 2012-01-28 16:03 | Trunk
page d-274     ACCラジオグランプリ







作曲と演奏と唄、
という形でお仕事をさせていただいた
「プラチナギルド・インターナショナル」さんの
ラジオCMがACCラジオグランプリを頂きました!



また、個人でクラフト賞(特別賞)の
音楽賞を頂きました!!
先日授賞式があり、ずしりと重い(本当に重い!)
トロフィー!わーい!






今を形作る一番大きな要素は「出会い」のような気がします。

それは、たまたま隣に座った人との出会い、
帰りの電車の吊り広告で見つけて引き寄せられた絵画や
夕暮れスクランブル交差点で車も人も通らない、たった一瞬静寂が通る美しい景色との出会い、
あまりに手触りがよくて買ってしまったカシミヤや、
つい昨日エレベーターで耳についた誰かしらの会話、
その時は落ち込んだり失敗かなあ、と思ってしまうような不本意な感情、
そういった、すべてとの出会い。

それだけ単体で切り取って起こったことなどは何ひとつなく、
まったく関係のないような事まですべての事柄が繋がって、
一つの場所に集結していることを改めて感じるのです。

だから、いつ何時でも、美しさを見出せるようにオープンマインドでありたい、
心の容量は大きく開かれていたい、気持よくありたい。

この度一緒にお仕事をさせて頂いたとても気の合ったチームの皆さんから、
学ぶことがたくさんありました。素敵なご縁に心から感謝。

いつも支えてくれる、今まで仕事をしてくださった仲間たち、バンドやアレンジャーの音楽仲間たち、
一番側にいてくれるスタッフ、友人家族、旅で出会う人々、
そしてなにより、応援してくださるみなさん。
誰もが必ず、(声を大にして)か、な、ら、ず、出来事の要因になっていて、
誰か一人でも欠けると起こりうる事のバランスは変わってきます。これは本当です。
天文学的な確率の組み合わせで、偶然素敵なことが起こったら、それはみなさんのおかげです。
本当にありがとう!!

そういった意味で、人は絶対的に存在しているだけで
誰がそれを拒否しようと、その拒否も含め相互作用、干渉し合っているので、
生きている以上、そして死もまた他人に作用するから死後も含め、根本的にひとりということは有り得ない。
これだけ自己顕示が強いわたしだって、表面的な「個」を味わいながらも
所詮はたかが宇宙の構成要因という安心感に包まれている。
だから物理的な「ひとり」はまったく「ひとり」という気がしないから、見かけの「ひとり」もたのしい。
「圏外の街」で唄ったように、見かけが「ひとり」じゃないほうがよほど
表面的な「個」に束縛されて「ひとり」を感じる。
とまた話がプチ哲学に逸れそうだ!あれー?



最近、宇宙のことをよく考えていると、ますます勘が冴えてきてですね、
些細なことですが、何かびびびと脳裏でビジュアルで見えることがあり、それが大変おもしろいのです。
というと、相当怪しい人の臭いぷんぷんなので、
この際怪しい人だと思ってもらってもよいのですが、
例えば先日「吉田類の酒場放浪記」という酒好きの類さんがひたすら居酒屋で酒を飲む、
という番組をぐだぐだと観ていて、「次に類さんが注文するものを当てよう」という、
どうにもくだらないゲームを友とやることになったんです。

そうすると、わたしの脳裏にぴかんっと、どこからともなくビジュアルが送られて来て、
類さんが次に何を食べているかの絵が浮かぶ。
そこで浮かんだまま、「もつ煮」と「軟骨」をバシーっと当て、
まあそのあたりは飲み屋の定番メニューなので、うお〜!!という小盛り上がりだったのですが、
「次の店で、餃子やね。」と私が言うと「いやいや、居酒屋でそれはないでしょ〜!」とトンチンカン扱い。

しかし、どうにも私の脳裏にはワンタンと、ワンタンになにかが包まれている絵が浮かんだのです。
類さんが次の居酒屋に入り、いざ注文せんとする時、
カウンターに並んでいた「シュウマイ」のアップ、「じゃあそれを」の一言で、
我々の間に幽霊が通ったかのように、場が凍り付いたのです。

うお〜!!!

餃子ではなかったけど、惜しい。ワンタンと包み系!!
はーはっはっ!
まあ、限りなくくだらんのやけど、余興としては面白いでしょ?
宝くじを当てたくらい嬉しかった(買ったことないけど、推測。)ああオメデタイ。


気の合う人がすぐにわかったり、
兄弟の数や何番目かを当てたり、出身を当てたり、思っている人とばったり会ったり、
そういうのが昔からなんとなく得意でしたが、最近ますます勘が鋭くなってきています。
霊などは全く見えないのですが、第六感といいますか、説明不能なことはあると実感しているので
「見える人」というのは本当に見えているんだろうなぁ、と思います。
いつのまにかニューヨークの母、もしくはパリの母、として
路上で占いをやっていたら遊びにきてね、なんて。


わたしに関してビビビと浮かぶのは、
まあなにやら笑っているビジュアルしか見えてこないので、多分そんな感じでいくのでしょう。
これからも「運」や「勘」に失礼のないよう、自分のできることは精一杯、気持よく学び邁進です!
ありがとう!!!







ディレクターの高草木さんと。
# by akiha_10 | 2012-01-19 15:50 | Daily thinking
page t-148                 シカゴ記


シカゴに行きました!
シカゴで思い出すのはブルースやジャズといった音楽はもちろん
映画「アンタッチャブル」や「スティング」の渋さ。
なんといっても麻薬、ギャング、腐敗警官で重く沈んだ街、
ゴッドファーザー的暗黒セピアシティを頭に浮かべては警戒レベルを引き上げて上陸しましたが
なんだなんだこれは、ものすごく綺麗で腰抜け。


空を埋めつくす摩天楼、アヴァンギャルドな建築物、道幅の広い道、
NYのごちゃっとしたカオス感から比較すると、都市としてのまとまりがあって景観のスケールが大きく、
なによりとても綺麗。道にゴミが落ちていない。
どうやら現市長が美化運動に重きを置き、90年代からは
ゴミと共に暗黒のイメージは一掃され街全体が公園のように美しく蘇ったらしい。

NYのあの汚さは一体なんなんだ!と思うと同時に街の秩序が整いすぎて
なんや隠れるてコソコソやる場所がない、なにも生まれて来ない退屈さすら感じるつるつるさ。
もっともこれはダウンタウンと言われる超中心地だけの話で、
そこから少しでも離れればすぐ「アメリカ」がひろがっているらしい。





1980年年代までは
ゴミの川だったといわれるシカゴ川。
今は清らかに流れ、
その水面とガラス張りの建築物が光を反射させて街をキラキラ照らす。
ベネチアやアムステルダムみたく、
水のある街はいいなぁ。











ジョン・ハンコック・センターから
望むミシガン湖。さすが五大湖!!
どう見ても海岸に見え、
目を細めても双眼鏡で眺めても
むこう岸を確認することのできない、
延々と続く湖。




街で突如シカゴ出身の女優、
マリリン・モンローのモニュメント!
高さ8メートルもあるドゥドゥッビドゥ。
後方部は見て♥といわんばかりに大胆にスカートがはためいています。
みんなしてスカートの下に行かなくても…
(行ったけど)
ファミリーで行かなくても…
かといっておひとりさまで観察は
もっと微妙だけども…(行ったけど)
そして写真撮影って…
なんだか犯罪のかほり。
面白いが若干躊躇 。
公共の場でのマリリン様は健康的なホットパンツ的なものをお召しになっておりました。
絶対みんな「なーんだ」って思っとる!とスカート下で人々の観察をしニヤリ。
冷えるけんねぇ。(←?)。

# by akiha_10 | 2012-01-12 14:15 | Trunk
page d-273                新年


明けましておめでとうございます!

今年も想像と創造に満ちた年にします。
いつも笑って邁進。

近頃は寒いけど晴天続きでまったくもってごきげんよ。
今年も宜しくお願いします!

瓜生明希葉



# by akiha_10 | 2012-01-05 12:07 | Daily thinking
ニューヨークジャーナル 94
思い出すおすすめブランチ。


ひとつはNORMAN'S
よく聞いてはいたのですが、ここのエッグベネディクトは本当においしかった。
びっくりするくらいとろける。

ミートパッキングエリアのPastis
オニオングランタスープがとてもおいしい。
なんといっても雰囲気が、パリそのもの。
タイル張りされた床や店内を映し出す、いぶされた額縁にはいった重厚感のある年代ものの鏡。
あまりに素敵すぎてウェイターに尋ねてみると、
オーナーのこだわりでほとんどのパーツを主にフランス、ヨーロッパから持って来ているとのこと。
机や椅子は新しいものを古いもののように加工したものだけどね、と説明してくださいました。

特に見てよ。この洗面台シンクまわりの美しさったら。
誰もいなかったので撮らせていただいたけど半ば不審者。


このオーナーといわれるのがNYで数々の大人気レストランをプロデュースし続けている、
レストランキングといわれるキース・マクナリー。
よくレモンタルトやカヌレを買いにいくソーホーのBalthazarと同じオーナーです。
レストラン兼ベーカリーの「Balthazar」も、ソーホーの真ん中に突如パリ。
内装といい世界観といいなるほどこのセンス、彼がロンドン出身パリ在住歴有り、に所以するものであり、
また映画のセットにいるようなトリップ感は彼自身が映画を学び当初ディレクター志望でNYにやってきたことですべてが繋がる。
映画を創作しなくとも、それに匹敵する数々のストーリーが生まれる場としてパリを「パリ」らしく切り取り、またNYに「NY」しにきた人たちに提供し、結果的には多くのドラマを「監督、演出」していると言えるだろう。このいかにものパリらしさは、彼がニューヨーカーでもなく、生粋のパリジャンでもないからこそできるデフォルメだと思った。本当のパリ出身の方がつくったら、おそらくもうちょっと、くたっとゆるくて汚い。ふふ。

わたしがとにかくレストランが大好きなのは、食べることはもちろん言うまでもなく好きで、だけどそれだけでなく、ほろ酔い気分でレストラン中に浮遊しているそれぞれのドラマに包まれるのが好きだからです。
そしてふっと、今までにあった甘酸っぱいこと、しょっぱいこと、すばらしい出会いをちょっとだけ俯瞰して
「人生って不思議。C'est La Vie !」と突如はっと開ける、生きている実感やその有り難さ、こみ上げる感謝、宇宙の流れの壮大さに気付く瞬間がきもちいい。
若くもないけれど、だからといってどっぷり浸かるほどの渋みもないだろう人生経験年数で
はやくも振り返って耽ってどうするのでしょう、我ながら生意気。
このままゆくと、まさに耽適齢期、ヴィンテージのお年頃になった時には、もう耽ることに関してはエキスパートになっていて、「耽(ふけ)方上手」という本でも執筆していることでしょう。
「老け方上手」ではありませんよ。まあそれはそれで書けたら素敵だから、
その時はせめて「老い方上手」にしよっと。響き的にね。
でもね、いつも今夜が最後の晩餐だという心持ちで耽ると、その美しさに泣けてくるから。
だから美味しいものが好き、ワインが好き、心の通う人との笑いが好き、一人も好き!



# by akiha_10 | 2011-12-27 16:20 | NY Journal
page d-272          メリークリスマース!
ロックフェラーのスケートリンクに想いを馳せて。


帰国し、会いたい人にあって、読みたいものを読んで、観たいものを観て、
日本でしたい10のこと、と残念な邦題にありそうなリストアップに線を引きながら、
期間というものがあると人はどうして
こうもいとおしく時間を取り扱うことができるのだろうと思う。

時にライフラインでもあり感動的なまで有益に働く「情報」ですが、
ほとんどの場合が時間泥棒でもある情報を実を言うならばまったく遮断してしまって、
エンシェントな時間にどっぷりと浸かりたいという衝動に駆られることがあります。
(勝手にすれば、という話なのですが)
しかしながら、あらゆるものから解放されたいと田舎暮らしをするものの、
それすらライフスタイルとして公表せずにはいられない人の顕示欲というか
前向きに言うならば表現欲を目の当たりにすると、
人間って、そして誰よりわたしって、超めんどくさいなと思わずにはいられません。矛盾だらけやねぇ。







代官山に突如ででんと現れたTSUTAYAに度肝を抜かれました。底力結集。

久々にジェルネイル。
技術の高さは世界に誇れるものだと確信した日本ネイルの精巧さ。
今のところNYで何度かトライしたジェルネイルは大満足とは言えず、
久しぶりにきちっとした仕上がりを指先にまとう。
(在住の日本人ネイリストさんなのにどうしてだろう?
アメリカOKラインの基準がゆるいのか感性の違いなのか、なんなのか。
デザインの問題ではなく、ジェルの乗り方が違う。仕上がりの緊張感が違うんよねぇ。)
そういえば中国から一時帰国した姉のちびまる子カットを見てひとしきり笑ってしまったけれども、
なんと中国の美容師は資格いらずなのだそう!「今日からわたしなります!」の一声で美容師に。
初めてトライした中国の美容院にて、
無免許だけどスキルもやっぱりなかったブラックジャックのハサミづかいに愕然とし、
一目散に家に帰っては自ら修復オペ、あれやこれやとすいたりしてみたものの未だちびまる子の姉。

ずっと気になっていたホテルオークラのフレンチトースト!
世界各国の著名人を「死ぬほど美味い!」と言わせしめた幻メニュー。
朝食時間のみのメニューというハードルはおかげさまの時差でクリア、
うっかり6時に起きてしまった朝に行って参りました。
さすがに死にはしないけど、相当おいしい。ハンペンみたいなビジュアル。





最近友人から新潟の古町糀製造所というところの「神社エール」という飲物を頂きました。
甘酒に生姜が入ったもので、砂糖を加えておらず、お米の甘さだけなのにほんわり美味しい。
とてもあったまります。冷えない女をめざして。
飲物に大量の砂糖が入っていることには嫌悪するくせに、
右手につまんでいるドーナツには大量の砂糖が含まれていますぞ。それはいいんかいっ!


「メリクリ」と周囲でめっきり聴かなくなったのは、
言葉が古くなったのか、さもなくばわたしが古くなったのか。
それではみなさん、素敵なクリスマスを!

# by akiha_10 | 2011-12-24 20:27 | Daily thinking
ニューヨークジャーナル 93

アッパーイーストサイドで小麦サーベイ。
家族で住む人も多いと言われるこの地域では
子どもを学校に送った後、お母様方またはシッターさんたちのお茶べり会スペースとしても活躍している
ベーカリーやカップケーキやさんが点在。80丁目から96丁目あたりは個人的注目の密集地帯。
Corner Cafe & Bakeryには家族みんなに愛されそうなパンがたくさん!!
白抜きされたベンチがとってもかわいい♥

おすすめはチョコカップケーキ。
すべての種類を試してみたけどもアイシングのチョコではなく、
溶かしたチョコのデコレーションにカラフルチョコスプレーでおめかしされたものが一番おいしい!
そしてチョコレートブリオッシュ。ブリオッシュに期待するしっとりさはないのに
なんだかこのパサっと感がおいしくてどうやら大人気。
チョコチップもぎっしり入っているので噛む度にチョコ遭遇頻度高し、
20ブロックウォーキングでは消化燃焼できないくらい食べごたえがあります。(でも食べちゃう)
天気の良い日にパンをぱくつきながら地図を持たずに歩く時間は至福コレクションのひとつ!
ああ、思い出しただけでもしあわせ!


Yura On Madisonもおいしい。
実はわたしはカップケーキの上にのっているアイシングはあまり好きではないのですが(でも食べちゃう)
こちらのアイシングはねっとり感控えめです。
なによりお店の雰囲気がよく、陽がさんさんと射込むちょっとした食べるスペースで
人の流れを観ながらお茶をしているだけで豊かな気持になれます。
パン+コーヒー+太陽=最強!


素朴パンが欲しい時にはCorrado Bread And Pastry
サンドイッチ、ベストリー、ケーキも安定しておいしい。
大好きなぼそぼそ系パンも充実。

Madison Ave84丁目と85丁目の間には
日本上陸も果たしたベルギー発ベーカリーLe pain Quotidienもありますが、
実はその対面にある大層素朴なベーグル専門店がうまし。Bagleなんとか、というお店。なんて適当な記憶。
そういえばLe pain Quotidienのアッパーイーストサイド密集度は著しいです。
マンハッタン内には20店舗以上あるようですが、そのうち5軒は確認いたしました!!



でもこうしてクルーズしながら改めて思う、
やきそばパンやコーンパンなどのえらくクリエイティブな日本のお惣菜パンはすごい。
NYであれパリであれ、だいたいどこのベーカリーでも同じスタンダードパンが並んでいて、
「え、なにこれ?」というものに出会うことはあまりない。
Zaiyaという日系のパン屋さんにはポテトサンドやたまごサンドがあるのですが
もっと本格的に日本の惣菜パンを提案するお店があっても流行る気がします。いや、かなり自信がある。
だってふわふわしたパン自体をなかなか見ないもの。
濱田屋あたりがNYに出店したらいいのになぁ。むしろNYでパン屋やろうかなぁ。

まだまだ続く、飽くなき探究心、好奇心、ゆけゆけ世界小麦隊長!(おっきくでてみる)。

# by akiha_10 | 2011-12-19 23:04 | NY Journal
page d-271          一時帰国
一時的に帰国。
マネージャー、編集長と再会。


















編集長がACCグランプリ受賞記念チョコレートをオーダーで作ってくれました。
Jam &to go!の時のクロワさんステッカーをもとに!
かわいいやないの!むー。食べられない。




日本が寒すぎて早速風邪の雰囲気に。
そうしておうちでタンスの中を開けると全部春夏もの。
至急衣替えして追いつかなくちゃ!
と言いながら、衣替え用プラスチックボックスから直接ちょっとずつ出している無精者。
いつの間にやら年末か。はやいなぁ。





たかだか数ヶ月離れていただけとはいえ
日本に関して、自分に関して色々と気付くことが面白い。
「新鮮な目」で観察してみよう!
まず、電車のあのふかふかの椅子がすごすぎる。
# by akiha_10 | 2011-12-11 09:34 | Daily thinking
ニューヨークジャーナル 92
ソーホーに心わしづかみされた、超かっちょいい店がある。その名もJay Kos




そのデザインのすばらしさと色づかいの美しさ、
仕立てのよさや、うっとりとするような
生地の滑らかさに惚れて込んで通っていた、
もはや美術館の粋のお店。(そしてお値段も美術品)。
悲しいかな紳士服専門店なので
試着できる男女兼用はせめて帽子くらい、
それでも観て触れるだけで満足、とってもすばらしいのです。

デザイナーJay Kosもよく店頭にいらっしゃって、
「あなたの審美眼のファンです!!」と
ただただファンになっていた。
彼はホームページにもあるように大の料理好きで、
食材の色や形からインスピレーションを受けるよう。
なるほど彼のお店は朝のマルシェのような鮮やかさがある。



玉虫色や琥珀色をした発色のよいネクタイや、毛足が上品に伸びた中折れハット、
見事な色の組合わせの格子柄のスーツ。
これは偶然にも上質なスーツに一輪の花をさしてハットを被ったご紳士、
Bordwalk Empireのスティーブ・ブシェミのスタイルそのものである。ああ、素敵!!ため息。
以前にも書いたアメリカドラマBordwalkですが、ストーリーを差し置いて(とても面白いのですが)、
わたしの中ではブシェミ紳士スタイルと、
奥様(劇中)のレースやヴィンテージの美しいお召しものに釘付け!




ともすればコスチューム的なので、
もし日常生活で全身Jay Kosスタイルの
キメキメファッションアディクト男子に遭遇したら
若干演出過多を感じる恐れあり(NYではほぼゲイ)ですが、
イヤミなくさらっと着ていたら素敵すぎる。




わたしのお買物事情はといいますと、カジュアルからハイまでクルーズしつつも
NYではThrift shop と呼ばれるセカンドハンズ(中古)のお店が
とても充実していて、これがすこぶるたのしい。
原宿や下北沢にあるちょっとお洒落な意味合いを持つ「古着屋」ではなく、
リアルに、「古い」着屋があります。
自身の調査では、マンハッタンを出れば出るほど、リアルに「古い」着屋、
ほとんどゴミ直前、でもゴミに出す前に売ってみるか、というお店に遭遇する。
お洒落というより「リサイクル」により重点を置いたお店、そういうお店が楽しい!
そのような本気リサイクルのお店は不要品を出しに行っても買い取りではなく贈与なので、
販売価格もフリマ状態で5ドル〜20ドルの価格帯。
日によっては半額セールの日もあって、セオリーのセーターを3ドルで買ったことも!
そういったちょっと都会を離れたThrift shopでは
到底ファッションには興味がないだろう迫力のあるおばちゃんが
H&MであろうがForeverであろうが、Theoryもvanessabrunoも一緒くたに値段を決める、
メーカーがどこであろうが、平等な「くたびれ具合や汚れ」の基準を採用しているので
たまにびっくりするほどラッキーなものに巡り会うのである!
いつも値札がついたまま直行でクリーニングに出すのですが、その費用のほうが高かったりして。
だがNY古着屋クルーズの極意。経験者語る、壇上で拡声器を持って高らかに叫ぼう、
「ベッドバグにはくれぐれもご用心〜ん〜ん〜ん〜!!」





そうしてNYをサヴァイヴすべく
賢く楽しくファッション経費削減に努めながらも
帽子だけはどうしても仕分けできにゃい…。
一目惚れした帽子。むー、ほすぃい!
大好きなお店、Legacy。ここのおばちゃんのセレクト、
最高にイケています。
ブルックリンとソーホー二店舗。
NYの帽子デザイナーBrenda Waites Bollingの帽子。 ああ麗しい!!
おばちゃんがデザイナーとお友達でご贔屓に発注できるようで、
美術品価格のところ「似合っているからいいわよ!」と
ちょっとだけレプリカ価格にしていただきました!わーい!



しかし。これもコスチューム的なデザインなので
ともすれば安全第一ヘルメットか取り締まり婦警と紙一重。でしょ。
よくわたしがそうして使う、スッピンカモフラージュとしての帽子の役割はまったく果たさない、
ちゃんとコーディネートしないと被れない、レベルお高し帽。

NYではちょっと気になったりちょっと良いだけで声を掛け合う街なので(それで友達になることも多々!)
嬉しいことに「あなたの帽子アメイジング!」と街中で声を掛けられるかと思えば、
友人に言われた「おお、チャイニーズハット!」に射得てる!と納得しながら
いやいや、そっちやないんよねー。
どちらかと言えばおフランステイストなんやけどな…。とうじうじ。
後日、よく行くパンやさんで「like Coco!!(シャネル)」と呼ばれ、
そうそう、それですよー。それそれ!とニコニコ挽回したり!!
なにかと愉しい物議を醸す帽子である。





意図はどちらかと言えばこっちの世界観なんやけどなぁ…。








そうそう、とっても嬉しい吉報を頂きました!
音楽制作(作曲、演奏、歌)でお仕事させて頂きました「プラチナリング」のラジオCMが
2011 ACC CM FESTIVAL』 ラジオCM部門の、総務大臣賞グランプリ/音楽賞を受賞しました!
制作に携わったすべての方、おめでとうございます!一員になれて本当に光栄です。
これからも邁進いたします。ありがとうございました!わーい!





# by akiha_10 | 2011-12-09 13:04 | NY Journal
ニューヨークジャーナル 91

NYで話題の念願の「Sleep No More」に潜入してきました。


英国のシアター・カンパニー「Punchdrunk」が主催する
チェルシー地区にあるホテルThe McKittrick Hotelを舞台とした体験型アートショー。
好き嫌いが分かれるという噂を聞いていましたが、個人的には、衝撃的によかった。
シェイクスピア4大悲劇の一つである「マクベス」がテーマになっていて、
マクベスがダンカン王を暗殺したあと、その後彼の良心の呵責を苛まさせることとなる、どこからともなく聴こえる声、"Sleep no more!Macbeth does murther sleep"(眠りはないぞ、マクベスは眠りを殺した!)という本文中からタイトルがつけられている。


取れたチケットが夜11時半からの入場。
30分刻みでまとまった人数がホテル内に入っていく。
このショー、ショーといっても座って鑑賞するのではなく、
六階建ての100近い部屋を歩き回る参加型のショーなのです。



はじめにマスクとトランプカードを渡される。
赤いクロスのかかった丸テーブルが囲むレトロなステージでは、スパンコールを纏った厚塗りのシャンソン歌手がアンニュイに唄い、1930年代の薄気味悪いくたびれたバーでしばし自分のトランプのナンバーが呼ばれるのを待つ。タキシードを着た中性的な男にナンバーを呼ばれたら観客は皆マスクをつけてそろそろとエレベーターへ。



各階で少しずつ人がおろされていき、各々が思い思いの順路でまわっていく。
1920年から30年あたりのアールデコの家具や小物、
様々な想像を喚起させる人の息づかいが聴こえそうな古びた手紙や走り書き、
誰かが大切に持っていたのだろうくしゃくしゃの写真。
それらすべてに自由に触れることができる。



館内は迷路のように複雑に入り組み、墓場やおびただしい数の小動物の標本や剥製、全面クッションでできた精神病患者用の部屋、バーや探偵事務所などがあり、まるでヒッチコックのサイコな映画の中を彷徨っているような錯覚に陥る。また観客がつけたマスクがその場をさらに異様にさせ、顔を覆って匿名にされた我々は現実での、また現実との関係性を遮断され、口をも覆ってしまっていることが自ずと静寂にさせ、仮面が見事に非現実的な精神的内面にいざなう機能を果たしている。


陰鬱なサウンドが流れる館内を足音を消すように巡っていると突如役者に遭遇し、彼らは台詞なしに苦悩の表情を浮かべ身体表現で誰かと争ったり踊ったり、観客をどこかの部屋へ引きずり込んだりと、マクベスを彷彿とさせる血生臭いシーンが繰り広げられる。それらすべては役者に触れることのできる距離感で行われるのだ。



そうして役者を追いかけていくと、シーンのパズルのピースが少しずつ貯蓄され自分の中でストーリーが構築されていく。現れた役者が三人であれば、その後誰を追いかけるかで次に見るシーンが違うという、人によって異なる、幾通りの組み合わせがあるショーなのである。


館内をアップダウンしながら夢中になって役者を追いかけていると、誰を追いかけていてもそこに辿り着く壮大な晩餐会に導かれる。役者がそこではじめて揃い、おわりらしきシーンを目の当たりにする、のだが、そこからまた役者たちが散らばって演じはじめる、というエンドレスストーリー。


それが一体おわりかはじまりなのかが分からない、このショーの仕組みそれこそが、同ショーがテーマとしている「死と生」のおわりなきループを暗示しているようで、とことん不気味。



はじめのバーに戻って、勧められたアブシンスを飲む。
アブシンスは幻覚作用があるとして1915年から90年代まで違法とされていたお酒。
夜の11時半からはじまり、外に出たころには真夜中の3時。
文字通り「Sleep No More」、はじめ聴いた時に違和感であったシャンソンが耳の中で心地よく響き、
数々のシーンが頭の中で印象的に、絵画のように飾られてゆく。


出口扉を開けて目に入ったぽっかりと浮かんでいたまんまるい満月を
手に取って半分に割って食べられるような気がして、どこからが現*覚なのか、
剥いでもなお見えないマスクがうっすらと張り付いているようで、その境界が曖昧になっていた。




ちなみにわたしが友人にこの話をしていると、「マクベス!あー聞いちゃった!」と言わたのですが、
どうやら「マクベス」という言葉そのものが不吉という都市伝説があるようなのです。
世界中でこれを上演する度に、役者が事故にあったり舞台装置が壊れたり、というハプニングの頻度が多く、
マクベスの内容のスコットランド王が「とり憑かれる」事と掛けて
それを「呪い」と言う人もいるとかいないとか。
もちろん大成功した舞台が大半ですからあくまで都市伝説ですが、
演目を「マクベス」と言わず「The Scottish Play」と呼んだり記すことも多いそう。
スコットランドのケルト文化に見られる魔女や妖精の言い伝えの多さを照らし合わせると、
寝ても覚めても不安定になる呪文にかけられたかのようなこの作品の観後感は思わず納得。




最近音楽を聴き比べていても思うのですが、芝居の「War Horse」も「Sleep No More」もイギリス発、
スケール感やパワー感はUSには敵いませんが、UKはじめヨーッロッパ発の作品の緻密さや深み、濃淡さに歴然とした違いを感じながら、知ってはいたけどやはりヨーロッパが好きだなぁ、ということを再確認するのです。


アメリカ人の友達がよく小洒落た場所を描写する時に「ヨーロピアンテイスト」と言うのですが、
それにはアメリカ人が思うヨーッロッパのインテリジェンスやスノッブさを鼻で笑う若干の皮肉と、
多少の劣等感を感じずにはいられない。
(そうは言っても、基本的にはなんでもナンバワン!と思っている節があるアメリカですが。)
ひたすら愉快なアメリカもそれはそれで好きやけどね。


EUかぶれを再認識したわたしでありますが、だからといってヨーロッパに身を置いてそれを観るのではなく、
ヨーロッパのものをNYで観るという、「Englishman In New York」ならぬ、
さらに関係性を失った無所属の第三の視点、
「Japanesewoman In New York 」の立ち居ちで観察し味わうのが今とても面白い。







# by akiha_10 | 2011-12-06 08:14 | NY Journal
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