ニューヨークジャーナル 168

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NYらしい、すてきなできごと。長年好きなアクセサリーブランドのひとつ、NY発LuLu Frostのセールに行ってみたら、その会場はLuluのNYヘッドオフィスであったこと。そして、オフィスで物色中に、わたしが既に身につけていたLuluのブレスレットを見たスタッフが「それ、素敵なブレスレットね。わたしがデザインしたのよ、ふふふ」と話しかけてくれた方、その方がまさにデザイナーLulu本人、Lisaであったこと!Luluは日本でも取り扱われており、リサは仕事で度々訪れる日本がとても好きなこと、日本人が最高に親切であること、Luluは小さいころのあだ名であること、ジュエリーブランドはおばあちゃんの代からやっていること、などを話してくれた。



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興奮して、ミーハーにも写真撮影。オフィスも商品もどうぞ撮ってね、とおっしゃられたので遠慮なく。"Style Blog"をやっているの?どうぞなんでも載せてね、とリサ。スタイルブログ、、、などというかっこいい響きのものでもないし、おまけにこの放置ぶりの怠慢、、という後ろめたさもあって、写真を撮らせて頂いたからには載せます!、とブログへ再び向かわせてくれたリサ。Thanks Lisa!



日本とNYを行ったり来たりする生活を約4年の間で繰り返して、何かを買うときに常にスーツケースの事を考えるようになった。スーツケース1つで生きる気持ち(あくまで、気持ち)で、かさばるものはその後譲ったり捨てたりが出来るかどうかなどという、そのモノが辿るその後の運命について考える癖がついた。その点からすると、アクセサリーの手軽さは靴や帽子やバッグよりも優位である。昔から好きではあったが、わたし好みのガラクタ紙一重の素敵なアンティーク(風)やヴィンテージ(風)のお店、フリマにNYでたくさん出会えることも手伝って、この4年間でアクセサリーが増えた。センスのよいセレクトショップで当たり前に素敵なもの(そして当たり前にいい値段であるもの)を与えられるより、ガラクタ市から自分のとっておき、わたしが美しいと感じて執着するもの、を掘り起こす事は毎日何時間やっても飽きない趣味である。なにより、日常生活で視界に入ったり手に取ったりする度に買った時のストーリーと情景を鮮明に思い出せるモノを身に付けたり、そのモノと暮らす、という事は自分にとってかなり重要なことで、豊かなことなのだ。







ところで、たまに留学を検討している方からブログを見てメッセージを頂いたり、NYでたまたまお会いした方がブログを読んでくれていたりする。”NY”というキーワードで繋がる縁があって嬉しい。それぞれのNY観ーNYと生活、NYと経験、NYとキャリア、NYと人生ーを話していると内容の濃いオムニバス映画(NYというチェーンで繋がっている)を観ているような感覚に陥る。(映画”NY, I love you”の登場人物全員がNYに来た外国人バージョンで映画を作ったら面白いのに、と思っている。)NYはいつでも恐ろしいほどに素敵な場所だ。あなたが素敵と感じる心さえ持ち続けているのであれば。熱中しているもの、夢、目的、仕事、学習があるか、もしくは、例えば目的を持たずに散歩をしたりするゆったりとした充分な時間があって(NYはお金をかけずに楽しむ方法もたくさんある)それを豊かなことだと思えるか、または仕事は生活のためと割り切っても街に溢れた事柄(音楽やアート、スポーツ)に興味があり、それを叶えてくれるある程度の経済力なり時間なりのバランスがよく取れているか、パートナーとの出会い、などがNYに居続ける理由の一例だと思う。同じ生活費であれば、安全面、衛生面、インフラ、食文化など、エンターテイメントやアートシーンを除く、ごく普通の日常生活の質が高いのは圧倒的に日本であるから、それを優先して選ばない代わりの何かを自分で持ち続けられるかどうかが重要なのだ。


NYのすべてが楽しいばかりの1,2年を経て、去年はNYで将来「住み続けられるのか」を見据えてキャリア的にも色々と新しいことにチャレンジし、めまぐるしく過ぎていった。ずっと住むことを前提とするとNYの景色はまた変わり、精神的にもシリアスになりチャレンジに全てのエナジーは注がれきってその結果、街に対する好奇心があるようでないようなよく分からない状況に陥った。チャレンジすることは良いのだが、それがNYである必要があるのかという疑問を感じずにはいられないポイントに立った。このすばらしい街を楽しむ気持ちや、創作する意欲が減っていく中でそれでもNYに居る必要はあるのだろうか。何のためにNYに居るのかを半ば意固地に自分に言い聞かせるように、また自分にクリエイティヴィティ、その欲があった事を忘れないために、課題のように週数本ペースで芝居を観に行ったが、自分の中ではち切れそうなモノを抱えていたと、冷静に振り返るとそう思う。好奇心というものは、いつでも当たり前に自分が携帯している先天的に備わったものだと思っていたが、体力的精神的に弱まるとこんなにもスケールダウンするものかと驚いた。もちろん食欲だけは衰えなかったが。いつもライヴで歌ったり話したりする、機嫌よく生きる、といテーマを昨年ほど試されたことはない。毎日のように考えた。3ヶ月前より半年前より状況は少しずつ確実に良くなっている、あと1年、2年踏ん張る(という言い方が合う)のもいいのかもしれない。NYに住み続ける人々は、この期間を(人によってはなんのチャレンジとも思わず)乗り越えているのだ。ただ、ずっとこんな気持ちなのだろうか。NYに住んでみるという夢をひとまず実行に移し、その挑戦と結果にはまずまず満足する中でこのままNYを人生のメインにするのかどうか、色々なタイミングもあってそろそろ決め時と期間を定めていた事もあり、今自分を取り巻くNYの環境で一生過ごす覚悟ができるかという準備をしてみて決断を自ら迫り、泣きたくなるくらい悩んで、その選択肢をわたしは封じた。日本に帰る前提で「住んでみる」ことと「完全に移住」は違う。トランク1つで行ったり来たりする気軽さではない。NYを一生の生活のパートーナーとして考えた時、今現在のわたしにとってNYは、気分屋で才能があって、携帯を握って今か今かとメールの返信を待って、自分の事を1mmでも考えてくれているのかと毎夜打ちひしがれる、とびきりセクシーな、例えて言うなら結婚には向かない恋人のようなものだ。そう、責任を伴わない恋としては最高に楽しいのだが、生活レベルでもっと彼を知り彼の一部になりたいと追いかけていると、本来自分らしくいられるNYのはずが、自分らしくいられないNYに転ずるという矛盾が起こりうることを発見した。


NYに住む、日本人ふくめ外国人はいつも同じ問いを共有している。いつまで?ずっと?どの程度に。縁があった人、流れで生活になった人、NYに自らコミットして、セクシーだがタフでめんどくさい彼、NYに全身全霊でトライし続けている人もたくさんいる。NYを追うエナジーを持ち続けられること、そしてその姿勢そのものに充実感やハピネスを感じ続けられることは”ニューヨーカー”を定義する際の1条件であるのではと思う。わたしはと言えば、よりチャレンジを伴う選択肢を選ばなかった際につきまとう敗北感を漂わせながらも、今NYに住み続ける事を選ぶと、何かが叶うとと同時に、本来それを感じるために居るはずのNYマジック的なるものの魔法が解けて夢から醒めてしまい、最悪の場合はNYを嫌いになることもあるのでは、という予感を無視できなかった。少なくとも今は。タイミングで人生は左右する。それに、わたしは人生を構成する他の様々な要素、人生や思考にあらゆる角度から影響を及ぼすだろう違う種類の味わいにも人間として興味があり、そんなことを総合的に考えてしまう全く保守的な人間で、一言で言えば欲張りである。今のNY環境では、もしかしたらこの先そのいくつかの要素は、NYに居る事とトレードしなくてはいけなくなるのかもしれない、という覚悟が問われた。NYのことを誰よりも好きだと昔も今も思っているが、なにも天秤にかけずに迷わず優先順位の筆頭にNYを選択できる人から見れば、その程度のものだと言われてしまうかもしれない。そもそも愛は盲目という定説から言えばこの理性的な愛はもはやコンディショナルラヴ(条件付きの愛)である、と今はたと気づく。たとえ相対的に見て中途半端な”NY愛”だとラベリングされたとしても、何と思われたとしても、NYを嫌いになるよりは、この自分の中での絶対的な”好き”を今後も持ち続けたい。NYにわたしの人生を見出すのではなく、わたしの人生にNYという要素を人生の重要項目のひとつしてポジショニングさせることにした。何かを選択する際の基準となる、人生いかに笑っている時間が多いか、という指針からいっても、今はずっと住むというアプローチではなく、わたしなりの付き合い方をしていこうという決断に至った。


ただ、今選ばなかったとしてもNYは逃げない。人生を通してNYに恋をしているほうが楽しいではないか、という開き直りもある。人生を豊かにするものの強力なひとつは、時に生きがいと呼ばれる「好きなもの/こと」である。そして、NYとわたしには絶対に何かがある、と一生信じ続けられたほうが人生にハリがある。なんらかの形でNYと関わっているという確信が持てる、これだったんだ!という瞬間、誰にも分からないかもしれないその一瞬、身体中に充満する満足感を噛みしめている自分を、将来的に起こることなのに、なぜかわたしは既ににあったことのように感じている。中学生の頃の文集に書いた将来の夢は「夢を持ち続ける大人」だが、夢や希望といったものは叶う時よりも持っている時が一番楽しい、そして持っている期間のほうが叶う時よりもずっと長い。もちろん夢を持つだけでは叶わないのだが、夢を持ち続けることそれ自体がまず才能だということが少しずつ分かるようになってきた今日この頃。 自然と見た景色が多くなり学習していく中で、年齢というものは、初期設定としてどうやら夢を見る能力を少しずつ蝕むように設定しているようだが、15のわたしが描く大人でいるには、人生をこねくりまわして考えている場合ではなく、これからもすこしくらい、いや結構夢見がちじゃないと、と実感している。


こうしてわたしは4年前のわたしに巻き戻ることにした。現地に何年か住むと映画や雑誌でトリミングされているキラキラしたNYを期待した友達が来る際、それがそうでもないのよ、といかにも知っているかのような先輩面でNYのすすけた話をするのは定番なのだが、観光客の目線でいるほうがNYは遥かに楽しい。ちなみにNYの苦労話は、たとえ実際に苦労していても、その半分は実は自慢話であったりもする。NY市民が共有している苦労の”あるある”を自ら体感するほど、歪んだアプローチではあるが観光では味わえいないニューヨークらしさを経験できるから。皆競い合って目を輝かせて苦労話、自分の武勇伝について話す光景を幾度となく目にしている。もちろん、自分も負けずに参戦だ。しまいには、本当は大好きなのに”NY sucks....”と落胆するふりをしだしたら、まさしく現地風である。そう去年の、少なくともわたしにとってハードな経験、NYでストレスと付き合う事、ウッディアレンよろしく神経質になること、確実に相手に非があっても謝らない相手にわたしも謝らないなどという、日常的に頻発して起こる小さな抗争などとお付き合いする事は、実はNYの醍醐味、ハイライトであり、ハッピーアワーでささやかに気分転換する様は皮肉ではあるがまさしくNYに溶け込んだ、わたしがいつか夢見た姿であり、そんな自分へと辿り着いたという、これはちょっとした自慢話なのである。しかしながら、ひとときの経験以上にこれから一生、少なくとも当面そういった状況に身を置き続けるのかと言えば考えるタイミングがどこかで必要で、前述したように迷い迷って、わたしはいつでも無邪気にNY最高!と言い続けられる立場にまわることに決めたのだった。






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そうして、訪れる度に楽しくエキサイティングな場所、わたしが憧れたあの輝かしいNYに、観光客として滞在しようときめこんだ今、思い悩むバイオリズムから脱し、再び程よい能天気さを取り戻し、危うく当面は開かないかもしれない引き出しにしまい込みそうになったクリエイティヴィティの火種にふーふーと息を吹きかけ、West Villageのレジェンド、Bitter Endでライヴをします。しずかなる興奮。NY大好き。
# by akiha_10 | 2015-07-22 03:55 | Daily thinking

ニューヨークジャーナル 167

NYで今年18年目をむかえるSanta Conに参加してみた!
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NY滞在年数と共に様々な事に慣れてきて視野や感動の幅が狭くなりがち。いつも気持は観光客の気持でワクワクしていたいものだが、順応力という誰にでも備わったすばらしい力は同時に、見るもの全てが新しかった世界を、なんでもないような日常のように感じさせるという副作用も持ちあわせている。

そんな事を友人と話していた中で、今年は冬のNY二大イベント、いつも横目に見ていたハロウィンのパレードと、サンタコンに参加することを決意。老若男女関係なくパーティーに参加できる場所、それがNYの最大の魅力!いざ、知ったかぶり眼鏡を外して参加したサンタコン。


サンタコンは当日朝にSNS上で集合場所が発表される。サンタの恰好をして集まり、写真などを撮影した後はNYの街を練り歩き、昼間っからバーのはしごをする、と要するにお祭り好きの浮かれたイベントである。大量のサンタが出没している街の風景は馬鹿馬鹿しくて、なんだかかわいくて、それなりの見応えがある。
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ハロウィンでも毎年感心させられるコスチュームだが、通常サンタ服では物足りない者は、おのおのツリーや小人、トナカイといった、クリスマス関連キャラのコスチュームをこの日のために製作して登場。ニューヨーカーがパーティーに注ぐ情熱、気合は魅力のひとつだ。


話は逸れるが前述の通り、海外滞在に慣れてきて長くなると、誰しもその土地や人に対する印象が変化してくる。特に何かしら一緒に仕事、作業をして改めて思うことがある。主にこのようなイベント、パーティーなど楽しいシチュエーションで接していた頃は、ニューヨーカーは陽気でフレンドリー、楽しい事が大好き、細かいことを気にしない(もちろん人による)などといった印象があった。なにかと細かい日本の気質と比較しては、そうした明るさをざっくりと好意的に思っていたのだが、いざ彼らと何かをやり遂げなくてはいけないシビアな状況になると、その「気にしなさ加減」にツッコミどころ満載となる。


よく言われるように、アメリカ人(欧米人といって良いだろうか)は個人、プライベートを重視している。何があっても自分が人生の主役であることを一時も彼らは忘れていない。そういった人生観はわたしも同調するが、僅かでも、場面に合わせて協調性やプロフェッショナルな仮面が欲しいなと思う事もある。彼らは仕事の仮面より素顔が前面に出ている。NYから久々に帰国した日本でわたしは感じた。カフェやお店、何かしらの受付に行くと、そこで働く人々が一様に同じ、パターン化されたようなプロフェッショナルの仮面を被っていて、画一的な表情、言い回し、声質で接客してくれる。それはおそらく世界的に評価されるサーヴィスで贅沢は言えないが、なんとなく妙、というか寂しいものを感じた。NYでは例えばカフェでも、「店員」というより、MarkやNancyといった素顔が分かるような態度、言動が見られる。というか、ほとんどの人が素でいる。仕事時間であろうが、プライベートの自分を基本的に常時持っている。銀行やホテルなどの、かしこまった場所でさえそうだ。いかに昨日のフットボールの試合が良かったか、今朝の地下鉄での出来事がいかに面白かったか、などを同僚と、または客に対し初対面であってもどんどん喋ってくる。コーヒーをいかに早く出すかよりも、むしろお決まりの”How are you doing?”の後のフリートークにこそ接客の技量が試されており、そしてその何気ないフリートークが店員と客を結びつけるもの、と考えられているのではないかとさえ思う。わたしは、はじめはそうした状況を、初恋で相手の全てが肯定的に思える時のように好意的に思っていた。ところがリアルな生活の中でいざ彼らと共同作業で関わっていくとなると、その印象も変わって行く。いやいや先に作業やろうよ、と素顔も出しどころがあるのでは、などと条件付きになったりする。


ディープに知って行けば行く程、NYのリアルな長短が見えてくる。ただ、そういった事に落ち込んだりムシャクシャしたりもしながらも、葛藤する度に傍観者の時とは違った充実感を感じたりもするから面白い。”I want to be a part of it - New York, New York” シナトラに重ねて口ずさむ、小さな関わり方ではあるが、わたしはこの街で生きていることを感じる。そして、それでも懲りずにこの街が好きなわたしは、半ば取り憑かれているのだろう。





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バーもサンタばかり!例年サンタ達がバーに押し寄せてバカ騒ぎすることが度々問題になっていたらしい。サンタに来てほしくない店は「サンタお断り」札を出すなどして対策をしてたらしいが、今年は逆にサンタウェルカムなサンタコン公認店を公式HPが発表。安心してサンタたちが入店できるというわけだ。

昼過ぎにはサンタパーティー集合会場が発表された。230 5thという、エンパイアステートを目の前で眺めることのできる、観光地としても人気なルーフトップバー。会場は真っ昼間からクラブのように盛り上がっており、クリスマスソングがかかる度に皆で大合唱!トナカイ女子にも遭遇。







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あっちもこっちも、なかまたち!












a0028990_1642626.jpgみどりのマフラーでコーディネートがきまっているダンディサンタも!余談ではあるが”マフラー(muffler)"という呼び名はあまりこちらでは使われていない。辞書上ではマフラーは襟巻という意味が確かにあるのだが、日本でマフラーと呼ばれているものは、こちらでは"スカーフ(Scarf)”と呼ばれている。未だにとっさに、マフラー忘れた!などと言ってしまうのだが、誰も分かってくれない。長細いウールの巻物を手に取って”スカーフ”(シルクなどの薄い生地のイメージ)という名前が瞬時に出て来ず、毎回えっと、マフラーじゃないやつ、、、と機敏に動かない脳に毎回ポンコツテレビのように叩きたい気分になる。





最後に、日本とは一味違ったクリスマスムードについて。クリスマスは言うまでもなく宗教行事であるから(NYは多宗教なのでクリスマスをしない方々も多くいるが)この時期になると、そのキリスト教的教え「他人に救いの手を差し伸べ、隣人を愛しましょう」といったテーマが間接的に、時には直接的に街中に溢れ出す。冷酷で奇跡を信じないスクルージおじさんの経験を道徳観の主軸に据え、寛大さを問われるような場面を多く見る。たとえば、慈善的なこと、ボランティアを促す広告が増える。キリスト教の団体による慈善事業「サルベーション・アーミー(要らなくなった物、服を寄付して再度販売するリサイクル店を展開している)」の店員さんが街頭で鈴を鳴らしながら募金を呼びかける姿は、「ああクリスマスだなぁ」と思わせる風物詩だ。そしてこの季節、いつにも増して明らかに増えるのが、地下鉄車内の物乞いの方々。NYの地下鉄車内では唄やダンスなどのパフォーマンスなどでチップを稼ぐ人々、身体の不調を訴えてサポートを求める人々、そして圧倒的に多い、いかに自分が不運な状況に置かれているかをスピーチをする人々などがいる。またその寛大さを育むような「愛とは何か」を問う、家族の幸せや繋がりを再確認させるようなあたたかいクリスマス絵が、まるで幸せじゃないと罪、と言わんばかりに、やや食傷気味になるくらい大量に流れる。実際にこの時期仕事もスローになる方が多く、楽しいホリデームードが人々をにこやかに、優しくさせているのを感じる。色々あったけど、また来年もよろしく、という日本でいうところの年の瀬感であろうか。サンタやプレゼント、イルミネーションといったハード面だけでなく、クリスマスの根底に流れている精神性により触れられるのは、アメリカに居てこそだと思う。



出会いと学び、しあわせを感じられる心に感謝。
Very Merry Christmas!
# by akiha_10 | 2014-12-23 16:49 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 166



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エリザベスの結婚式に呼んで頂いた。アップステイトと呼ばれる、NY州の中でも北にある場所へアムトラック(列車)で約2時間。うつくしい教会、この教会でエリザベスのお父様、そしておじいさま、のみならず親族のほとんどがこの場で愛を誓ったというから重みがある。






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新婦がお父様とバージンロードを歩いて来る時、Groomsmen(新郎側のブライズメイドのようなもの)と共に祭壇の前で待つ新郎の口元がほころぶ表情を見て目頭が熱くなる。 アメリカでは挙式当日まで新婦のドレス姿を見ては縁起が悪いと言われていて、この日本当にはじめてドレス姿を見ることができるのだ。



神父が念を押して諭す”Unconditional Love(無条件の愛)”というキーワードについて考えを巡らす。家族間のみならず、他人に対しても”Unconditional Love”を差し伸べなさい、というのだ。無条件の愛について考えはじめたら、だんだん自分の身勝手さが浮き彫りになっていくようで、上から見下ろす天使たちは”そんなわたしもお見通し”なのだろうか、妄想の脇道へと逸れるのであった。



宗教観(NYは他宗教なの で一概に言えないが)なのだろうか、アメリカの「人のために無償ですること」が美徳と扱われているのは日本のそれ以上である。NYで人が優しいな、と思うことがよくある。それは元の期待値が低いという理由が多分にあるが、日本にいれば、わざわざその優しさを恩着せがましくアピールせずとも、当たり前に無償で受けることのできる”サービス(おもてなし)”だったりもするから、どちらが人にやさしいのかと言えばどちらも結局同じかもしれない。ただ普段アメリカには当たり前にはないものを、無償の心遣いですよ、というラベルを貼って頂き「ああ、やさしくされたな、ラッキー」と思うアメリカと、もともと期待し期待され、それがなければ不満を持ってしまいがちな日本では、どちらがいいのだろう、と思ったりもする。”心遣い”はアメリカでは美徳、日本では常識 なのだと思う。NYでそうした気配りの出来る方と話してみると、その多くが何かしらその動機付けとなる宗教観や自分なりの哲学、スピリチュアルなもの(人に与えると 自分が幸せ、と言ったようなこと)を信念として心の内に持っているのだが、日本はどうだろう。社会通念として多くの方が持っている、平均値が高いこの心遣いはどこから来ているのだろう。ある程度は仕事に対する意識の違い(こちらでは適当に仕事をする人もたくさんいるので)から来ているとも言えるが、それを越えたシンプルなレベルで言う人間同士の思いやりなどになってくると、これほどまでに宗教色のない日本で、なぜその心遣いが民族的に根付ているのだろうと考え出すと、海外から日本の道徳観が注目される理由もわかるような気がする。「当たり前のものとして、周りがそうして来ているのを見ているから」という答えしか浮かばないが、そう考えると慣習を代々受け継いできた日本の道徳観、これは先祖に感謝すべき事なのかもしれない。


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お式では終始弦とフルートが奏でる上品な賛美歌やクラシックが鳴り響いていたが、退席時にビートルズのAll you need is loveが演奏された。この教会で代々式を挙げている親族の方が「おじいさんが聞いたらびっくりだろうなぁ」と当時不良の音楽が、まさかこの厳かな教会に響き渡っている事に、時代の変化や月日の流れに感慨深くなられたようだった。

厳粛な儀式も終わり解放感。
パーティー会場である自宅へ向かうバス内から早速酒宴!












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「貴族だったの?」はじめてお宅にお邪魔した時、冗談でそう聞いたことがある。広大なお庭にプール、テニスコートのある”お屋敷”といっても過言ではない自宅に、一週間前から建てたという特設テント。まわりにはイベント業務用トラックが何台も止まり、そのアメリカンスケール、本気さに小さな島国から来たわたしは笑いすら出てくる。「ごはんは自信があるから!」と前々から厳選したらしいケータリング。着席する前のオードブルタイムで、ウェイターがちょこちょことサーヴしてくれるフィンガーフードのそのどれもが美味しかった。そして巨大なお寿司ブースも!ここでお腹がいっぱいになりそう。




夜も深まり、パーティー本会場(別テント!)へ。


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フルバンド待機。何度か結婚式に行っているが、アメリカ人のウェディングパーティーで一番肝となるのはどうやら、いかに食事後のダンスフロアが盛り上がるか、ということらしい。音楽は非常に重要になってくるわけで、どれだけシンプルなウェディングでも生バンド、もしくはDJが必ずいる。日本でいう「みなさんに楽しんでもらう結婚式」というおもてなしは、ここではいかに楽しく踊れるか、であるようだ。


皆が着席しはじめた頃、両家ご両親と、グルームズメンとブライズメイドが陽気に登場。ここで盛大な拍手を送ることで、今までプラン、準備をして来た事への労いの意味があるそう。そして夫婦となった主役が登場してファーストダンス。アメリカでは結婚式のためのファーストダンスのためのレッスンなどもある程、形式的にだけでなく”魅せる”ダンスをするカップルもたくさん居る。そして、最初の恋人ともいうべきだろうか、新婦は自分の父親と、新郎は自分の母親と踊る時間。多くの父親は、自分が結婚式で奥様(彼女のお母様)とダンスを踊ったことを思い出しては年月の早さにしみじみとするのだそう。新郎マットのお母様がとってもチャーミングで、練習して来たな、と思われるジャズダンスをマットと華麗に踊っていたのがとっても素敵。



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お食事の終盤、お決まりの、グラスをスプーンでチリンチリンと鳴らしてスピーチ。日本でもスピーチを頼まれるプレッシャーはよく聞く事だが、こちらでも同じく。ユーモアを盛り込みながら(これは日本よりも期待されているように思う)時には辛辣なウィットを交えながら、心がじんわりと温まるエピソードでフィニッシュ、まるでその人の手腕を試されているようで大変そうだなぁ、と思いながら毎回聞いている。ちなみに、アメリカでは人前でプレゼンテーションやスピーチをすることへの技術習得は幼い頃から重要視されていて、訓練するスピーチクラスなども小学校からあるそうだ。アメリカに来た時、薬局やカフェの店員であっても、説明したい事、もしくは(聞いてもいない)自分のことをまるでスピーチタイムのように大袈裟に、または毎度楽しませながら話す姿を見て、アメリカ人にはおどおどした人はいないのか?と不思議に思ったものだ。移民だらけの国で、自己主張が常に求められている背景に加え、教育環境もあるのか、アメリカに暮らす人たちの人前で話す技量は明らかに長けていると感じる。


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そしてメインイベント?のダンスタイム。バンドはTOP40などの皆が知っているポップス、両親世代が喜んで踊り出す選曲で盛り上げる。友達である我々世代が弾けるのはもちろんだが、70-80年代、ディスコで踊り慣れた両親世代が、昔の気持を取り戻したかのように無礼講。いつもアメリカ人の親子関係を見ていて日本と明らかな違いを感じるのは、親子という役割の”仮面”の薄さである。親として必要とされている要素の違いなのか、アメリカでは親としての顔、というものはあまり意識されていないと感じる。日本であれば、親としての振る舞いや発言が、どれだけ子どもが大きくなっても多少なりともあると思うが、子どもが幼少期から家族であっても独立した個人として扱われているからか、友人とその両親のやりとり等を見ていると、親は「本来の自分」と「親である自分」を使い分けていない。だから、学生時代を取り戻したかのような姿も子どもの前で堂々と振る舞うし、それを子どもも、まるで楽しい友達を眺めるかのように見ている。日本ではあまり子どもには話さないだろうなぁ、といった内容でも普通に子どもに相談していたりする。日本基準でいうと、ファンキーなお父様お母様だらけである。



a0028990_01001009.jpg素敵な心遣い、ピーンヒールで湿った芝生の上(小雨が降ったので)を歩くとずぼずぼと沈んでしまうので、ヒールカバー。そして、用意された”Dancing Shoes”と書かれたビーチサンダル。実はアメリカの結婚式参列の必需品はダンスタイムになって履き替える用のペタンコの靴。ほとんどの女性が必ず鞄に潜ませている。もしくは、代わりの靴など気にせず、素足になって踊ることも多々。

話は逸れるが、NYでも仕事を終えた女性が夕方の地下鉄ホームなどでいそいそと鞄からビーチサンダルを取り出し履き替える姿を頻繁に見るのだが、一言いいたい。靴をそのまま、ビニール袋などに包まず鞄にいれているのが、日本人のわたしとしては、本当に理解ができない!友達に聞くと、地面に触れるソール部分を合わせて入れているから汚くないというのだが、これだけは本当にわからない。他の衛生観念がだいぶワイルドになってきたわたしでも、鞄に直靴は、ないっ!









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                                    素敵な夜をありがとう。
                                    Congrats エリザベス!

# by akiha_10 | 2014-09-30 23:33 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 165

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NYでどうしても行きたかったイベントのひとつ、The Jazz Age Lawn Party。20'sのファッションに身を包んで、禁酒法時代/ジャズエイジを再現してピクニックをしよう!というコンセプト。マンハッタンの南端から出ているフェリーで10分ほど揺られて辿り着く、ガバナーズアイランドで開催される。ガバナーズアイランドは夏季限定でオープンしている島で、とてもNYとは思えないほどの芝生と木々に溢れ、島全体が公園のようになっている。ゆったりとした気分を味わえ、ピクニックには絶好の場所。




今年9年目をむかえる当イベント。頻繁に覗くヴィンテージ店のおばさまに「あなた絶対好きだから」とこのイベントを教えてもらったのが2年前。なかなかタイミングが合わず、今年は春からHPをチェックして日程発表を今か今かと待っていた。毎年7月と8月のどこかしらの週末の4日間開催される。毎年このイベントの前には、ヴィンテージショップが少し賑やかになるらしく、店に入ると「20'sを探しているんでしょ?」と言われたのににやっとした。


実は驚いたことに、先日カフェで会ってひょんなことから話が弾んだジャックリーヌとそのパートナーが、なんとこのイベントの主催者グループの一員だった。「わたし、そのイベントのビッグファンで行ったのよ!」と言うと色々と話を聞かせてくれたのだ。素敵な事もたくさん、そうでない事もたくさんあるNY生活で「居る甲斐があるな」とすべてを帳消しにしてくれるNYマジックがたまに起こる、こういったミラクルな出会いは(狭い)NYでしかないと思う。このイベントはジャズ・エイジのオーケストラ率いるMichael Arenella氏が数人の友達とファン、50人ほどで始めたもの。それが年々話題となり、今や何千人と集るチケットはソールドアウト、20'sフリークなら知らない人はいないほどのビッグイベントになっている。ガバナーズアイランドの利用規則が厳しく、人数を限ることや、音楽を出していい時間、セットを持ち込めるのが一日前しか許されないなど、調整がテンテコマイだとジャックリーヌが話していて、まるで舞台制作のようだと思った。

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マンハッタンからガバナーズアイランド行きのフェリーに乗った瞬間、すでに20's!20's!20's!フリンジ、レース、パール、クロシェ、パラソル!右も左もフォトジェニック。気合いの入ったピクニックセット(机や椅子)を持参されている方、バスケットや食器までアンティークで揃えている強者など、映画のセットのよう。お互いのスタイルを撮影しあったりして、これはドレスコードは違えどコスプレイベンドだなぁ、などと思ったりもした。本来はもっとのんびりと音楽やダンス、お酒を楽しむ「ピクニック」が目的だったのだろうが、今は規模が大きくなり過ぎて参加型のショーと言ったほうがよさそうだ。


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NYにおける20'sブームというのは、10年前くらいからジワジワとはじまったようだ。わたしがNYに積極的に行ったり来たりし始めた3年前、「Speakeasy/スピークイージー(もぐり酒場のこと)」スタイルのバー、つまり禁酒法時代に違法で経営していた、という設定の看板のないバー、日本で言うところの「隠れ家系」バーのトレンドが既に台頭していた。アパートの一室の部屋のインターンホーンを鳴らして入ったり、ホットドッグ屋店内にある公衆電話の中にある扉から入ったりと、演出も様々。古めかしい内装(お洒落な内装が多い)、薄暗い空間にミクソロジストと言われる、ハーブやフルーツをふんだんに使用して個性的なカクテルを調合するバーテンダーがおり、「カクテルも奥深いなぁ」と味の探究心を満たしてくれ、トリップ感を提供する空間が「Speakeasy」と呼ばれるバーに期待できることだ。


かつて住んでいたローワーイーストサイドにあったMILK&HONEYはタイムトリップしたような情緒があり、一番印象的なバーであった。メニューはなく、好みの味や気分をミクソロジストに伝えて作ってもらうということが、飲物を飲むというバー以上のエンターテイメントであった。そして必ずハズレないカクテルが出てくるので、一緒に行った友人は皆その後ファンになった。人気になって事業拡大、フラットアイロンに移った新店舗に行って少しがっかり。基地のように狭く、やや汚なめな、薄暗い、危険な香りのする空間がよかったのだが、高い天井と、古く見せかけた真新しい什器に興冷めしたのだった。ここ数年で「Speakeasy」とうたうバーはもの凄い数で増え続け、実際に行ってみるとMILK&HONEYの新店舗同様、古く見せかけたハリボテ感漂う空間が多く肝心な親密感、秘密感、場末感、背徳感がゼロ。友人がDisneyfication(ディズニフィケーション)という造語を教えてくれたが、ディズニーランドのごとく、それっぽい時代や空間を演出すること、それでいて本来その時代や場所にあった危なさや汚さなどのネガティヴな面は排除して、エンターテイメントとしてクリーンで安全な環境を創り出すことらしい。そこにカルチャーや歴史が生まれる様子はなさそうなクリーンさの事だ。最近のSpeakeasyは大手資本の力を感じる、まさにディズニフィケーションされたものばかり。Speakeasyとは本来アンダーグラウンドに隠れていてこそ機能するのに、こうにも公に何軒もSpeakeasyが出来始めると、段々と”Speakeasy”というスタイルも響きも時代遅れのように聞こえてくるから不思議だ。頂点を極めたトレンディな文化は、言葉と共に往々にしてこういった運命を辿るものだ。





20'sブームはここ数年の話題のエンターテイメントにも現れていた。未だ人気の体感型ショー「Sleep No More」の演出や時代設定もそうだ。わたしはこのショーが行われる架空の幽霊ホテルのラウンジではじめてアブシンス(幻覚や錯乱状態を起こす、という噂で昔は厳しく禁酒されていたお酒)を使ったカクテルを飲んだが、Speakeasyでアブシンスは、禁酒法時代の代名詞的お酒として取り扱われており、多くのバーでよくフィーチャーされていることに気付いた。「Sleep No More」の少しアンダーグラウンド版、ローワーイーストサイドで行われたショー「SPEAKEASY DOLLHOUSE」では、もぐりの酒場で急に取締が入って来ても取り膳えるよう、当時ティーカップでお酒を飲んでいた事を、そのまま再現していたのも面白かった。このショーがあった会場は、The Backroom Barという名前で普段もSpeakeasyのバーとして営業している。



20年代の狂乱を再現するかのようなバーレスク(芝居+コメディ+ダンス+ストリップのショー)もNYで人気だ。バーレスクといえば、ローワーイーストサイドにある「THE BOX」はバーレスクの極み(いろんな意味で)だと聞いた。一度機会があるなら入ってみたいと思いながら、予約する際にはツテでもない限、4-5人が集えるテーブルサービスを2000ドル(約20万)以上で買わなければいけないとか。NYらしい、豪遊できる大人のためのエンターテイメント。噂によると、その内容もクレイジーらしく、通常のバーレスクより内装やアクロバット、ダンスなどの華やかさがスケールアップするだけでなく、セクシーを越えた「見たいような見たくないような」ネタもエスカレートすると聞いた。ノーマルの刺激では物足りない大人達向けに、笑える「滑稽」のその先、「アブノーマル」の域にやや足を踏み入れるのだろうと推測する。今年春先に行った「Queen of the Night」もバーレスクを織り込んだショーで、Speakeasyを思わせる妖しさ、演出が衝撃的だった。NYでしか観られないものとして、今一番おすすめするショー。


また、2010年に始まったマーティン・スコセッシ製作のテレビドラマ「Boardwalk Empire」や昨年の映画「華麗なるギャツビー」なども手伝って20'sブームは頂点を迎えたような気がする。ちなみに、このピクニックイベントに「Boardwalk Empire」の協賛がついたそうだ。以前も書いたことがあるが、「Boardwalk Empire」の20's衣装クオリティ(すべてのクオリティが高いが)は一見の価値がある。女性達が着用している服も可愛らしく、ヴィンテージレースなどをふんだんに使っており(それがレプリカだったとしてもすごい)、マフィア達のカスタムメイドと言わんばかりのジャストサイズのスーツの生地やしつらえは、観ているだけで豊かな気分にしてくれる。それが例えマフィアドラマよろしく血飛沫にまみれた残忍なシーンでも、わたしは血に染まったネクタイにうっとりとしている。小さな仲間達からはじまったイベントが、今や大手テレビ局がスポンサー。「エキサイティングでしょ!」とジャックリーヌは肩をすくめて微笑んだ。




ビッグバンドとダンスフロア。ダンス!ダンス!ダンス!この時代一世を風靡したダンス、チャールストン。
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a0028990_00380930.jpgそれを眺めるカメラマンやブロガー。












家族でジャズエイジ!
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この時代、日傘がファッションとして特に流行したようで、販売もされていた。私たちからすると、日本がオリジナルではないかと思うような和紙製の傘もたくさん!わたしが持つと、ジャズエイジというか、なんというか、がんばっても大正ロマン。






# by akiha_10 | 2014-08-19 23:08 | NY Journal

page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り


趣味であるヴィンテージ/アンティーク収集。 ヨーロッパに行く一番の楽しみといえば、食事と並んで「蚤の市/フリーマケット」!オンラインショッピングも普及し「今そこでしか買えないもの」の究極は地元フリーマーケットで見つけたものではないかと思う。



そういえば、何気なく使っているヴィンテージとアンティーク。その違いは100年以上も前のものがアンティーク、25-30年以上前のものがヴィンテージ、それ以前のものはユーズドと言うそうだ。NYマンハッタン内にはThrift Shop(着なくなった服をお店に寄付して、それを安価で売っているお店)がたくさんある。時には5ドル以下で掘り出しものを見つけることもできる。それらのお店にふらっと寄ってお宝を探すの事が、わたしにとって時にNYライフの1つのエンターテイメントとなるのだが、単なるユーズド(古着)を”ヴィンテージ”と言い聞かせてフワっとした気分になっていたのは大きな間違いだったというわけだ。



ちなみ、多くの一般的なThrift Shopは”ヴィンテージ”や”アンティーク”といった、しゃれた響きの内装ではなく家具や小物、衣類からゴミ同然のものまで、大量に雑然と置かれている。決して快適とは言えない店内から、上手におしゃれアイテムを掘り出すことができたら、その嬉しさはひとしお。ただし、ベッドバグ経験者としては、衣類を購入した場合は2重のビニール袋を硬くしばって帰宅し、ランドリーに直行させ、乾燥機を多めにかけて除菌することに気をつけなくちゃね。

THRIFT SHOP題材の唄、その名も”Thrift shop”。店内の様子が出てくる。(多くのヒップホップ同様、内容はだいぶダーティーです。)
http://youtu.be/QK8mJJJvaes

古着(フリマやThrift shop)だけでスタイルを確立しているお洋服大好きお洒落さんもいる。”Wearing nothing new”。寄付された洋服を安価で買って、また着なくなったら寄付するという洋服”レンタル”思考。(TED講演、日本語字幕や英語字幕を"subtitle"から出して聞き取りの訓練にもお役立^^)






さて、ヨーロッパ、ヴィンテージツアーの巻。
①パリ
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パリでは日程的なこともあり三大蚤の市のうちの二つ、ヴァンブとクリニャンクールを半日ではしご。ヴァンヴとクリニャンクールは南北で離れているので時間通りに催行できるかちょっとしたミッション気分で、前日の夜は眠る前にぐっと気合いが入った。ヴァンヴはこじんまりとした規模なので1時間もあればまわれる。クリニャンクールは大規模でいくつものマーケットがあって全部まわろうとすると大変だが、かわいらしい小物やアクセサリーはMarche Vernaison(ヴェルネゾン)に集中していて、時間がなければこちらだけで充分。こちらでヴィンテージレースのブラウスをゲット!(味といえば味な)汚れが目立っていたことを指摘し、値切ることも忘れずに。ごはんと買物の時だけ少しだけ登場する、わたしのへなちょこフランス語、その数少ない表現方法のすべてを駆使して。


a0028990_11123348.jpgサンジェルマン・デプレをぶらぶらと散歩していて見つけた、Place Saint-Sulpiceの広場で開催されていたマーケットが非常によかった。店の数は30-40だが、品揃えが上品でセンスよし。Place Saint-Sulpiceを調べてみると、こちらの広場では時期によって変わるアートフェアやマーケットを催している様子。ノエルマルシェ、というクリスマス市場も名物のようだ。NYでいうユニオンスクエアのようなものらしい。こちらで50年代のコロンとしたバッグを購入。バッグ、バッグ、マタバッグ。「なんで女はそんなにバッグが必要なのか」というクレームを男性からよく頂くが、それは「なんで男は女にモテたがるのか」という質問くらい無意味なものだと思う。(もっとも、そのギラつきは減少傾向なのだろうけど)。女性特有のホルモンがそれを欲するからである。理由なんてない。だから、男性は彼女や奥様に対しその疑問を持つ事それ自体をやめることをおすすめする。(もちろん、女性の皆が皆バッグホルモンが高いとは言わないけれど、ね。)













②ブリュッセル
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ブリュッセルがアンティーク、ヴィンテージの宝庫だったことを思い出した。こちらは食器や置きもの、陶器関係が充実!しょぼかわいい手巻き時計を思わず2つもゲット。よく見るとメイド・イン・ジャーマニー。社会主義時代をにおわせるレトロなデザインで、おそらく東ドイツ時代のものであろう。ついでに4ドルの止まっている腕時計を、デザインの可愛さに2つも買ってみた。しかし、NYに戻って、そのうち一つを時計修理屋のおじさんにバッテリー交換を頼んだところ、「こいつは、もう動かないよ」と返されてしまう。しょぼん。ブレスレットとして使うかな。他にも恐ろしく可愛いカップとソーサーのセットなども魅力的だったけれど、仮暮らし感のあるNY生活において所有することは現実的ではないので、食器類は定住を決めてからの楽しみに取っておこう。










③プラハ
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蚤の市というわけではないが、街にヴィンテージショップが点在していたプラハ。おびただしい数の品々が所狭しと並んでいるBric a Bracはその光景を見るだけでも価値あり。アート、工芸品、ゴミ風なものまで。観光地ど真ん中ということもあって、値段がやや高い印象。品揃えも値段もとても素敵だったのがHrudka Stylle。上品で素敵なおばさまが切り盛りしており、わたしが興奮して「これもあれも」とケースに入ったものを見たがるのを、嫌な顔ひとつせず丁寧に接客してくださった。NYでよく行くヴィンテージアクセサリー屋さんPippin vitage jewelryでNYの相場はよく知っているが、そこで買うものの3分の1以下のお値段!ブローチやレースなどをたくさん買い込んで、本当に満足のいく買物ができた。おばさま、ありがとう!

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④ワルシャワ

ワルシャワに寄った日がたまたま土曜日だったので「ひょっとして」と思って調べたところKoloという場所で蚤の市が開催されている情報が。これは行くしかない。ただ、ガイド本なども持っておらず、ネットでも曖昧な行き方しか調べることができず、とりあえず街の中心地であるCentrumへ向かってみる。ワルシャワ中心地では、地下鉄路線は一本しか走っておらず、トラムとバスが主な交通手段である。ネットで調べて頼りにしていたのkolo行きのバス路線がCentrumからはどうやら出てないようで、ホテルから頂いた不親切なトラムの路線図もよく分からず。

トラムといっても、巨大な交差点であるCentrum広場の四隅のそれぞれにたくさんのトラムの停車場があり、何番がどこから出ているのかが分からない。すべてのトラム停車場をまわってkoloに止まるトラムを探すことにしたのだが、地上の道路を歩行者は渡ることができず、あちらへと渡るには、地下道をくぐって渡らなければならない。むー。しかも四隅といっても道路の地上内側/外側に出る階段というのがあり、地下道で方向感覚が分からなくなり、出たいところに出れなくて何度も「あれ?」と顔を出してはまた潜るという、もぐらの気分になったものだ。天から「そっちじゃないよっひひひっ」とおちょくられている気分にもなった。そうして4つめの地上パトロールでkolo行きのトラムを見つけた時はガッツポーズ小躍りだ。(トラム24番、Centrum北東内側のトラム停車場から出ていた。)


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そうしてCentrumからトラムに揺られること約15分、koloについた。この蚤の市、かつてなく渋い。軍系のグッズらしきヘルメットや、デザインが可愛いから、とうっかり身につけてたら超タブーになりかねない意味深な紋章のバッチや、まあとにかくディープ。そして、ヨーロッパでこんなに英語が通じない場所もなかなか貴重。挨拶や、数字の10くらいまでの数字だったらなんとか大丈夫だろう、と思っていたけれど、まったくのゼロ英語の地元のおじさんおばさんとの交流がとても新鮮。外国人として外国に住み、良くも悪くも少し外国慣れしてしまって、パリであってもブリュッセルであっても、日本を出て海外に行った時に比べるとフワっとした高揚感や異邦人感が薄れてしまったことに気付いていたが、ここでは確かに「外国」を感じた。


ゆっくりと堪能し、一番印象的だったアールヌーヴォー調の小瓶を買うことに。蚤の市では現金支払いが基本。ポーランドの通貨であるズロチが残り1000円分くらいしかなく、手元にあったユーロを足しても足りず、店主がそれでも良いと言うのでドルを足して交渉することになった。3つの通貨を合算するものだから、売る方も買う方も、互いの頭の中でそろばんがパチパチと弾かれる音が聞こえる。ズロチ→ユーロ→ドルとわたしの頭の両替機関がフルに活動し、店主は店主で人差し指でちいさな虹を描きながらユーロとドルをズロチに換算している。店主が提示するドルの総額を足すと、ズロチで提示された始めの値段よりも、かなり多めに換算しても値段が高くなっていて、なんだか辻褄が合わないような気がして「だって、このユーロは◯◯ゾロチで、これにこのドル、つまり◯◯ゾロチを加えたらさ、、」と計算しながら言い合っている風景はだんだんと「壷算」の様相を呈して来た。最終的にはお互いの折衷案でなんとなし、まとまる。もう計算するのをやめることにしたのだ。



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NY生活は油断すると殺伐としやすいので(NYでは観光客以外は皆基本的に、日常的になにかに対して怒っている)最近のテーマは”細部にエレガンスを”。飾ったお花を愛でたり、良い香りのハンドソープでいちいちうっとりする事が時に厳しいNY生活を豊かにする。そんな事もあって、エレガント小物調達に満足し帰りのトラムの中でビニール袋の中をチラリチラリとのぞきながら、「この小瓶で我が家もハプスブルグ系よ、うふふ」と思ったのも束の間。”綿棒入れにシヨッカナー”という発想がよぎって、それがどうにも現実的で生活感まるだしで、頭に浮かんだ、ハプスブルグ家からだいぶ遠のいた「綿棒」の二文字を黒板消しで勢い良く消したのだった。摘みたてのミントを入れるようにします。(←おしゃれ利用法のイメージ)





# by akiha_10 | 2014-07-14 11:40 | Trunk

page t-172      アイスランド、レイキャヴィク。

アイスランドのレイキャヴィクを訪ねた。

この先ケミィとブリュッセルで待ち合わせることになり、ヨーロッパに飛ぶならその前にパリに少し滞在しようと計画。NYからパリ行きの航空券を調べていると、様々な乗継ぎスタイルがわたしの心を踊らせた。ヨーロッパに限っては、早くて便利な直行で割高になるよりも、時間に融通が利くのであれば、あえての経由がたのしい。

アイスランドの手がかりは音楽でしか知らないが、想像しがたく興味をそそった。NYの夜に出てアイスランドに朝到着、その日の夜中にパリへ飛ぶ、とまる一日ある乗継ぎ時間も効率的で魅力的だ。結果的には航空会社のストライキでパリ行きの飛行機が飛ばず、翌日朝の便に変更になった。NYからアイスランドの5時間ちょっとの夜間飛行は睡眠をとるには全く物足りず、寝不足のまま一日アイスランドで活動的に過ごした後で、二夜連続のレッドアイフライト(しかもパリまではたったの3時間)で着いた途端、再びパリの朝が始まるかと思うと、体力的にとても無理がある旅程だと途中で気付き、予定外のフライト変更は逆に有り難かった。








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アイスランドの首都レイキャヴィクは、ゴツゴツとした岩、広大な大地、山脈に囲まれ、とてものんびりとしている。牧歌的な能天気さではなく、剥き出しの岩の塊が大地に広がっているせいなのか、それとも分厚い雲が空を占領した灰色の天気だからなのか、一言でいえばやや暗い。Sigur Rósやmum、ビョークの内省的で神秘的、そしてDNAレベルで語り継がれているかのようなプリミティヴなグルーヴやメロディを使った音作りにただ納得するばかりだ。以前にも書いたことがあるが、気候は人の気質や創作するものに、おおいに影響すると思う。厳しく憂鬱な気候に影響された作品には洞察力やインテリジェンス、皮肉さを感じることが多い。太陽に恵まれている場所から産み出されたものには、リラックスした音や、やれパーティーだとかやれ踊っちまえだとか、少々おバカなノリなものも多い。全然好きだけど。







a0028990_07361824.jpg街の中心部は小さく、徒歩でまわれる。
寿司屋発見、その名もスシバリン。シップの名前風。
ここだけ見ると、日本の商店街風。









a0028990_07370151.jpgラーメンやさんも発見。一杯約1200円。北欧全体に言えることだが、全体的に物価は高め。人がとってもナイスでフレンドリー。英語は問題なく通じる。そうえいばストックホルムに行った時、スウェーデン人は”ヨーロッパの日本人”と言われている、と現地で出会った人たちが言っていた。スウェーデンでの衛生観念やサービス、彼らの気のつかい方、笑顔の作り方、話し方などはどこか日本人に通ずるところがあり、とても心地よかった。その居心地の良さを、ここアイスランドでも感じた。ごはんも口に合い(白身魚やサーモンなどを好む傾向)快適に過ごすことができる。








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小さな中古レコードやさん。
お宝を掘りだすキッズが微笑ましい。
アイスランドという国名がビビらすほど寒くなかったのは意外。ダウンジャケットも持って行ったが、他の北欧諸国と同じく涼しい夏、という感じであった。


















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世界最大規模の露天風呂、ブルーラグーンに行って来た。レンタカーで行くか、ホテルから申し込み、バスがピックアップしてくれる。市内から1時間弱のドライヴ、往復のバスとブルーラグーンの入場料で約1万円と、しっかりするお値段。でも行く価値はある。

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これだけの大きなスケール、開放的な露店風呂などかつて見たことがない。世界最大規模らしく一周ぐるりと歩き回ると10数分かかる。まさかアイスランドで湯巡り気分になるとは思ってもいなかった。男女共用で水着着用、ビールバーなどもあり老若男女で賑わう。ここは厳密に言えば温泉ではなく、近くにある地熱発電所がくみ上げた地下熱水を再利用した施設なんだそう。白濁したお湯は皮膚病に効くらしく、効果としては温泉らしきもの。足元はというと、砂浜のような柔らかな感触であった。奥に行くと「シリカ」と呼ばれるまっ白い泥が置いている場所がある。木の箱の奥に泥が溜っていて、スプーンのようなもので掘り出して使う。なにやらそれを肌に塗ってパックをすると美肌効果があるらしく、皆顔や首、身体に塗りたくっている。もくもくとあがる湯煙の隙間から見える、真っ白なマスクを被った人々がウロウロしている光景はただただ不気味。




a0028990_07344047.jpgわたしもシリカに挑戦。顔にべったりとシリカを塗ってみる。一人で行ったので、「あはは、まっしろー」などど無邪気に戯れる周囲を横目に、一体自分がどんな姿か分からぬまま黙々とただ塗りたくるストイックな時間。しばらくぼやっと放置。どれ腕なども塗ってみようかしらね、とカピカピになりそうなシリカマスクで顔を覆ったまま再びシリカを調達しに出掛けた。すると学生時代の雰囲気を取り戻しに来たかのようなノリの、ビールを抱えた同年代の男子(多分”男性”だが、ノリが男子。)たちもやってきて、シリカをご親切にエッサホイサと掘り出してくれた。スコットランドからやってきたという彼らと、何事もないかのように爽やかに談笑し忘れそうになるが、わたしの顔といえば真っ白な能面である。最も放っておいてほしい瞬間ともいえるこの状態で、今なにかしら恋心が生まれたとしたら、この恋は永遠だなと思ってひとりで可笑しくなった。顔を洗ってみると、あらまあ、トゥルトゥル!





アイスランドは郊外もいいらしい。むしろ郊外で火山やゴールデンサークル、オーロラなどの大自然に触れてこそのアイスランドらしい。日程的なことや一人旅という条件もあり、周遊はできなかったけれど、アイスランドの香りらしきものの一片には触れることができてよかった!




# by akiha_10 | 2014-06-19 08:25 | Trunk

ニューヨークジャーナル 164

今アーティストやミュージシャンの友人たちが数年前から続々と移り住んでいるブッシュウィック。サポートをしているバンドのメンバーもこの辺に住んでおり、リハで来る機会が多くなったこの頃。先週は年に一度開催される、ギャラリーやスタジオが公に公開されるBushwick Open Studio(BOS)に行って来た。
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ブッシュウィックはブルックリンにあるウィリアムズバーグ東一帯にひろがっている。
この10数年でウィリアムズバーグは様変わりしたようだ。ウィリアムズバーグの興隆も、はじめはマンハッタンのソーホーやイーストヴィレッジから流れて来たアーティスト達が住みはじめたことがはじまり。オーガニックフードや手作りクラフトもの、ヒップスターファッションや音楽からアートまで、”ヒップ”なブルックリンブランドを創りあげてきたのは主にこのウィリアムズバーグである。かつて都落ち感のあった「マンハッタンからのブルックリン移住」を「横浜に住んでいる」くらいの、ちょっとした洗練ささえ帯びた響きに変えたのもウィリアムズバーグであろう。ちなみに、ブルックリンブランド全体に通ずる、ほっこり感やかわいらしさ、ナチュラル感や個性的なエッジィ感覚は、ひたすらセクシーさと勢い、刺激とスケール感を追い求めているマンハッタンのセンスよりも、日本人感覚のセンスに合う。だから、日本から来たカフェや雑貨、カルチャー好きの友人には迷わずウィリアムズバーグをお勧めする。



そんなウィリアムズバーグも、今や大手資本によるカフェや洋服屋が建ち並び、すっかり商業的に。決定的に観光地化させたのは数ヶ月前に建った大型クラブ。週末の夜ワイスストリートを歩いてみたら、そこのいる女たちはこれまでの、古着ワンピースにビーチサンダルといったようなヒップスターブルックリンガールではなく、タイトなミニワンピで胸を寄せ上げ12cmのヒールをコツコツと鳴らしながら、忙しなく携帯をチェックし狩り場を探すミートパッキングガールそのものになっていた。クラブに横付けされたギラギラとしたリモはこれまでにない風景。”わたしたちのペースで、らしく生きる”と生き方の指針を共有しあっていた、ほっこりしていた場所も、すっかり夜のズーに浸食され、マンハッタン的ビジネスに取り込まれてしまった。(とはいえファッション的にはいろんなテイストがミックスしていて、それはそれで面白い。)


そうして、数年前から新たな聖地を求め東へと開拓されていたのがブッシュウィック。そういえば今年はじめに日本で会ったアメリカ人の女の子が言っていた。NYと東京を行ったり来たりしている彼女に東京の良さを聞いたら、「東京は住環境が数倍マシ。”ブッシュウィック”(両手ピースマークの指関節を折り曲げて囲いながら)の狭いアパートでルームシェアなんて、もう嫌だ」と言っていた。それはいかにも、ブッシュウィックがNYで夢を掲げた若者が葛藤する場所代表のように話されていて印象的であった。



ブッシュウィックがウィリアムズバーグ的進化を遂げるのかということに懐疑的な意見をよく耳にする。
個人的憶測ではあるがウィリアムズバーグのケースは、アーティストたちが誰にも語られることなく移り住み、ある程度街が形成されてから「ウィリアムズバーグ=ヒップ」という称号を得たような気もする。ブッシュウィックの場合、すでに「次なるウィリアムズバーグ」といった形でメディアに取り上げられ過ぎていて、新たな独自な文化が生まれる前に、ウィリアムズバーグの焼き増しを求められているようなところがある。人が街を創る前に、街という箱が人を呼んでいる感。そこに移り住むことは、自分がヒップである前に自分をヒップに演出するような、または自分がアーティストである前にアーティスト的でありたいと思うような、トレンディ感が既に先行していて、ウィリアムズバーグの時のような鮮烈な文化形成になるのかはまだわからない。単純に家賃の安さで移住していく者もたくさんいるが、ブッシュウィックと単語を発すると時に意地悪な薄ら笑い感がつきまとうのは、そういった事情もあるのだと思う。

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そんな街全体の文化やアートシーンの形成の進行状況はともかく、今回行ったブッシュウィックのアートイベントでは、伸び伸びとした自由な環境を求めて移り住んだ個々人の爆発的なパワーは存分に感じられた。(半分以上は外から来た人だろうが)。少なくとも、わたしがなぜNYが好きなのかを確かめるには充分な活気であった。BOSは今年8年目を迎えるイベントで、ブッシュウイックにスタジオを構えるアーティストたちが個人のスタジオ(ギャラリー/アトリエ)を週末限定で公開する。わたしたちはプログラムに書いてある住所と地図を探して訪ねるというもの。イベントをはじめたばかりの頃は、参加アーティストは数えるほどだったらしいが、今や600以上のアーティストが参加。イベントに便乗して、街ではライヴパフォーマンスあり、フード屋台あり、とお祭り状態。アートに興味がなくても散歩するだけでその雰囲気を楽しめる。




a0028990_9502958.jpg色々な場所を訪ねてみて、普通のギャラリーでは味わえない楽しみ方も見つけた。スタジオを制作場所、兼住居としているアーティストもいて、必然的にそのアーティストの暮らしぶりの一片をうかがい知ることができる、というものだ。


寝室やキッチンも出入り自由で公開されているものだから、詮索するのは悪趣味だと思いながらも、ニョキニョキと生える好奇心のアンテナが様々なものをとらえる。置かれているクッションのファブリックの柄や今朝使ったのであろうバターナイフやマグの一つ一つが引き金となって、ついストーリーを紡いでしまい、ひとりだけのお楽しみに浸る。初めて彼女/彼氏の部屋に入った時のセンサーってこういうのだよね、とドキドキさせた。どこのスタジオでも生活と作品の関連性が興味深く、総じてインテリアの趣味がよく、気持をふわりとさせた。








a0028990_9511369.jpg居住スペースと、制作スペース(仕事場)を7:3くらいの割合でしっかりと分けているところもあれば、制作場所にかろうじて寝食の場所を確保している、というスタジオもたくさんあった。全体の8割が作業場を占める部屋を見て、わたしの心の扉がノックされる。生活の中にアートやクリエィティヴな部分があるのではなく、アートやクリエイティヴの中に生活がある人たち、人生そのものをアートの中に置いて生きている人たちへの羨望。




わたしは、社会的物差し(お金や名声)に関係なく、”それだけ”やっていれば基本的に幸せ、または充実感を感じられる、という人、またはそういったもの(趣味)がある人は、とても幸せな人だと思う。欲望のサイクルが健康的に自己完結し、幸福感を自家発電できるからだ。しかもその”それだけ”で、なんとか生活ができていれば、それは人生の8割の幸せを占めているといえる。わたしがNYが好きな理由のひとつは、”それだけ”をやっている人がたくさん居て、そんな人々を許容(放任)する街だからだ。それで生活できるできないに関わらず、社会通念どこ吹く風、おおいに偏った愛すべき人たち、素直すぎるほどに思い切って生きる人たち、それを時に手厳しく、時に温かく取り扱うこの街がわたしを元気にさせる。自由というものには責任が付きまとうという事が、年齢と共に手応えのあるものとして感じられるようになった今、ここに生きる人たちの人生の取捨や覚悟がさらに伝わるようになって、その潔さに改めて感動を覚えるのだ。わたしがここに居て居心地がよいのは、自分もそうであるからと言いたいところだが、そういう人たちを側で見ていたいという、彼らに対する永遠の憧れがあるからかもしれない、とも思った。


一体わたしはこの街で今何と戦って、なにを取捨しているのだろう、自分や人生になにを期待しているのだろう、そして期待する事とはなんと体力と精神力が要って、孤独なことなのだろうか、と想いは様々なベクトルに飛び火し、角にあったかわいらしいカフェでスムージーを吸い込みながらアンニュイ気取る。ブッシュウィックのせいだ。エネルギーを持て余した解放的な雰囲気がわたしだけ取り残して、自分の凡庸さや勢いだけではなくなったわたしを浮き彫りにして一瞬だけ憂鬱にさせる。


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ファッションもおもいおもい、元気いっぱい!










a0028990_1064647.jpgこのスタジオは、門司に住んでいた祖父が生前いつもこもって作業をしていた基地のようなアトリエ(個人趣味用)を思い出させた。自分でつくったかのような木造の四畳くらいのスペースで、そのほとんどが机と物置に占領され一人がやっと通れる狭さだった。天井が低く、雨が降ると直に頭上で水の塊の打ち付ける音が聞こえた。薄明かりにぼんやりと浮かぶ、たくさん並べられた彫刻刀や筆、よくわからない金具、インクや糊の匂いがいつもした。まだ小さかったわたしはこの部屋にロマンを感じていた。祖父は折り込みチラシや飴を包んでいた紙などの皺をのばして大切に保管し、それらを使ってオブジェらしきものをつくっていた。そうして基地で出来上がった苦心の作を周りに披露しても、真面目な祖母をはじめとし「またこさえてぇ、置くとこないよっ」と一蹴され評価を得ていなかったのを、幼心にも申し訳ない気持で見ていた。それでも翌日玄関先などにちょこんと飾ってあるのを見ると、ほっとしたのだった。今会ってみたいなぁ。おじいちゃんにはニューヨークなんかが合っていたと思う。世間体どこ吹く風のマイペースさで浮世離れしていて、洒落た事が好きでいつもニコニコしていた。わたしは、鬱蒼とした気分の時には自分なりにおしゃれをして気持のいいカフェにひとりでお茶をしにいく、という処方薬を持っているのだが、祖父もよくキメこんでひとりで小倉の喫茶店に行っていたのだという。もしかしたら、おじいちゃんも、おじいちゃんなりにそうして気持の整頓をしていたのかもしれないと想像すると勝手に結束感が強くなる。もっといろんな話をしてみたかったよ。 ブッシュウィックの空を仰ぐ。
# by akiha_10 | 2014-06-10 12:43 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 163

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サンクスギヴィングからニューイヤーまでのホリデイシーズンは、パーティーやお呼ばれが多くなる。今年も大好きな友人のお宅にお招きいただいた。なんといっても彼女のインテリアのセンスのよさは抜群!!わたしはこの空間が好きでたまらない。友人といっても、自分の母親世代という年の離れた友人だが、元旦那様が外交官時代に、共に世界中を旅して多くの美しいものを見て吸収したという、洗練されたセンスがこの空間につまっている。エスニックなものとヨーロッパなもの、アンティーク調度品、思い入れのあるアート、ひとつひとつを取ってみると異質なものが、おそろしく美しく調和して、行儀よく配置されている。そのどれを取ってみても美しいという審美眼、全体としてそれらをコーディネートするバランス感覚にわたしは「ハァァ」とうっとりと、ため息をつきっぱなしであった。この空間に居るだけで素敵な人になれそう。いつかわたしもそういう空間づくりをしたい。





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お花の色選びから生け方まで、ディティールがわたしの目をとらえる。「家にお客様を招く機会が頻繁にあって、やらなくてはならなかったからよ」と彼女はなんでもないことのように言った。彼女はアメリカ育ちアメリカ人であるが、お母様がフランス人で、刻まれたDNAなのか、育ちの中で継承したフランス的感性なのか、その空間的センスのみならず、エレガンスとはなにか、豊かさとはなにか、人生の楽しみ方を語らずとも醸し出してくれる、「女」の先輩である。








人生におけるわたしの最大の執着は、この世に生きている間にどれだけ美しいモノ、コトに触れる事ができるかである。おもしろい、かわいい、おいしい、素敵、琴線に触れるものはすべて「美しい」と讃えられる。英語の「Beautiful」が、味や面白み、心情、状況、その振る舞いなど、広範囲の形容に使われているように。それら美しさに触れて、感動の「わお!」と満悦の「うふふ。」をどれだけ収穫できるか。そして、どれだけ人に与えることができるか。理屈抜きに心が震える「わお!」と、自分の心の中で悦に浸る「うふふ。」。「わお!」も「うふふ。」も日常的に探し求め、気付くことによって自分でも創れる。特に「うふふ。」メーカーは、一度スイッチをいれるとぽこぽこと量産してくれる。甘いの食べてうふふ、好きな色のセーターを着てうふふ、おいしく米が炊けてうふふ、スチームアイマスクでうふふ。思うに、女の楽しみのほとんどはこの「うふふ。」関連だ。



わたしは好きなものとそうでないものがはっきりしている。客観的、絶対的な美しさがどうであっても、わたしの心が躍るのであれば、それがわたしにとって「美」である。美しいものとは、つまりは大好きなもの、と置き換えることもできる。小林秀雄のいうところの、「美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない」というのはこういうことであろうか。



ところで、このお宅で久しぶりに会った友達がヒゲを生やしていた。「あれ、ヒゲを伸ばしはじめたんだね」と言うと「そう聞かれるが目的なんだよ」と”Movember”について話してくれた。Movemberとは口ヒゲの”Moustache”と11月の”November”をかけた言葉。11月の一ヶ月間、口ヒゲを伸ばしてそれに気付いて指摘されたら、前立腺がんなど男性特有の病気について語り、皆で理解を深め、チャリティー活動への喚起、早期発見を促す啓発運動なのだそう。ヒゲを話題の切り口にするなんて、多少無理矢理だけど、なんてユニークなアイデア!と目からウロコ。実はオーストラリアからはじまったという運動だそう。今年はNYでも妙に口ひげ男子が急増していたような。









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a0028990_7482323.jpg大好きなものに戻ろう。わたしはヴィンテージジュエリー、アクセサリーを集めているのだが、先日ペンシルベニアにあるアダムスタウンというアメリカ最大級のアンティークタウンに行って来た。NYから車で3時間ほど。パリのクリニャンクールを広大なアメリカの地に持って来たようで、楽しすぎて大興奮。ジュエリーや小物、大物家具まで、そのエリア一帯にたくさんのアンティークショップが建ち並んでいる。荷物と予算のことを考えなければ買いたいものはたくさんあったが、現実的になるように自分を抑えた。冬らしいブローチとクリスタルのブローチ。雪の結晶のようなブローチはモロッコの空港、またはアルハンブラ宮殿の二姉妹の間(写真)を思い出させた。ずっと欲しかった50年代のプラスティックバッグもついに入手した。50年代当時、プラスティックという新材料が斬新で爆発的に人気となり、NYをはじめとする上流婦人を魅了したバッグ。はじめは手作りだったものも、その後型抜きで大量に安物が出回るようになり、10年も満たないうちに衰退したいう、50年代を代表するアイコニックなバッグである。実はふたつ買ってしまったのだけど(小声)少しずつ集めていきたい(一体どこに置くんだー!)。その他にも大好きな20年代のレースのヘッドアクセサリー、上品なパナマ帽子、ファーのついたレザーコートを買った。そのどれもが、NYのヴィンテージショップで買うより大幅にお得!!NYに来る度に”買い出し”に足をのばそうと心に決めた。








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こちらは少しモードめ。最近バッグで注目しているのはMANSUR GAVRIEL。初秋のNY、ダウンタウンのSteven Alanで見たBucket Bagのそのシンプルさ、クリーンさ、実用性に、こういうのが欲しかった!ステキッ!とウィッシュリストの中でほくほくと温めていたところ、もたもたしているうちにどうやら、今「かなり」人気になっているようで現在プレオーダー待ち。

数年前にデザイナーがフィービーになってからのCelineのデザインの美しさ、配色、ミニマルさはわたしの心をわし掴みにしたが、デザインはCelineに通ずるものがある(特にトートはかなりCabasインスパイア)。クオリティも高く、値段は安くはないがハイブランドほどではない。



チラリと見える裏地の色が可愛いのだが、わたしが見ていたBucketタイプの黒/レッド、その色の質感は、女が無条件反射で反応するエクスタシー色、なんだかルブタンソールを彷彿させる赤である。カジュアルにも持てるし、きちんとした席でもおさまりそうな、万能使いできそうな賢いバッグ。うーん、よく計算されている。にくい。

ふたりの若いアメリカ人女性がたちあげたブランドMANSUR GAVRIEL。来期からは外の革の色、中の裏地のカラー組合せの選択肢を大幅に増やすようで、これはますます世界中で人気になりそう!うーん、色違いも欲しくなるねぇ。










物欲ほとばしる形で締めとなりましたが^^:。

来月は日本です!2014年1月15日(水)に開催される、舞台『Paco~パコと魔法の絵本~ from「ガマ王子vsザリガニ魔人」』製作発表イベントで唄います!ただ今200名様の観覧者を募集中です。ぜひご応募くださいね!詳細


今年もたくさんの方々、こと、に支えられて、健やかで充実した一年を過ごさせて頂きました。来年も、自分の「好き」を粘り強く探求しながら、美しいものをたくさん見て吸収して、おおいに笑って、表現、創作共に、楽しく真摯に続けていこうと思います。お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!

皆様の来年が「わお!」と「うふふ。」に溢れた笑い多き一年になりますように!
素敵な年末年始をお過ごし下さいね!

瓜生明希葉
# by akiha_10 | 2013-12-30 06:31 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 162

その日、映像の最終打ち合わせでWest Villageのカフェに行った。
数年前から「街+フード+音楽」をコラージュさせた創作や活動ができないかと考えていた。具体的にHungry Kittyの構想がかたまってきた今年の春、「誰かキャラクターを動かせる人いないかなぁ」と探していたところ、いけちゃんを紹介してもらった。会うとすぐに意気投合した。好きな監督や映像の話でいつも打ち合わせが長引いた。いけちゃんもアニメーションや映像をちょうど勉強しているところで、創作意欲に溢れていて、それはわたしにとっても理想的だった。まずはモチベーションを共有する事が最優先だったからだ。テクニックや知識はとても重要だが、よい創作とは、創作への欲望とそれに向かう情熱、楽しさが先立つものだと信じているからだ。




「こういうシーンを創りたい」という浮かぶヴィジョンとアイデアを追いかけるように、具現化する方法を共に研究した。ただ「映像編集ソフトを上手に使いたい」という目的では学習速度は何倍も遅かっただろう。それは「英語をただ喋りたい」という目的で学習するよりも、「あのレストランでメニューを頼めるようになる」だとか「あの蚤の市でうまく買物ができるようになる」という自分の真なる欲望に突き動かされ、必要に迫らせた方が格段に上達が早いのと同じだ。うまくいかずに何十回も書き出したり、データのやりとりがスムースではなく行ったり来たりを繰り返し、いちいち細かくつまずいたが、少しずつ学んだ。不器用な箇所もたくさんあるが、今年の夏お芝居に書いた「40Carats」という曲の映像が出来上がった。アニメーションだけでなく、いけちゃんが「最近いいカメラ買ったけど撮ろうか?」と提案してくれたことで映像部分もぐっとクオリティが上がった。タイムズスクエアや5番街のティファニーの前で、極寒の早朝5時からノースリーヴを着て撮影した、冗談みたいな本気の遊びはエキサイティングだった。素人ながらに、欲しい絵、アングルを考えるようになって、不思議と映画を観ていて着目することが増えた。すべてのアングルに意図があり、それをどう描写したいのか、と映像が一枚一枚の絵の連続のように見えるようになった。
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https://vimeo.com/82052806






そうして頭が映像モードになっていたところ、面白い出来事があった。ちょうどその打ち合わせの帰りに大規模なロケをしている現場に遭遇した。NYではよく映画やテレビドラマの撮影をしているので、そんなに珍しいことでもないが、ちょうど自分の意識が映像に向かっていたものだから、どのように撮影されていて、それがどう映っているかなど、いつもとは違った視点で気になった。数分観察していると、そこで演じているのはキャメロン・ディアスやジェイミー・フォックスだということがわかった。数年前にもこのブログで書いたが、以前「The Holiday」のプロモーションで来日していたキャメロン・ディアスとジュード・ロウとパークハイアットのエレベーター内でたまたま一緒になったことがある。満員電車のような距離感でおふたりが前にいた。スターふたりと、わたしと友人以外はボディガードというシチュエーション、50階から地上へ上品に下降していく密室で少しだけお話もできた。たったそれだけのことだが、そのロケ現場でキャメロンを再び観た時、妙に親近感と縁を感じたという自分のどうしようもない図々しさは申し分なくNYに適合していると思う。




NYでは地下鉄でもカフェでも道端でも、誰それ構わず話しかける人が多いのだが(それは福岡で起こるシチュエーションに似ており、祖母がまさにその道のエキスパートである。)わたしもそれにならって「これ何の映画か知ってる?」とちょうど隣に居た人にたずねた。来年クリスマスに公開予定のミュージカル「Annie」のハリウッド映画版だった。主人公は黒人の女の子、音楽はJay Zと、現代版Annieだそうだ。NY的な定型文通り、会話の途中で急に思い出したかのように自己紹介をして、ジョーという名の白髪まじりの男性とその場でしばらく雑談をしていた。わたしの背後にあったテントにはモニターがあって、撮影している目の前の現場と、実際にカメラに映った映像を逐一観察することができた。「今、わたしもアマチュアながら映像をつくっているんだけど…」と編集ソフトについて話をしていると、ジョーはその手の話題に妙に詳しかった。すると「こっちに来たら面白いよ」と導いてくれ、ジョーはクルーのエリアに連れて行ってくれた。ジョーはAnnieクルーの一員だったのだ。



そこからは夢のような体験だった。ジョーはすべての映像を管理しているエンジニアで、いつどこで撮った、というものを全て記録して管理している。度々衣装さんや小道具さんが、時間軸に沿って装いに矛盾がないか、過去に撮影した映像を確認しにジョーのもとへやってきた。ジョーはクルーデスクで今撮っている何カメがどの映像で、何カメがどの映像で、という説明や、今まで撮った中で面白い映像などを観せてくれレクチャーをしてくれた。役者たちのリハ風景や、NG場面、「これ見ていいのかなぁ…」と思うところまでオープンに見せてくれたのだった。映画の現場は半分以上が待ち仕事、と聞くがやはりそのようだった。次の撮影のための日没待ち、役者待ち、照明待ちなどと、たった何秒の撮影に至るまでに膨大な作業と準備を要するようだった。その待ち時間でジョーはハリウッド映画事情や様々なことを教えてくれ、歩き回ってクルーツアーもしてくれた。たった数分前に出会ったわたしを、衣装さんや、照明、宣材カメラマンなどに紹介してくれて、その夜中クルーの中でハングアウトさせてくれたのだった。皆「明日もきっついな〜」と肉体的にハードなスケジュールに嘆きながらも、一人残らず、とてもいい顔をしていた。その日は寒く、身体を暖めたくなって「ちょっとコーヒー買ってきますね」と言うと「あまりおいしくないけど”ムービーコーヒー”あるよ」とジョーは言って、クルー用ケータリングテントにまで通してくれた。その薄味の”ムービーコーヒー”は格別においしく感じ、気付けば待ち時間にやってきたフードトラックからクルーに支給される、ワカモレチップスを勧められるがままに一緒に食べていた。
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有り得ないような出会いが日常にあり、求めれば、開かれ、与えられる。NYの醍醐味、アメリカの懐の深さに再び感激した。真摯に興味を持って進めば、手を差し伸べてくれる人がいる、しかもそのスピード感は他の場所で早々ない。これはわたしだけでなく、NYで意識を持って過ごしている人なら多かれ少なかれ誰でも体験していることだと思う。



クルーの人々の、"Stranger"であるわたしに対するフレンドリーさ、親切さにも驚いた。NYにおける「人との距離感」はパーティー文化、土足文化、さらには多民族との共生で鍛えられた「家の開放感」がその距離を縮めていると推測する。それが時折、文字通り「土足で踏み込む」デリカシーの欠如にもなるが、そのオープンさに着目するならば、日常的に自分の家に気軽に、土足で、他人をあげることは、家ならぬ心の扉の開放の表れともいえる。たとえ表面的であったとしても、常に受け入れ態勢がととのっている。家を開放しているから心が開くのかその逆か、どちらが先かは分からないが。NYに来てサブレットやシェアで学んだ彼らの「家」というものへの概念の違いはわたしにとって新鮮だった。NYにおける個人の境界線や、喜んでシェアするものの多さは、この家の境界線に由来するものではないかと思う。ニューヨーカーは一所に留まらず、物理的にも精神的にも柔軟で臨機応変だ。当然、別のところではとても頑固だが。



その夜、わたしはまるで社会見学に来た小学生のようになっていた。ジョーは「今からまだ数日ロケがあるから」と、マンハッタン内で何日にどこで撮影があるかという”コールシート”というロケ予定表をメールしてくれたのだった。もちろん、行った。いい大人が今更、”映画少年”のように夢中で通った。中でもミュージカルならではの大掛かりなシーン、メインキャスト、ブラスバンドやダンサー、エキストラなど100名以上が道で踊り唄うシーンは圧巻だった。監督のいる中枢のテントに招いてくださり、一番前に腰をかけるよう勧めてくださった。”ムービーコーヒー”を片手にキャメロン・ディアスの芝居を観た。数年前に間近で拝見した時も、実物のキャメロンの気取らぬ普通っぽさは好印象でありながら「スクリーンで観るとさらに綺麗よね」と友人と話した印象は今回も変わらなかったが、再び確信した。目の前で踊っているキャメロンと同時にモニターを見比べていたが、モニター画面にキャメロンの顔が映っただけで、鳥肌が立つくらい、その画面全体に魔法がかかったようにパアっと華やかになるのだ。既に世界中が知っていることではあるが、それはもう美しく映える。カットがかかった後も、自分がモニターに映ってスタッフが観ているのを承知でふざけて演技を続け楽しませる彼女に、周りが口々に笑いながら「Such a star!」とこぼしていた。なるほど、これが「ハリウッドスター」なんだな、と妙に納得した。




テント内には、ビルの上につり上げられた風船を操るエフェクトスタッフ、何台もの巨大なカメラを操作するスタッフが集まっていた。オートクレーンカメラというのはラジコンのように遠隔操作ができるようで、それを見事な手さばきで操作する職人スティーヴが隣にいた。衣装や大道具、小道具さんも熱気のこもったそのテント内でモニターをチェックしながら現場を見守る。監督の「アクション!」の合図と共に、それぞれがインカムで「もっと右右!」などと熱く指示をしながら、撮影が進む。2−3分に渡る大掛かりなシーン、それぞれのエキスパートの集中力が結集しているのを感じた。わたしは長いこと唇をかたく結んで、それをしないようにしていた。今までにあった葛藤や、執着、悔しさ、喜び、それら感情の鋭く尖った部分を、日常というヴェールの下層から呼び起こして、身体の隅々を一巡して摘んでまわって、一点一点を線で繋ぎ、すべてが繋がっているかのように信じはじめること、偶然を奇跡と取り扱ってひとり勝手に感傷的になることーはどうしたって起動してしまったのだ。曲の最後のサビまわしで、ラストシーンにむけて気持をひとつにするかのように、スタッフが一緒に「Tomorrow」を大合唱しているのを観て、感動を受けとめるバケツがいっぱいになってしまって、全身の細胞がパチンと弾けてしまって、大量の風船がビルから落ちてくるタイミングで、ついには液体となって目からぶわっと温かいものが溢れ出てしまった。その席に招いてもらった者として、それはあまりにも素人じみていて、田舎くさくって、すぐに涙を拭ったが感動が止まらなかった。それは1mにも満たない距離で、キャメロンやジェイミーがこちらを向いて踊っているからではなく、このシーンは、わたしが毎晩ずっと夢見ていたものだったからだ。「Tomorrow」というあまりにも疑いのない希望に溢れた音楽に、降参した。



わたしはNYに来た時にから「一流の映画の撮影現場を観たい」とずっと周りに言っていた。それは、自分が映画が好きだからでもあり、音楽でも舞台でもCMでもプロフェッショナルが集まった制作現場が好きだからであり、NYに来る当初から心がけていたことが「一流に触れること」であったからだ。アメリカの一流といえば「映画」は間違いなくその一つだ。その他にも、音楽、舞台、アート、レストラン、バー、洋服、そして人。自分のできる範囲で、それらの良いものに触れることを心がけていた。分不相応なことがほとんどだったが「明日は生きていないかもしれない」をエクスキューズに随分背伸びもした。もちろん、なにが良いものかを知るために、結果的にはそうではなかった事もたくさん試した。NYのすばらしいところは、一流に触れるチャンスが気軽に多くあり、また開かれていることだ。20-30ドルで一流のライヴを楽しむことができ、朝から並べばオペラだって20ドルで観られることもある、多くの美術館が無料開放日を設けているし、気合いひとつ、興味を持ってあたってみればかなりのことができる。ノリだけで飲むBud Light(若者に人気な、味も風味も値段もライトなビール)三本の代わりに、一杯の希少なグラスワインを飲み、なんとなく行く飲み会の代わりに一流フレンチレストランのランチにひとりでも行った。同じ100ドルの予算であれば、大量生産された服を買う代わりに、ヴィンテージショップで仕立てのよいクリスチャンディオールのブラウスを買ってみた。日常的なことを批判しているわけでは全くなく、一流を一度でも「知ること」がわたしにとって重要なのだ。そうして、ご活躍されているビジネス界の方やアスリートの方、クリエーターの方々となぜか直接お話できる機会も巡って来た。今回のプロフェッショナルなクルー、キャストによる映画製作現場の風景は、わたしがさんざん脳内に焼き付けていた映像のデジャヴュであった。




ジョーは薬剤師になるための大学をドロップアウトし、かねてからの夢であった映画関係の仕事を目指し、思いつく術をすべて試してこの業界に辿り着いたと言った。West Villageで彼のキャリアを一通り聞き終わるころには”ムービーコーヒー”はすっかり冷めきっていた。次の撮影準備が整いはじめ、監督が腰をあげるのを見計らって、根を生やしていたジョーもおもむろに立った。去り際に白い息と共に"Anything can happen."とそう残して。わたしはかたまった。それは、わたしが敬愛しているMary Poppins(ミュージカル版)に出てくる、もう何百回も聴いているだろう楽曲、どうしても心がうまく起動しない時に聴く、おまじないの曲のタイトルであった。


"Anything can happen if you let it" -自分次第でなんでも叶う。
監督の「アクション!」という声とともに、胸のあたりでまたなにかがじゅわっと弾けた。





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Tomorrow! Tomorrow! I love ya Tomorrow! 
Merry Christmas!
# by akiha_10 | 2013-12-25 15:17 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 161

先週はよく唄った。

NYにはオープンマイクというものあがり、小さなライヴハウスなどで毎週決まった曜日で開催されている事が多い。ハウスバンドが演奏しており、リクエストすればスタンダードナンバーを生バンドに演奏してもらって唄うことができる。オリジナル楽曲でもついてきてくれるそうだ。その日に行って登録すれば誰でも唄えるので、楽しみで来ている人から本格的に歌声を披露たい人まで様々のようだ。


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そんなオープンマイクの話は色々と聞いてはいたけれど、先月終わりにピアノを置いてあるカフェバーで開催されているオープンマイクをWest Villageで見つけたのだ。ふらりと入ってみると、老舗のカフェバーのような空気感。昔から置いてあるものとそうでないものがやや無造作に、一貫性なく置かれており、そこに居る人たちはおもいおもいに本を読んだりデッサンをしたり、ワインを飲んだりと互いにちっともかまう様子はなく、しかしそこにある空気を共有していることを意識し合っているかのような、まるでパリのカルチェラタンにあるカフェに重なって、わたしはすっかりその場所が気に入ってしまった。


次々と披露されるのは、ギターやピアノ弾き語りの演奏やコメディアンの独演会。あたたかくて、なんでもありな自由な雰囲気が、わたしも唄ってみたい!と思わせた。そして、先週はじめてオープンマイクで実質NYではじめてとなる弾き語りをしてみた。変な緊張をしたし、自分の手応えとしても決して出来がよかったわけではないけれど、とても清々しかった。オーディエンスの数人の方が、声が"fresh"だとか、早朝の鳥のさえずりのように心地よい、と表現してくださって嬉しかった。


そうして、カフェバーを去る際にオーナーが「明日も急に枠が空いたから唄いに来ないか?」と機会をくださった。またその日オープンマイクのホスト(進行役)を務めていたトレイシーが別のカフェで弾き語りができる子を探しているから、と金曜の夜に1時間も唄う機会を紹介してくれた。


このツキはちょっとしたビギナーズラックだったかもしれないが、出来事以上のものをわたしの心にもたらした。NYでライヴができたこと、その事自体もとても嬉しかったけれど、それ以上にわたしにとって意味があったのは、とにかく動いてみることの面白さを体感したこと。ひとりでえいやっ!と乗り込んで唄ったことには多くの意味があった。うまくいく、いかないはさておき、とにかくやってみる事に価値があると勇気をもらったのだ。蹴ったボールがその先、転がることもあれば転がらないこともあるだろうが、まずはボールを蹴らないことには転がる可能性はゼロ。たとえそのボール自体は転がらなくても、ボールを蹴った振動は確かにそのグラウンドに伝わり、まったく予期せぬところで何かが微動しているかもしれない。やってみて多少恥ずかしい想いをしたり失敗しても、死ぬ時になってそれを試さなかったことを後悔するほうがよほど悲しいではないか。







ずっとNYで「唄ったりしないの?」と聞かれていたけれど、少なくとも去年くらいまでは、トライしたところで気持が音楽に入らない事がわかっていた。NYに住むこと自体が夢で、それを叶えることができ、大好きなNYにしばらく振りまわされたかったのだ。NYの街中で毎日繰り広げらる、入れ替わり立ち替わる日々のことを追いかけるのに全力投球だった。朝食のベーグルから夜のカクテルまで抜かり無くメインイベントだった。イベントやエキシビション、ごはんや軽薄なパーティー、次々と入れ替わるバーやレストラン、ベーカリー、ごはんや芝居やライヴ、なんだこりゃな豪奢なパーティー、帽子やヴィンテージショップ、またはごはんに夢中だったのだ。五里霧中で、昼も夜も関係なく、圧倒的なインプットの波を受けとめるのに必死だった。アメリカ人が自分の夢が叶った時に言う、やや大袈裟な台詞、”I am living in my dream”にどっぷりと浸かっていたのだった。


今でもNYで目的もなくひとりで時間を楽しめ、と言われればいくらでもひとり遊びができるのだが、その蠢く街の波の渦中から、今年からほんの少しずつ、気持をサイドへと移行させている。それでも吸収できるものは吸収しようと、ハングリーによく遊びよく食べているのだろうが、前年比からすると自分のアウトプット時間も持てるようになった。まるで人工的に波をつくった流れるプールから、その強力な流れに逆らいながら、身体をよじらせなながら自力で身体をプールサイドにあげるような感覚で。同じ自分でいる限りは、今泳いでいるプールはまた同じ場所に戻る円形のプールだと気付いたのだ。わたしは姉を思い出した。姉の名前には「波」と「留」という漢字が入っていて、「世間の波に関係なく、自分の波に自分らしく留まることのできる子に」という想いを込めたらしいが、「明るさ」だけは自信があって、もはや妄想に近い「希望」ばかり持ち続けている夢見がちな風来坊の妹、明希葉をカバーするかのようにちゃんとした姉である。名前とは不思議なもんだ。



今年はじめにアーティストvisaを取得できた事も気持を少しずつ変化させた。NYがくれたラッキーチャンスを生かしてもっともっとNYを吸収したい。これは何年計画になるかわからないけれど、わたしの夢は、世界の色々な場所のカフェやレストランで演奏をして、その土地土地の美味しいものを食べて、その体験をまとめた「ごはん狂想曲(仮)」という本を出すことです。ごはんも創作もメイン、よく食べ、よく表現。晩年かもしれんねぇ。胃と身体が元気なうちがいいなぁ。


ひとまず年始に一度日本に帰るまでは、どんな小さな機会でもNYでたくさん唄っていこう!今はNYのvibesを自分の身体の中にたたきこむ事が目標。







来年二月は舞台「PACO」の主題歌で参加させて頂けることになりました。2004年初演の「MIDSUMMER CAROL~ガマ王子vsザリガニ魔人~」の作品です。「パコと魔法の絵本」という映画にもなりましたが、もとは舞台なんですよ!初演はもう10年前なのですね。「Endless Story」を10年唄ってきたと思うととても嬉しいし、まだ10年、なのかもしれないね。

大好きな作品であり、個人的にも思い入れが強い作品です。15歳からお世話になっていたレコード会社や事務所の方々と一度離れて、音楽とも離れて、という1~2年が大学時代にあったのですが、この作品が、その後また音楽や芝居に関わるきっかけを作ってくれたからです。このきっかけがなかったら、アルバム「キャメレオン」からその後に続く作品も、ライヴ活動もありませんでした。音楽や芝居を通して知り合った仕事仲間とも、音楽、役者友達とも知り合えていないし、ライヴに来てくださるお客さんとも出会えていない。今わたしはNYにいないかもしれない。

このきっかけというのも、バッタリと、数年ぶりに道端で事務所の副社長とお会いした、という奇跡的な偶然から始まったのです。まさに道端で「今ちょうどこういう企画をしているんだけど、また主題歌を書いてみない?」とおしゃってください、音楽活動がまた始動したのです。そう思うと、人生にはたった一日で起こった偶然が、その後の人生を大きく左右するような出来事が起こりうるんですね。その日の起床時間や歯磨きをするタイミング、電車に乗るタイミングが1分でもズレていたら起こりえなかったこと。


人生はおもしろい不思議に満ちている。
「震えるような奇跡もあるかも」。Endless Storyに書いたこの歌詞を今、この10年間に起こった自分なりの奇跡(出会いやタイミングや幸運)を振り返って今高らかに唄える。さらに10年後も、深みを増して唄えるといいなぁ。


いつでも人生の不思議さ、おもしろさを受けとめる準備をしておいて、
今日も明るい希望を持って、一挙一動を味わいながら丁寧に生きてみよう。
感謝。
# by akiha_10 | 2013-11-21 06:50