ニューヨークジャーナル 168

ニューヨークジャーナル 168_a0028990_216463.jpg


NYらしい、すてきなできごと。長年好きなアクセサリーブランドのひとつ、NY発LuLu Frostのセールに行ってみたら、その会場はLuluのNYヘッドオフィスであったこと。そして、オフィスで物色中に、わたしが既に身につけていたLuluのブレスレットを見たスタッフが「それ、素敵なブレスレットね。わたしがデザインしたのよ、ふふふ」と話しかけてくれた方、その方がまさにデザイナーLulu本人、Lisaであったこと!Luluは日本でも取り扱われており、リサは仕事で度々訪れる日本がとても好きなこと、日本人が最高に親切であること、Luluは小さいころのあだ名であること、ジュエリーブランドはおばあちゃんの代からやっていること、などを話してくれた。



ニューヨークジャーナル 168_a0028990_2173266.jpg
興奮して、ミーハーにも写真撮影。オフィスも商品もどうぞ撮ってね、とおっしゃられたので遠慮なく。"Style Blog"をやっているの?どうぞなんでも載せてね、とリサ。スタイルブログ、、、などというかっこいい響きのものでもないし、おまけにこの放置ぶりの怠慢、、という後ろめたさもあって、写真を撮らせて頂いたからには載せます!、とブログへ再び向かわせてくれたリサ。Thanks Lisa!



日本とNYを行ったり来たりする生活を約4年の間で繰り返して、何かを買うときに常にスーツケースの事を考えるようになった。スーツケース1つで生きる気持ち(あくまで、気持ち)で、かさばるものはその後譲ったり捨てたりが出来るかどうかなどという、そのモノが辿るその後の運命について考える癖がついた。その点からすると、アクセサリーの手軽さは靴や帽子やバッグよりも優位である。昔から好きではあったが、わたし好みのガラクタ紙一重の素敵なアンティーク(風)やヴィンテージ(風)のお店、フリマにNYでたくさん出会えることも手伝って、この4年間でアクセサリーが増えた。センスのよいセレクトショップで当たり前に素敵なもの(そして当たり前にいい値段であるもの)を与えられるより、ガラクタ市から自分のとっておき、わたしが美しいと感じて執着するもの、を掘り起こす事は毎日何時間やっても飽きない趣味である。なにより、日常生活で視界に入ったり手に取ったりする度に買った時のストーリーと情景を鮮明に思い出せるモノを身に付けたり、そのモノと暮らす、という事は自分にとってかなり重要なことで、豊かなことなのだ。







ところで、たまに留学を検討している方からブログを見てメッセージを頂いたり、NYでたまたまお会いした方がブログを読んでくれていたりする。”NY”というキーワードで繋がる縁があって嬉しい。それぞれのNY観ーNYと生活、NYと経験、NYとキャリア、NYと人生ーを話していると内容の濃いオムニバス映画(NYというチェーンで繋がっている)を観ているような感覚に陥る。(映画”NY, I love you”の登場人物全員がNYに来た外国人バージョンで映画を作ったら面白いのに、と思っている。)NYはいつでも恐ろしいほどに素敵な場所だ。あなたが素敵と感じる心さえ持ち続けているのであれば。熱中しているもの、夢、目的、仕事、学習があるか、もしくは、例えば目的を持たずに散歩をしたりするゆったりとした充分な時間があって(NYはお金をかけずに楽しむ方法もたくさんある)それを豊かなことだと思えるか、または仕事は生活のためと割り切っても街に溢れた事柄(音楽やアート、スポーツ)に興味があり、それを叶えてくれるある程度の経済力なり時間なりのバランスがよく取れているか、パートナーとの出会い、などがNYに居続ける理由の一例だと思う。同じ生活費であれば、安全面、衛生面、インフラ、食文化など、エンターテイメントやアートシーンを除く、ごく普通の日常生活の質が高いのは圧倒的に日本であるから、それを優先して選ばない代わりの何かを自分で持ち続けられるかどうかが重要なのだ。


NYのすべてが楽しいばかりの1,2年を経て、去年はNYで将来「住み続けられるのか」を見据えてキャリア的にも色々と新しいことにチャレンジし、めまぐるしく過ぎていった。ずっと住むことを前提とするとNYの景色はまた変わり、精神的にもシリアスになりチャレンジに全てのエナジーは注がれきってその結果、街に対する好奇心があるようでないようなよく分からない状況に陥った。チャレンジすることは良いのだが、それがNYである必要があるのかという疑問を感じずにはいられないポイントに立った。このすばらしい街を楽しむ気持ちや、創作する意欲が減っていく中でそれでもNYに居る必要はあるのだろうか。何のためにNYに居るのかを半ば意固地に自分に言い聞かせるように、また自分にクリエイティヴィティ、その欲があった事を忘れないために、課題のように週数本ペースで芝居を観に行ったが、自分の中ではち切れそうなモノを抱えていたと、冷静に振り返るとそう思う。好奇心というものは、いつでも当たり前に自分が携帯している先天的に備わったものだと思っていたが、体力的精神的に弱まるとこんなにもスケールダウンするものかと驚いた。もちろん食欲だけは衰えなかったが。いつもライヴで歌ったり話したりする、機嫌よく生きる、といテーマを昨年ほど試されたことはない。毎日のように考えた。3ヶ月前より半年前より状況は少しずつ確実に良くなっている、あと1年、2年踏ん張る(という言い方が合う)のもいいのかもしれない。NYに住み続ける人々は、この期間を(人によってはなんのチャレンジとも思わず)乗り越えているのだ。ただ、ずっとこんな気持ちなのだろうか。NYに住んでみるという夢をひとまず実行に移し、その挑戦と結果にはまずまず満足する中でこのままNYを人生のメインにするのかどうか、色々なタイミングもあってそろそろ決め時と期間を定めていた事もあり、今自分を取り巻くNYの環境で一生過ごす覚悟ができるかという準備をしてみて決断を自ら迫り、泣きたくなるくらい悩んで、その選択肢をわたしは封じた。日本に帰る前提で「住んでみる」ことと「完全に移住」は違う。トランク1つで行ったり来たりする気軽さではない。NYを一生の生活のパートーナーとして考えた時、今現在のわたしにとってNYは、気分屋で才能があって、携帯を握って今か今かとメールの返信を待って、自分の事を1mmでも考えてくれているのかと毎夜打ちひしがれる、とびきりセクシーな、例えて言うなら結婚には向かない恋人のようなものだ。そう、責任を伴わない恋としては最高に楽しいのだが、生活レベルでもっと彼を知り彼の一部になりたいと追いかけていると、本来自分らしくいられるNYのはずが、自分らしくいられないNYに転ずるという矛盾が起こりうることを発見した。


NYに住む、日本人ふくめ外国人はいつも同じ問いを共有している。いつまで?ずっと?どの程度に。縁があった人、流れで生活になった人、NYに自らコミットして、セクシーだがタフでめんどくさい彼、NYに全身全霊でトライし続けている人もたくさんいる。NYを追うエナジーを持ち続けられること、そしてその姿勢そのものに充実感やハピネスを感じ続けられることは”ニューヨーカー”を定義する際の1条件であるのではと思う。わたしはと言えば、よりチャレンジを伴う選択肢を選ばなかった際につきまとう敗北感を漂わせながらも、今NYに住み続ける事を選ぶと、何かが叶うとと同時に、本来それを感じるために居るはずのNYマジック的なるものの魔法が解けて夢から醒めてしまい、最悪の場合はNYを嫌いになることもあるのでは、という予感を無視できなかった。少なくとも今は。タイミングで人生は左右する。それに、わたしは人生を構成する他の様々な要素、人生や思考にあらゆる角度から影響を及ぼすだろう違う種類の味わいにも人間として興味があり、そんなことを総合的に考えてしまう全く保守的な人間で、一言で言えば欲張りである。今のNY環境では、もしかしたらこの先そのいくつかの要素は、NYに居る事とトレードしなくてはいけなくなるのかもしれない、という覚悟が問われた。NYのことを誰よりも好きだと昔も今も思っているが、なにも天秤にかけずに迷わず優先順位の筆頭にNYを選択できる人から見れば、その程度のものだと言われてしまうかもしれない。そもそも愛は盲目という定説から言えばこの理性的な愛はもはやコンディショナルラヴ(条件付きの愛)である、と今はたと気づく。たとえ相対的に見て中途半端な”NY愛”だとラベリングされたとしても、何と思われたとしても、NYを嫌いになるよりは、この自分の中での絶対的な”好き”を今後も持ち続けたい。NYにわたしの人生を見出すのではなく、わたしの人生にNYという要素を人生の重要項目のひとつしてポジショニングさせることにした。何かを選択する際の基準となる、人生いかに笑っている時間が多いか、という指針からいっても、今はずっと住むというアプローチではなく、わたしなりの付き合い方をしていこうという決断に至った。


ただ、今選ばなかったとしてもNYは逃げない。人生を通してNYに恋をしているほうが楽しいではないか、という開き直りもある。人生を豊かにするものの強力なひとつは、時に生きがいと呼ばれる「好きなもの/こと」である。そして、NYとわたしには絶対に何かがある、と一生信じ続けられたほうが人生にハリがある。なんらかの形でNYと関わっているという確信が持てる、これだったんだ!という瞬間、誰にも分からないかもしれないその一瞬、身体中に充満する満足感を噛みしめている自分を、将来的に起こることなのに、なぜかわたしは既ににあったことのように感じている。中学生の頃の文集に書いた将来の夢は「夢を持ち続ける大人」だが、夢や希望といったものは叶う時よりも持っている時が一番楽しい、そして持っている期間のほうが叶う時よりもずっと長い。もちろん夢を持つだけでは叶わないのだが、夢を持ち続けることそれ自体がまず才能だということが少しずつ分かるようになってきた今日この頃。 自然と見た景色が多くなり学習していく中で、年齢というものは、初期設定としてどうやら夢を見る能力を少しずつ蝕むように設定しているようだが、15のわたしが描く大人でいるには、人生をこねくりまわして考えている場合ではなく、これからもすこしくらい、いや結構夢見がちじゃないと、と実感している。


こうしてわたしは4年前のわたしに巻き戻ることにした。現地に何年か住むと映画や雑誌でトリミングされているキラキラしたNYを期待した友達が来る際、それがそうでもないのよ、といかにも知っているかのような先輩面でNYのすすけた話をするのは定番なのだが、観光客の目線でいるほうがNYは遥かに楽しい。ちなみにNYの苦労話は、たとえ実際に苦労していても、その半分は実は自慢話であったりもする。NY市民が共有している苦労の”あるある”を自ら体感するほど、歪んだアプローチではあるが観光では味わえいないニューヨークらしさを経験できるから。皆競い合って目を輝かせて苦労話、自分の武勇伝について話す光景を幾度となく目にしている。もちろん、自分も負けずに参戦だ。しまいには、本当は大好きなのに”NY sucks....”と落胆するふりをしだしたら、まさしく現地風である。そう去年の、少なくともわたしにとってハードな経験、NYでストレスと付き合う事、ウッディアレンよろしく神経質になること、確実に相手に非があっても謝らない相手にわたしも謝らないなどという、日常的に頻発して起こる小さな抗争などとお付き合いする事は、実はNYの醍醐味、ハイライトであり、ハッピーアワーでささやかに気分転換する様は皮肉ではあるがまさしくNYに溶け込んだ、わたしがいつか夢見た姿であり、そんな自分へと辿り着いたという、これはちょっとした自慢話なのである。しかしながら、ひとときの経験以上にこれから一生、少なくとも当面そういった状況に身を置き続けるのかと言えば考えるタイミングがどこかで必要で、前述したように迷い迷って、わたしはいつでも無邪気にNY最高!と言い続けられる立場にまわることに決めたのだった。






ニューヨークジャーナル 168_a0028990_23161877.jpg

そうして、訪れる度に楽しくエキサイティングな場所、わたしが憧れたあの輝かしいNYに、観光客として滞在しようときめこんだ今、思い悩むバイオリズムから脱し、再び程よい能天気さを取り戻し、危うく当面は開かないかもしれない引き出しにしまい込みそうになったクリエイティヴィティの火種にふーふーと息を吹きかけ、West Villageのレジェンド、Bitter Endでライヴをします。しずかなる興奮。NY大好き。
# by akiha_10 | 2015-07-22 03:55 | Daily thinking

ニューヨークジャーナル 167

NYで今年18年目をむかえるSanta Conに参加してみた!
ニューヨークジャーナル 167_a0028990_1554523.jpg

NY滞在年数と共に様々な事に慣れてきて視野や感動の幅が狭くなりがち。いつも気持は観光客の気持でワクワクしていたいものだが、順応力という誰にでも備わったすばらしい力は同時に、見るもの全てが新しかった世界を、なんでもないような日常のように感じさせるという副作用も持ちあわせている。

そんな事を友人と話していた中で、今年は冬のNY二大イベント、いつも横目に見ていたハロウィンのパレードと、サンタコンに参加することを決意。老若男女関係なくパーティーに参加できる場所、それがNYの最大の魅力!いざ、知ったかぶり眼鏡を外して参加したサンタコン。


サンタコンは当日朝にSNS上で集合場所が発表される。サンタの恰好をして集まり、写真などを撮影した後はNYの街を練り歩き、昼間っからバーのはしごをする、と要するにお祭り好きの浮かれたイベントである。大量のサンタが出没している街の風景は馬鹿馬鹿しくて、なんだかかわいくて、それなりの見応えがある。
ニューヨークジャーナル 167_a0028990_15563584.jpg

ハロウィンでも毎年感心させられるコスチュームだが、通常サンタ服では物足りない者は、おのおのツリーや小人、トナカイといった、クリスマス関連キャラのコスチュームをこの日のために製作して登場。ニューヨーカーがパーティーに注ぐ情熱、気合は魅力のひとつだ。


話は逸れるが前述の通り、海外滞在に慣れてきて長くなると、誰しもその土地や人に対する印象が変化してくる。特に何かしら一緒に仕事、作業をして改めて思うことがある。主にこのようなイベント、パーティーなど楽しいシチュエーションで接していた頃は、ニューヨーカーは陽気でフレンドリー、楽しい事が大好き、細かいことを気にしない(もちろん人による)などといった印象があった。なにかと細かい日本の気質と比較しては、そうした明るさをざっくりと好意的に思っていたのだが、いざ彼らと何かをやり遂げなくてはいけないシビアな状況になると、その「気にしなさ加減」にツッコミどころ満載となる。


よく言われるように、アメリカ人(欧米人といって良いだろうか)は個人、プライベートを重視している。何があっても自分が人生の主役であることを一時も彼らは忘れていない。そういった人生観はわたしも同調するが、僅かでも、場面に合わせて協調性やプロフェッショナルな仮面が欲しいなと思う事もある。彼らは仕事の仮面より素顔が前面に出ている。NYから久々に帰国した日本でわたしは感じた。カフェやお店、何かしらの受付に行くと、そこで働く人々が一様に同じ、パターン化されたようなプロフェッショナルの仮面を被っていて、画一的な表情、言い回し、声質で接客してくれる。それはおそらく世界的に評価されるサーヴィスで贅沢は言えないが、なんとなく妙、というか寂しいものを感じた。NYでは例えばカフェでも、「店員」というより、MarkやNancyといった素顔が分かるような態度、言動が見られる。というか、ほとんどの人が素でいる。仕事時間であろうが、プライベートの自分を基本的に常時持っている。銀行やホテルなどの、かしこまった場所でさえそうだ。いかに昨日のフットボールの試合が良かったか、今朝の地下鉄での出来事がいかに面白かったか、などを同僚と、または客に対し初対面であってもどんどん喋ってくる。コーヒーをいかに早く出すかよりも、むしろお決まりの”How are you doing?”の後のフリートークにこそ接客の技量が試されており、そしてその何気ないフリートークが店員と客を結びつけるもの、と考えられているのではないかとさえ思う。わたしは、はじめはそうした状況を、初恋で相手の全てが肯定的に思える時のように好意的に思っていた。ところがリアルな生活の中でいざ彼らと共同作業で関わっていくとなると、その印象も変わって行く。いやいや先に作業やろうよ、と素顔も出しどころがあるのでは、などと条件付きになったりする。


ディープに知って行けば行く程、NYのリアルな長短が見えてくる。ただ、そういった事に落ち込んだりムシャクシャしたりもしながらも、葛藤する度に傍観者の時とは違った充実感を感じたりもするから面白い。”I want to be a part of it - New York, New York” シナトラに重ねて口ずさむ、小さな関わり方ではあるが、わたしはこの街で生きていることを感じる。そして、それでも懲りずにこの街が好きなわたしは、半ば取り憑かれているのだろう。





ニューヨークジャーナル 167_a0028990_15575696.jpg

バーもサンタばかり!例年サンタ達がバーに押し寄せてバカ騒ぎすることが度々問題になっていたらしい。サンタに来てほしくない店は「サンタお断り」札を出すなどして対策をしてたらしいが、今年は逆にサンタウェルカムなサンタコン公認店を公式HPが発表。安心してサンタたちが入店できるというわけだ。

昼過ぎにはサンタパーティー集合会場が発表された。230 5thという、エンパイアステートを目の前で眺めることのできる、観光地としても人気なルーフトップバー。会場は真っ昼間からクラブのように盛り上がっており、クリスマスソングがかかる度に皆で大合唱!トナカイ女子にも遭遇。







ニューヨークジャーナル 167_a0028990_15594045.jpg


あっちもこっちも、なかまたち!












ニューヨークジャーナル 167_a0028990_1642626.jpgみどりのマフラーでコーディネートがきまっているダンディサンタも!余談ではあるが”マフラー(muffler)"という呼び名はあまりこちらでは使われていない。辞書上ではマフラーは襟巻という意味が確かにあるのだが、日本でマフラーと呼ばれているものは、こちらでは"スカーフ(Scarf)”と呼ばれている。未だにとっさに、マフラー忘れた!などと言ってしまうのだが、誰も分かってくれない。長細いウールの巻物を手に取って”スカーフ”(シルクなどの薄い生地のイメージ)という名前が瞬時に出て来ず、毎回えっと、マフラーじゃないやつ、、、と機敏に動かない脳に毎回ポンコツテレビのように叩きたい気分になる。





最後に、日本とは一味違ったクリスマスムードについて。クリスマスは言うまでもなく宗教行事であるから(NYは多宗教なのでクリスマスをしない方々も多くいるが)この時期になると、そのキリスト教的教え「他人に救いの手を差し伸べ、隣人を愛しましょう」といったテーマが間接的に、時には直接的に街中に溢れ出す。冷酷で奇跡を信じないスクルージおじさんの経験を道徳観の主軸に据え、寛大さを問われるような場面を多く見る。たとえば、慈善的なこと、ボランティアを促す広告が増える。キリスト教の団体による慈善事業「サルベーション・アーミー(要らなくなった物、服を寄付して再度販売するリサイクル店を展開している)」の店員さんが街頭で鈴を鳴らしながら募金を呼びかける姿は、「ああクリスマスだなぁ」と思わせる風物詩だ。そしてこの季節、いつにも増して明らかに増えるのが、地下鉄車内の物乞いの方々。NYの地下鉄車内では唄やダンスなどのパフォーマンスなどでチップを稼ぐ人々、身体の不調を訴えてサポートを求める人々、そして圧倒的に多い、いかに自分が不運な状況に置かれているかをスピーチをする人々などがいる。またその寛大さを育むような「愛とは何か」を問う、家族の幸せや繋がりを再確認させるようなあたたかいクリスマス絵が、まるで幸せじゃないと罪、と言わんばかりに、やや食傷気味になるくらい大量に流れる。実際にこの時期仕事もスローになる方が多く、楽しいホリデームードが人々をにこやかに、優しくさせているのを感じる。色々あったけど、また来年もよろしく、という日本でいうところの年の瀬感であろうか。サンタやプレゼント、イルミネーションといったハード面だけでなく、クリスマスの根底に流れている精神性により触れられるのは、アメリカに居てこそだと思う。



出会いと学び、しあわせを感じられる心に感謝。
Very Merry Christmas!
# by akiha_10 | 2014-12-23 16:49 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 166



ニューヨークジャーナル 166_a0028990_03082636.jpg
エリザベスの結婚式に呼んで頂いた。アップステイトと呼ばれる、NY州の中でも北にある場所へアムトラック(列車)で約2時間。うつくしい教会、この教会でエリザベスのお父様、そしておじいさま、のみならず親族のほとんどがこの場で愛を誓ったというから重みがある。






ニューヨークジャーナル 166_a0028990_03092729.jpg
新婦がお父様とバージンロードを歩いて来る時、Groomsmen(新郎側のブライズメイドのようなもの)と共に祭壇の前で待つ新郎の口元がほころぶ表情を見て目頭が熱くなる。 アメリカでは挙式当日まで新婦のドレス姿を見ては縁起が悪いと言われていて、この日本当にはじめてドレス姿を見ることができるのだ。



神父が念を押して諭す”Unconditional Love(無条件の愛)”というキーワードについて考えを巡らす。家族間のみならず、他人に対しても”Unconditional Love”を差し伸べなさい、というのだ。無条件の愛について考えはじめたら、だんだん自分の身勝手さが浮き彫りになっていくようで、上から見下ろす天使たちは”そんなわたしもお見通し”なのだろうか、妄想の脇道へと逸れるのであった。



宗教観(NYは他宗教なの で一概に言えないが)なのだろうか、アメリカの「人のために無償ですること」が美徳と扱われているのは日本のそれ以上である。NYで人が優しいな、と思うことがよくある。それは元の期待値が低いという理由が多分にあるが、日本にいれば、わざわざその優しさを恩着せがましくアピールせずとも、当たり前に無償で受けることのできる”サービス(おもてなし)”だったりもするから、どちらが人にやさしいのかと言えばどちらも結局同じかもしれない。ただ普段アメリカには当たり前にはないものを、無償の心遣いですよ、というラベルを貼って頂き「ああ、やさしくされたな、ラッキー」と思うアメリカと、もともと期待し期待され、それがなければ不満を持ってしまいがちな日本では、どちらがいいのだろう、と思ったりもする。”心遣い”はアメリカでは美徳、日本では常識 なのだと思う。NYでそうした気配りの出来る方と話してみると、その多くが何かしらその動機付けとなる宗教観や自分なりの哲学、スピリチュアルなもの(人に与えると 自分が幸せ、と言ったようなこと)を信念として心の内に持っているのだが、日本はどうだろう。社会通念として多くの方が持っている、平均値が高いこの心遣いはどこから来ているのだろう。ある程度は仕事に対する意識の違い(こちらでは適当に仕事をする人もたくさんいるので)から来ているとも言えるが、それを越えたシンプルなレベルで言う人間同士の思いやりなどになってくると、これほどまでに宗教色のない日本で、なぜその心遣いが民族的に根付ているのだろうと考え出すと、海外から日本の道徳観が注目される理由もわかるような気がする。「当たり前のものとして、周りがそうして来ているのを見ているから」という答えしか浮かばないが、そう考えると慣習を代々受け継いできた日本の道徳観、これは先祖に感謝すべき事なのかもしれない。


ニューヨークジャーナル 166_a0028990_03084557.jpg
お式では終始弦とフルートが奏でる上品な賛美歌やクラシックが鳴り響いていたが、退席時にビートルズのAll you need is loveが演奏された。この教会で代々式を挙げている親族の方が「おじいさんが聞いたらびっくりだろうなぁ」と当時不良の音楽が、まさかこの厳かな教会に響き渡っている事に、時代の変化や月日の流れに感慨深くなられたようだった。

厳粛な儀式も終わり解放感。
パーティー会場である自宅へ向かうバス内から早速酒宴!












ニューヨークジャーナル 166_a0028990_03093351.jpg
「貴族だったの?」はじめてお宅にお邪魔した時、冗談でそう聞いたことがある。広大なお庭にプール、テニスコートのある”お屋敷”といっても過言ではない自宅に、一週間前から建てたという特設テント。まわりにはイベント業務用トラックが何台も止まり、そのアメリカンスケール、本気さに小さな島国から来たわたしは笑いすら出てくる。「ごはんは自信があるから!」と前々から厳選したらしいケータリング。着席する前のオードブルタイムで、ウェイターがちょこちょことサーヴしてくれるフィンガーフードのそのどれもが美味しかった。そして巨大なお寿司ブースも!ここでお腹がいっぱいになりそう。




夜も深まり、パーティー本会場(別テント!)へ。


ニューヨークジャーナル 166_a0028990_03085050.jpg





ニューヨークジャーナル 166_a0028990_00573428.jpg
フルバンド待機。何度か結婚式に行っているが、アメリカ人のウェディングパーティーで一番肝となるのはどうやら、いかに食事後のダンスフロアが盛り上がるか、ということらしい。音楽は非常に重要になってくるわけで、どれだけシンプルなウェディングでも生バンド、もしくはDJが必ずいる。日本でいう「みなさんに楽しんでもらう結婚式」というおもてなしは、ここではいかに楽しく踊れるか、であるようだ。


皆が着席しはじめた頃、両家ご両親と、グルームズメンとブライズメイドが陽気に登場。ここで盛大な拍手を送ることで、今までプラン、準備をして来た事への労いの意味があるそう。そして夫婦となった主役が登場してファーストダンス。アメリカでは結婚式のためのファーストダンスのためのレッスンなどもある程、形式的にだけでなく”魅せる”ダンスをするカップルもたくさん居る。そして、最初の恋人ともいうべきだろうか、新婦は自分の父親と、新郎は自分の母親と踊る時間。多くの父親は、自分が結婚式で奥様(彼女のお母様)とダンスを踊ったことを思い出しては年月の早さにしみじみとするのだそう。新郎マットのお母様がとってもチャーミングで、練習して来たな、と思われるジャズダンスをマットと華麗に踊っていたのがとっても素敵。



ニューヨークジャーナル 166_a0028990_00574387.jpg





お食事の終盤、お決まりの、グラスをスプーンでチリンチリンと鳴らしてスピーチ。日本でもスピーチを頼まれるプレッシャーはよく聞く事だが、こちらでも同じく。ユーモアを盛り込みながら(これは日本よりも期待されているように思う)時には辛辣なウィットを交えながら、心がじんわりと温まるエピソードでフィニッシュ、まるでその人の手腕を試されているようで大変そうだなぁ、と思いながら毎回聞いている。ちなみに、アメリカでは人前でプレゼンテーションやスピーチをすることへの技術習得は幼い頃から重要視されていて、訓練するスピーチクラスなども小学校からあるそうだ。アメリカに来た時、薬局やカフェの店員であっても、説明したい事、もしくは(聞いてもいない)自分のことをまるでスピーチタイムのように大袈裟に、または毎度楽しませながら話す姿を見て、アメリカ人にはおどおどした人はいないのか?と不思議に思ったものだ。移民だらけの国で、自己主張が常に求められている背景に加え、教育環境もあるのか、アメリカに暮らす人たちの人前で話す技量は明らかに長けていると感じる。


ニューヨークジャーナル 166_a0028990_01001668.jpg






そしてメインイベント?のダンスタイム。バンドはTOP40などの皆が知っているポップス、両親世代が喜んで踊り出す選曲で盛り上げる。友達である我々世代が弾けるのはもちろんだが、70-80年代、ディスコで踊り慣れた両親世代が、昔の気持を取り戻したかのように無礼講。いつもアメリカ人の親子関係を見ていて日本と明らかな違いを感じるのは、親子という役割の”仮面”の薄さである。親として必要とされている要素の違いなのか、アメリカでは親としての顔、というものはあまり意識されていないと感じる。日本であれば、親としての振る舞いや発言が、どれだけ子どもが大きくなっても多少なりともあると思うが、子どもが幼少期から家族であっても独立した個人として扱われているからか、友人とその両親のやりとり等を見ていると、親は「本来の自分」と「親である自分」を使い分けていない。だから、学生時代を取り戻したかのような姿も子どもの前で堂々と振る舞うし、それを子どもも、まるで楽しい友達を眺めるかのように見ている。日本ではあまり子どもには話さないだろうなぁ、といった内容でも普通に子どもに相談していたりする。日本基準でいうと、ファンキーなお父様お母様だらけである。



ニューヨークジャーナル 166_a0028990_01001009.jpg素敵な心遣い、ピーンヒールで湿った芝生の上(小雨が降ったので)を歩くとずぼずぼと沈んでしまうので、ヒールカバー。そして、用意された”Dancing Shoes”と書かれたビーチサンダル。実はアメリカの結婚式参列の必需品はダンスタイムになって履き替える用のペタンコの靴。ほとんどの女性が必ず鞄に潜ませている。もしくは、代わりの靴など気にせず、素足になって踊ることも多々。

話は逸れるが、NYでも仕事を終えた女性が夕方の地下鉄ホームなどでいそいそと鞄からビーチサンダルを取り出し履き替える姿を頻繁に見るのだが、一言いいたい。靴をそのまま、ビニール袋などに包まず鞄にいれているのが、日本人のわたしとしては、本当に理解ができない!友達に聞くと、地面に触れるソール部分を合わせて入れているから汚くないというのだが、これだけは本当にわからない。他の衛生観念がだいぶワイルドになってきたわたしでも、鞄に直靴は、ないっ!









ニューヨークジャーナル 166_a0028990_23165414.jpg


                                    素敵な夜をありがとう。
                                    Congrats エリザベス!

# by akiha_10 | 2014-09-30 23:33 | NY Journal

ニューヨークジャーナル 165

ニューヨークジャーナル 165_a0028990_02415089.jpg



















NYでどうしても行きたかったイベントのひとつ、The Jazz Age Lawn Party。20'sのファッションに身を包んで、禁酒法時代/ジャズエイジを再現してピクニックをしよう!というコンセプト。マンハッタンの南端から出ているフェリーで10分ほど揺られて辿り着く、ガバナーズアイランドで開催される。ガバナーズアイランドは夏季限定でオープンしている島で、とてもNYとは思えないほどの芝生と木々に溢れ、島全体が公園のようになっている。ゆったりとした気分を味わえ、ピクニックには絶好の場所。




今年9年目をむかえる当イベント。頻繁に覗くヴィンテージ店のおばさまに「あなた絶対好きだから」とこのイベントを教えてもらったのが2年前。なかなかタイミングが合わず、今年は春からHPをチェックして日程発表を今か今かと待っていた。毎年7月と8月のどこかしらの週末の4日間開催される。毎年このイベントの前には、ヴィンテージショップが少し賑やかになるらしく、店に入ると「20'sを探しているんでしょ?」と言われたのににやっとした。


実は驚いたことに、先日カフェで会ってひょんなことから話が弾んだジャックリーヌとそのパートナーが、なんとこのイベントの主催者グループの一員だった。「わたし、そのイベントのビッグファンで行ったのよ!」と言うと色々と話を聞かせてくれたのだ。素敵な事もたくさん、そうでない事もたくさんあるNY生活で「居る甲斐があるな」とすべてを帳消しにしてくれるNYマジックがたまに起こる、こういったミラクルな出会いは(狭い)NYでしかないと思う。このイベントはジャズ・エイジのオーケストラ率いるMichael Arenella氏が数人の友達とファン、50人ほどで始めたもの。それが年々話題となり、今や何千人と集るチケットはソールドアウト、20'sフリークなら知らない人はいないほどのビッグイベントになっている。ガバナーズアイランドの利用規則が厳しく、人数を限ることや、音楽を出していい時間、セットを持ち込めるのが一日前しか許されないなど、調整がテンテコマイだとジャックリーヌが話していて、まるで舞台制作のようだと思った。

ニューヨークジャーナル 165_a0028990_02431078.jpg

マンハッタンからガバナーズアイランド行きのフェリーに乗った瞬間、すでに20's!20's!20's!フリンジ、レース、パール、クロシェ、パラソル!右も左もフォトジェニック。気合いの入ったピクニックセット(机や椅子)を持参されている方、バスケットや食器までアンティークで揃えている強者など、映画のセットのよう。お互いのスタイルを撮影しあったりして、これはドレスコードは違えどコスプレイベンドだなぁ、などと思ったりもした。本来はもっとのんびりと音楽やダンス、お酒を楽しむ「ピクニック」が目的だったのだろうが、今は規模が大きくなり過ぎて参加型のショーと言ったほうがよさそうだ。


ニューヨークジャーナル 165_a0028990_02455802.jpg

NYにおける20'sブームというのは、10年前くらいからジワジワとはじまったようだ。わたしがNYに積極的に行ったり来たりし始めた3年前、「Speakeasy/スピークイージー(もぐり酒場のこと)」スタイルのバー、つまり禁酒法時代に違法で経営していた、という設定の看板のないバー、日本で言うところの「隠れ家系」バーのトレンドが既に台頭していた。アパートの一室の部屋のインターンホーンを鳴らして入ったり、ホットドッグ屋店内にある公衆電話の中にある扉から入ったりと、演出も様々。古めかしい内装(お洒落な内装が多い)、薄暗い空間にミクソロジストと言われる、ハーブやフルーツをふんだんに使用して個性的なカクテルを調合するバーテンダーがおり、「カクテルも奥深いなぁ」と味の探究心を満たしてくれ、トリップ感を提供する空間が「Speakeasy」と呼ばれるバーに期待できることだ。


かつて住んでいたローワーイーストサイドにあったMILK&HONEYはタイムトリップしたような情緒があり、一番印象的なバーであった。メニューはなく、好みの味や気分をミクソロジストに伝えて作ってもらうということが、飲物を飲むというバー以上のエンターテイメントであった。そして必ずハズレないカクテルが出てくるので、一緒に行った友人は皆その後ファンになった。人気になって事業拡大、フラットアイロンに移った新店舗に行って少しがっかり。基地のように狭く、やや汚なめな、薄暗い、危険な香りのする空間がよかったのだが、高い天井と、古く見せかけた真新しい什器に興冷めしたのだった。ここ数年で「Speakeasy」とうたうバーはもの凄い数で増え続け、実際に行ってみるとMILK&HONEYの新店舗同様、古く見せかけたハリボテ感漂う空間が多く肝心な親密感、秘密感、場末感、背徳感がゼロ。友人がDisneyfication(ディズニフィケーション)という造語を教えてくれたが、ディズニーランドのごとく、それっぽい時代や空間を演出すること、それでいて本来その時代や場所にあった危なさや汚さなどのネガティヴな面は排除して、エンターテイメントとしてクリーンで安全な環境を創り出すことらしい。そこにカルチャーや歴史が生まれる様子はなさそうなクリーンさの事だ。最近のSpeakeasyは大手資本の力を感じる、まさにディズニフィケーションされたものばかり。Speakeasyとは本来アンダーグラウンドに隠れていてこそ機能するのに、こうにも公に何軒もSpeakeasyが出来始めると、段々と”Speakeasy”というスタイルも響きも時代遅れのように聞こえてくるから不思議だ。頂点を極めたトレンディな文化は、言葉と共に往々にしてこういった運命を辿るものだ。





20'sブームはここ数年の話題のエンターテイメントにも現れていた。未だ人気の体感型ショー「Sleep No More」の演出や時代設定もそうだ。わたしはこのショーが行われる架空の幽霊ホテルのラウンジではじめてアブシンス(幻覚や錯乱状態を起こす、という噂で昔は厳しく禁酒されていたお酒)を使ったカクテルを飲んだが、Speakeasyでアブシンスは、禁酒法時代の代名詞的お酒として取り扱われており、多くのバーでよくフィーチャーされていることに気付いた。「Sleep No More」の少しアンダーグラウンド版、ローワーイーストサイドで行われたショー「SPEAKEASY DOLLHOUSE」では、もぐりの酒場で急に取締が入って来ても取り膳えるよう、当時ティーカップでお酒を飲んでいた事を、そのまま再現していたのも面白かった。このショーがあった会場は、The Backroom Barという名前で普段もSpeakeasyのバーとして営業している。



20年代の狂乱を再現するかのようなバーレスク(芝居+コメディ+ダンス+ストリップのショー)もNYで人気だ。バーレスクといえば、ローワーイーストサイドにある「THE BOX」はバーレスクの極み(いろんな意味で)だと聞いた。一度機会があるなら入ってみたいと思いながら、予約する際にはツテでもない限、4-5人が集えるテーブルサービスを2000ドル(約20万)以上で買わなければいけないとか。NYらしい、豪遊できる大人のためのエンターテイメント。噂によると、その内容もクレイジーらしく、通常のバーレスクより内装やアクロバット、ダンスなどの華やかさがスケールアップするだけでなく、セクシーを越えた「見たいような見たくないような」ネタもエスカレートすると聞いた。ノーマルの刺激では物足りない大人達向けに、笑える「滑稽」のその先、「アブノーマル」の域にやや足を踏み入れるのだろうと推測する。今年春先に行った「Queen of the Night」もバーレスクを織り込んだショーで、Speakeasyを思わせる妖しさ、演出が衝撃的だった。NYでしか観られないものとして、今一番おすすめするショー。


また、2010年に始まったマーティン・スコセッシ製作のテレビドラマ「Boardwalk Empire」や昨年の映画「華麗なるギャツビー」なども手伝って20'sブームは頂点を迎えたような気がする。ちなみに、このピクニックイベントに「Boardwalk Empire」の協賛がついたそうだ。以前も書いたことがあるが、「Boardwalk Empire」の20's衣装クオリティ(すべてのクオリティが高いが)は一見の価値がある。女性達が着用している服も可愛らしく、ヴィンテージレースなどをふんだんに使っており(それがレプリカだったとしてもすごい)、マフィア達のカスタムメイドと言わんばかりのジャストサイズのスーツの生地やしつらえは、観ているだけで豊かな気分にしてくれる。それが例えマフィアドラマよろしく血飛沫にまみれた残忍なシーンでも、わたしは血に染まったネクタイにうっとりとしている。小さな仲間達からはじまったイベントが、今や大手テレビ局がスポンサー。「エキサイティングでしょ!」とジャックリーヌは肩をすくめて微笑んだ。




ビッグバンドとダンスフロア。ダンス!ダンス!ダンス!この時代一世を風靡したダンス、チャールストン。
ニューヨークジャーナル 165_a0028990_00372051.jpg

ニューヨークジャーナル 165_a0028990_00380930.jpgそれを眺めるカメラマンやブロガー。












家族でジャズエイジ!
ニューヨークジャーナル 165_a0028990_00414146.jpg

ニューヨークジャーナル 165_a0028990_00443861.jpg
ニューヨークジャーナル 165_a0028990_00445201.jpg




















この時代、日傘がファッションとして特に流行したようで、販売もされていた。私たちからすると、日本がオリジナルではないかと思うような和紙製の傘もたくさん!わたしが持つと、ジャズエイジというか、なんというか、がんばっても大正ロマン。






# by akiha_10 | 2014-08-19 23:08 | NY Journal

page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り


趣味であるヴィンテージ/アンティーク収集。 ヨーロッパに行く一番の楽しみといえば、食事と並んで「蚤の市/フリーマケット」!オンラインショッピングも普及し「今そこでしか買えないもの」の究極は地元フリーマーケットで見つけたものではないかと思う。



そういえば、何気なく使っているヴィンテージとアンティーク。その違いは100年以上も前のものがアンティーク、25-30年以上前のものがヴィンテージ、それ以前のものはユーズドと言うそうだ。NYマンハッタン内にはThrift Shop(着なくなった服をお店に寄付して、それを安価で売っているお店)がたくさんある。時には5ドル以下で掘り出しものを見つけることもできる。それらのお店にふらっと寄ってお宝を探すの事が、わたしにとって時にNYライフの1つのエンターテイメントとなるのだが、単なるユーズド(古着)を”ヴィンテージ”と言い聞かせてフワっとした気分になっていたのは大きな間違いだったというわけだ。



ちなみ、多くの一般的なThrift Shopは”ヴィンテージ”や”アンティーク”といった、しゃれた響きの内装ではなく家具や小物、衣類からゴミ同然のものまで、大量に雑然と置かれている。決して快適とは言えない店内から、上手におしゃれアイテムを掘り出すことができたら、その嬉しさはひとしお。ただし、ベッドバグ経験者としては、衣類を購入した場合は2重のビニール袋を硬くしばって帰宅し、ランドリーに直行させ、乾燥機を多めにかけて除菌することに気をつけなくちゃね。

THRIFT SHOP題材の唄、その名も”Thrift shop”。店内の様子が出てくる。(多くのヒップホップ同様、内容はだいぶダーティーです。)
http://youtu.be/QK8mJJJvaes

古着(フリマやThrift shop)だけでスタイルを確立しているお洋服大好きお洒落さんもいる。”Wearing nothing new”。寄付された洋服を安価で買って、また着なくなったら寄付するという洋服”レンタル”思考。(TED講演、日本語字幕や英語字幕を"subtitle"から出して聞き取りの訓練にもお役立^^)






さて、ヨーロッパ、ヴィンテージツアーの巻。
①パリ
page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り_a0028990_10553450.jpg
パリでは日程的なこともあり三大蚤の市のうちの二つ、ヴァンブとクリニャンクールを半日ではしご。ヴァンヴとクリニャンクールは南北で離れているので時間通りに催行できるかちょっとしたミッション気分で、前日の夜は眠る前にぐっと気合いが入った。ヴァンヴはこじんまりとした規模なので1時間もあればまわれる。クリニャンクールは大規模でいくつものマーケットがあって全部まわろうとすると大変だが、かわいらしい小物やアクセサリーはMarche Vernaison(ヴェルネゾン)に集中していて、時間がなければこちらだけで充分。こちらでヴィンテージレースのブラウスをゲット!(味といえば味な)汚れが目立っていたことを指摘し、値切ることも忘れずに。ごはんと買物の時だけ少しだけ登場する、わたしのへなちょこフランス語、その数少ない表現方法のすべてを駆使して。


page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り_a0028990_11123348.jpgサンジェルマン・デプレをぶらぶらと散歩していて見つけた、Place Saint-Sulpiceの広場で開催されていたマーケットが非常によかった。店の数は30-40だが、品揃えが上品でセンスよし。Place Saint-Sulpiceを調べてみると、こちらの広場では時期によって変わるアートフェアやマーケットを催している様子。ノエルマルシェ、というクリスマス市場も名物のようだ。NYでいうユニオンスクエアのようなものらしい。こちらで50年代のコロンとしたバッグを購入。バッグ、バッグ、マタバッグ。「なんで女はそんなにバッグが必要なのか」というクレームを男性からよく頂くが、それは「なんで男は女にモテたがるのか」という質問くらい無意味なものだと思う。(もっとも、そのギラつきは減少傾向なのだろうけど)。女性特有のホルモンがそれを欲するからである。理由なんてない。だから、男性は彼女や奥様に対しその疑問を持つ事それ自体をやめることをおすすめする。(もちろん、女性の皆が皆バッグホルモンが高いとは言わないけれど、ね。)













②ブリュッセル
page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り_a0028990_10560761.jpg


ブリュッセルがアンティーク、ヴィンテージの宝庫だったことを思い出した。こちらは食器や置きもの、陶器関係が充実!しょぼかわいい手巻き時計を思わず2つもゲット。よく見るとメイド・イン・ジャーマニー。社会主義時代をにおわせるレトロなデザインで、おそらく東ドイツ時代のものであろう。ついでに4ドルの止まっている腕時計を、デザインの可愛さに2つも買ってみた。しかし、NYに戻って、そのうち一つを時計修理屋のおじさんにバッテリー交換を頼んだところ、「こいつは、もう動かないよ」と返されてしまう。しょぼん。ブレスレットとして使うかな。他にも恐ろしく可愛いカップとソーサーのセットなども魅力的だったけれど、仮暮らし感のあるNY生活において所有することは現実的ではないので、食器類は定住を決めてからの楽しみに取っておこう。










③プラハ
page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り_a0028990_10511351.jpg
蚤の市というわけではないが、街にヴィンテージショップが点在していたプラハ。おびただしい数の品々が所狭しと並んでいるBric a Bracはその光景を見るだけでも価値あり。アート、工芸品、ゴミ風なものまで。観光地ど真ん中ということもあって、値段がやや高い印象。品揃えも値段もとても素敵だったのがHrudka Stylle。上品で素敵なおばさまが切り盛りしており、わたしが興奮して「これもあれも」とケースに入ったものを見たがるのを、嫌な顔ひとつせず丁寧に接客してくださった。NYでよく行くヴィンテージアクセサリー屋さんPippin vitage jewelryでNYの相場はよく知っているが、そこで買うものの3分の1以下のお値段!ブローチやレースなどをたくさん買い込んで、本当に満足のいく買物ができた。おばさま、ありがとう!

page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り_a0028990_10524793.jpg







④ワルシャワ

ワルシャワに寄った日がたまたま土曜日だったので「ひょっとして」と思って調べたところKoloという場所で蚤の市が開催されている情報が。これは行くしかない。ただ、ガイド本なども持っておらず、ネットでも曖昧な行き方しか調べることができず、とりあえず街の中心地であるCentrumへ向かってみる。ワルシャワ中心地では、地下鉄路線は一本しか走っておらず、トラムとバスが主な交通手段である。ネットで調べて頼りにしていたのkolo行きのバス路線がCentrumからはどうやら出てないようで、ホテルから頂いた不親切なトラムの路線図もよく分からず。

トラムといっても、巨大な交差点であるCentrum広場の四隅のそれぞれにたくさんのトラムの停車場があり、何番がどこから出ているのかが分からない。すべてのトラム停車場をまわってkoloに止まるトラムを探すことにしたのだが、地上の道路を歩行者は渡ることができず、あちらへと渡るには、地下道をくぐって渡らなければならない。むー。しかも四隅といっても道路の地上内側/外側に出る階段というのがあり、地下道で方向感覚が分からなくなり、出たいところに出れなくて何度も「あれ?」と顔を出してはまた潜るという、もぐらの気分になったものだ。天から「そっちじゃないよっひひひっ」とおちょくられている気分にもなった。そうして4つめの地上パトロールでkolo行きのトラムを見つけた時はガッツポーズ小躍りだ。(トラム24番、Centrum北東内側のトラム停車場から出ていた。)


page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り_a0028990_10525340.jpg
そうしてCentrumからトラムに揺られること約15分、koloについた。この蚤の市、かつてなく渋い。軍系のグッズらしきヘルメットや、デザインが可愛いから、とうっかり身につけてたら超タブーになりかねない意味深な紋章のバッチや、まあとにかくディープ。そして、ヨーロッパでこんなに英語が通じない場所もなかなか貴重。挨拶や、数字の10くらいまでの数字だったらなんとか大丈夫だろう、と思っていたけれど、まったくのゼロ英語の地元のおじさんおばさんとの交流がとても新鮮。外国人として外国に住み、良くも悪くも少し外国慣れしてしまって、パリであってもブリュッセルであっても、日本を出て海外に行った時に比べるとフワっとした高揚感や異邦人感が薄れてしまったことに気付いていたが、ここでは確かに「外国」を感じた。


ゆっくりと堪能し、一番印象的だったアールヌーヴォー調の小瓶を買うことに。蚤の市では現金支払いが基本。ポーランドの通貨であるズロチが残り1000円分くらいしかなく、手元にあったユーロを足しても足りず、店主がそれでも良いと言うのでドルを足して交渉することになった。3つの通貨を合算するものだから、売る方も買う方も、互いの頭の中でそろばんがパチパチと弾かれる音が聞こえる。ズロチ→ユーロ→ドルとわたしの頭の両替機関がフルに活動し、店主は店主で人差し指でちいさな虹を描きながらユーロとドルをズロチに換算している。店主が提示するドルの総額を足すと、ズロチで提示された始めの値段よりも、かなり多めに換算しても値段が高くなっていて、なんだか辻褄が合わないような気がして「だって、このユーロは◯◯ゾロチで、これにこのドル、つまり◯◯ゾロチを加えたらさ、、」と計算しながら言い合っている風景はだんだんと「壷算」の様相を呈して来た。最終的にはお互いの折衷案でなんとなし、まとまる。もう計算するのをやめることにしたのだ。



page t-173   ヨーロッパ、蚤の市巡り_a0028990_11103097.jpg

NY生活は油断すると殺伐としやすいので(NYでは観光客以外は皆基本的に、日常的になにかに対して怒っている)最近のテーマは”細部にエレガンスを”。飾ったお花を愛でたり、良い香りのハンドソープでいちいちうっとりする事が時に厳しいNY生活を豊かにする。そんな事もあって、エレガント小物調達に満足し帰りのトラムの中でビニール袋の中をチラリチラリとのぞきながら、「この小瓶で我が家もハプスブルグ系よ、うふふ」と思ったのも束の間。”綿棒入れにシヨッカナー”という発想がよぎって、それがどうにも現実的で生活感まるだしで、頭に浮かんだ、ハプスブルグ家からだいぶ遠のいた「綿棒」の二文字を黒板消しで勢い良く消したのだった。摘みたてのミントを入れるようにします。(←おしゃれ利用法のイメージ)





# by akiha_10 | 2014-07-14 11:40 | Trunk